筑紫哲也氏著『若き友人たちへ』( 平成21年刊 集英社新書 )を、読み終えました。
氏は昭和10年に生まれ、平成20年に73才で亡くなっています。早稲田大学を卒業後、朝日新聞に入社し、政治部記者になりました。
それから週刊誌「朝日ジャーナル」の編集長をやった後、ニュースキャスターに転じます。テレビをあまり見ないので知りませんでしたが、「筑紫哲也 news23」という番組を長く続け、多くの人に親しまれたと、本の最終ページの略歴に書かれています。
菅直人氏のような愚かしい人物の著作なら、遠慮なく批評できますが、絵画、音楽、写真、本などについて妥当な意見が多く、偏見を感じさせる言葉遣いがありませでした。
戦前や国家論を語るときだけ、氏は呵責ない日本批判をします。
もしかすると氏は論理の人でなく、感性で生きるジャーナリストだったのかもしれません。その場その場で受けた直感を大事にし、直感を守ることが「自分を偽らない生き方」だと、そう信じたのかもしれません。
氏の言葉を紹介します。
・今の日本の憲法論議では、ご近所が、日本が何かした時にどう見るかとか、どういうリアクションをするのだろうか、ということを、これっぽっちも考えていません。
「ご近所」というのは、隣国である中国・韓国・北朝鮮を指しています。
・それどころか、外側が何を言おうが、余計なことだと開き直る。靖国について文句をいうのは内政干渉だと、言い返します。
・私は内政干渉だとは思いませんが、でも、このままいったら、日本は孤立するだけです。
・中国を目の敵にしていますが、日本の目が外側に向いていない以上、アジア諸国は中国を頼りにします。
・右派の人たちは、すぐに国益という言葉を使いますが、そうなったら、国益を失うのはどちらですか。
温厚な氏がテレビで語ると、お花畑の人間はうなづいてしまいます。
しかし今日の中国は、氏が言うような「ご近所」なのでしょうか。毛沢東と鄧小平までは、日本の援助を得ようと「熱烈歓迎」のつき合いでしたが、江沢民が指導者となった途端、「反日憎悪」に豹変しました。
巨額の資金援助と、それに匹敵する技術援助を日本からせしめ、自力がついてくると敵意をむき出しにしたのは、中国の方だったはずです。
どうして日本人が、中国を目の敵にするようになったのか、氏はその理由を語りません。他国から何か言われると肩をいからせ、二言目には「内政干渉だ」と拒絶する中国の傲慢さを知りながら、靖国問題ついて、氏はなぜ内政干渉と思わないのでしょう。
こういう意見が出てくるのは、氏が東京裁判史観を信じている人間だからです。
・大東亜の戦争は、日本が仕掛けた侵略で、日本が暴走した間違った戦争だったからだ。
・日本は中国や韓国・北朝鮮には、ずっと謝り続けなくてならない
こうした歴史観を持っていると、氏のような意見が出てきます。
客観報道とは何かを常に考える人物でありながら、日本のことになると、途端に感情論で決めつけてしまう。ここに私は、氏の恐ろしさを発見します。
正しい事実を説明する氏が、間違った感情論を混ぜて話すと、氏の言うことだからそうなのだろうと、普通の人間がそんな気持にさせられます。
・アメリカを非常に好意的に見ている人は、アメリカが非常に悪い状態になっても、必ず揺り戻しがあるというんです。
・マッカーシズムという、民主主義の中ではありえないような思想弾圧があったときだって、また元に戻ったじゃないかと、そんな振り子の理論でアメリカを見てきたんです。」
・でも私は、これはちょっと怪しいと思います。アメリカという帝国化した国は、そういう意味での劣化、レベルダウンが始まっている。
・しかしアメリカのことより、日本のことを考えたほうがいい、というのはもっともなことです。」
・この国もいろいろなものの劣化が、どんどん進んでいるように見える。本当に心配なことです。
・しかも、その劣化をすごく推し進めているのが、テレビです。自分のいる場所だけに、さらに深刻な気がします。
この文章で氏が語っているのは、客観的事実でなく、氏自身の気持ちです。何が、どう劣化しているのか。心配なのは何なのか・・事実を何も述べていません。
自分のいるテレビ界についても、危惧の念を語っています。どんな危惧なのか、具体的に言わないので、読み手が自分なりに解釈します。
右寄りの人間は「左傾化するテレビ」のことだと思い、左の人間は「右傾化するテレビ」の話だと思い込みます。
意識的な作為というより、氏の特有の婉曲表現だと思いますが、それだけに、次のような氏の意見に危惧の念を覚えます。
・私たちは今、戦後60年を過ぎた時代に生きています。
・中国や韓国の人たちに、いろいろ非難をされていますが、そういう時にいつも私は、一つだけ申し上げることがあるんです。
・確かに日本には、反省が足りないとか、多くの問題はあります。」
・しかし一つだけ知っておいて欲しいのは、戦後60年、日本は戦争をしていないということ。
・60年間、自国の軍隊で一人の外国人も殺していない。外国の軍隊に、一人の日本人も殺されていない。これは、国家として相当なことだと思うんです。
ここでは述べていませんが、だから憲法を変えてはならないと、氏の意見はこの結論に結びついていきます。
氏の主張は、共産党や、民進党、社民党など、反日政党の腹立たしいスローガンと、そっくり重なります。
先日は千葉日報で、民主党の元防衛大臣だった北澤俊美氏が、まったく同じ言葉で憲法改正反対論を述べていました。氏の意見が、反日左翼政党を動かしているというより、反日左翼の人間は、同じ間違った歴史観で生きているということなのでしょう。
日本の反省が足りないと、何をもって主張しているのか、静かな怒りが湧いてきます。日本にだけ多くの問題があると言っていますが、難癖をつけてくる中国や韓国には問題がないのか、彼らに反省すべき点はないのか。氏に問い返したくなります。
原爆についての意見を読んでいますと、ここまで日本を愛せない人間なのかと幻滅しました。
・世界の多くの人たち、アジアの人たちも、そしてアメリカの多数派も、あれは日本という非情で暴虐な、独裁的軍国主義国家を懲らしめ、早く戦争を終わらせるために必要な手段だったと、
・そういうふうに思っている人たちが、残念ながら、世界的には多いんです。
・国内で私たちは、被害者として原爆被災者たちを慰霊する。私たちの感情としては当然です。
・ところが世界の外側の目は、加害者としての日本を忘れていないのです。
・ここに日本の捉え方との、ズレがあります。だから今いろんな場所で、いろんなことが起きているんです。
やはり氏が言いたいのは、日本だけが悪かった、暴虐な戦争をしたという、東京裁判史観です。
なんとなく客観的に見える文章ですが、氏も「日本が非情な暴虐的独裁国家」だったと思っているから、見当違いの日本批判ができるのです。
これ以上批判すると「死人 ( しびと ) に鞭打つ」ような嫌な気分になりますから、本の紹介をここで終わりにします。
今日は呑める日なので、楽しく酔って忘れたい気分です。次回の本は、澤田洋太郎氏の『憲法改正論争 あなたならどうする。』です。これも左系の著者らしいので、心が弾みません。しかし、「苦あれば、楽あり」です。
「知ること」の喜びを求め、73才の学徒は明日も頑張るとしましょう。