ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「 6つの談話 」 検証 - 28 ( 「安倍談話」 全文です )

2022-09-20 18:16:05 | 徒然の記

     備えとは 艦と砲との謂いならず

       わが敷島の大和魂 (たま)

 23回目で紹介しました、吉田松陰の句です。「敷島の大和魂 (たま)」を日本人から奪い、消し去ろうとしたのが「東京裁判」でした。生まれ育った国を誇りに思い、国を守ると言う心は「軍国主義」ではなく、「備え」の心ですが、「東京裁判」が、変形させ、汚し、否定しました。これを成文化したのが「日本国憲法」ですから、安倍総理は「憲法改正」に命を捧げ、「安倍談話」でその道を開こうと意を尽くされました。
 
 海外だけでなく、むしろ国内の反対勢力に囲まれ、総理の意思は阻まれ通しでした。息子たちに言います。紹介する「安倍談話」は、過去に政府が出したどの談話より長いものですが、それでも歴代総理が公表した「東京裁判史観」を克服することができませんでした。
 
 おそらくこの表現が、孤立無援の総理が発信できた限界だったのだと、今の私たちには分かります。「安倍談話」は、選挙戦の最中にマイクを握ったまま、演台から崩れ落ち帰らぬ人となった総理の「遺言」です。謹んで、全文を紹介します。
 
 『 70年談話:安倍晋三首相談話全文 』

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代 を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなけれ ばならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていまし た。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せまし た。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。 アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配の もとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地 化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争であ りました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。 戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地 経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。 その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決 しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日 本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に 築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、 戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の 念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せ を願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあ って、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各 都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠 牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南 アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、 多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけら れた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に 取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、 愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、 断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点でありま す。

  二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、 もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利 が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創 り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及 ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、こ れからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの 気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピ ンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んでき た苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によっ て塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでし ょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の 原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事 成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元 捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれて いる事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元 捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの 努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年 のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、す べての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら 関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命 を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過 去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、 未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつな ぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでい くことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、 豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が 差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く 胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽く す。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続け ます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、 平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも 働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、 国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられ た過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常 に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀と するため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だか らこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際 経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。 繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、 医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だか らこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅 持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の 平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創 り上げていく。その決意であります。

                  平成二十七年八月十四日  内閣総理大臣 安倍 晋三

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「 6つの談話 」 検証 - 27 ( 「あかはた」の「安倍談話」攻撃 )

2022-09-20 14:11:45 | 徒然の記

 今朝のNHKのニュースでは、一般市民を狙い撃ちにした無差別攻撃をしていると、ロシア・ウクライナの双方が相手側の「戦争犯罪行為」を非難している様子を伝えていました。

 ニュースを聞く人は、どちらの意見が正しいのか迷ってしまいます。騒ぎの渦中にある時の報道は、いつもこのようなものです。時間が経ち、社会が落ち着きを取り戻した時、隠されていた事実が明らかになります。

 紹介している「あかはた」の記事も同じで、安倍氏が騒動に巻き込まれている時は、誰が事実を伝えているのか第三者には分かりません。平成19年の記事ですから、15年前のものです。今は事実が判明していますので、「あかはた」の間違いが誰にも判断できます。

 私の「鎮魂歌」も、似たようなものでないかという気がしています。安倍氏がテロに倒されたのはつい先日のことで、氏を憎み否定する人々の声がマスコミを通じて沢山伝えられています。国葬反対者から見れば、私の「鎮魂歌」も批判攻撃の対象かと思いますが、どちらが正しい意見なのかは、時の流れが明らかにするはずなので、それを信じて「ねこ庭の独り言」を綴っています。

 「あかはた」が紹介しているのは、「英ガーディアン紙」の記事です。

 「【ロンドン=岡崎衆史】二十七日付は、〈日本は戦時の性奴隷(従軍慰安婦のこと)についての完全な謝罪を回避〉と題する、東京発のニュース記事を掲載しました。」

 東京発のニュースということは、日本のマスコミの情報がもとになっているという意味でしょう。当時の朝日新聞はまだ日本の一流紙ですから、大いに参考にされているはずです。

 「安倍首相の二十六日の国会での答弁を取り上げたもの。〈首相は、日本による戦時の性奴隷の使用について謝罪したが、日本軍によって強制されたことを認めなかった〉と、報じました。」

 「記事は、〈慰安婦〉問題での活動家が、日本の国会による公式の謝罪と補償を求めていると指摘。また米下院で、〈慰安婦〉問題で日本政府に謝罪を求める決議案が採択された場合も、安倍首相が謝罪をしないと述べていること、を紹介しています。」

 同紙がこれ以上激しい批判をしていないので、不満だったのでしょうか、シンガポールの新聞記事も紹介してします。「シンガポール紙聨合早報」の元論説委員・黄彬華氏が、同紙に寄稿した記事です。

 「侵略の歴史をあいまいにしようとする安倍首相の〈慰安婦〉発言が、国際的批判を広げている、と指摘しました。」

 他紙の紹介を増やされても、情報源が朝日新聞や日本のマスコミの安倍氏攻撃記事ですから、私には意味がありません。

 「〈慰安婦〉問題で「強制はなかった」と繰り返す安倍首相や、自民党の『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』の狙いは、〈憲法を骨抜きにし、河野談話を『まったく無害なもの』に変えることにある〉と、厳しく批判しています。」

 結局「あかはた」の目的は、安倍総理が掲げている「憲法改正」の反対キャンペーンです。「平和憲法」という信仰を国内で浸透させている共産党ですから、「憲法改正」には本気で挑戦します。

 「論評は、「日本は慰安婦問題ばかりか、第二次世界大戦中のシンガポールでの中国系住民虐殺や、中国での南京大虐殺など日本軍による蛮行を絶対に認めようとしないか、もしくは『証拠が不足している』との口実で、焦点をあいまいにしてきた」と指摘。」

 二つの虐殺事件については、以前「ねこ庭」で取り上げましたので省略しますが、紹介する必要を感じない捏造事件です。それをまた「あかはた」が蒸し返し、同社の恥を晒しています。黄彬華氏の意見が、自分たちにとって都合の良い日本批判だから使っています。

 「その目的は、(過去の行為を)あくまで否定し、それを国家への汚点として残さないことにある、と解説しています。」

 「欧米人のなかには、日本をアジアで唯一の成熟した『平和、民主、富裕』の国とみる人もいる」とした上で、〈しかし(今回)彼らは、日本が言行不一致で歴史の真相を尊重せず、歴史に対し『不誠実、無責任』で、人権を尊重しない国家であることに驚いている〉、と述べています。」

 手の込んだ「あかはた」による、安倍氏攻撃記事の紹介を終わります。記事を検討する過程で興味深い資料を見つけましたので、予定外ですがその一部を紹介します。

 〈 平成19年3月16日  『外務省資料』辻元清美氏への答弁書 〉

  資料の表題は、「河野官房長官談話」の閣議決定についてとなっています。

 質 問 「河野官房長官談話」が閣議決定されていないのは事実か。事実であるなら、どのような扱いなのか

 答 弁  官房長官談話は閣議決定されていないが、歴代の内閣が継承しているものである

 質 問  安倍首相は、「河野官房長官談話」を継承すると発言している以上、「河野官房長官談話」を閣議決定する意思はあるか。ないのであれば、その理由を明らかにされたい。

 答 弁  政府の基本的な立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定するとは考えていない。

 
 
 この資料で分かった事実は、「河野官房長官談話」が当時の宮沢内閣で、閣議決定なしに出された文書だったということです。
 
 次回は、「安倍談話」の全文を紹介します。
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「 6つの談話 」 検証 - 26 ( 「あかはた」の「安倍談話」攻撃 )

2022-09-20 07:33:40 | 徒然の記

 今回も、「あかはた」の記事を紹介します。

 「英誌『エコノミスト』三月二十一日号(電子版)は、『東京の間違った動き―日本外交に泥を塗る軍の売春宿』と題する論評で、〈慰安婦〉問題での安倍首相の姿勢を厳しく批判しました。」

 「論評は、安倍晋三は日本の首相となってわずか六カ月で、戦争中の歴史というやぶに突進することによって、自らの国際的な評価をずたずたにしてしまった、と書き出しています。」

 なるほど、こういう記事があったのですね。

 「安倍首相が、日本政府の〈慰安婦〉への関与について、強制の証拠はないと述べたことは、〈自らが体験した奴隷状態を証言してきた、多くの年老いた女性たち〉を驚かせたと指摘。」「その発言は、軍の文書庫から発見された証拠にも反する、と述べています。」

 現在の目で読みますと、何ということもありません。英国紙は間違った日本の新聞記事をもとに、間違った意見を述べているに過ぎませんでした。〈自らが体験した奴隷状態を証言してきた、多くの年老いた女性たち〉と述べていますが、この女性たちの証言がそもそも嘘でした。

 業者のもとで働く売春婦たちは、ジープに乗せられて連れて行かれた、親に売られたなどと話しています。ジープなら、朝鮮戦争時の韓国の慰安婦施設のことですし、親に売られたのなら日本軍は何の関係もありません。

 「軍の文書庫から発見された証拠」というのは、おそらく中央大学の吉見教授の話です。これもまた捏造記事の一つで、朝日新聞による安倍氏攻撃を狙ったものでした。次のような情報を、別の資料で見つけましたので紹介します。

 「吉見が慰安婦問題で脚光を浴びたのは、防衛庁の図書館で閲覧した慰安婦に関する資料をコピーし、朝日新聞記者の辰濃哲郎に渡したことにはじまる。」

 「朝日新聞は、1992 ( 平成4  ) 年1月1日の朝刊一面で、『慰安所への軍の関与を示す資料』発見として掲載した。」

 説明の内容は、吉見氏の発見した資料が軍の関与を示すものでなく、逆にいかがわしい場所に出入りし、悪徳業者に騙されないようにと各隊に注意を喚起する伝達文書だったというものです。吉見氏と朝日新聞の早とちりというより、安倍氏攻撃のためなら何でもするという敵意の記事として、今では冷笑されています。

 当時はまだこうした事実が表に出ていませんので、英誌『エコノミスト』はそのまま信じて記事を書いています。「あかはた」も同様に知らないので、英誌の記事を紹介しています。

 「論評は、強制を認めた一九九三年の河野談話を首相は引き継ぐと言ったのに、すぐまた〈強制はなかった〉とする答弁書を確認したことを紹介。安倍氏は近隣諸国との関係で最近日本が進めてきた成果の多くを、一撃でご破算にしたと同時に同盟国の米国まで敵に回してしまった、と解説しています。」

 獲物を追い詰めた漁師のように、「あかはた」が安倍氏をなぶっています。英国の記事だと言うので、得意になっているようです。

 「論評はさらに、安倍氏の無能ぶりを測る物差しは、〈慰安婦〉問題で、北朝鮮が道徳的な高みに立つのを許したことだ、と指摘しています。」

 しかし安倍氏は前言を翻したのでなく、過去の談話を否定したのでもありません。

 「広義の意味での強制はあったかもしれないが、狭義の意味の矯正はなかった。」と語っているだけです。悪どい業者に騙されるとか、貧乏な親に売られたとか、そういう広い意味での強制はあったとしても、軍の関与という狭い意味での強制はなかったと、事実を説明しているのでした。

 このように曖昧な答弁になった理由について、「ねこ庭」を訪問される方々には理解いただけると思います。前任の総理の言葉を明確に否定すると、彼らの責任問題となりますし、国の威信にも関わるため、安倍氏は「広義」と「狭義」の言葉でしか語れませんでした。

 共産党の幹部クラスも馬鹿でなく、苦しい立場の安倍氏を知っていたのでしょうが、彼らの目的は倒閣なので、「あかはた」の記事を書かせたのだと思います。

 「具体的事例として、六カ国協議で北朝鮮側が、〈日本は拉致問題を口にするのをやめ、自らの歴史的な過ちを謝罪し補償せよと要求している〉現状を説明。」

 そういえば、6ヶ国協議というものがありました。6ケ国というのは日本、アメリカ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮のことで、北朝鮮の核開発問題解決のための会議でした。いずれも北京で9回行われましたが、いつの間にか開催されなくなりました。メンバーを見れば分かる通り、日本を敵視する国ばかりです。日本のマスコミは伝えませんでしたが、北朝鮮はこんなことを言っていたのです。

 「〈日本はすでに(六カ国)協議で脇に追いやられつつあるのかもしれない〉〈日本による慰安婦の否定は、それをさらに深刻化するだろう〉と述べています。」

 元大統領のジミー・カーター氏が金日成総書記と対談し、北朝鮮の核開発を止めようとしていた時の記事です。カーター氏は、言を左右する北朝鮮に翻弄されるだけで何の成果もあげられませんでした。そんな時の6ヶ国会議の話であり、英国の記事ですから、日本に不利な話が出されても不思議はありません。
 
 英国の2紙の記事を紹介する予定でしたが、一つしかできませんでした。安倍氏がどのように困難な中で「談話」を出そうとしていたのか、苦労の一端を知るためにも、次回の「ねこ庭」へお越しください。
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