だらだら日記goo編

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ベニヤ板のなかで

2008-03-13 22:10:17 | アート・文化

さてこの展覧会をどう評価すべきか。

ベニヤ板で囲まれた「通路」を歩く。

すると壁沿いにはこの芸術家のこれまでの業績を示す写真が並んでいる。

ベニヤ板をふいと抜けると広い場所があり、人が作業していたりする。

どうやらこの芸術家の現在進行形のプロジェクトがそこにはあるようだ。

ネットでもいろいろ物議をかもしている東京都現代美術館「川俣正ー通路」の展覧会だ。

2005年の横浜トリエンナーレの総合ディレクターを務めた川俣は相当の実力者らしい。

しかしベニヤ板で囲って周囲を見渡せなくしたのがよろしくない、僕にはこの人何者?という印象しか受けない。

現在進行中のプロジェクトはたとえば「サヴァイヴァルイン東京・ラボ」とか「wah・ラボ」とか「セルフポートレイト・ラボ」とかがある。

「サヴァイヴァルイン東京」というのは悪趣味極まりない。

いきなり「路上生活者の情報求む」と書かれている。

そして都内あちこちでの路上生活者マップと路上生活者インタヴューが貼ってある。

人は誰でも好き好んで路上生活をしているわけではない、それを美術館に飾る神経が理解できない。

「wah・ラボ」とは二月にアイデアを募集して川俣さんやスタッフ、来場者が決めた実現したいアイデアのようだ、それは「地面の中に家がある」というアイデア、僕には実現不可能に思えるがこの人たちは本気なのだろうかー。

「セルフポートレート・ラボ」とは精神を病んだ人たちに自画像を描いてもらい、それをマッピングすることのようだ。

展覧会チラシの「医療は通路である」とはこれをさすのであろう。

そのほか「通路カフェ」なるものがあり、コーヒーを販売していたり、外国語のビデオが上映されていたり、全体として何を主張したいのか全く分からない。

常設展示の岡本太郎「明日の神話」をまた見る。

そこでは知的障害者の人々が巨大な絵をスケッチしていた。

悪趣味な「通路」などとは違ってこちらの活動のほうがよほど純粋に思えた。


写真のとらえた建築物

2008-03-09 22:00:52 | アート・文化

日本における最初の建築物を映した写真は「城」だったそうだ。

しかし展示されている熊本城の写真の何とうらさびれて荒れ果てた城の姿であるか!

熊本城は原因不明の火災で焼失したというがいとも簡単に焼け落ちてしまいそうだ!

庭園美術館の「建築の記憶」、建築物を撮った写真で構成されるこの展覧会は写真渡来のころから現代のたとえば「せんだいメディアテーク」やら、2006開館の「青森県立美術館」を撮った写真までを俯瞰できる好企画だ。

さて、城の写真から今度は宮中の写真へと進み、さらに伊東忠太、堀口捨巳という歴史に名前を残す建築家が登場する。

伊東は1901年北京城調査に、小川一眞を伴って出かける。

で、小川が写真を撮影するのだが、小川一眞出版部などあるのには驚く。

分離派建築会を築いた堀口は「写真集」という形で記録を作った嚆矢とあげられる。

ここでハナヤ勘兵衛なる珍しい名前の写真家をきく。

本名は桑田和雄でフォトモンタージュの技法を使ったらしい。

美術館の二階に上がると広島の建造物についてだとかあれこれあって、伊勢神宮と桂離宮がクローズアップされる。

伊勢神宮は社を撮影することを許されたのは戦後になってからだ。

二十年に一度「式年遷宮」が行われるが、写真家渡辺義雄は、新しいほうの建物を撮影するという条件で許可を得て、生涯で三度撮影したという。

桂離宮を取り上げたのは写真家石元泰博だ。

シカゴで身につけたバウハウス的感覚で石元はモダンデザインを離宮の中に求める。

そこのところはカタログの石元自身の筆に詳しい。

最後は冒頭に挙げた「せんだいメディアテーク」などの現代写真だ。

この施設は伊東豊雄によるもので、伊東のオペラシティでの展覧会の記憶も新しい。

で、それを撮影したのは畠山直哉、畠山は‘UNDER CONSTRUCTION‘と題してこの施設が出来上がるまでを膨大なフィルムに収める、その一部は会場でビデオ上映される。

「写真」を主体に観るのもよし、「建築」を主体に観るのもよし、楽しめる展覧会だ。

展示替えがあるので、カタログは三千円と高いが必要だろう。

美術館を出て庭園を散策、春の足音が聞こえるいい一日だった。


サイトご案内

2008-03-07 21:57:54 | アート・文化

さて西洋美術館の「ウルビーノのヴィーナス」にいってきましてその感想も書きたいのですがーJuneさんチケットありがとうございますーなかなか頭の中で整理できないのと疲れているのとで後日に回して、今日は「美術館.com」というサイトを紹介しましょう。

チケットプレゼントもありますが、なぜどのサイトや雑誌も同じような美術館のチケットばかりプレゼント対象にするのだろうか?

ちなみにヴィーナス展は今のところガラガラです。

http://www.bijutsukann.com


「余白」との格闘

2008-03-04 21:51:58 | インポート

描かれているのは鳥ばかり、あとは余白、単純といったら単純極まりない作品ばかりだ。

しかしこの画家が鳥を自宅で1600羽も飼っており、画家自身「鳥は私の化身です」といっていることと、「余白の表現」に長い間苦しんだということで鳥と余白、それがこの画家の人生を象徴している。

上村淳之、偉大なる上村松園を祖母に持ち、父はこれまた有名な上村松篁、画家の道に進むのが当然とも思われるが実は建築家を目指して上京したのだという、しかし絵のない生活に耐えられずにやはり画家になることにしたのだそうだ。

その回顧展が日本橋三越で始まったので観にゆく。フランスで行われた展覧会の帰国展だ。

余白の表現に苦しんでいた淳之、言い換えれば「余白の中にリアリティある空間を描き上げることができず、単なる空虚な空間にすぎないのではないかとの疑念を常に抱いていた」画家はある時朝もやの中に水の張られた一枚の田が美しく光り、そこに三羽の鳥がたたずんでいた、水と鳥と大気が一つに溶け合い何と美しい空間かと思い一気に描き上げたという。

それが作品「晨」、1974である。

画家はその時余白の表現はこれでいいのではと思ったという。

あと忘れてはいけないのが白鷹だ。

父親が晩年描きたいと言い続け、狩野派の絵に登場するから絶対にいるはずだといっても、純粋な白鷹は見つからない、それでロシアから輸入したのだという。

しかし父親は結局白鷹を描くことなく亡くなってしまった、画家にとって白鷹を描くことはおそらく父親へのオマージュとなったのだろう。

出品作品は少ないが一つ一つ観ていくとなかなか興味深い。

このあと福岡と名古屋の三越に巡回します。


同じ三百円でも

2008-03-01 22:04:03 | アート・文化

「月刊ギャラリー」は毎月一日が発売日だが今日本屋に並んでいなかった、どうしたのだろう?

この雑誌というか本で僕が面白いのは読者モニターによる展覧会ベストワーストのランク付けだ。

先月号では渋谷の松濤美術館の「上海」がワースト一位になっていた、どうやら頻繁な展示変えが悪評の原因のようだ。

しかし入館料三百円で文句言うのもどうかと思う。

それなら同じ三百円で今開催の八王子市夢美術館の「城所祥」展はどんな評価を得るだろうか。

松濤の展覧会は一つ一つ解説がキチンとついていた、八王子のは一切なし、ただ版画がずらっと並ぶー。

独学で版画をマスターした人のようで、大学も父親の家業を継ぐつもりで早稲田の商学部へ行ったという。

しかし版画の作風はころころと変わる。

はじめは抽象だ、「Horizon,Vermilion」とかいかにも抽象らしい。

それが数多くの国際公募展に応募するようになると具象も加わってくる。

そして「確かなものに触れる必要」を感じて具象へと回帰する。

画家が手掛かりにしたのがリンゴだ、リンゴの絵が数多く描かれる。

そしてそれまで重要視していなかったモチーフの背景を考慮に入れるようになり写実へと移る。

作風がこうも変遷するのは特定の師匠を持たなかったからではと会場にあったが、まあこの画家の苦悩はうかがえる展示だ。

以上は板目木版画だが、この版画家は木口木版画もやり、詩人三好豊一郎と木口木版画詩集「黙示」をあらわしたり、山の文芸誌「アルプ」に作品を提供するなど知る人ぞ知る版画家だったのだろう。

しかし城所が亡くなり二十年たってやっと地元八王子で初の大規模回顧展が開かれるとチラシにあるようにどうにも地味な印象はつきまとう。

本日は展示解説ボランティアがいますのでお気軽に声をおかけくださいなどとあったが、いかにもこちらに寄ってきて静かな鑑賞を妨げそうなボランティアは僕にとって迷惑な存在。

やはり同じ三百円なら僕は松濤のほうがいい。

「月刊ギャラリー」はいつ発売するのだろう?