ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『最後の殿様』 -10 ( 現行憲法賛成論 )

2021-07-12 12:29:03 | 徒然の記

 国を愛する国民の悲願は、「自主憲法の制定」です。自分の国を自分で守れず、アメリカに頼っている限り、日本は独立国でありません。愛国者と自ら言っている侯が、「現法憲法」賛成派だと知り失望しましたが、侯なりの理由がありますので、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介します。

 「大逆事件と言い、虎ノ門事件といい、一市民が天皇の命を狙うことは、」「二千年近い日本の歴史の中で、なかったことである。」「徳川300年の間、天皇の殺害を試みる事件は一件もない。」

 「命を狙われる原因は、天皇が政治権力を掌握していることにある。」「日本の天皇は、初期の国づくりの時代を除いて、」「直接政権を掌握していない。」「君臨すれども統治せずが、天皇の歴史的伝統で、」「それが日本国の本来の姿である。」

 「天皇が政権を掌握しないから、千数百年に及ぶ激烈な政権闘争から免れて、」「皇統が連綿と存続し、万世一系といわれた。」「天皇も人間であるから、時に誤りもある。」「天皇が、直接政治権力を掌握しようと試みたときは、」「保元、平治、元弘の乱のように、危機に晒されている。」

 侯の説明は間違いとは言えないとしても、正確な事実ではありません。「君臨すれども統治せず」とは、イギリスを模範にしようと昭和天皇が実行されたと、私は学校で教わりました。この問題も、先日来私を悩ませている「どちらの意見が正しいのか」と言う疑問につながります。

 「明治維新のさい、薩摩・長州派と公卿岩倉具視らは、」「天皇を奉じ、維新の革新に成功した。」「それはそれなりに、効果はあった。」「だがそれ以後も、国民の天皇に対する信仰を利用し、」「権力を天皇に集中させたのは、大きな誤りである。」

 肝心なところになりますと、やはり薩摩・長州・岩倉具視が出てきます。客観的な歴史観が歪みますが、かと言って全面的な間違いでもありません。

  第一条 大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す

  第三条 天皇は神聖にして侵すべからず

  第四条 天皇は国の元首にして統治権を総覧し、この憲法の条規によりてこれを行う

 侯は、明治憲法の条文を示し、次のように説明します。

 「この制度は、ドイツ皇帝カイゼルの模倣であった。」「薩長派が、このように天皇を権力の座に据えたのは、」「薩長派の権力を維持するのに、好都合であったからだ。」

 この意見も、間違いではない一面の事実です。幕末から明治にかけて、西洋列強がアジアを侵略し、大国の清もイギリスに脅かされていました。「富国強兵」と「殖産興業」を進め、国力を充実させるには、天皇を中心とする強い体制が求められていました。切迫した国際情勢を語らず、薩長の権力維持だけを強調するところに疑問が生じます。

 敗戦となった日本で、明治憲法が天皇に災いをしたと、侯は言います。

 「敗戦後に天皇は、薩長派の失政のいっさいを負わねばならぬことになった。」「一憲兵大尉が、アナーキストの大杉栄を殺したことも、」「天皇の責任となったのである。」

 最高責任者としての天皇には、全ての責任があるとする理屈も、一理あります。東京裁判では連合国側がこれで政府を脅し、今も反日左翼学者たちが天皇を責めています。

 「台頭した軍部と軍人は、天皇をフルに利用した。」「天皇の名で言論を弾圧し、天皇の名で国民を軍部の元に集結させ、」「敗戦降伏となると、いっさいを天皇の責任に押しつけて、」「軍人は逃散した。」「明治憲法がわずか56年で消滅したのは、日本の歴史と伝統に反したからである。」

 薩長と下級公卿を軽視する侯の了見の狭さが、このような意見を言わせます。私は反対するだけでなく、侯の意見が間違いであると考えます。復讐裁判と言われる東京裁判で、連合国は逮捕した日本の軍人と政治家を裁きました。しかし誰一人として、連合国側が望む「天皇の責任」に言及した者はいませんでした。

 東條元首相も責任の一切は自分にあり、御前会議での陛下は、黙って意見を聞いておられるだけだったと、証言しています。裁判とは無関係に、責任をとって自決した将軍の名前を調べますと、次の通りでした。

阿南惟幾陸軍大将   割腹自決     寺本熊一陸軍海軍中将  割腹自決
 
  大西滝治郎海軍中将  割腹自決     田中静壱陸軍大将    ピストル自決
 
  島田朋三郎陸軍中将 ピストル自決    杉山元陸軍元帥     ピストル自決
 
本庄繁陸軍大将    割腹自決     宇垣纒海軍中将     特攻自決
 
 人類史上最大の民族虐殺と言われ、厳しく裁かれたドイツでは、ヒトラーが一人自殺しただけでした。日本の将軍たちは、敗戦の責任を取り、武士らしく8名も自決しています。侯は何を根拠に、「軍人が逃散した」と語っているのでしょう。反日左翼思想があふれる戦後の日本で、侯の羅針盤も左へ振れ、武門の常識を失ったのでしょうか。
 
 スペースがなくなりましたので、続きは次回といたします。
コメント (4)
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