一週間ほど体調不良で美術館から遠ざかっていた。
さて再開はどこからにするかと考えて、やはり岡本太郎にしようと川崎市岡本太郎美術館へ。
今の企画展示は「「藝術風土記」-岡本太郎が見た50年前の日本」だ。
岡本は1957年に「藝術新潮」連載のため日本各地を旅して写真をとった。
そのため他の仕事ができなくなってしまい、連載は未完に終わったというべきだが、岡本の写真を眺めるのはこれまた面白い。
岡本の写真の特徴は日本の原始性と、写真が図らずもひとつの日本文化論になっているところにあると思う。
岡本がまず取り上げたのは秋田だ、なぜならなまはげに魅せられたからだという。
そうかと思えば村上善男の推薦で岩手に行って「鹿踊り」を見て「すっかりうれしく」なる。
そしてこう推理する、これは縄文文化人が鹿肉を常食にしていたころからの儀礼的伝統でアイヌの熊祭りと同じだと。
こうなるとこれは岡本太郎独特の世界で常人にはついていけなくなる。
日本文化論というのはこうだ。
岡本は長崎で「恐るべき混乱」「空虚」さを見出す。
それを突き詰めていくと日本がヨーロッパの文化を吸収した「混乱」を思うのだ。
京都でもありきたりの神社仏閣をとりあげたりしない。
岡本の眼は「友禅」と「お茶」に注がれる。
そして日本文化の特徴を「抽象性」に求めるのだ、お茶の所作のような抽象化された営みこそ日本文化の良いところだと。
そのほか出雲にも行き、大阪へも行き、四国へも行った。
「武蔵野」は取材はしたがついぞかかれなかった、岡本の疲労も限界に達したのだ。
そしてこの連載が終わってから岡本は沖縄と出会う、何もないところの神聖さにぶつかるのだが、それはこの展覧会の範疇を超えている。