「再生」を図ったはずではなかったか。
企画展示室を二つに増やし、いわゆる常設展示は「アートギャラリー」として無料にして、落ち込むばかりの入館者を何とか取り戻そうとー。
川崎市市民ミュージアムである。
「ブルーノ・ムナーリのアートと遊ぼう」の招待券が入ったのでどう変わったか観に行ったがだめなものはダメ、何も変わりはしない。
まずこの企画展示からして「みて さわって たのしんで」と副題がついてはいるが「展示品に触れないでください」の注意書きあちこち。
ブルーノ・ムナーリについては、昨年板橋区立美術館で展覧会が開かれカタログを購入したぼくはある程度知っている、しかしここ川崎の展示のようにただ作品を並べただけでは何も分からないし解説の文字も小さすぎる。
どうやら1985にムナーリが来日したとき、「こどもの城」でのワークショップに範を受けて作った展示のようだが、ビデオを観るにも椅子がなく、子供が二三人遊んでいるだけ、あとは愛想の悪い監視員がこちらをずっとみている。
ばかばかしくなって展示室を出て常設展示「顔」を観るが、これまた無料というのに人がまったくいない。
内容は企画展示と同じくただ並べただけ。
一応説明しよう。
北野謙作品がよろしい、複数の人々の顔ーたとえば新潟アルビレックスチアリーディングチアリーダー17名ーを一枚のプリントに重ね合わせてプリントし独特の肖像写真を作り出すことに成功している。
「生命」を意味するVIVOの写真家ー1959、奈良原一高や東松照明といった六人の若い写真家によって作られたグループーの作品からは佐藤明と細江英公の写真が出ている。これもなかなか魅せる。
小原健「ONE」シリーズもある。
1970発表した当時はまるで犯罪者の写真かと物議をかもしたらしい。
こうやって一つ一つは観るべき点もあるがただずらーと並べただけではどうしようもない。
おそらく近いうちにこの美術館は閉鎖するだろう。
次回の企画展示は「人間国宝 濱田庄司」、つぶれない前にみておかねば。
ダメ人間の拠り所みたいな存在に 美術館が されてしまうこと、
たまらなくイヤですよね。
こまりますね。
つぶすのなら有効に発展的につぶしてほしい(泣)
ほんとに困る、そういう美術館、迷惑ですよね。
美術好きや美術家が ただのごくつぶし扱いされてしまう土壌を
彼らが作っているのでは・・?
って きっと美大生が嘆くと思います。ほんとに。
あとにもさきにも、大音量のカラオケを聴きながら作品を見たのはここだけです。
ムナーリで板橋を挙げておられますが、あちらも同じく駅からのアプローチに難があるものの、その運営力には天地の差がありそうですね。
美術館も完全に二極化が進んでいますね。
要はお客様のこと考えている美術館とそうでない美術館と。
はろるどさんも評価されておられる板橋は今はネットの力がありますから、そのよさがだんだん皆さんに浸透しつつある。
反して川崎や目黒はなにやりたいのかまつたくみえない。
川崎も館長ブログ作ったり努力しているとは思うのですがこちらに全然伝わらない。
川崎は当時の市長が「道楽で作った」といって批判をあびたんですよ。
実際アクセスはうちからだと二子玉川へ出てタクシー使えばすぐなのです、それが川崎駅からだと50分かかる。
もう再生は無理という気がします、鮎さんが言われるように跡地を効果利用してほしいですね。
だいたい 画期的な行動を取る一部コンテンポラリーな働き者たちの層と、
困ったぶら下がり意識のお荷物層に 分かれますよね?
そんな想像を してしまいます…、すみません。
確かに川崎はマンガ、ポスター、写真の収集に熱心でしたが、それが一般的に考えられている美術館というカテゴリーの中では異質なものであることは言をまたないでしょう。
歴史資料も同じで、それは郷土資料館の役割でいわゆる美術館が紹介するのには難があるといえる。
開館当時は存じませんが、一般的な人々の期待するミュージアムとここの目指したものの乖離があまりに大きくアクセスの悪さも相まって訪れる人が減少したのではないでしょうか。
映画の上映会は今でも行われているようですが、古めかしい映画ばかりだと若い人が来ない、一部のそういう方面が好きな年輩のたまり場のような施設に変貌しているように思えます。
http://www.kanshin.com/keyword/1335122
そのように考えると、市民ミュージアムの問題は、初志貫徹できずにその場しのぎの運営に埋没して行ったこと。ポイントは、館運営のマネージメント(民間会社の企画と営業担当)ではなかったかと思います。