息子の名を騙る「おれおれ詐欺」や、怪しげな投資話にだまされる高齢者のニュースが、世間を騒がせるようになったのは何時頃からだろう。
最近ではテレビだけでなく、警察や市の広報が回覧で回され、月に何度かは、市役所のマイクが近隣に呼びかけるようになった。
・「おれおれ詐欺」の被害が増えています。お金を渡す前に、家族や警察に相談して下さい。
手取り足取り注意を喚起されても、それでも被害を被る高齢者たちのニュースがあとを断たないのは、どうしたことか。
最初の頃は、人をたぶらかす犯人たちに憤慨したが、この頃はだまされる高齢者にも怒りを覚えるようになった。彼らは新聞もテレビも、自治会の回覧板も見ないのだろうか。分かり切った手口が、繰り返されているというのに、警戒心を抱かないのだろうか。
騙される方も悪いんだと、今はこんな風に思うようになった。
500万、600万、1000万円と、一体どれほど現金を持っているのか、被害額の大きさにいつも驚かされる。詐欺師の電話がかかってきても、わが家には対応する貯金がない。逆さに振っても出ない財布同様のわが家には、年金以外の収入の無いことを息子たちが知っている。子供は三人いるが、親に金をせびる子は一人もいない
「おれおれの電話」がかかってきても、騙されない自信があるというのはこんな理由だ、と胸を張れるのは自慢すべきことなのか。貧乏暮らしを残念に思うべきか、判断に迷うところがある。
要するに騙される人々は、それだけの余裕があるということであり、金のない自分が同情する必要はどこにもないと、こんな結論に達した。
大金をだまし取られた日本人旅行者に対し、イタリア人だったと思うが、「騙される方が悪いんです」とテレビのニュースで薄情な話をしていた。
この時以来、お人好しは生きて行けないのが世界の常識と知らされたが、「おれおれ詐欺」など、もしかすると日本だけの珍現象にかも知れない。だからこそ、自民党の政治家たちに言わずにおれない。
「移民年間20万人計画」など実行したら、国ごと「おれおれ詐欺」でひったくられるぞ、と。
「諸国民の公正と信義」を信じてきた戦後の私たちは、平和呆けばかりでなく、賢く生きる知恵さえ失っている。分別豊かな高齢者であるべき人々が、無惨な愚か者として多数生きている現実の原因を分析せずにおれない。
そこで「我田引水」を承知の上で、私は断言する。
「憲法を改正しなくては、愚かな国民がこれからも粗製濫造される。」
この意見には、賛成してくれる人がいることを期待していない。自分だけが納得する理屈で、これこそ「みみずの戯言」だから。