ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

渡辺恒雄氏と読売新聞 - 4 ( 愛国心のない思想は、空論 )

2022-10-03 20:10:10 | 徒然の記

 反日左翼思想から、大野伴睦氏の大義へと、渡辺氏が変わって行った例を紹介します。トップが代わると、新聞の論調が変わるという事例でもあります。

  ・1977 (  昭和52 ) 年 編集局総務(局長待遇)に就任

             「同年2月1『読売新聞』社説は百里基地訴訟一審判決の違憲立法審査権の存在意義を説いていたが、1981年7月8日付紙面では一転し、二審判決の統治行為論を支持して、裁判所の政治介入を制限する主張に変わった。」

  ・読売新聞が渡辺の主張を取り入れて、中道から保守に傾斜していく過程のエピソードである。

  ・同年、取締役論説委員長に就任 

   「1982 (  昭和57 ) 12月に、ソ連による執拗かつ周到な対日諜報活動・間接侵略が暴露されたレフチェンコ事件当時、首相官邸に赴いた際自社の記者について後藤田正晴や中曽根康弘とやりあったという。」

 レフチェンコは、ソ連軍事裁判所での欠席裁判で重反逆罪による死刑を宣告されましたが、1989年にアメリカ国籍を取得しています。「後藤田氏らとやりあった」内容については、別の場面で、氏自身が語った言葉を紹介します。

 「渡辺は、レフチェンコ事件に関与した読売新聞記者の解雇を、後藤田正晴官房長官から求められ、〈 政府の言うとおり処分したと思われないよう、時期をおいてから異動させた 〉と発言している。」

 つまり氏は、レフチェンコのスパイ活動に協力したとされる自社の記者を庇い、政府の意向を無視するほどの力を持っていたということになります。

  ・1984 (  昭和59 ) からは、元旦の社説を執筆するようになった。

  ・1991 ( 平成3 ) 読売新聞社社長、横綱審議委員、1999年には日本新聞協会会長に就任

  ・日本国民の世論の大多数が、日本国憲法改正そのものを否定していた1990年代初頭より、読売新聞は憲法九条の改正を含む改憲キャンペーンを展開した。

  ・それまで半ばタブー視されていた改憲論議の口火を切る。その後、世論調査では憲法改正自体への賛成が、反対を上回ることが多々見られるようになった

 こういう動きがあったため、私は氏が保守の人物と勘違いしたのです。しかし中曽根総理は「憲法改正」の旗印を挙げず、続く竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山内閣と続きますが、誰も改憲論議を口にしませんでした。ふたたび「憲法改正論議」はタブーとなり、このタブーを破ったのは15年後の安倍総理でした。

 これだけ時間が経過し、大野伴睦氏と正力松太郎氏が亡くなり、道義を尽くす相手がいなくなるとまた思想信条が変化しました。次の説明が、氏の変化を語っています。

 「自民党員及び元自民党員ら保守系議員に多大な影響力を持ち、中曽根康弘と共に、2007 ( 平成19  ) 年の自民党と民主党の大連立構想の黒幕であったと報じられている。小沢一郎は、『朝日新聞』のインタビューで、渡辺を〈 大連立構想の張本人〉と答えている。」

 福田内閣の時ですが、自民党と民主党の大連立構想について、私は記憶にありません。説明のタイトルは、〈「大連立」頓挫、小沢民主代表が辞意 〉となっています。

 「福田康夫首相(自民党総裁)と民主党の小沢一郎代表が10月30日、11月2日と続けて会談。首相は2回目の会談で、国会の「ねじれ」状況の打開を目指し、自民、民主両党による「大連立」を打診した。」

 「小沢氏は提案を持ち帰り同日夜の緊急役員会で、協議に入ることへの了承を求めたが、全員が反対。小沢氏は首相に電話をかけ、提案拒否を伝えた。」

 福田内閣は一年足らずの短命内閣で、目立たない総理でしたから、報道はされていたのでしょうが関心を抱きませんでした。水と油の自民党と民主党の連立など、考える方がおかしいのです。

 「小沢氏は2日後の同月4日、混乱を招いたけじめとして辞意を表明。鳩山由紀夫幹事長ら執行部の慰留を受け、7日に陳謝して辞意を撤回した。その際、党首会談の前から、首相サイドと人を介して〈大連立〉の話をしていたことを明かした。騒動は収束したが、党内には小沢氏への不信感が残った。」

 説明の中に渡辺氏の名前は出てきませんが、政党の壊し屋である小沢氏が、のちに明らかにしたということです。自社さ連立内閣で無残な失敗をしているのに、渡辺氏も学習をしない政争優先の人物にレベルダウンしています。大野伴睦氏は、今日の目からはいい加減に見えても、氏の「義理人情」と「大義」の政治には、揺るぐことのない「愛国心」が根底にありました。

 渡辺氏のようにもともと愛国心がなければ、「大義」も「義理人情」も根無しの思考でしかなく、共産党のマルキシズムと同じで国から遊離した根無しの「空論」となります。こういう人物に影響されるというのですから、小沢一郎氏も同類ですが、自民党の議員諸氏も反日野党の議員も戦前に比べるとレベルが落ちています。全員がそうでありませんが、多くの政治家のレベルが落ちると、たまに普通レベルの議員が現れると安部氏のように抹殺されます。

 渡辺氏が一人で日本を動かしているわけでありませんが、似たような人物が増えていますので、「ねこ庭」の独り言を止める訳にいきません。次回はもっと具体的な、渡辺氏の慢心ぶりを紹介します。

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