ねこ庭の独り言

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暗い青春・魔の退屈 - 3 ( 奥野健男氏の賛辞 )

2020-07-21 18:47:34 | 徒然の記

 記録的な豪雨で、各地に大きな被害が出ています。日本だけかと思っていましたら、隣の中国ではもっと大きな被害が出ており、三峡ダムの決壊までささやかれていました。

 世界一のダムで、流域は中国の4分1を占める経済圏だと言います。世界中のトップ企業が、ということは日本企業も進出しているということです。万一ダムが決壊すると、企業が壊滅的な被害を受け、「武漢コロナ」以上の経済的ダメージになるのだそうです。流域には、コロナで有名になった武漢もあり、最終地点には上海があります。

 また、本日の動画で知りましたが、チャンネル桜の水島社長と、我那覇真子さんが対立を深め、互いが非難しあっていました。いわば保守同士の、不毛な争いです。

 千葉日報の記事ではまだ、沢山ニュースがありますが、私はこうした日々の重大事をよそに、本日も坂口安吾の書評をします。70を超えた私にしてみれば、三峡ダムの崩壊も、長江経済圏の大被害も、水島氏と我那覇さんの対立も、大小がありません。みんなひっくるめて日本のことで、どれも大切な案件です。

 他の人は、現在のホットな話題を優先して考え、この時期、安吾について述べるのは私くらいでしょうから、自分の役目を果たします。本日は、評論家奥野健男氏の、歯の浮くような賛辞の紹介です。もともと私は、本の巻末に「解説」を書く評論家に、好感を持っていません。売り上げに協力するため、針小棒大に褒めますから、信用しないことにしています。「駅から歩いて、10分」と、不動産屋の広告に書いてあっても、実際に歩くと30分以上かかったりします。それと同じで、評論家の「解説」は、誇大広告の見本みたいなものです。

 「言うまでもないことだが、坂口安吾は、いわゆる私小説作家ではない。」「日常生活の体験とか、細々とした身辺雑記とか、」「めんめんと綴って、それを小説と称した、」「日本の狭い、閉鎖的な私小説作家とは、もっと隔たった場所にいた作家だった。」

 この言葉からしてもう、大ウソです。7月17日以来私が読んでいるのは、安吾の身辺雑記ではありませんか。

 「処女作以来、安吾は生涯何ものにも拘束されない、」「奔馬天を征くが如き人生を送り、奇想天外の発想、」「大胆な方法を駆使した小説、評論を書き続けた。」「その精神の振動の烈しさ、振幅の巨大さは、」「私小説中心の、日本近代文学のちんまりした枠の中には、」「とうてい、収まりきるものではなかった。」

 ここまで褒め上げてどうするのだろうと、安吾本人でないのに恥ずかしくなり、奥野氏とはどう言う人物なのかと、つい調べたくなります。

 「奥野は、大正15年東京に生まれ、平成9年72才で没」「文芸評論家、化学技術者、多摩美術大学名誉教授」

「昭和22年、東京工業大学卒。東芝に入社し、トランジスタの開発に取り組む」「大河内記念技術賞、科学技術庁長官奨励賞、特許庁長官賞を受賞。」

「昭和33年に、吉本隆明らと批評活動を行なう。」「プロレタリア文学以来の観念を厳しく批判し、民主主義文学を否定したことで、文学論争の主役となった。」

「多摩美大では、当初自然科学の講座を担当していたが、『太宰治論』により、」「文芸評論家として遇されていたため、文学の講座に集中する。」「三島由紀夫との親交があり、彼の自決の翌日の授業には、」「教室からあふれんばかりの学生が、押し寄せたという。」

 名前は時々聞いていましたが、多才な学者だと理解いたしました。解説のおかげで新しい事実を知りましたので、学徒の自分に戻り、感謝することとしました。

 「安吾はふだん自分の父や母や、家や生い立ちや日常生活を、そのまま語ることを自らに禁じ、」「拒否しまた嫌悪してきた作家であるだけに、」「自伝的小説を書くということは、彼にとって、」「ほとんどタブーを破ることに等しい、稀有なことであった。」

 つまり私は、その稀有な作品を読んでいるとこになります。

「そのような安吾であるのに、どうしても、自分の27才と30才を書きたかったのだ。」「青春期の恋人である、矢田世津子との出会いと別れを、」「そのまま正直に、書き残さずにいられなかった。」

 私が読んでいる一連の短編は、いずれ一冊の長編小説とする計画だったと、言います。

「しかし長編小説として完成せず、一冊にまとめられることがないままに、」「坂口安吾は、慌ただしくこの世を去ってしまった。」

 氏はその短編群を、次のように並べます。

  『風と光と二十の私』 『二十一』 『暗い青春』 『青い絨毯』 『二十七才』

  『いずこへ』  『三十才』 『死と影』『古都』 『居酒屋の聖人』『石の思い』 

  『魔の退屈』 『ぐうたら戦記』

 知らないことを教えてくれる人は、私の師ですから、私は謙虚になります。そうなれば、まさにこの短編群は、安吾の遺書となりますから、静かに読もうと思います。反日・左翼の人物であっても( 吉田清治、植村隆、本多勝一以外 は ) 、故人となれば敬意を表するのですから、共産主義嫌いの安吾を疎かにしません。しばらく余計なお喋りをせず、氏の作品を味わうことといたします。

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