本日は、「安倍談話」が出される2ヶ月前の 平成27年6月に9日に、内幸町の日本記者クラブで行われた、河野洋平氏と村山富市氏の談話を紹介します。
報道しているのは、朝日、毎日、読売などメディア各社ですが、最初に読んだ共同通信社の記事を取り上げます。 平成27年と言えば、「慰安婦少女像」が最も多く建てられた年で、カナダのトロント市でも作られていました。
日本記者クラブに招かれた両氏が、記者クラブの10階ホールで『戦後70年を語る、村山富市元首相、河野洋平元官房長官』という表題でした対談記事です。
「先の大戦の反省に立った二つの談話が、戦後70年の節目に揺らいでいる。過去の植民地支配と侵略を認めた「村山談話」と、慰安婦制度の旧日本軍の関与と強制性を認めた「河野談話」。」
これが書き出しの文章です。もともと反日系の記事を発信する「日本記者クラブ」が、両氏を招いて開催する対談ですから、読まなくても意図は感じられました。私があえて紹介しているのは、「安倍談話」の公表寸前まで、反対勢力が盛んに活動していた事実を伝えたいからです。
「かつて見直しに言及したこともある安倍晋三首相が、今夏に出す戦後70年談話は、政府の歴史認識を継承するものになるのか。談話の当事者である村山富市元首相(91)、河野洋平元官房長官(78)が口にする懸念は、国会審議が続く安全保障法制の行方にも向かう。」
「政界から身を引き久しい村山氏の、変わらぬ白眉が揺れる。」
共同通信社がまず村山氏の近況を述べ、ついで氏の言葉を紹介します。
「安倍さんの信条としては分かる。談話にはもともと反対の立場なのだから」
「怒りとは違う大分弁も交じる率直な物言い。そして、あなたは一国の首相なのですよ、と諭すように言うのだった。」
「後を継いだ首相は、すべて村山談話を継承すると国際的に約束してきた。安倍首相自身も第1次内閣では継承すると言った。それが第2次内閣で変わった。安倍首相が何を考えているのか国際的にも注目されている。『全体として』としながらも最近は談話を継承すると発言しており、そうであるなら、戦後70年談話で村山談話を継承していると明示した方がいい。国際的な疑問、誤解を解消することが大事だ。」
安倍氏の言葉が揺れ動いていたのは事実ですし、ハッキリすべしという共同通信社の意見も筋が通っています。
「安倍首相の談話検証という振る舞いに、村山氏は『河野談話』も否定したいのだろう。だが事実に間違いはないと語り、村山氏も談話の歴史的意義を強調する。」
この辺りの叙述から、私は同社の姿勢に疑問符をつけました。朝日新聞が記事を取り消し、社長が辞任していても、慰安婦問題に関する姿勢を変えていません。安倍氏批判の側に立ち、村山氏の言葉を伝えます。
「過去の歴史を反省し、再び過ちは繰り返さないという決意を表明したものだ。いつまで謝り続けるのかという批判はあるが、謝ることを目的に出したのではない。戦後50年のけじめをつけるつもりだった」
「〈国策の誤り〉〈侵略〉という表現を用いたことに、〈満州を日本の生命線だと言って支配下に置き、中国を侵略していく。それ(侵略)以外に表現のしようがない〉と、力を込める。」
謝ることを目的としたのでなく、戦後50年のけじめをつけるつもりだったと、村山氏の意図はそうだったのかもしれませんが、結果はそうなりませんでした。ケジメがつくのでなく、話が振り出しに戻り、中国と韓国・北朝鮮の日本批判と攻撃を高めました。おかしな「少女像」があちこちで立てられ、国民の多くが苦しめられている事実を考えないで済むのでしょうか。
先の戦争が日本の侵略戦争だったと一人で決めていますが、世間には自衛のための戦争だったという意見も多数あり、証明する事実も出てきていました。国論が二つに割れている時、国のトップにいる指導者が一方の意見だけを主張するのが正しいのでしょうか。
共同通信社も、この点については村山氏を正しいと決めて記事を書いています。
「否定されようとしているのは歴史認識だけではない、と村山氏は感じている。戦後の日本が積み上げてきた平和国家の歩みは、安倍政権が実現を目指す新しい安保法制で揺らいでいるとみる。」
この意見は、時折私のブログを訪れる人物と同じです。
「談話は平和憲法を持つ日本が、戦争をしないと宣言するものにほかならない。戦後70年、日本は憲法9条のある平和憲法のもとで平和を守ってきた。これを尊重して、この歩みを変えるべきではない。」
ロシアによるウクライナの侵略を見るまでもなく、中国が周辺国でやっている残虐行為を見れば、国際社会の弱肉強食ぶりは依然として変わっていません。なぜ日本だけがいつまでも、お人好しのまま周辺国に弄ばれなければならないのか、国民の多くはここに疑問を抱いています。
次は河野氏の紹介です。実際の記事は、村山、河野氏を分けずに書いていますが、息子たちに分かりやすいように、両氏の意見を別々に紹介します。
「河野氏は、対照的に表情に険しさをたたえていた。事前に司会者に手渡されていた色紙に書かれていたのは〈真実〉の2文字。その心を問われ、〈事実を認めることが大事だ〉と語気を強めた。」
「宮沢喜一内閣時代の1993年、慰安婦の存在と旧日本軍の関与と強制性を認め、おわびを表明した河野談話。安倍首相は昨年、その作成過程の検証に着手し、日韓で事前協議があったことを公表した。河野氏の弁に怒気がにじむ。」
共同通信社は、国民を騙した河野氏を肯定し、安倍氏への怒りを読者に伝えています。
「慰安婦は総じて本人の意思に反して募集が行われ、うまい話を持ち掛けたり、うそをついたりして集められた。人身売買もあったかもしれない。そしてここが一番大事なところだが、集められた結果、極めて強制的に働かされた。」
日本国民の心を斟酌せず、自己弁護をする河野氏の話をそのまま伝えています。
「嫌だから帰るというわけにはいかなかった。日本軍が移動するたびに軍の準備した車に乗せられ、完全な管理の下で移動した。強制性があったとみるのは当然だろう」
軍の準備した車で、完全な管理のもとで移動したと、おそらく中央大学の吉見教授の資料のことを言っているのでしょうが、そんなことは書かれていませんでした。
ウィキペディアの情報を、紹介します。
昭和13年3月4日、陸軍省兵務局兵務課起案、北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛というもので、内容は「内地においてこれの従業婦等を募集するに当り、ことさらに軍部諒解などの名儀を利用しために軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれある」から「憲兵および警察当局との連繋を密にし軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たく」というものであった。
吉見義明氏が発見した資料の中身は、これでした。そんな軍がどうして慰安婦のために軍用車を使わせるのでしょうか。真実は河野氏にあるのでなく、むしろ安倍氏の方にありました。
共同通信社の記事を、続けます。
「見直しは考えていないとしながら、検証することで信頼性を失わせようとする安倍政権の意図を、氏は感じ取っていた。」
「談話後の日韓関係を河野氏は、〈関係がスムーズになった。サッカーのワールドカップを共催し、韓国では日本文化の開放が進んだ。日本ではハングルで国立学校の試験が受けられるようになった。相互理解と協力が進んだ〉、と振り返る。」
河野談話後に日韓関係がスムーズになったのかどうか、国民の方がよく知っています。相互理解と協力が進んだという韓国が、なぜ日本大使館や総領事館の前に「少女像」を立て、「謝罪と賠償をせよ」と、群衆が叫ぶのでしょう。
しかし日本は報道の自由の国ですから、私も黙って記事の紹介を続けます。
「河野氏は言う。事実は認めることが大事。事実を認めなかったり、誰が見ても疑いなくあったことをなかったように言ったりして否定する。よそでもやっているからいいじゃないかと言わんばかりの言い方をする。このことが、どのくらい日本と日本人の名誉を傷つけているか。その点で非常に怒っている。」
私にも言論の自由があるので、共同通信社に言います。
「河野氏の「放言」のせいでどのくらい多くの日本人が怒っているのか。貴社の記事が、どのくらい日本と日本人の名誉を傷つけているか。その点で非常に怒っている。」
共同通信社には伝わりませんが、「ねこ庭」を訪ねる方々には伝わりますのでそれでよしとします。あと少しなので、同社の記事の紹介を続けます。
「戦後50年を迎えた95年に「国策の誤り」「植民地支配と侵略」を認め、反省とおわびを表明した村山談話は、その後の日本政府の歴史認識の根幹となってきた。戦後60年の小泉純一郎首相談話も、これを継承していた。」
「だが安倍首相は2013年4月、参院予算委員会で答弁した。〈安倍内閣としてそのまま継承しているというわけではない〉。侵略の定義を問われ〈学会的にも国際的にも定まっていない〉とも答えた。」
「韓国や中国の反発、米国の懸念も伝えられ、今年1月には〈村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる〉と軌道修正した。それでもなお村山、河野両氏には、〈過去の日本を美化しようとしている〉と映る。」
記事の紹介はこれで終わりますが、私のブログに入っているコメントの一部を紹介します。
このブログの自己紹介だよな(笑)
ネット上で公開する文章として、お前のブログは不誠実なデマと誹謗中傷が過ぎる。」