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焼き鳥屋台

2010-03-29 15:25:37 | 日々

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自宅の傍にある、焼き鳥屋台に、桜の季節がやってきました。
この焼き鳥屋台のことは、2009.2.19にブログでも書きました。

煙で真っ黒になった小屋を覆うように、淡い色の桜の花びらが可愛く彩っています。桜には苔が生え、屋台の濃茶と桜と薄緑が、美しい色の対比をなしています。

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先週のブログで、小さな茶室・待庵のことを書きましたが、この屋台はそれよりももっと小さな一畳にも満たない空間。もはや、小屋の中に空間があるのではなくて、この屋台を中心にして廻りに「屋台空間」なるものができあがっています。もちろん桜の樹も、その雰囲気づくりに一役かっています。
 近所のおじさんたちばかりでなく、高校生や主婦まで、常に赤提灯の前は人で賑わっています。テーブル席はないけれど、近くのコンビニで缶ビールを買って、屋台の傍を流れる疎水を眺めながらアツアツの焼き鳥を食べ、缶ビールをキュっと。そんなベテランの方もいらっしゃいます(笑)
 ここ最近は寒さが戻って、春まですこし足踏み状態。でももう間もなく、この桜も満開になるでしょう。夜桜を眺めながらの焼き鳥は、きっと格別ですよね。

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雪あかり日記

2010-02-02 22:34:16 | 日々

東京に雪が降りましたね。

雪が降っていいことばかりではないけれど、温暖化が叫ばれる中では、本来の冬の姿を取り戻したような、そんな印象とともに、ちょっとした安心感もおぼえました。
 いつものように昼食をとり新聞を読む空間が、ちょっと明るい。それはきっと、庭先に残った雪に反射した光のせいでした。雪が降ることで変わる日常。

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 庭木の枝葉につもった雪がとけ、なんとなく庭を見ていると、老いた梅に花が咲き始めていました。まだしっかり咲く前の、微妙な瞬間。

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もう何十年も植わっている、皮一枚で幹がつながっているような、そんな老梅。その枝から新しい枝が芽生え、つぼみがついているのを見ると、なんともいえず心が動かされます。
 最近にはめずらしく寒い冬の日に、たしかな春の訪れを感じつつ。

そういえば、知り合いの庭師が言っていました。梅が植わると庭は和風になるんだよね。
ヴェネツィアの話の次に書く話が梅。一気に日本の話ですね。華やかさとういう点ではわからないけれど、和の木には、日本人の心に直接響くなにかがあるような気がします。そしてそれがずっとあり続けるということにも、大切な意義を感じます。

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かすみ草から始まること

2010-01-11 20:43:52 | 日々

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正月用に玄関に飾っていたかすみ草。他の花と一緒に活けてありましたが、今はかすみ草だけが残って活けてあります。普段はドライフラワーとなったものを、模型の樹木表現に使うことも多いのですが、本来の姿をあらためて眺めたのはひさしぶりでした。
 青みがかった釉薬の花器に、うぐいす色の細い枝が綺麗な直線で枝分かれし、白い小さな花は幾重にも花びらをもち、静かな陰翳を宿しています。そのまわりでこれから咲かんとする小さなつぼみは、何かを一身にためこんだように丸まり、とてもかわいい。そこに、天窓から光が静かに降り注いでいる、そんな情景。
 決して目立つ草花ではないし、主役を張るような存在ではないのですが、美しいなと思います。「日本的」な心情を言葉で定義するのは難しいですが、今、目の前で見ているこの情景の色や姿かたちのニュアンスは、やはりどこか日本的な、というべきものなのだろうと思います。
 最近になって、少しずつ日本画が好きになってきました。寺が好きなのは、仕事のせい?ということもあるけれど、そのうち、仏像なんかも好きになってくるのかな。日本で、京都で生まれ育つ中でできあがった価値観の回路が、年を追うごとに少しずつスイッチオンされてきているのでしょうか。そしてそれは、ひろく共有できるはずの感覚なのだろうと思います。

年末年始に、新聞やニュースでは世の閉塞感がさかんに言われていました。たしかに経済的にはそれを実感するけれど、そんななかでも、心の豊かさをを大切にしたいですね。あらゆるものが満たされていなくても、その日常のなかに、豊かに思える感情はあるはずだと思います。日本的な美意識って、日常のなかにおのずと含まれている豊かさを見出すことにあるように思います。足りないモノを足していくような在り方ではなく、たんなる日常が豊かなものだと感じ取れるような居場所を、ひとつずつ創っていきたいと思います。日常こそが美しく豊かで幸せであると感じられなければ、世の中はずっと無いモノねだりの不足感のままだと思うのです。

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せいくらべ

2009-12-31 18:36:39 | 日々

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少し前のことになりますが、自由が丘の家の、庭木の剪定をしてもらいました。数年間のび放題だったのですが、形式のないワイルドガーデン、むしろその方が魅力的だとも思っていました。鬱蒼とした木々は、庭の見え隠れをおもしろくし、静謐な雰囲気を創り出します。その雰囲気を、僕はとても気に入っています。ですが、あまりに放置すると、影になった植木は元気がなくなったりもするので、数年に一度、すこしサッパリとしてもらいます。

 「やっとモッコクが堂々としてきたな」とは、剪定を終えた植木屋さんの一言。モッコクとは、和風の庭木で、かつては多かったと聞いていますが、なにしろ地味!な木なので、最近では流行らないのでしょう、あまり見かけることも少なくなってきました。このモッコクの木は、家を建て替える前から植わっていて古いので、それなりに大きいのですが、新参者のシマトネリコに、みるみる背を抜かされ、今ではすっかりメインツリーの座を明け渡してしまったのでした。おまけにこのシマトネリコは株立ちである上に、生育がよく、あまり見たことがないぐらいに大きくなりました。その木陰には小さなテーブルとベンチがあって、木漏れ日の良い居場所をつくっているのでした。それに比べ、このモッコクの木は、居場所をつくるというよりは、長老のような出で立ちで庭をひきしめてくれている・・・はず。かつてのメインツリーはたしかに少し縮こまっているように見えていましたが、剪定をすると、シマトネリコよりも存在感が増しました。またメインツリーとしての風格が出てきました。

 この庭は、言わば雑木の庭で、好きなところに草花も植えられた自由気ままな庭なので、木にメインもサブもありません。でも、こうして古いものと新しいものが、せいくらべをするかのように共存している様は楽しいものです。草木の背景となる珪藻土の白い壁と、黒漆喰の黒い壁も、今年一年でまた少し味わいが出てきたように思います。一年一年が劇的に変わるわけでないけれど、注意深く眺めていると、庭も建物も一体となって少しずつ変わっていきます。

今年ももう終わります。どうぞ良いお年を。

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菊乃井

2009-10-15 15:55:27 | 日々

「ミシュランガイド 京都・大阪」が発売され、ちょっとした波紋をよんでいますね。「味」だけに着目し格付けすることは、京都の料理文化と相容れないと。
 三つ星の評価が与えられた料亭「菊乃井」に、以前行ったことがありました。通されたのは、東山の山襞がせまる簡素な茶室。こざっぱりとした室内意匠でありながら幽玄な光に満ちた、美しい部屋でした。

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 抜きんでるものなく抑制と調和の効いた色彩の部屋のなかで、盆の上の器や料理の、鮮やかな、あるいは渋い色彩が際立っていました。その雰囲気のなかで料理をいただく時間そのものが、妙な言い方ですが、文化の記憶のなかに身を沈めていくような、そんな感覚でした。

 いろいろな地域から運ばれてきた食材に、あらゆる手をかけて美を見出す。その道筋は時に宗教や思想とともにあったわけですから、美食の捉え方も、味覚とはまた別の価値観があることでしょう。精進料理をいただきながら、何を想うか。同じように、懐石料理をいただきながら、どんなことを想うか。きっと食材の取り扱い方にうんちくを並べることだけでは読み解けない、精神的な意味での深みがあるのだろうと想います。

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 京料理の評価をめぐる論議。もてなしのすべてが文化だとする主張が、世界に通用するかどうか。ただ、もてなしのひとつに、料理の背景としての室内や庭があるとするならば、僕も建築家として文化に深く関わっていきたいと思います。京料理のように、渋く奥行きのあるものとして。

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