やはり自分のブログにスムーズにアクセスできない。昨夜は、結局10回ほどログインをクリックしたのだが、「ページが表示されません」ばかり。
せっかく投稿しようとしたが、あきらめ。
どうもアクセスは、特に夜つながりにくくなる。
他のブログやHPはスムーズにアクセスできるのだが、自分のブログばかり・・・。
というわけで、昨夜書き込もうとしたものを今投稿します。
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今日は、久しぶりに中村紘子のLPを聞いた。
前にも書いたように、http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20060930
昔のレコードの音源は、情報量も多く、いい音をびっくりするくらい今でも聞かせてくれる。
そんなわけで、いつもながら、ボリュームを大きくし、リストのピアノソロを十分聞く。
ラ・カンパネラの録音なんか、さびの部分でフル音圧。フォノカートリッジの限界を試しているかのように、ピークレベルを超えて、Laxmn M-3000のレベルの針は最大限になる。(ただし、-15デシベルゲインしてあり、つまり、逆に、針の振りを敏感にしているので、針の振りが大きくなる。M-3000の能力は、こんなものではない。フルボリュームにすると、きっとスピーカーから煙が出てくると思う。)
それにしても、中村紘子は、大学時代大変好きだった。コンサートにも何度か行った。美人のピアニストであるとともに、知る人ぞ知る(?)、庄司 薫の妻でもある。
「しょうじ かおる」といっても、今の若者には聞いたことがない作家かもしれない。
皆さん知っている方がいるだろうか。
私が中学生のとき、1971、2年頃、NHKで、「白鳥の歌は聞こえない」というドラマをやっていた。確か、午後9時30分から、ニュースの後だと思う。
記憶は定かでないが、その前に映画でやっていたのを、NHKがドラマ化したと思う。その原作者が、庄司薫である。
そのときは、原作本を見る前に、このドラマを見て、その主人公の、仁科明子(今は紆余曲折してほかの当て字になっている・・・。これはとても残念)に憧れ、欠かさず見ていた。
その後、この作者が、庄司薫と知り、それからは、片っ端から、彼の本を集めた。
過去にも書いたが、一度好きになった作家は、すべて集めなければ気がすまない。
http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20060617
とはいっても、彼は、結構変わり者。大学時代、デビュー作の「喪失」で中央公論新人賞を取ったと思ったら、即休業し、その10年後、今度は再デビューをした「赤頭巾ちゃん気をつけて」でいきなり芥川賞を取った作家。その後もマイペースで、赤、黒、白、青の文字を取り入れた4部作を書き終え後は、3冊のエッセイなどを書いたが、その後目立つ活動もなく(?)、今何しているか分からない。
この破天荒な執筆活動と、でも、当時若者の心をゆする作風で、結構若者に人気があったように思う。
彼の本をかき集めた結果は、最後の、「ぼくが猫語を話せるわけ」までの8冊を買っただけで済んだ。
話は尽きない。仁科明子のことは、もう、このドラマのときからの憧れ。いつの間に人生のレールを踏み外したのか。あんな、純真無垢そのものといった感じであった彼女であったが。むしろそれゆえ、一途に走っていったのか・・・。いずれにしても人生の生き様を垣間見せてくれた彼女であった。
彼女が、M方ヒデキの下へと走って行った話を聞いたのが、大学時代、アルバイトの帰りにいつも行く新宿ゴールデン街のスナック(いまは残念ながらない。)のママからであった。
突然のママからの話に、頭をガツンと叩かれたようで、その夜は、ママに絡んで、深酒をしたように記憶している。
また、このママがとてもいい人で・・・と、これを書き始めると長くなるのでそれはまたの機会として、とにもかくにも、仁科明子の生き方をそのときは、素直に認め、人生の複雑さを大学生ながら、知ったものであった。
中村紘子のLPを聴いただけで、こんなに言いたいことが、湧き出してくる。
整理すると(整理も何もないのだが)、
今日、中村紘子のLPを聴いた。
美人の中村紘子のピアノ、容姿が好きだった。
この中村紘子のご主人が庄司薫である。
その庄司薫の原作をドラマ化した番組が、数十年前中学の時NHKでやっていた。
庄司薫の小説が好きになり刊行本をすべて買った。
そのドラマの主人公の仁科明子にあこがれていた。
その仁科明子は人生を遠回りした。
その遠回りを新宿のスナックのままから聞いてがっかりした。
そして、今、中村紘子のレコードを聞いて、改めてLPレコードの音質に感動している。
たしかその当時、売り上げが新記録だったんじゃないでしょうか?
(ミシガンより)