オノ・デザインのアトリエと住宅の工事が、終盤をむかえています。外壁の左官塗の工事も終わり、器具などが取り付けが終われば、もう間もなく足場とシートが外されることになります。
10年の歳月を経た既存家屋の黒い壁や柱の向こうに、新しい白い壁が屈曲しながらつながっていきます。僕の設計する家はいつも、壁が多めな印象です。それは、窓の位置を吟味して、必要以上には大きく窓を開けないようにしていること、そして、壁がもたらす「余白」の趣を大事にしたいということなどが、その理由です。
結果的にできあがった壁は、さまざまな表情をもちます。左官職人さんの塗った手の跡もありますが、同時にそこにはいろいろなものの影が映り込みます。それらの影はどこか抽象的でもあり、暗示的でもあります。そんな効果が、たんなる壁に独特の趣をもたらすのだと、僕は思っています。
大学時代に僕は卒業論文で、ガウディを専攻しました。今も建築中のサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の柱一本を題材に、そこに込められた図像やイメージについて考える機会になりました。その柱一本は、いろいろなことを暗喩として示す不思議な存在感をもっていました。床・壁・天井で囲まれた部分を指して「空間」というのではなく、その柱一本のまわりに自ずと「空間」ができあがる、というような、そんな雰囲気をもっていました。どこか、心の寄る辺になるような雰囲気があるのだと思います。柱一本に、壁一枚に、そんな趣がもたらされることを、設計しながらよく願っています。
つい先日、大学時代の恩師・入江正之先生を囲む会が開かれ、楽しい時間を過ごしました。入江先生はガウディ研究の第一人者としても有名で、先生の思想の根本の部分には、ガウディからの学びが色濃く反映されているのだと思います。ガウディについては、イメージ先行のせいか、しばしば極端な解釈がなされますが、先生のもとで冷静にガウディに向き合おうとすると、そこには汲めども尽きぬ源泉のような奥深さがあることに気付かされます。20世紀のはじめ、建築の思潮があるブームとともにひとつの方向に舵をきっていきました。現在の建築の潮流も、いわばその延長にあるもの、とも言えそうです。ガウディという人間の在りようは、そのメインの流れからは外れたものになりました。だからこそ、そこには古くて同時に新しい何かが、ギッシリ詰まっているように思えます。