温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2019 長年お世話になった魚屋の女将さんの逝去

2019-04-12 07:33:04 | 日記・エッセイ・コラム
今も毎晩の晩酌に刺し身は欠かせない。
それを長年支えて(!?)くれていた牧之原市役所近所の「魚浅」が閉店してかれこれ5年経つ。

https://blog.goo.ne.jp/oishi21/e/17ad613565cf35110612865065e931da

市役所勤務以来、帰りの一杯に、また晩酌の刺し身に、結局退職する間際まで週に数回は顔を出していた。

この魚浅は、表は魚屋と酒屋だが、裏にはテーブルを並べ刺し身と名物おでん、乾き物のみを出す飲み屋をやっていた。毎晩のように常連客が定位置につくとともに、一般客もその同じテーブルで飲み始める。

また、オヤジさんがソフトボールが好きで、この魚浅を縁としたクラブチームを作って、チームは市のトップリーグで活躍していた。

そんな魚浅を支えていた女将さんは、最盛期の時は、2階の宴会場を切り盛りし、また、1階の常連客までも手なずける(!?)常に頑張り屋の裏方だった。

そんな女将さんが、先般亡くなった。
実は、魚浅の閉店も、オヤジさんの体力の低下とともに、女将さんの病気もからみ、オヤジさんが決心。
閉店してからの5年間は、オヤジさんはおかみさんを看護し続けていた。

実は、今月初めにちょうど市役所でオヤジさんとばったり会った。
その時私から思わず女将さんは・・・?と聞くが、もう介護状態で特別養護施設に入っているとの話を聞いたばかり。
でもその時は、施設でかんばっているとの様子を聞き一安心していたが、それから1週間もしないうちに残念なこととなった。

今日告別式。
私の役場から市役所に続く勤務の中で、大げさかもしれないが帰りに寄って帰ることが習慣となっていた魚屋のいつも顔を合わせていた女将さんの逝去は、5年前の閉店をさらに後押しするように、私の人生の過去のいい思い出をまた一つ遠ざけようとする・・・。

これから、こんなことが幾度となくめぐってくるだろう・・・。




コメント
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