さてさて。前回に引き続き、今回はコルビュジエ展の感想を書きたいと思います。
コルビュジエは僕にとって格別の存在です。そもそも、高校時代に初めて読んだ建築書がコルビュジエ著「建築をめざして」でした。おもしろいような、おもしろくないような。まだ早すぎたのでしょう。大学に入り、コルビュジエ賞賛から授業が始まりました。次第に興味を持ち始め、ひたすら図面を模写して勉強したものでした。写真はそのときの模写図面の束。
いつしかそれらの建築を「図面上では」おもしろいと思うようになり、自分の疑問点がたくさん書き込まれた模写図面の束を抱えて、コルビュジエの国フランスへ向かったのです。ちょうど10年前のことでした。そしてその旅行で、白い箱のような斬新な建築は、僕にとってはちっとも心に響かないことを確認することになってしまいました。図面と写真では、随分とわくわくしていたのですが。
しかし、同じ旅で後期の作品「ロンシャンの教会」で深く感銘・・・というより悩ましいほどの疑問とナゾにつかまれてしまったのでした。そのときの経験が、その後の僕の建築の考え方に大きく影響しています。それはつまり、目の前にあるカタチそのものに目的があるのではなくて、そのカタチを通して、見えないモノが見えるようになる、とでも言うような価値観。ちょっと変な言い方ですが。「記憶」ということをテーマに建築をつくろうとしているのも、その延長にある考え方です。
コルビュジエという難解な作家を、森美術館という集客力が求められる場所で紹介するという企画は、なかなか大変だったと思います。いわば貴重な資料、原寸大の室内模型、アンビルドの作品のCGなど、見る者を飽きさせない趣向の楽しい展覧会でした。その展示内容からイメージされるコルビュジエ像は、とてもポジティブなものでした。しかしやはり僕はここで、ゴダールの有名なキャプションを引用してしまいたくなります。「私は、海洋に浮かぶ大きな疑問符である。」
そう、カップマルタンの海に還っていったコルビュジエには、もっと疑問符に満ちた展示の方が似つかわしい。個人的にはそんな風に思いました。11年前にセゾン美術館で開かれたコルビュジエ展はその点、一般受けはしなさそうな展示でしたが、プロジェクト途中のスケッチがたくさん並び、、朴訥としながらもナゾに満ちた、厳かな雰囲気の展覧会だったように記憶しています。
また、コルビュジエの図面を引っ張り出して眺めたくなってきたなあ。