ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

国民が望む野党像について

2018-07-24 16:24:17 | 徒然の記

 久しぶりに来た長男が、見送った駅で別れ際に、言いにくそうに、私に言いました。

 「お父さん、偏らないほうがいいよ。」

 「うん、お父さんは、偏っている。しかし世間はもっと偏ってる。」

 短い会話でしたが、長男の言葉はずっと心に残り、私の気持ちを沈ませました。意固地になった自分を、反省するとともに、これではなるまいという、気にもなりました。

  考えてみますと、私のブログも、政府を攻撃する野党の姿に似ています。相手を責め、攻撃し、相手を怒らせ、自分も不愉快になっています。我那覇真子さんのような、明るさもなく、笑顔もない私なので、ブログを読む人は、暗い気持ちになっているだけ、だったのでしょうか。

 文句を言うのなら、具体的な対案を出すべしと、私はいつも野党を批判いたします。今回は、自らを反省し、「国民が望む野党像」について、具体案を出すことと致しました。去る7月17日の千葉日報に、丁度良い記事が掲載されましたので、これを元に話を進めます。

 この日、私がスクラップにした記事は、6件でした。残念なことに、6件ともに、自民党への批判が、それとなくされています。共同通信社が、全国に配信している記事でしょうが、露骨な自民党批判でなく、読めば何となく、野党が正しいと思わせる書き方です。

 気にならない人には、気にならないのでしょうし、何時ものことですから、そこはスルーいたします。まず、最初に取り上げたいのは、「検証 言論の府」という連載記事です。

 趣旨は、国民民主党と、立憲民主党が対立しているため、自民党の一強政治を許している。これでは、駄目だという共同通信社の意見です。記事の冒頭を、そのまま転記いたします。

 「通常国会では、旧民主党を源流とする、野党二大勢力の、」「足並みの乱れが、顕在化した。」「安倍政権への徹底抗戦を貫く、立憲民主党と、」「対決よりも解決へと、提案路線を掲げる、国民民主党。」

 「野党のあるべき姿を巡る相克が、共闘を阻み、」「結果として、安倍一強を許している。」「政府自民党と、対決する姿勢を持たなくては、駄目だ。」「東京六本木のイタリア料理店で、立民の枝野幸男代表と、」「自由党の小沢一郎共同代表は、」「与党寄りに映る、国民民主のスタンスを、揃って批判した。」

 「二人の憤りは、安倍政権が、今国会で成立させた、」「働き方関連法への、国民民主の対応に、起因する。」「立憲民主党などが提出した、参院厚生労働委員長の解任決議案を、」「参院第一党の国民民主が、時間稼ぎだと一蹴した。」「このため、野党案は事実上葬られ、」「働き方改革法は成立した。」

 「法案が成立した翌日、枝野氏は、」「今後も国会で、国民民主と、連携できるところは、」「連携したいと、取り繕ったが、」「立民幹部は、与党に甘い野党はあり得ないと、」「不満を隠さない。」「一方、国民幹部も、立民は、政権構想を持たない、」「万年野党だと、距離を置いている。」

 ここまでが、およそ記事の半分です。長男は、私が偏っていると言いましたので、偏った父親としての、受けとり方を説明いたします。

 1. 野党は、政府与党と、対立する姿勢を持たなくては、駄目だ。

 2. 国民民主党は、与党に甘い野党だ。

 3. 共闘を拒んだ、国民民主が、結果として、安倍一強を許した。

 4. 立憲民主は、政権構想を持たない、万年野党だ。

 共同通信社の意見を集約しますと、この4つになります。これを読者は、どのように受け止めるのでしょうか。4つのうち、3つまでが、国民民主党の批判ですから、多くの読者は、主義を貫く立民が正しいと思うだろうと、推察いたします。

 しかし私は、ここで共同通信社の、巧妙な保身の姿勢を感じ取ります。四項目目の意見が、それです。偏見のない両論併記をしていると、そういう見方もできます。この4項目目の意見は、あとの3項目の全てを無意味なものにする、重要な意見だからです。私には、「両論併記」というより、ずる賢い「両天秤」の記事だと受け止めました。

 将来政治の流れが、立民になっても、国民に移っても、どちらにも偏らない意見を述べたと、弁明できるからです。朝日新聞なら、明確に立民を応援しますが、共同通信社は、曖昧に意見を述べます。

 「さらに、安全保障政策の違いが、」「野党間の不協和音を、拡大させる。」

 いよいよ、肝心の問題について、共同通信社の意見が、述べられます。

  「旧民主党は、平成27(2015)年の安全保障関連法の、審議過程で、」「共産党と組んで、」「安保法は、憲法違反にあたる、戦争法だ、」「と断じた。」「立民は、この安保法廃止の旗を、」「堅持する。」

 「これに対し、国民は、安保法全体が違憲で、」「不要だとの主張は、」「慎重に避けている。」「前身となる、旧希望の党が、昨年の衆院選の際、」「現実的な安保政策を、打ち出したことを引き継いでいる。」「玉木共同代表は、周辺に、」「野党が政権を獲得しても、」「国家観が異なる、共産党との連立は、あり得ないと漏らす。」

 旧民主党は、共産党と組み、安保関連法は戦争法だと断じたが、国民民主党は、この主張を慎重に避けていると、共同通信社が述べます。与党との対立を明確にし、反対の旗を堅持しているのは立民だと書き、ここでも暗に腰砕けの国民民主を、批判しています。昨年の衆院選で、希望の党へ移り、安保関連法に反対しないと約束した国民民主の議員が、暗に変節者のように聞こえる書きぶりです。次が、この記事のまとめになります。

 「国会対応でのつばぜり合いは、主導権争いの側面も、否めない。」「野党第1党が、衆議院では、立民、」「参議院では国民という、」「ねじれが生じているためだ。」「野党が、一つの塊になりにくい状況は、」「来年の統一地方選や、参院選の、選挙協力を難しくしている。」

  「自民党の国対幹部は、」「野党の方針が食い違うことで、調整には手間はかかる。」「でも、脅威を感じることはないと、余裕を見せた。」「数の力を握る巨大与党の、」「強気の国会運営が、続きそうだ。」

 この記事を読めば、数に奢った自民党が、これからも、強気の国会運営をしていくと思わせられます。野党は国民民主党のせいで、一つの塊となれず、安倍政権の横暴が続き、困ったことになりますと、こういう意見に誘導されます。

 ここには政治を、政局や政争としてしか捉えられない、マスコミの限界が現れています。国民がなぜ、自民党に多数を与えているのかという、一番肝心な点への言及がありません。共同通信社の意見は、国民不在の政党論でしかないということが、よく分かります。

 戦争か平和か、個人の自由か国家の意思か、憲法順守か改憲か、などと、そんな対立など、今日では何の意味もなくなっているのに、彼らは戦後以来の政治構図から、いまもって卒業できません。現在の重要課題は、「敗戦以来失っている、国の独立」を、日本が取り戻すことにあり、それを実現する政党を、国民が求めているという時代の流れです。

 国が独立するためには、世界の主要国がそうであるように、自分の国を自分で守る軍隊がいると、国民の意識はここまで来ています。二千年以上の歴史を持つ、自分の国を、たった一度の敗戦で、世界の最低の国ででもあるように、共産党とともに、マスコミが足蹴にして来たと、その事実に国民がやっと気づき始めています。

 だからこそ、国民のマスコミ離れが起こり、マスコミ不信が広がっています。その国民の意識の変化に気づき、なんでも反対の野党から脱却しようとしている、国民民主党を、共同通信社は快く思っていません。健全な野党の萌芽を、私はここに感じています。

 玉木氏や大塚氏に対し、個人的には嫌悪感が先に立ちますが、国民が期待する野党とは、マスコミに甘やかされ、持て囃される政党でないこと。これに尽きます。反日と左翼の大嫌いな父親である私が、長男の言葉で反省し、偏見を捨て、最大限の譲歩をした結論です。

 「マスコミに甘やかされない政党こそが、国民の期待する野党になれる。」

コメント (14)
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