ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

インドの衝撃 - 2

2016-01-25 23:02:06 | 徒然の記
 どんな国でも、社会には三つの階層がある。
「高所得者層」と「中所得者層」と「低所得者層」だ。別の言い方をすれば、「富裕層」、「中間層」、「貧困層」という具合になる。厚生労働省が行った「国民生活基礎調査」によると、日本人の平均年収は400万円らしい。

 これを基準にして三つの階層が区分される。正確さを求めると話がややこしくなるから、大雑把に言うと、年収200万円以下の人は貧困層になる。難しいのは富裕層と中間層だが、この調査では200から500 万円までが中間層で、 500万円以上が富裕層となる。

 だが常識で考えてみたら、この区分の不合理さが一目利用然となる。今の日本で、年収が501万円だったり600万円だったりする人間が、果たして富裕層と言えるのか。最低でも1000万円以上年収が無ければ、富裕なんてとても言えない。貧困層と大差のない年収201万円とか、300万円とかで、果たして中間層と呼べるのかどうか。誰だって首をかしげる。

 だから私はくそ真面目な役人的思考を停止して、自分の常識で勝手に決定する。
貧困層は動かない定義だからこのままとし、中間層は年収600万円以上の人間で、富裕層は年収1000万円以上の者としよう。これが決まらないと話が進められない訳で、これだから経済の話はうんざりする。

 貧困層は物を買いたくても金がないから、経済社会では落ちこぼれに分類される。富裕層は自由になる金を沢山持っているため、重宝がられる。その上尊敬されたり、羨ましがられたり、憎まれたり、難しい立場にあるが、大きな顔をして一生が送られる。

 中間層はほどほどの金を持ち、少し我慢して貯金すれば、大抵の物が買える立場にある。頑張れば何とかなると楽天的になれるから、この層が多ければ多いほど、社会が活気に満ち、明るくなる。「お客様は、神様です。」と、商人たちに崇め立てられるのは、多数派であるこの中間層だ。

 さてここで、やっと本の話に戻る。インド経済の発展を説明するには、いかに中間層が増大しているかを語らなくては理解されない。優秀なNHKのスタッフも、さして賢くない私と同じくらい、苦労している。面倒くさいが、文章をそのまま引用する。
「難しいのは " 中間層 "を定義するため、収入レベルで線を引こうとしても、考え方がいろいろあるし、 」「インド経済の急発展を考えれば、そのラインも年々変化しているという点だ。」

 「国立応用経済研究所では、諸条件を考慮して、年収9万ルピー(約26万円)以下を貧困層、」「100万ルピー(約250万円)以上を、富裕層ということにしている。」「その間が中間層になる訳だが、その中でも10倍以上の開きがあるため、」「こういった線引きも目安にすぎないが、経年変化を見る上では役に立つだろう。」

 日本とインドの貨幣価値に差があるから、日本の貧困層が、インドでは立派に富裕層と位置付けられる不思議さだ。
私の説明とNHKのスタッフのそれと、どちらが分かりやすいのか知らないが、肝心なことは次の意見だ。
「この定義における中間層は、2001年から2005年までの間に、」「およそ二億二千万人(20%)から、三億七千万人(34%)へと大幅に増加している。」

 「インド全体としてみれば、貧困にあえぐ人がまだまだ多いのだが、」「巨大な人口規模から生まれつつある、中間層の市場は、すでに日本の総人口をはるかに上回っている。」
そして彼ら中間層の主張は、こうである。
「これまでインドでは、将来への不安というものが常にあり、多少の収入があってもそれを使い切ることは、怖くてできませんでした。」「しかし今、私たちは、国の将来になんの不安も抱いていません。」「だから、貯蓄をする意味はないのです。」「お金が入れば、あるだけ使って生活を豊かにしようと、私たちは決めました。」

 「インドの中間層は、経済的な条件に加え、心理的な側面、メディアからの情報環境など、様々な条件が一気に揃い、劇的にその生活態度を変えている。」「抑えられていたものが一気に噴き出している印象があり、」「それはもはや、後戻りのできないところにきているのである。」

 「巨大スーパー、ビッグバザール、ビッグモールなど、中間層の消費意欲をさらに掻き立てる、巨大ビジネスが誕生している。」「雨後のタケノコのような、大型店舗ブームが訪れているのだ。」「欧米で3、40年かかって起きた変化が、インドでは7、8年で起きようとしている。」

 おそるべし、インドの中間層の消費パワーである。
日本もかっては、中間層が経済発展のパワーだった。インドと比較するため、参考のため中間層の人口比率を示しておこう。
昭和60年は57.4%であり、平成24年は50.2%だ。年度が違うためインドとの単純比較はできないが、この数字を見れば、日本の中間層の厚さはインドに勝っている。つまり貧富の差が小さい、安定した社会なのだから、やたら悲観する必要はないと私は言いたい。

 しかし、中間層の人口比率が7.2%も減少しているところは、大問題である。その分だけ、貧困層が増加しているのだから、悲観論者に言わせれば、日本社会の豊かさは次第に縮小している・・と、こういうことになる。
若者の貧困を増大させ、希望を失わせているのは、これこそ政治の貧困である。軍国主義者だとか、ヒトラーだとか、反日野党は詰まらない主張で国会審議をダメにするのでなく、中間層を滅ぼしている政策にこそ反対すべきなのだ。

 本の話を飛び離れてしまったが、若者を軽視する企業家に傾く自民党の政治に、どうして野党は批判の矢を放たないのか。最近の国会審議なんか、バカバカしくて見ておれない。
野党がなぜそうしないのか、もちろん私には分かっている。簡単すぎて述べる気にもならないが、あえて言おう。

 「中国共産党政府は、若者はおろか、一般国民もないがしろにし、政府を挙げて金儲けに血道をあげている。」「労働者の政府だなどと戯言を言いながら、安い賃金で庶民を酷使し、儲けた金を世界にばらまき、」「中国共産党政府の偉大さやら素晴らしさやらを、派手に宣伝している。」

 「中国共産党政府のやっていることは、冷酷無情な米欧の資本家たちと同じ手口(搾取)だ。」
「反日野党は、だから自民党の若者窮乏政策が批判できない。」「竹中氏たちに囲まれた安部総理の金儲け政策を批判することは、中国や韓国を批判することにつながる。」

 右翼とか軍国主義とか、そんな寝言を言う前に、弱者のための政治を掲げる野党なら、まともな議論を国会でやるべきでないのか。それなのに、こんな野党の嘘八百に騙され、爪を隠した野獣のような共産党に票を入れる国民がいるのだから、それこそ「インド人もビックリ」だ。早晩インドに追い越されてしまう違いない。

 苦悩するインドの人々について、優秀なNHKのスタッフが、次のように伝えてくれている。
「見直される偉大な魂、マハトマ・ガンジーの思想」と題されたコラムだ
「かってガンジーが生きた時代からインドは大きく変容を遂げ、インド人の精神に刻まれてきた思想が、薄れているという指摘がなされている。」

 「都市部を中心に、物質的な豊かさを手にし、ちょっとした贅沢を楽しむようになった、中間層と呼ばれる人たちが、」「年間二千五百万人という勢いで増え続けている一方で、古き良きインドの心が失われ、虚しささえ覚えるという人たちが増えている。」

 「たとえ貧しくとも清く生きるという、" 清貧の思想 " を守ってきたインドは、急激な成長の過程で、 」「欧米的な価値観の波にさらわれ、大きく揺らごうとしている。」

 中国はインドの先を走る資本主義的社会主義国だが、こうした真面目な反省はカケラもしていない
政府の高級役人と軍人たちが私腹を肥やし、贅沢三昧をし、空母を建設し、軍備を拡大し、公海上に空港まで作り、周辺国を威嚇している。

 中国の腐敗を話半分とし、インドの真面目さを話半分としても、どうしたってインドの方が素晴らしく見える。前に読んだ本より、今回の本を高く評価しているのは、NHKスタッフたちが「インドの光と影」をきちんと伝えているからだ。

 有価物のゴミとして処分したため確かめようがないが、本を書いたスタッフは同じメンバーだという気がしてならない。ありのままの事実を偏らずに伝える、報道のお手本みたいな書物を出していながら、どうして続編があんなに詰まらない内容になったのか。不思議でならない。

 「インドや、インド人のことは、何でも素晴らしい。」「日本も日本人も、ダメだ。」と、初めから終わりまでこんなトーンに変わっていた。もしかして日本人がダメだと書けば、今の日本では本が売れるから、そんな商売っ気を出して、金儲けに走ったのだろうか。

 それとも、NHKにいる反日の管理職に威圧され、あっさりと初心を捨てたのか。
NHKの現状を思えば、どちらも私にはあり得ることと推測する。今晩はまだ10時だけれど、本の感想をこれ以上述べる気持ちが失せてしまった。興味深い内容が残っているが、どうせ「ミミズの戯言」だ。これで終わりとする。

 
コメント (3)
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