氏の著作の分かりにくさの原因が、大分理解できました。時系列で書かれているようでいて、その実、話があらぬ方へ飛んでいます。
相沢中佐による刺殺事件などが良い例で、あちこちで叙述され、しかもその一つ一つが詳しいため、返って大局を掴めなくしています。
優秀な士官で記憶力は素晴らしいのですが、個別の事象が詳しくなり過ぎ、全体のつながりが不明瞭になっています。
一番良い例が、日付です。何月何日と具体的に記されていますが、何年という記載がないため、年代が分からなくなっています。
あるいは氏の任地についても、同様です。果たして氏が現在いる場所は、青森なのか千葉なのか、東京なのか、満州なのか。どうしてそこにいて、何故そうなったのか、説明が省略されています。
「2・26事件の本質」を伝えれば良いと、氏は割り切っているのでしょうが、これではかかわっていた当事者か、熱心な研究者にしか正確な理解が難しい。私のように戦前についてほとんど知識のない者には、いささか不親切な著作となります。
それでもこの書には、現在の私たちにとって大切な教訓が多く残されています。
天皇、軍隊、政党政治、政商、共産主義、国粋主義、庶民生活等々、検証すべき課題がいくらでもあります。何時か憲法が改正され、日本が再び独立国なった時には、軍隊が大きな勢力となります。
政争の具として軍人が武力を使わない仕組み作りなど、節度のある軍隊を持つことは、今から準備しておくべき重要事です。反日・左翼勢力が、軍の武力弾圧を恐れ警戒するのも、無理からぬ話と思えたりします。
軍を放任していたら、「5・15事件」や「2・26事件」のようなクーデターの再発は、免れません。独立国として軍隊を持つようになったら、日本はどのように軍を統治していくのか。その重要な警鐘が、著者の思惑とは別にこの書で語られていると感じました。
いったん氏の本を離れネットで事件を調べますと、当時の軍部内にあった二つの勢力の説明がありました。
〈 1. 皇道派 〉・・帝国陸軍内に、かって存在した派閥。
・北一輝らの影響を受けて、天皇親政下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソ連との対決を志向した。
・名前の由来は、理論的指導者と目される荒木貞夫が、日本軍を「皇軍」と呼び、政財界( 皇道派の理屈では「君側の奸」)を排除し、天皇親政による国家改造を説いたことによる。
・陸軍には、荒木貞夫と真崎甚三郎を頭首とする皇道派があるのみで、統制派たる派閥は存在しないという説もある。
・皇道派が全盛期の時代、つまり荒木が犬養内閣で陸軍大臣に就任し、陸軍内の主導権を握ると、皇道派に反対する者に露骨な人事を行った。
・両派の対立は長く続くが、軍中央を押さえた統制派に対して、皇道派は若手将校による過激な暴発事件( 相沢事件や2・26事件など )を引き起こし、衰退していく。
〈 2. 統制派 〉・・帝国陸軍内に、かって存在した派閥。
・荒木と真崎に、左遷されたり疎外された者で団結したグループは、ほとんど中央から退けられた。
・この処置が皇道派優遇人事として、中堅幕僚層の反発を招き、皇道派に敵対する永田が、自らの意志と関わりなく、統制派なる派閥の頭領にさせられていった。
・もともと統制派には、明確なリーダーや指導者がおらず、初期の中心人物と目される永田鉄山も、派閥行動に否定的な考えをもっていた。
・反皇道派を語る時のみ、統制派が実在したという考え方もある。
・永田亡き後、統制派の中心人物とされた東條英機の主張が、そのまま統制派の主張とされることが多い。
・天皇親政や財閥の規制など、政治への深い不満を旗印に結成された皇道派には、陸軍大学校(陸大)出身者がほとんどいない。
・一方統制派は、陸大出身者が主体で、彼らが軍内の規律統制を尊重するという意味から、統制派と呼ばれた。
・中堅幕僚層は、永田鉄山や東條英機を中心として纏まり、やがて陸軍中枢部から皇道派を排除していった。
以上がネットの情報ですが、末松氏はこの問題に関し、次のように述べています。
・皇道派と統制派、この二つの概念を明確に意識したのは、この時が初めてだが、この二つを対立概念としている現在の使用意味とは違っている。
・これらはもとより抽出した概念であり、この二つの概念だけを頼りに当時の軍内を把握しようとすることは、実体を見損なうわけである。
・私自身が、皇道派の一人として分類されることは不満である。」
軍人は質素であるべきと考える氏は、他人の金で贅沢をしたり、料亭に入り浸る者を軽蔑しています。皇道派の中にいても、末松氏は和して同ぜずを貫き、納得できないことには同意していません。
とは言いつつ、一度信を置いた人物に対しては、自分の気持ちを抑え接していますから、信念の人とも思えない面があります。
文武両道という言葉がありますが、剣術に優れ砲術に優れ、過酷な軍務を物ともしない氏は、武に勝っていても、文には弱かったのでないかという気がします。思想的にも肝心なところが曖昧で、条理より、義理や人情を大切にする人間であるようです。
当時の軍人仲間はみなそうだったのか、それとも氏が特別に厚かったのか、軍務を離れても死ぬまで世話を焼いたり、金の工面をしてやったりしています。
いったい、この強靭な仲間意識は、軍隊組織の中にいる軍人と両立しうるものなのでしょうか。仲間のために軍の規則を破り、してはならない違法行為をする軍人の姿が、随所に描かれていました。
皇道派と統制派を問わず、義理と人情の波を泳ぐ軍人たちでもあります。
己の心を省みて、やましいことがなければ、それで良し。純なる動機であれば、行為の結果は許される。
氏に限らず、軍人達はそれを信じ軍刀を振りかざしますが、私は疑問を感じます。そんな考えで行為の正当化ができるのなら、世界は無秩序の乱世になります。依って立つ思想次第で、やましいことは変化します。立場が違えば、純な動機は不純となり、不純なものが純に見えてしまいます。
これでは、個人の勝手な解釈で、好き放題をする世界を到来させる恐れあります。末松氏たちのように武器を手にしていないだけで、現在の与野党の政治家たちの姿は、この時代の軍人の姿を彷彿とさせます。
喚いたり叫んだり、相手を攻撃するしかできない反日の議員だけでなく、のらりくらりと対応し、本気で亡国の左翼に対峙しない与党の議員も同じ姿に見えます。彼らは自分たちの勝手な解釈を述べ、へ理屈で戦っています。
軍刀や銃を持っていないだけで、やっていることは軍人たちの横車に似ています。
末松氏たちとの違いは、ただ一つ愛国心だけです。
氏には「愛国心」がありますが、現在の政治家には、野党はもちろんのことですが、保守自民党の議員にも「愛国心」が見えません。ただ一つとは言いながら、一番大切な魂を失った国になったのですから、敗戦後の日本の荒廃が私には身にしみます。
傍に積み上げた未読の書の中に、中公新書の「二・二六事件」という本があります。気持が沈んだついでですから、明日はこの本を読んでみようと思います。
もしかすると新しい事実を知り、末松氏への印象がガラリと変わるのかもしれません。時にはそんな期待や楽しみがないと、読書の喜びがないではありませんか。
ということで、まとまりのない氏の著作の紹介を本日で終了します。
こんにちは!
私の昭和史上下を拝読させていただきました
私がこの二冊を読み上げると1年以上はかかると思われます
読み疲れて内容を講評できるにはまた読み直さなくちゃならないの繰り返しになります
それを簡潔に分かり易く書かれたのには敬意を表します
私が思うには日本の軍隊組織も政治・行政も全て日本の上下関係と派閥が深い関係を織りなしている事に根本原因がある様に考えております
高級幹部の自伝を読んでいると皆さん優秀な頭脳と知識で各赴任先では戦績を残しているんです
しかし、何処かでボタンのつけ違いをしているのかを考えると古い武士道精神からの流れを陸海軍は引き継いでいるのです
これは日本だけじゃなく世界中の精神なのかもしれません
外国の事情も調べたいと考えております
日本の陸海軍の成り立ちを見れば新制明治から見れば乃木・東郷元帥以前から始まっている事が分かります
陸海も幼年学校・士官学校・陸軍学校と続く訳です
そこで誰について教育をしたかで卒業生の人生が決められる教官は自然的に各学校の教官によって運命つけられる
教官も一生教官ではなく参謀本部や最前線の参謀・司令官として勤務しているわけです
其処には自分が教えた生徒との関係や上官との関係が生まれているのを陸海軍喧嘩列伝で理解できました
また、陸軍大学校入学試験は少尉実務経験者として各勤務地隊推薦で入学している事です
此処の著書を読んでいると皆さん日本国の為に働いているんですが喧嘩列伝では皇道派・統制派という姿なき組織が見えてきます
荒木大将の下に阿南・山下・真崎中将という系統が見える荒木大将の上にも乃木元帥という皇道派という正統人脈が脈々と流れている
統制派にも南大将という下に陸軍大学校の人脈が有り永田・東条という戦犯に繋がっている
陸海軍喧嘩列伝を読んでいるとどちらが悪くてどちらが良いとは言えなくなる
山口県で古書店を営まれ軍関係の品物を販売されている方でよく簡略に各将軍の出自を紹介されておられる
私は個人的に皇道派ですが荒木大将・真崎中将は人事で統制派を参謀本部から排斥しているんです
優秀で立派なんですが事実なんです
統制派も5.15事件・2.26事件後に人事権を把握するとあからさまに皇道派の有能な将軍たちを全て海外最前線の死地へ追いやっている
東条の姑息で陰湿な性格が如実に出ている
山下などシンガポール攻略で功績をあげ新任式で天皇からのお言葉を受けるはずがシンガポールから直接満州へ異動させられている
如何に東条が冷酷な人事をしていたかが分かる
山下将軍が俺は郵便物じゃないと叫んだというが理解できる
私はこれを読んで嫌いだった石原中将等の列伝を読むと石原は東条の能力や名誉欲や出世欲・軍人としての能力のなさ、官吏能力だけで出世し能力の限界から石原を呼びつけ相談している
己の慾だけで突き進んだ戦争末期に今後の政局は如何すればよいのかという相談に石原は明瞭に答えお前の能力をはるかに超えた問題でお前が首相をしていることが間違っている早急に辞職すべきと言い放ち帰っている
東条が首相まで上り詰めたのは統制派の古参将軍たちからの突き上げと政党・木戸幸一等ら無能な集団による策略と言われている
これは今村中将が戦後も木戸幸一にネチネチ死ぬまで言い続けたそうである
こうして考えれば日本という根本の組織運営方法がよくないというところに行きつくと私は結論に達しました
戦記物といいますか、軍事の歴史といいますか、私は最近調べ出したばかりで、貴方の方が詳しいと分かりました。
しかし軍隊における、「強い仲間意識」と「官僚組織としての軍規律」の二つは、どうやら日本だけでなく、世界共通の課題であると、何かの本で読みました。
日本には、「義理・人情」や「武士道精神」という、他国にない精神風土がありますので、違った形なのかもしれませんが、二つの課題は共通しております。
現在の私が、過去の人々を評価するのは困難であると、ますますそう思います。東条総理の人事面での冷酷さを言いますと、荒木大将の冷酷さも似たようなものですから、私にはどちらとも言えません。
陛下に責任が及ばぬよう、東京裁判で自己の責任を明確にした東条総理の潔さを見れば、2・26事件で、自己の責任に言及せず、青年将校を見殺しにした荒木大将の卑怯さが目につきます。
「日本という根本の組織運営方法」につきましても、私には結論がまだ出せません。
愛国を自認し、共産党を嫌悪する私ですら、矛盾した心を抱いています。「人類のユートピア」を信じ、マルクスを信奉した戦前の青年に、私は今でも敬意を表しています。
命がけでしかできなかった、戦前の共産党の活動に参加した戦前の党員に、共鳴するものがあります。
ソ連が崩壊し、中国が無残な国民弾圧の国家となり、ユートピアの思想は崩壊しました。それなのに、赤い思想を捨てられない戦後のマルキストは、軽蔑するしかできません。
戦前の軍人、政治家たちも、まだ評価の定まらないところに位置していると、そんな気がいたします。毛沢東にしても、鄧小平にしても、周恩来にしても、見る人の立つ場所によって、悪人にも、偉人にもなります。
しばらくは、結論を求めず、生徒の一人として学んでいこうと思います。あなたには、まどろこしいのでしょうが、愚鈍な私は、急がば回れしかできないようです。
おはようございます!
コメント頂き恐縮と感謝しております
知識人で教養の有る方は素直なところが皆さんよく似ています
私の考えは日本国もデンマークの様な一般市民が作る国家が理想じゃないかと考えております
そんな理想な国づくりに知識人である貴兄の様な人に意見をブログという限定された場所であるが公表できるのは大切な事だと思います
私の不躾な意見でもちゃんと聞いてくださり記事で実行されている事に頭が下がります
結論や強要ありきじゃなく真実を放送しない報道機関・真実を記事にしない新聞社に代わり私たちが真実を公開する重要性こそ民主主義の原点じゃないかと考えております
これが少しでも広がりを見せればお花畑の人たちも現状を知り立派な国民になっていく一里塚でしょう
貴兄の頭の中に貯め込んでおられる思いを全て出すことも日本国の為になると考えております
でも将軍列伝を読んでいくと天皇戦犯と好き嫌いがある神は怪しからん現人神だったんですね((´∀`))ケラケラ
私は前回のコメントで遠藤三郎中将の事を書き忘れました
私は今村中将の様な人物が好きなんですが遠藤中将の列記を読んでこのような人物に自分もなりたい・ありたいと思いました
陸大教官時代恩賞・首席を選んで提出しろと言われたとき担当クラスの学生に選ばせる公平・平等さは現代でも見習うべき大切な事です
でも晩年、中国にわたり交流したのは今村中将と同じ意見です(怪しからん!奴)
私も自分のブログでモンゴルの政治・教育の実態を批判じゃなく事実のみを記事にしたいと思います
丁寧なコメントをいただきました。自分の教養は、狂養の部類であると自覚しておりますので、これからもご指導ください。
「怪しからん現人神」とのご指摘、それはそうだと思います。天皇に関する全ての情報が、ガラス張りになりましたら、尊い存在はなくなってまうと思います。
国民統合の中心に、天皇がおられることの大切さ。国旗や国歌だけでなく、生きた方を国の中心としてきたのですから、虚構も混じります。
大切なことは、お側に仕える者たちが、陛下のお言葉を外に漏らさない注意深さと、国あり方への理解を持っているかどうかでしょう。
今上陛下と赤い美智子様が、「開かれた皇室」を理想とされますのは、愚かな一部の国民に賛同されても、日本という国を未来につなげるためには、してはならない愚行です。
隠されたものが無くなりましたら、そこにあるのは「単なる一般人」でしかなく、国民統合の中心にはなれません。
毛沢東を始めとする赤い中国の指導者たちの神格化も、統合の中心を持ちたいがための虚構です。北の将軍の、目を覆うばかりの神格化も、あの国にとっては真剣な行為です。
日本の天皇は、神格化されてはいましたが、実態は、他国のような、絶対の「唯一神」でなく、「昔から日本にある八百万の神」のお一人でしかありません。
私たちの祖先は、木や岩や川や湖など、自然界にたくさんの神を感じ、大切にしてきました。明治以来、世界を相手に、国家存亡の戦争を遂行するため、政治家のみならず、軍人たちが、必要以上に天皇を絶対化してきましたのは、ご承知の通りです。
何ごとにも節度が必要ですが、昭和期の軍人はそれを失いました。走り出すと止まらないのが、日本人の国民性ですから、これからはそうならないようにせねばなりません。
今は軍部が走らなくなった代わりに、反日•亡国の勢力が、腐れマスコミを道具として、走り回っています。戦後72年も野放しだったのですから、そろそろ「節度」を考える時です。
野党だけでなく、政権党にいた自民党の責任が大であったと、最近は考えるようになりました。金権政治にどっぷりつかるのでなく、国の未来を考え、本気で日本の独立を考えるべきでした。
ですから私は、ネット社会を有り難いと思っています。ネットの世界は玉石混交ですが、事実を伝えようとする、立派なブログが沢山あります。
貧者の一灯かもしれませんが、あちこちで明かりが灯れば、日本の役に立つと、そんな気がしております。また、そんな思いで、あなたのブログも拝見しております。
ご自愛専一に。