仙台で進行中の「青葉の家」の現場に行った時、足を延ばして平泉へ行きました。思いつきで突然に決めたことでしたので、世界遺産に登録された平泉がどのようなところなのか、ほとんどわからないまま、まずは行ってみたのでした。中尊寺金色堂。あまりに有名なその堂宇についても、よく載っているイメージ写真のほか、よくは知りませんでした。それがどこに、どのようにして建っているのか。
平泉駅を降り、徒歩で街を歩いていきました。山並みの美しい静かな里。そんな風景を、この地に生きた人々が大切に残してきたのですね。
やがて目の前に、こんもりと生い茂った森が現れます。月見坂という名の、大きな杉の木立に包まれた道。木漏れ日の美しい坂道でした。きっと季節や天候によっては、幽玄な雰囲気に包まれるであろうことも想像できます。平日だったこともあり、人もそれほど多くない山道をゆっくりゆっくり歩んでいくと、外界から離れ、奥の世界に入っていくような心境になっていきました。月見坂から枝分かれするようにして、小さく簡素な、かわいらしい御堂が散在していて、そのなかにおさめられた金箔の貼られた仏像が、外からもうかがい知ることができます。御堂の陰影のなかに、金色の仏像がすっと印象的に浮かび上がる姿は、ぼくにとってこれまで経験したことのない情感でした。
月見坂の一番奥から、最後に枝分かれしたところに、あの有名なシーンが待っていました。中尊寺金色堂。正確には、金色堂を風雨から守る覆堂(おおいどう)が現れるのです。なかに守られた金色堂に出会った瞬間は、そのきらびやかさに息をのみました。華やかな金色だけでなく、抑制の効いた黒漆の背面。茶褐色の渋い地色を持つ柱には、貝が埋め込まれ輝きをはなっています。品のある美しい表現は、驚きとともに、しばらく見ていると、静けさにさそうような深い奥行きをもっているように思えました。
残念だったのは、金色堂と鑑賞者の間に情緒なく立ちはだかるガラスの壁と人工照明。鉄筋コンクリートでできた覆堂のなかにいると、たんに博物館のなかにいるような気持にも、多少なってしまうのかもしれません。
そんな風にして観終え、歩いていると、気になるものが木々の間にひっそりと建っていました。旧覆堂。鎌倉時代末期に金色堂を守るように建てられたものだそうです。覆堂は木だけでできており、無装飾無彩色な、簡素な「木箱」のイメージ。永年の風雨にさらされ、古色を帯びた姿は、森の緑を背景に、独特な光沢を秘めているような雰囲気でした。美しい、そう思いました。
かつては、どんな風に感じられたのでしょうか。何も物語らない簡素な木箱が、道の奥に静かに佇んでいる。その木箱にゆっくりと近づいていって扉を開けると、金色のまばゆい光が、陰影のなかから滲み出てくる。そんな姿を、ぜひ見てみたかった。この古い覆堂が、文化財保護の観点から鉄筋コンクリート造で建て替えられたのは、今から約50年前のこと。鎌倉末期から続いてきた「木箱」の覆堂は、その役目を終え、脇に移築保存されました。
日本文学研究者のドナルド・キーンさんが先日、東北復興シンポジウムで講演し、そのなかで、56年前に、桜の季節の中の中尊寺金色堂で、深く心を動かされた体験を話されたそうです。朝日新聞の記事によると、「暗い森の中に輝く金色堂を、東北の長い冬の後に咲く桜と並べてたたえた」そうです。そしてそれが、何よりも東北の象徴であると。
キーンさんが当時訪れた金色堂は、「木箱」にひっそりとおさめられていた時だったのでしょう。そしてかつての覆堂の姿を、ぼくは土門拳「古寺巡礼」の写真のなかに見つけました。まだ金箔を貼り直す修復の入る以前の、金色の削げ落ちた無垢な金色堂の姿も。人気の無いしんと静まった森の中でそれは、幽玄な優しさを秘めているようでした。いつまでも見飽きることのない、美しい写真でした。
平泉に多く存在していた建造物は、時の試練のなかで多くが失われました。でも、その遺構から往時を偲ぶことができますし、そのような雰囲気があります。土門拳が愛した冬ざれの中尊寺の姿を、そして、松尾芭蕉が有名な一句を残した、五月雨のなかで幽玄に佇む姿を見るために、いずれまた訪れたいという気持ちになりました。