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サルビアの花

2011-10-31 15:07:42 | 日々

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良い天気が続きます。「自由が丘の家」の庭も、気持ちの良い季節を迎えました。昨年に庭を多少つくりかえたのですが、うまく根付いた草木は、この一年でどんどん大きくなってきました。

枕木を敷いたテラスの脇に植えたアメジストセージ(サルビアの一種ですね)は、この一年で背丈ほどの高さにまでぐんぐん成長中。台風でグニャリと横倒しになったりしながらも、なんとか持ち直し、今は綺麗な紫色の花を見せてくれています。

画家ジョージア・オキーフがニューメキシコ州の荒涼とした自然のなかで、ひとりでアドビという土壁の家に住んでいる日々をまとめた、写真集があります。家の大きな壁面の前に、サルビアの木があって、それがとても印象的でした。ウチのサルビアも、負けず劣らず大きくなってきたぞ、とちょこっと胸のうちで喜んだり。白い壁の前に咲く紫色の花は、鮮やかです。

もうすぐ花の季節も終わるようで、サルビアの足元には花がぽたぽたと落ちてきました。足元にそんな紫色の断片が散りばめられているのも、風情がありますね。

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庭の不思議

2010-08-29 19:24:11 | 日々

動かない人工物としての住宅を設計していると、常に変化があり移ろいやすい庭の存在が、とても魅力的に思います。だから、住宅を設計するときにはつとめて、庭や屋外とのつながりを大事にしています。

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写真の風鈴は、スペインのお土産のもの。チリンチリンという日本的な音とは少し違って、長さの異なるパイプがいろいろな音程を奏でます。ジューンベリーのもりもりとした緑に隠れて姿は見失ってしまいそうですが、遠くで音色を聴くと、やはりどこか癒されます。

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水をためたバードバス。西日を背景に見ると、水盤がくっきりと空の光を映し込んで、何か誘われるような雰囲気があります。

カタチのデザインだけでは、居心地よい場所、美しい場所はつくれない。そんなことを強烈に感じたのは、桂離宮を訪れたときのことでした。雨のしずくまでをも考慮に入れた修景は、大学で学ぶ建築空間デザインの何倍も、繊細なものでした。古人が持ち合わせていた繊細な感覚に、僕もなんとか少しでも近づけるように、磨いていかねば。

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広場の記憶

2010-07-31 12:19:19 | 日々

自由が丘の駅前には、広場があります。広場といっても、荷卸しの車とタクシーやバスが走るロータリーで、人はその脇を通っていくような場所。そのまんなかに、いつの頃からか女神像がたっていました。背中に翼をもち、穏やかな面持ちのほっそりとした像。それが、いなくなってしまいました。
最近、駅前広場の整備事業が始まり、その間、撤去されたのです。今後、広場の中心にはタクシープールが整備され、女神像は広場の端っこに帰ってくるそうです。

自由が丘のシンボルは何ですか。以前、こんなアンケートがあったそうです。その時に近隣住民の多くが答えたのが、この女神像だったそうです。雑多な街並みのなかでシンボルを探す方がむずかしそうではあるのですが、そういえば駅前に女神像があったな、多くの人にとってはそのぐらいの思いだったかもしれません。

西欧の広場にある雄々しい騎馬像やオベリスクなどに比べれば、自由が丘の女神像はあまりに小さく華奢でした。でもこうしていなくなってしまって、何事もなかったかのように跡地がアスファルトで埋められる姿を見ると、明らかに何か喪失感のようなものがあるのです。きっと多くの人も、同じような思いでいるかもしれません。小さな女神像は、知らず知らずのうちに、僕たちのなかでなくてはならない「シンボル」になっていたのかもしれません。

今回の整備事業は、交通整理に重点がおかれたようです。でもかつては、整備案のひとつとして、車の入らない、歩行者だけの広場の案があったそうです。
女神像を中心として。
石畳が敷かれて。
いつか、周辺の交通網が整備され、駅前広場が歩行者だけの魅力的な広場になることを望みます。

写真はサンマルコ広場、F.ブローデル「都市ヴェネツィア」(岩波書店)から。記憶にしっかり残る、人間のための美しい広場。文化は違えど、そんな存在を、この小さな街にもつくっていきたいものです。

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ワールドカップ

2010-07-07 16:34:30 | 日々

サッカーワールドカップも、いよいよ残すところあと数試合。選手や試合内容だけでなく、いろいろなところに垣間見える「お国柄」も、この大会の魅力ですね。

大学時代は、ガウディの卒業論文を取り組んでいたこともあり、僕にとって最もアツい国はスペインでした。卒業旅行でスペインを訪れたとき、カディスという南西の街に寄りました。海越しにポルトガルが見える、はしっこの街。少し寂れた白い街のあちこちに、レアルマドリードのポスターが貼ってありました。マドリードから結構遠いのになあ、そんなことを思いながら、隅々の街にサッカーが浸透しているのを感じました。

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旅行中、僕の連れはずっとサッカーボールを持ち歩いていたのだけれども、それは言葉以上に「言葉」なんですね。ちょっと広場に腰掛ければ、ボールを見つけてすぐ少年達が集まってきます。彼がすかさずボールテクニックを披露すると、「ナカタ、ナカータ」と言って早速勝負を挑んできたようでした。ちょうどナカタがペルージャで名を轟かせ始めた頃でした。

建築科の学生であったにも関わらず、建築よりもサッカーの方が神聖なんだよ!と語る彼の熱弁には時折困ったけれど、4年に一度、ワールドカップの時には、やはりそうかもな、と思える時があります。

同じヨーロッパにありながら、ややローカルな位置にあるスペインの経済。そのなかでつくられる建築は、ロンドンやベルリンの建築ブームを横目に、よりローカルで、より慎ましやかで、より人々に向けられていて、だからこそ、美しいと思います。

いろいろな思い出と共に、今日のドイツVSスペイン戦は、スペインに一票!!

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桜の季節に思ったこと

2010-04-06 20:47:53 | 日々

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 いつのまにか桜もすっかり満開を迎えましたね。これから段々と散っていく桜を見遣っていくのは少し寂しい思いもありますが、幻想的な雰囲気の桜吹雪は、いつまで見ていても見飽きません。そんななかでお花見をしていたら、さぞ楽しいことでしょう。

どのくらい昔のものか判りませんが、古いお花見道具が、昔の実家の物置から出てきたので、飾ってあります。ずいぶん痛んではいますが、重箱と徳利のセット。これを持ってお花見をしたことは、かつてあったのだろうか??

今では、和室の片隅で静かに佇んでいます。昼前に、高窓から入る柔らかい光に照らされると、黒漆のなかの金色の葉が輝き、徳利の灰緑色が深みを増します。桜吹雪のなかで見たら、どんな色に見えるのかな。そんなことを想像しつつ、結局、今年も使わぬまま。もう使うこともないのだろうけど、見ているだけで、道具のもつ独特の気品に癒されます。

遠い昔の置きみやげから、新しい日常使いの小物まで。生活をとりまくいろいろな器物が、家の中や外でゆったりと美しく見えること。そんな雰囲気が、僕はとても好きです。家の姿カタチというよりも、そんな器物が織りなす「空気感」が、家の居心地の良さや美しさを決めているようにも思います。そして、そんな「空気感」をつくり出すのは、物事の間合いや、窓から入ってくる自然光の具合だったりするようにも思います。肩の力の抜けた、家の設計。いい意味での脱力感が、気持ちの良い居場所をつくるのには必要なのかも知れないな、と、最近ちょっと思ったりもしています。

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