ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大韓民国の物語 -2

2016-01-12 21:06:05 | 徒然の記

 目覚めて雨戸を繰ると、チラチラと舞う白いものが見えた。猫庭に降る初雪だった。
降り積もる過酷な雪でなく、地面に着けばたちまち溶ける柔らかな雪だ。眺めていると、人口に膾炙された名句が浮かんできた。

 降る雪や 明治は遠くなりにけり

 どういう思いで作られた句か正確には知らないが、懐旧の情とでも言えばよいのか、過ぎ去った昔への思いが心に響いてくる。奇しくも李滎薫氏の著作を読みつつ、日本の過去を考えている今なので、私も句を重ねたくなった。
 降る雪や 昭和は遠くなりにけり、と。

 滅びた国は王と両班の朝廷だと、氏のように薄情な割り切りをしない私は、昭和天皇を通じて激動の昔を回顧する。私の中にある陛下は、氏が悪し様に述べる横暴な独裁君主ではなく、国民とともに苦楽を分かち合った方としての姿である。

 しかし今日の目的は、このような自分の思いでなく、李氏が知日派として攻撃されている意見を、可能な限り綴るということだ。同時にそれは私が初めて知る韓国の実情であり、日韓の断層の悲しいまでの深さだ。長くなっても、かまわずに引用したい内容ばかりだ。

 「日本は正当な代価を支払うことなく、無慈悲に、わが民族の土地と食料と労働力を収奪した。」「だからわが民族は、草の根や木の皮でようやく命をつないだり、海外に放浪するしかなかった。」「過去60年間、国史教科書はこのように国民に教えてきました。ですから、大部分の韓国民がそのように信じています。」

 「2001年に発行された高等学校の国史教科書には、" 日本は世界史において、比類ないほど徹底的で悪辣な方法で、わが民族を抑圧し収奪した " と書かれています。 」「例えば総督府は、全国の農地の4割にも達する土地を国有地として奪い、移住してきた日本人農民や東拓のような国策会社へ廉価で払い下げた。」「また総督府は、生産された米の半分を奪い、日本へ積み出した。」「農作業がすべて終わると、警察と憲兵が銃剣を突きつけて収穫の半分を奪っていった。」「このように解釈できる文脈で、生徒たちを教えてきました。」

 「1940年代の戦時期に、約650万名の朝鮮人を、戦線へ、工場へ、炭鉱へ強制連行し、賃金も与えず、奴隷のように酷使した。」「挺身隊という名目で、朝鮮の娘たちを動員し、日本軍の慰安婦としたが、その数は数10万人に達した。」「教科書は、このように記述しています。」

 「高校の国史の時間にこのくだりが出てくると、教師は今にも泣きそうな顔になり、生徒も涙したといいます。」「このように悪辣な収奪を被った祖先たちが、あまりにも不憫で、これが泣かずにいられるでしょうか。」

 学校の教科書が60年間もこうして国民に教えてきたら、日本への憎悪が掻き立てられても不思議はない。
それでなくても悲憤慷慨する韓国人の激しさを思えば、マスコミを賑わせる隣国の人間の姿が理解できた。ああした人々は、韓国という国が作り育てた民だったという、不幸な現実だ。

 「しかし、私はあえていいます。このような教科書の内容は、事実ではありません。」
「びっくりされる方も多いと思いますが、単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語です。」

 「生産された米のほぼ半分が、日本へ渡っていたのは事実です。」「しかしながら米は奪われたのでなく、輸出という市場ルートを通じてでした。当時は輸出でなく、移出といいました。」「米が輸出されたのは、総督府が強制したからでなく、日本内地の米価が30%高かったからです。」「輸出を行えば、農民と地主はより多くの所得を得ることになります。」「その結果、朝鮮の総所得が増え、全体的な経済が成長しました。」
「それなのに、どうして韓国の教科書は、こうした経済学の常識を逆さまに書いているのでしょうか。」

 現在の韓国で、こうした意見を表明する氏の勇気に、私は敬意を表した。本人の身はもちろんのこと、家族ゃ親類縁者へ及ぶ危険を思わずにおれないからだ。

 「農地の4割に当たる大量の土地が収奪されたというのは、事実ではありません。」「日本が大量に土地を収奪したという神話が、初めて学術論文の形で示されたのは、1995年に、日本の東京大学に在学中の李在茂によってでした。」「土地調査事業の時、総督府が農民に農地を申告させた方式は、実は収奪のためだったと李は主張しました。」

 「当時の農民は土地所有に関する観念が希薄で、面倒な行政手続に慣れていなかった。」「総督府はこのような農民に土地の申告を強要し、大量の無届け土地が発生するように導いた。」「その後総督府は、無届けの土地を国有地として没収し、日本の農民と東拓という民間会社へ有利に払い下げた、というのです。」

 「李の主張には何ら実証的な根拠はなく、そうであるという個人的な信念に基づく、一方的な推論なのです。」「彼のこうした個人的信念は、今日の研究水準からすれば、ため息が出ることしきりです。」「李朝時代の人々は、土地を指して " 人之命脈 " と言いました。」「土地所有の観念が薄かったなど、とんでもありません。」「李朝時代のわが祖先は、500年間3年に一度ずつ、国家に戸籍の申告をしなければなりませんでした。」「届出の手続に慣れていなかったなんて、話にもなりません。」

 氏は「慰安婦問題」についても、多くのページを費やし、吉田証言が虚偽であったことも、慰安婦と挺身隊が別物であることも承知している。朝鮮戦争当時、米軍の慰安所が韓国内にあったことや、ベトナム等で韓国軍が行った婦女子への暴行や殺戮も知っている。それでもなお、氏は旧日本軍と日本政府への糾弾をやめようとしない。その理由の一つが、先に私の指摘した「日本人への感情的嫌悪」である。理論も理屈も無い、感情的嫌悪だ。

 「公式名称が同じだからと言って、米軍の慰安婦を、日本軍の慰安婦と同一視することはできないと思います。」「日本軍の慰安婦は、行動の自由が奪われた性奴隷でした。」「それに比べれば米軍の慰安婦は、自由な身分であり、あくまでも自発的な契約でした。」

 日本で明らかになっている資料では、韓国軍の管理下で作られた米軍慰安所が、過酷で厳しいものであったことが示されている。アメリカびいきの氏は、こうなってくると日本憎しの偏見で固まってしまう。学者としての冷静さを失い、感情的嫌悪からの主張と成り果てる。

 氏が日本への糾弾をやめない理由の二つ目は、日本人の中にいる「獅子身中の虫ども」と反日朝日の捏造報道だ。
「挺身隊と慰安婦を同一視する国民の集団記憶は、1990年代には、誰も手出しができないほど極めて強固に定着したと言えるでしょう。」「このような状況に至った背景には、マスコミの功績も大きかったと思われます。」「ある新聞は、日本が朝鮮半島において、組織的に慰安婦を徴発した確実な証拠をつかんだと、一面トップで特筆大書しました。」「またある新聞は、15才以上の未婚女性が従軍慰安婦として連行されたと書きました。」

 「日本軍慰安婦に関する研究の権威である、吉見義明教授は、日本の防衛庁図書館において、日本軍が慰安婦募集に関与していたことを立証する文書を探し出したことで、よく知られています。」「この証拠により、教授は、日本軍と日本国家が、国際法が禁じている非人道的な罪を犯していることを明らかにしました。」

 唾棄すべき反日の売国教授の発見した文書が、慰安婦の募集に関与するものでなく、悪質な業者が女性を騙しているから取り締まるようにと、部隊へ注意を喚起する書類だったことが今では明らかになっている。しかし一度発信された日本人による悪意の情報は、反日に燃える韓国では消せない炎となる。

 「慰安所の女性たちが性奴隷である点については、すでに指摘した通りです。」「そして慰安婦の中の相当数は、21才未満の未成年者でした。」「未成年者の強制労働は、国際法が禁じている犯罪行為であることは再言を要しません。」
こうして氏は、その主張の根拠ととして、吉見教授の本に言及している。「 吉見義明 " 従軍慰安婦問題で何が問われているか " " 1997年刊 筑摩書房 " 」

 「私は、以上のような吉見先生の主張に賛成です。いえ、むしろ多くのことを学びました。」「日本政府は、吉見先生の主張に耳を傾ける必要があります。」

 この章の締めくくりとして氏がこのように述べ、日本国内では捏造としか見られていない吉見氏の主張が、韓国へ渡ると、反日の火を煽り立てる役目を果たしていることを知る怒り。心ある日本人から見れば、度し難い反日の馬鹿者も、韓国では素晴らしい日本人として持てはやされる。これを喜劇と言わずして、なんと表現すべきか。

 せっかく冷静に接しようとしていたのに、ここへ来て、怒りが一気に込みあげた。氏へというより、日本国内にいて、怪しげな情報を提供し、隣国の反日を扇動する日本人への怒りだ。ブログに向かった時の懐旧の情が消え失せ、中村草田男の名句だって書き直さずにおれなくなった。

 降る雪や 昭和は今も身に迫る

 だが、どうしても記憶にとどめておきたいものが未だ残っている。面倒などと言っておれない大切なことだから、明日もう一日頑張ってみよう。韓国の知識層が置かれている状況、日本以上に複雑で悲しい事実を、自分の言葉で整理しておきたい。
はた迷惑でならない、氏の日本への誤解、あるいは理屈に合わない反日と偏見が、どこから生じているのか。自分なりにまとめたい。

 氏の著作は、私の怒りを掻き立てるけれど、それでも無視できない熱意がある。いつか時間が出来たら、もう一度読み返したい悲しみの詰まった本でもある。以前ゴミステーションに投げ捨てた書物と同じ扱いが出来ない、何かがある。不思議な気持ちのままで、今夜は終わりとしよう。明後日はまた、病院で終日検査があるから、これから風呂へ行き体を休めるとしよう。

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大韓民国の物語

2016-01-12 00:16:08 | 徒然の記

 李滎薫 (  イ・ヨンフン )氏著・永島広紀氏訳「大韓民国の物語」(平成21年刊 (株)文藝春秋)を読み終えた。

 知らないことを沢山教えてくれた、有意義な書だった。訳者の永島氏の説明によると、李氏は韓国の近代経済史におけるトップランナーであり、ニューライトと呼ばれる保守論客であるとのことだ。保守ではあるが、民族至上主義的でないから、ニューライトと言われているらしい。

 氏は韓国の教科書で教えられる「日本による韓国収奪論」を否定し、「根拠のない慰安婦問題」についても異議を唱えている。日本の統治の結果、むしろ韓国社会を蝕んでいた身分制が破壊され、経済も発達したのだと彼は言う。そこだけを読むと、なるほど訳者が言う「ニューライト」の論客であり、日本を正しく評価している韓国人のように見える。韓国内では、売国奴という言葉と同義の「知日派」のレッテルを貼られてたりしているらしいが、私から見れば、氏は新しい反日の韓国人でしかなかった。
 
 博学な氏は、沢山の知識を有し、客観的事実を積み上げて反対派の人間を論破していく。日本人の中には、氏が韓国における反日の常識論を否定するので、親日家でもあるように誤解している者もいる。しかし日本に関する限り、氏の根底にあるのは感情的嫌悪だと私は理解した。その意味では、学校の教科書で偏向した教育を受け、感情を露わにし日本攻撃をする他の韓国人となんら変わりがない。

 日本と韓国の間にある感情的対立の、かくも深い断層を見せつけられると、私も理性でなく感情で対応したくなる。結局韓国とは、今後も必要最小限度の付き合いにとどめるしかないと痛感した。

 五千年の歴史を有する韓国と誇りつつ、日本に統治された35年が恨むべき抑圧の期間だったと、氏は何度も語る。繰り返される主張なので、長くなっても引用してみる。

 「はたして五千年前から韓国人は一つの民族であり、一つの共同体だったのでしょうか。」「改めて問うとすれば、誰にも明確に応えることはできません。それでも皆が、そのように信じているのです。」「それがまさに、民族というものが帯びている神話としての力でしょう。」

 「とはいえ、私はそういうふうに考えません。」「結論を先に述べれば、今日における韓国の民族主義とは、20世紀に入り、日本の抑圧を受けた苦難の時代に産み落とされたものなのです。」
「日本の抑圧を受け、集団の消滅の危機に瀕した朝鮮人は、自分たちは、一つの政治的な運命共同体であるという、」「新たな発見に至り、民族という集団意識を共有するに至りました。」

 外敵に攻められたり戦ったり、領土を奪ったり奪われたりする中で、人間は民族意識に目覚め、国というものを形作る。世界の国々が生まれるのは、こうした歴史の積み重ねからだった。五千年もの歴史を有する朝鮮人が、20世紀に入り、たかだか35年の日本統治で、初めて民族意識に芽生えたのだと氏は主張する。それほど朝鮮人の意識が低かったと、言いいたいのだろうか。

 のちに詳しく述べるが、日本の統治は残虐でもなく非道でもなかったと語りながら、民族を抑圧したと言い張る氏には、慰安婦問題でわが国を攻め立てる韓国人の理不尽さと共通したものがある。

 しかも氏の意見は、これが本当に保守主義者なのかと首を傾げさせられる。

 「民族というものは、歴史上すべてのものがそうであるように、成立・発展・挫折・解体の過程を踏む、歴史的な現象の一つであるに過ぎません。」「それは20世紀に生まれ、発展し、いままさにその全盛期にあるようです。」「しかし今後は、誰がなんと言おうとも、民族主義は少しずつ衰えていくでしょう。」「資本と労働の国際移動が、どれほど激しくなっているでしょうか。」

 「すでに若者の十分の一、農村青年のほぼ三分の一が国際結婚をしているではないですか。」「いまや韓国も先進国並みに、徐々に多民族社会となる時期に差しかかっています。」「皮膚の色とは関係なしに、お互いに自由で平等な人間として共同する、」「こうした秩序でもって、社会と国家を統合していくしかない時代になったのです。」

 彼がいうように、民族主義が20世紀に生まれたものであるのなら、千年の単位で続く世界の民族紛争はなんと説明するのか。確立した個人さえいれば、国も民族も必要でないという意見を、世界でどれだけの人間が受け入れるのだろう。歴史も伝統も祖先も無視するような思考が、どうして保守と呼べるのか。

 「民族主義は1945年以前の、帝国主義時代という暗い精神史に属するものです。」「民族主義を掲げた天皇制の日本と、ナチスのドイツが、周辺の民族にどれほど大きな傷を与えたでしょうか。」
「その民族主義の弊害を、今日の我々は、天皇制やナチズムよりはるかに酷い、北朝鮮の首領体制を通じて追体験しています。」

 ここでもまた、天皇制がナチズムと同列に並べられ、北朝鮮の独裁制度と同じ調子で語られる。日本人でないから仕方がないと思いつつも、韓国のトップランナーもこの程度の認識かと失望した。
「李氏朝鮮王朝はなぜ滅んだのかと、この問題が出てくるだけで韓国人は過敏になってしまいます。」「歴史学者は、李朝が滅んだ原因について、きちんと話をしないままでいるようです。」「教科書の文脈のまま読めば、日本が闖入したせいで李朝は滅んだということになります。」

 「 "善良な主人" 」と「 "凶暴な盗賊" 」という比喩がそれです。」「それは紛れもない事実ですが、そんなやりかたは、歴史から何も学ぶつもりがないという無責任な姿勢にすぎません。」
つまり氏は、李朝は日本のせいで滅亡したのでなく、内在していた矛盾により解体したのだと結論づける。要するに、日本などそんなものは何でもないと言わんばかりだ。

 李朝は自国の伝統的文明に拘泥するあまり、文明の大転換が出来なかったため必然として崩壊したと説明する。
「文明史の大転換を直接に強要した勢力が、もともと同じ文明圏に属していた日本だったため、気づくのが容易でなかったからでしょうか。」「島国の夷狄と軽んじていた日本から受けた、プライドへの傷があまりに深かったからなのでしょうか。」

 こうした氏の執筆姿勢から、逆に私は、「日本の存在」がどれほど大きく韓国人にのしかかっていたのかを初めて実感した。次に氏は、まるで共産主義者のように自国の歴史を切り刻む。

 「滅んだのは、王と両班たちの、朝廷としての国であり、民たちの国ではありませんでした。」

 民たちの国が本当の国だというのなら、いったい朝鮮は何時になったら国ができるのか。思わず問いかけたくなったら、簡単明瞭な答えが用意されていた。ここでもまた、日本が悪役の最たるものだ。

 「1945年8月15日、ついに日本帝国は滅びました。」「ご存知の通り、大韓民国の最も大きな休日は、8月15日の " 光復節 " です。 」

 氏は自由と民主主義に立脚した李承晩が作った、大韓民国が本物の国家の始まりだと言う。そして米国は、朝鮮の国家建設を支援し、共産国からの侵略を防ぎ、国防を担ってくれる素晴らしい国だと語る。

 どこまでも自国に都合の良い理屈をつなぎ合わせた氏の主張は、本気であるらしいだけに哀れさを誘う。

 氏は氏なりに国民に誇りと自信を持たせたいと、努力しているのだろうが、私にはそれが、戦前の日本の指導者たちの姿と重なる。大戦の末期、戦況が逆転し負け戦が続いているのに、勝った勝ったと国民を叱咤激励した軍人や政治家たちに似た、どこか悲しい、強がりの匂いがするからだ。

 さて、今日も夜が更けた。底冷えのする、寒い夜だ。
とても終わりそうにないので、続きは明日にしよう。韓国の常識を否定する氏の意見を、貴重な読書の記録として残したい。腹立たしいけれど、なぜか憎めない氏がここにいる。氏の語る韓国の実情を聞けば、支離滅裂な主張にもうなづけるものがある。私が初めて知った不思議な韓国人なので、努めて冷静になり意見を拝聴したい。

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