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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

わが家の猫

2014-06-17 13:05:45 | 徒然の記

 餌を食べ、水を飲む。オシッコをし、うんちをする。過去13年間、当たり前のこととして、わが猫は繰り返してきた。

 そしてここ数日、餌を食べず水も飲まなくなった。それどころか、オシッコもせずうんちもしない。繰り返されてきた日常の行為が、突然停止し、暮らしの歯車がきしみ出した。うつむいてじっとしていることが多くなり、鳴いたり、ひっかいたりする元気が無くなった。

 今まで行ったことも無い部屋の隅や、狭苦しいタンスの奥の隙間で、うづくまるようになった。小さく声をかけると、丸い目でじっと見返してくる。

 亡くなる前になると、猫は飼い主の前から姿を消すと聞いていたが、これがそうなのだろうかと思ったりする。痛みも苦しみも我慢する猫は、終日横になったまま、静かに目を閉じている。

 病院へ連れて行ったら、女医さんに言われた。

 「腎臓の機能が、半分以下に落ちています。」

 「回復はしませんが、現状をどこまで維持できるかでしよう。」

 「食べるものは、何でもたべさせてください。」

 悲観的な説明ばかりされ、気が動転したらしい家内は

 「もう諦めています。」

 なとど口走っていた。

 「諦めていますじゃなくて、覚悟していますだろ。あんな言い方はまずいよ。」

 帰りの車の中で抗議したが、帰宅してぐったりした猫を膝に抱き、涙ぐむ妻を見ていると、言葉遣いなどどうでもよくなった。

 当分は点滴のため通院することとなったが、苦しまずに最後を迎えるようにしてやろうと、私たちが考えるのはそれだけだ。
 
 浣腸もしてやった。スポイドで水も飲ませてやった。刺身も買ってきて食べさせたし、お尻も洗ってやった。何も苦にならず汚くもない。しかし、驚きの発見もある。いざとなると、胆力が無くなるという自分の発見だ。

 ブログにだけでなく、家内や子供たちにも日頃偉そうなことを言っているのに、弱った猫の姿にうろたえている。災害や戦火になど遭遇したら、果たして自分は何が出来るのだろうと疑問さえ湧いてきた。

 猫のことだけ考えていれば良いのに、災害だの戦火だの余計なことまで発展させるから、ますます手におえなくしてしまう。政 ( まつりごと ) の難しさを知りもせず、いっぱし理屈を並べるこんな私を、ニャンコ姫殿は笑っているのだろうか。

 飼い猫が終わろうとする時に、ニャンコというプログ主と出会うのは、何かの引き合わせなのだろうか。

 もう止めにしないと、冷静さを失った心がどこまで羽を広げようとするのか、先が見えなくなる。

 久しぶりの晴天で、心地よい風がレースのカーテンをゆらしている。

 猫 ( 猫にはちゃんと名前があるのだが、敢えて省略している。) は、今、風呂場の床に隅に身を横たえ、静かに眠っている。昨日から何も食べず、普段は欲しがる水も飲まない。

 午後になったら、点滴のため病院へ行く。そうすると猫は弱々しい声で、「病院はイヤだ」と鳴くのだろう。だが猫よ、私だって病院は嫌いだ。ひどいことをするし、お金だって高い。

 しかし、点滴をしなかったら、お前は、どこから生きる力が出るというのだ。そうするしかないだろ。

 猫に言っているのか、自分に言い聞かせているのか、分からなくなってきたから、本日はこれまでだ。終わり、終わり。

コメント (8)
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