8年ぶりの・・・

2007-09-30 13:16:26 | 

心に残る小さな建物があります。

それは、8年ほど前に「a+u」という雑誌のなかで見つけた、スペイン・マドリッド郊外の小さな墓地の待合所。控えめながら荘重で、なかに秘められた精神的なものが、静かに滲み出てくるような小作品でした。カスティーリャ・ラ・マンチャ地方特有の赤茶けた大地に、ぽつり、と建つその建物に関しては、その他の本や雑誌では一切見かけることがありませんでした。その設計者であるカルロス・プエンテという人のこと、でさえも。

インターネットでもほとんど情報はなく、謎めいたまま。でも、謎は謎のままで胸の内に秘めておくのもいいかもしれません。掲載されていた唯一のその雑誌をずっと手元に置き、時折とりだしては眺め、イメージを膨らませていたのでした。

ところが先日、思いがけないことがありました。建築の専門書を扱う店で何となく背表紙を眺めていると、妙に古ぼけた洋雑誌がありました。「elCROQUIS」という雑誌で、出版は1998年。角も折れ曲がり、端が少し茶色くなっています。こんなに痛んじゃって、売れるのかな・・・と思いながら手に取り、パラパラとめくっていると、最期のページで、目が点になりました。見覚えのある鉄扉!あの十字型の装飾!一気に緊張したような気分になりました。穴があくほど写真をみた建物だけど、そこに載っていた写真は初めて見るもの。何かこう、新しいイメージが湧いてくるような気持ちになりました。

070930

その古ぼけた本を買ってしまったことは言うまでもありません。洋書なだけになかなか高い買物でしたが、痛んでいることもあり大幅に値引きをしてくれました。店の方、ありがとうございます。大事に眺めてますよ~。

ちなみにこの小作品、正式にはCarlos Puente設計 Cemetery in Camarma de Esteruelasといいます。どなたか、さらに何かご存じの方、いらっしゃいませんか?

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リコーのカメラ

2007-09-27 20:01:15 | 写真

僕は2つのカメラを持っています。(正確には一つは妻のもの・・・)

ひとつはキャノンのEOS30Dという一眼レフ・デジカメ、もうひとつはリコーのCAPLIOというコンパクト・デジカメ(これが実は妻のモノ)。リコーCAPLIOはコンパクトでありながら非常によくできていて、広角の画角に強いのが特徴。接写にも強いので、静物や模型、建築・インテリアの写真に大活躍します。今回さらに、コンバージョンレンズを取り付けてより広い画角(22mm)を得られるようにしました。

070627_2

実際に取り付けてみると、なかなか頼もしい佇まいに。下の写真はもともとの状態ですが、それと比較するとメカっぽくなって、なんだか元服した感じ(笑)

070927_2

難点は、これまでカバンに入れて敷地調査にも建設現場にも、旅行にも(このブログのパリ~リスボンの写真はすべてこれ)一緒に連れ立っていたのが、急にかさばるようになってしまったこと。カメラケースにもはいりません。

大きなレンズをつけたまま、とりあえずムキ出しで机の上に鎮座しているCAPLIO。う~ん、どうしたものか・・・。

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三越の工芸展

2007-09-23 16:48:10 | アート・デザイン・建築

朝、NHKの新日曜美術館を観ていると、日本橋・三越で開催されている「日本伝統工芸展」から幾つかの工芸作品が紹介されていました。もともと「民芸」と呼ばれるものについては、提唱者・柳宗悦の思想と共に興味があったのですが、工芸についてきちんと見たことはあまりありませんでした。同時代のプロ達がつくり出す作品をぜひ見てみたいと思い、早速、日本橋へ。

催事場をフルに使い切った広い会場には、ところ狭しと作品群が並んでいました。やはり朝の番組中で紹介された作品の前には人だかり。ずうっと見ていく中で感じたのは、イメージ・モチーフを持った作品が多いということ。川の流れの表現。深い森のイメージ。夜空にきらめく星々・・・。伝統工芸であるが故か、花鳥風月を主題としたテーマとその表現の粋を極めていく、というのが多いように思われました。ジャンルに限らず、芸術表現にはそのような主題の立て方は多いのかも知れません。

ただ、それらの主題の立て方は、モノそのものの用途や機能とはあまり関係がないことが多いのも事実。そういうものを「装飾」として敬遠しようとするのも現在の風潮でしょう。建築の世界でもかつて、装飾が粋を極めた後、徹底的に装飾を断絶する動きがありました。現在のシンプル嗜好もその延長上にあるのかもしれませんが。

僕にとっては、「装飾」は興味ある対象です。装飾をきちんと考え直してみたい、と思ったキッカケは、アントニ・ガウディの建築作品に施された陶片モザイクタイルの装飾を見たときからでした。それは、たんにキレイだから、というよりは、現在でもなお強いメッセージ性を感じ取れるような力強さを感じたからでもありました。

それにしても工芸作品の数々、とても美しかったなあ。言葉をいろいろ重ねるよりもまず、ぐっとつかまれる何か強いものを感じます。

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真北測定

2007-09-20 18:58:19 | 進行中プロジェクト

今日は快晴。現在設計中のプロジェクトの真北測定を行いました。真北測定というのは、文字通り「真北方向」を測定すること。住宅地に建物を計画する際には、北側への斜線制限や日影規制などの法規が大きく関係してきます。そこで、正確な方位を根拠資料として測定しておく必要があります。

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今回のプロジェクトは、敷地の間口4メートル、奥行27メートル。超細長型の敷地です。斜線制限の影響で壁が斜めになるので、それを少しでも緩和するためには、正確に真北方向を測定して、斜線制限を計算する必要があります。

写真の不可思議な器械は、真北測定器。時刻ごとに日影を記入していくと、真北方向が測定できる仕組になっています。一見ものものしい外観をしていますが、割合に原始的な器械。あまり数量が売れないのか、値段がけっこう高い(泣)。それでも、設計事務所にとっては欠かせない仕事道具です。

070920_1

日影を相手に測定するので、快晴の時しか作業はできません。師匠の事務所に勤めていた頃は、真北測定は恰好の「息抜き」でした。師匠の怒鳴り声から解放され(?)、ジュースでも飲みながらのんびりと晴れた屋外で過ごす時間は、ちょっとした楽しみでした。ですが。今日は真夏のような暑さ!!のんびり・・・なんて言っているほどの余裕はなく、もう汗だくで顔を真っ赤にしながらの作業でした。

超細長敷地のプロジェクト、今後もブログのなかでプロセスを紹介していこうと思います。

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ふたたびコルビュジエ展

2007-09-16 20:46:28 | アート・デザイン・建築

さてさて。前回に引き続き、今回はコルビュジエ展の感想を書きたいと思います。

コルビュジエは僕にとって格別の存在です。そもそも、高校時代に初めて読んだ建築書がコルビュジエ著「建築をめざして」でした。おもしろいような、おもしろくないような。まだ早すぎたのでしょう。大学に入り、コルビュジエ賞賛から授業が始まりました。次第に興味を持ち始め、ひたすら図面を模写して勉強したものでした。写真はそのときの模写図面の束。

070916

いつしかそれらの建築を「図面上では」おもしろいと思うようになり、自分の疑問点がたくさん書き込まれた模写図面の束を抱えて、コルビュジエの国フランスへ向かったのです。ちょうど10年前のことでした。そしてその旅行で、白い箱のような斬新な建築は、僕にとってはちっとも心に響かないことを確認することになってしまいました。図面と写真では、随分とわくわくしていたのですが。

しかし、同じ旅で後期の作品「ロンシャンの教会」で深く感銘・・・というより悩ましいほどの疑問とナゾにつかまれてしまったのでした。そのときの経験が、その後の僕の建築の考え方に大きく影響しています。それはつまり、目の前にあるカタチそのものに目的があるのではなくて、そのカタチを通して、見えないモノが見えるようになる、とでも言うような価値観。ちょっと変な言い方ですが。「記憶」ということをテーマに建築をつくろうとしているのも、その延長にある考え方です。

コルビュジエという難解な作家を、森美術館という集客力が求められる場所で紹介するという企画は、なかなか大変だったと思います。いわば貴重な資料、原寸大の室内模型、アンビルドの作品のCGなど、見る者を飽きさせない趣向の楽しい展覧会でした。その展示内容からイメージされるコルビュジエ像は、とてもポジティブなものでした。しかしやはり僕はここで、ゴダールの有名なキャプションを引用してしまいたくなります。「私は、海洋に浮かぶ大きな疑問符である。」

そう、カップマルタンの海に還っていったコルビュジエには、もっと疑問符に満ちた展示の方が似つかわしい。個人的にはそんな風に思いました。11年前にセゾン美術館で開かれたコルビュジエ展はその点、一般受けはしなさそうな展示でしたが、プロジェクト途中のスケッチがたくさん並び、、朴訥としながらもナゾに満ちた、厳かな雰囲気の展覧会だったように記憶しています。

また、コルビュジエの図面を引っ張り出して眺めたくなってきたなあ。

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