ヒュッゲな場所。

2021-04-30 17:29:34 | わらびの家


雨上がりの快晴のなか、「わらびの家」でフォトグラファーによる撮影を行いました。
今年の新緑は芽吹きが早いといいます。室内に入ると、目に鮮やかな新緑が目に飛び込んできました。

新緑によって緑味を帯びた光が室内に入ってきます。
キッチンカウンターやテレビの暗色面には、緑が映り込んで幽玄な雰囲気に。
木漏れ日は室内に入り込んで、ゆったりとゆらめきます。
そして、明るい光と、陰影と。
そんな雰囲気のなか、置かれた家具や道具類ひとつひとつが独特の存在感と趣をもって佇んでいます。
うーん、なんだろう、この感覚は。
カッコいいとか、キレイだとかいうよりも、癒されるという感じでしょうか。



ご夫婦ともに在宅勤務が主になり、家で過ごす時間が長くなったとのこと。
この空間で過ごす時間を楽しんでいただいているようです。

しばらく更新が滞ってしまったホームページに、できあがった写真を近々アップしたいと思います。



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不思議な空間

2021-04-25 23:05:10 | 森見座の家


コロナ禍のなかで、仕事や勉強のできるデスクコーナーの存在感は増すばかりで、落ち着くデスクコーナーについてあれこれ思いを巡らせています。
写真のデスクコーナーは個室のなかにつくられたデスクコーナーなのですが、ちょっと不思議な佇まいで、心惹かれるものになりました。

書棚が造りつけられ、デスクは板一枚のシンプルな造り。
部屋全体の壁は薄桃色に着色されているのですが、デスクコーナーの部分は、ちょっと囲まれたような造りになっていて、そしてそのなかは薄いグレー色で塗られています。
そう、ホワイト色ではなく、薄いグレー色。
それが、なんだか不思議な雰囲気を醸し出します。
明るく楽し気な感じなのではなく、すぅっと落ち着く感じ。
小窓から差し込む自然光が柔らかく壁に吸い込まれていって、静かな感じ。
ここ何回かのブログでも書いたけれど、ここもハンマースホイの絵のような空間だなあ。

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素材溢れる

2021-04-15 23:18:06 | 西東京の家


いつもは素材の種類を絞り込んだインテリアのデザインをすることが多いのですが、この「西東京の家」では、いろいろな素材がギュッと濃縮されて見えるインテリアになりました。
木、金属、タイル、石、陶器・・・どの素材も堂々と見えて楽しい感じです。
写真の左側に見える洗面ボウルは、陶芸を趣味にされている施主の手作り。
かなり大きいので作るのは大変だったようですが、シンプルなシルエットに、淡い浅黄色の釉薬がかけられ独特の存在感があります。
使い込んで汚れて傷がついても味になってくれそうなインテリア。いいですね。
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レトロガラス

2021-04-11 22:14:19 | 経堂の家


ガラスの種類は多くありますが、一方で昔の技術でつくられていたガラスは、逆に姿を消したりもしています。
本物の古いガラスはアンティークガラスとして高値で販売されていたりもしますが、アンティーク風のデザインでつくられた新しいガラスは、ほどほどの価格で入手できるので、そういうものを家づくりに採り入れるのも楽しいものです。
アンティーク風のガラスは、果たしてそんな柄が昔にあったのだろうか?というようなデザインのものも含まれていて、新しい雰囲気なのか古い雰囲気なのか、一見してよくわからないというのもおもしろいところ。

写真は「経堂の家」の間仕切りドアに採り入れたアンティーク風ガラス。
向こう側がはっきり見えないようにしたいという場所だったのですが、ガラス越しに滲む照明の明かりに風情があります。
ラワン材で設えたドア枠も、ちょっとレトロな雰囲気のデザインにして、工事のなかでつくったオリジナル・ドアです。
床や壁の素材感にもうまく呼応して、独特の趣きがあります。
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光跡

2021-04-04 21:53:36 | アート・デザイン・建築


今宵はしとしとと雨が降ります。
雨が似合う場所を思い返すとき、ふと思い出されるのが、ここ。
所沢聖地霊園 礼拝堂と納骨堂です。

もう50年ほど昔の建物で、開設当時は武蔵野の雑木がずうっと続いている環境だったそうです。
設計を担当した建築家の池原義郎先生に、ぼくは大学生時代に教わりました。
そのときの講義のノートを見返すと、この礼拝堂の主題が、デザインされた姿かたちそのものにあるのではなく、それらがもたらす余韻や暗示にこそ主題が求められていたことがわかります。

空間が森につながる。無限の奥として森をとらえたい。実在しない深さを、実在するように感じさせたい。
写真の手前に映る水盤は、心に静けさをもたらすもの。
お彼岸の昼に、礼拝堂の天窓から祭壇に光が落ちるように屋根の角度を決めた。

それらの作為ひとつひとつがもたらすであろう心象的な効果を、学生時代からずっと味わい考え続けてきました。
デザインをするということは、姿かたちの良しあしだけを指すのではない。
そのことをずっと胸に留めてぼくは仕事をしてきました。そのきっかけは池原先生の講義だったと思います。
雨に煙る光景の記憶とともにある、ぼくにとって原風景のような場所です。



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