ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「 6つの談話 」 検証 - 39 ( 完成、 総理へ捧げる「鎮魂歌」 )

2022-09-27 19:55:38 | 徒然の記

 この記事の紹介は、村山富市氏の恥を上塗りすることになりますが、「朝日デジタル」がしていることなのでそのまま紹介します。令和2年8月15日の記事です。記者の名前は小林豪氏、この人物も本日村山氏と共に「ねこ庭」で恥をさらすことになります。

  NHKの解説委員の安達宣正氏の「記者ノート」も、紹介するのがためらわれるほど詰まらない記事でしたが、小林氏の記事も同程度の内容です。 

 「日本のアジア諸国に対する植民地支配を認め、公式に謝罪の意を示した村山談話。その発表から25年を迎えた15日、村山富市元首相(96)が『村山談話に託した想(おも)い 』と題したコメントを公表した。」

 村山氏が河野氏と二人で日本記者クラブへ招かれ、みっともない放談をしたのは平成27年でした。周囲の誰かが助言して、国民の軽蔑を受けていると知らされ反省していると思っていましたが、5年経っても変わらず、亡国の放言を続けていました。 

 記事を書いている朝日ジャーナルの記者も、NHK解説委員の安達氏と同じで、「村山談話」称賛派です。なるほどNHKは国民の受信料で経営が安泰ですが、読者にそっぽを向かれる朝日新聞社は経営が傾くはずです。

 「日本の侵略戦争を否定する歴史認識は、受け入れられるはずがないと強調し、村山談話が、引き続き世界平和に貢献することを期待した内容だ。」

 今度は放談でなく、村山氏が書いたメモだそうです。わざわざ「終戦の日」の日に、小林記者が受け取ったのでしょうか。

 「村山談話は、50回目の終戦の日にあたる1995年8月15日、当時の村山内閣が閣議決定した。〈 植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた 〉と公式に植民地支配を認め、〈 痛切な反省の意 〉と〈 心からのおわびの気持ち 〉を表明。その後、安倍内閣を含めた歴代内閣が受け継ぎ、日本政府の公式見解となっている。」

 安倍総理が病気のため任期途中で辞任したのが、9月でしたから、記事はそのひと月前に書かれたことになります。もしかすると安倍氏辞任を促した、何本目かの矢だったのかもしれません。 

 「村山氏が15日に出したコメントでは、冒頭で〈(村山談話が)世界各国の人々や政府から、高い評価を受け続けているようで、光栄なことだと思います 〉と言及。」

 国民怨嗟の「村山談話」を、相変わらず誉めています。

 「当時の経緯について〈(敗戦50年の)節目に、けじめをつける意味で、過去の歴史的事実を謙虚に受け止め、平和と民主主義、国際協調を基調とする日本の針路を明確に闡明(せんめい)する必要 〉、があったと振り返った。」

 村山氏は、5年前とそっくり同じ言葉を繰り返しています。

 「歴代内閣が村山談話を踏襲していることを、〈 当然のこと 〉としたうえで、先の大戦について〈 侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理  〉、と強調した。」

 何の疑問も持たず、小林記者が村山氏のたわごとを、記事にしています。老人となり大分の田舎に引きこもっている村山氏なら仕方がありませんが、現役の記者が日本の置かれた危険な国際環境を知らないと言うのは、どうした訳でしょう。「わが秋津洲の大和魂( たま ) 」はかけらもありません。

 「さらに、「日本の多くの良心的な人々の歴史に対する検証や反省の取り組みを、『自虐史観』などと攻撃する動きもありますが、それらの考えは全く、間違っています」と指摘。」

 「 〈 日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶(おとし)めるのでは、ないでしょうか 〉、と呼びかけた。」

 それとも小林記者は、村山氏の国際政治感覚ゼロを読者に知らせようとしているのでしょうか。褒めてはならないものを無闇に褒めると、結局は相手をおとしめることになるのは、NHKの安達記者の記事で証明済みです。

 「最後に、『村山談話』が、今後の日本、アジア、そして世界の和解、平和、発展に貢献してくれることを期待したいと訴え、〈 アジアの平和と安定の構築のためには、日中両国の、安定的な政治・経済・文化の交流・発展を築いていかねばなりません。その成就を祈るばかりです 〉と締めくくった。(小林豪)」

 この記事を読み終えた時、二つのことを考えました。

  1.   これでは、朝日新聞が倒産しても自業自得だ。

  2.   この記事を総理へ贈る「鎮魂歌」の最後に使い、こう言う愚か者たちが暗殺の風潮を醸成した証明にしたい。

 ということで、無念の死を遂げられた安倍総理への「鎮魂歌」を完成しましたので、捧げます。偶然ですが、国葬の日に出来上がりました。最後まで「ねこ庭」を訪問された方々と、亡国の「談話」についてヒントを頂いた方に感謝いたします。

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「 6つの談話 」 検証 - 38 ( 野坂浩賢 ( こうけん  ) 官房長官 )

2022-09-27 16:40:44 | 徒然の記

 今日は安倍元総理の国葬の日です。午後2時から、日本武道館で行われます。米国からハリス副大統領が出席しますが、EU諸国からは首脳の参加が無しだそうです。国内では依然として賛成反対の意見が分かれ、報道が加熱していますから、外国の首脳も二の足を踏んだのかもしれません。

 エリザベス女王の葬儀は、国民が一つになり女王をお見送りましたが、常に国論が二分している日本はこれから先も当分の間は、こういう状態が続くのだろうと思います。外国に対して恥ずかしいという人もいますが、最近のアメリカも日本に似ています。共和党と民主党が国を二つにして対立していますし、中国もロシアも対外的には一つの国を装っていますが、内部では深刻な対立と紛争の種があるようです。

 国葬に出席しなかったイギリス、フランス、ドイツにしても政情は安定していません。全体主義の国民弾圧国家ではないのですから、さまざまな意見があって当然ですし、日本も国際社会の一員として分断と対立の影響を受けます。日本だけを恥ずかしがることなく、今日は静かに安倍元総理をお送りしようと思います。差し当たって私のするべきは、安倍氏への「鎮魂歌」を完成させることです。

 今回は「村山談話」作成の陰の立役者・野坂浩賢 ( こうけん  ) 官房長官に関する情報を紹介します。氏が生きていたら、国葬反対の一人だったのかもしれません。

 ・1924 ( 大正13 ) 年鳥取県生まれ、2004 ( 平成16 ) 年没 80才

 ・勲一等旭日大綬章受賞

 ・衆議院議員(7期)、建設大臣、内閣官房長官、社会党国対委員長、社会民主党副党首

 概略の経歴で十分な気もしますが、息子たちのためにはそうもなりませんので詳細を紹介します。

 ・1945 ( 昭和20 ) 年に法政大学卒業後、日本通運に入社し米子支店勤務。労働運動に入り、鳥取県総評議長・同事務局長・西部地評議長を歴任

 ・1955 ( 昭和30 ) 年、鳥取県議会議員当選。社会党の地域組織をまとめ、自衛隊美保基地反対闘争を指導

 ・鳥取県警本部・警務部部長亀井静香と、政治的立場を超えて盟友になり、亀井は「あの時、( 野坂と)出会っていなかったら自社さ政権は誕生してなかっただろう。二人の間に政策協定はなかった。野坂と俺が合意すればそれが政策になった。幹事長の森喜朗と副総裁の小渕恵三さんに任されていたから、俺に権力が集中しすぎていた。」と述べた

 男気のある人間同士は、何かの拍子に主義主張を超えて意気投合することがあります。任侠に生きるヤクザものと同じですが、二人もそんな仲だったのでしょうか。

 ・1972 ( 昭和47 ) 年、衆議院選挙に立候補し初当選。以後当選7回(通算)。日本社会党に所属。社会党内の派閥「新生研究会」の代表

 ・この間、党農漁民局長・全日農会長・日本社会党国会対策委員長等歴任。

 ・1994 ( 平成6 ) 年、村山富市の側近、党国対委員長として自社さ連立政権の村山内閣を実現し、建設大臣就任

 ・翌年の内閣改造で、内閣官房長官に横滑り。1955年以降、自民党在籍記録が無い官房長官は五十嵐広三と二人だけである

 ・1996 ( 平成8) 年、日本社会党の社会民主党への新党移行により、同党副党首・国会対策委員長に就任。同年の選挙には出馬せず、政界を引退

  氏は部落解放運動とも深く関わり、「人権擁護施策推進法」制定への道筋を作ったことでも知られているようです。氏の秘書だった松原和範氏の話を紹介します。

 「野坂は解放運動をやっていたから、部落解放基本法を作るかどうかをめぐって、野中広務さんと地下水脈でつき合いがあったんです。」

 「自社さ政権の絵を描いて、それを実行したのが亀井静香さんなら、野中さんは裏の掃除役。」

 「他の派閥は個人プレーで動いていたのに、旧竹下派は反小沢一郎で結集し、自社連立のため組織的な動きをしていましたから、その意味でも野中さんは、野坂のカンターパートとして重要な存在だったのです。」

 「政界の壊し屋」の小沢氏は、政争ばかりで役に立たず、疫病神みたいなものでしたから彼を外すため自社の共闘が生まれたと、以前「ねこ庭」で紹介しました。松原氏の話は、それと符合しますので事実だと思います。結局野坂氏については、「人生意気に感ず」という男気の人物としてしか印象が生まれません。

 利害損得を計算する五十嵐氏と違い、一度気に入ったら相手を裏切らず、とことんつきあう人間として「村山談話」に関わったのかもしれません。こういう人物がいて、汗をかき、亡国の「村山談話」が生まれたということになります。自分で考えたように村山氏が語るのもどうかと思いますが、国民にはそう言うしかありません。

 安倍元総理の葬儀が、日本武道館で始まりました。テレビの報道は後で見ることにして、私は氏へ贈る「鎮魂歌」の完成を急ぎます。最後は倒産間近の反日朝日新聞の関連会社、「朝日ジャーナル」の記事の紹介です。

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