今度の同窓会で、様々な理由で地元から都会に移り住み、その努力で確固たる経済力と、家族と、マイライフを築き上げた同窓生が久しぶりに集う。
おそらく地元に残る私たちは、WELL COMEのご招待役。
だから、せっかくの楽しい同窓会の席で、その一人ひとりに、故郷の良さと老後の身の置き方を考えることをウダウダ言うことは慎むべきであることは重々承知。
しかし、私自身の今の状況を考えれば、今の地元にいろんなご縁があることをありがたく思いながらこの地にいることの幸福感と今後のなんとなく想定できる人生設計を語りたい。
たとえば、数百年と続く先祖代々の位牌の集団に、私の親父の位牌が寄り添うように置かれている菩提寺や、今でも県内有数の伝統校として毎日勤務先の窓から見る母校榛原高校の校庭など、かつての生活や青春の原点に、ここにいればいつでも戻ることができる。
おそらく定年までもうわずかな都会の連中には、望郷の想いを今少なからず感じているのではないだろうか・・・。
そんな連中に、今すぐに田舎に戻ってこいとは決して言えない。
おそらく、東南海地震の震源域である牧之原市の事情を報道などで伝えられている同窓生には、そんな危険な故郷だったとはと、驚いているかもしれない。
だから、地元への望郷はあっても、帰郷への考えはないかもしれない。
今の牧之原市は、東南海地震を想定した地震や津波からの防災対策を進めているところで、これがあと数年かかる。
しかし、その整備が終了すれば、数百年に一度の地震と津波からは対応できる。
これからの防災対策整備や、人が移り住む定住・移住促進の都市建設計画を打ち出し、牧之原市が今後いかに安全安心かつ、市民と市が一体になった街づくりを進めていくかを伝えれば、もしかしたら、おそらく百人以上集まるこの同窓生は、日ごろ故郷の仲間や、いやむしろ残した両親などを再考し、古巣への帰巣本能(⁉)を刺激するかもしれない。
もしかして、今私たちが60才を迎える節目の同窓会で、都会の連中は故郷を思う気持ちをわずかながらも持ち寄るのかもしれない。
しかしあえて言えば、行動はまだまだ先のことと考えるかもしれないが、ご両親が、そして本人が足腰立たなくなってからふるさとを思い始めるのはいささか遅すぎ。
今や、定年退職後早々に、今まで都会で培っていたそのノウハウを、自分が動ける時に地元に帰り、その技術をかつての生まれ育った地域に伝播する、いわゆる日本版CCRCを実戦するときである。
そして、その地域のレベルを高めるとともに、ご本人は、自然の中で、自分を取り戻し、なおかつ地域とともに豊かに老後を送る。
これをやれば、人生は生きがいを持ち、健康に、最後はぴんぴんころりの理想的な死に方ができる。
しかも自分が生まれ育った故郷で。
おそらく今人生バリバリの60歳を前にした都会の連中にこんな話をしても、横にいるかつてのあこがれのマドンナとの会話のほうがそりゃあよっぽど楽しい。
しゃしゃり出ることはできないが、なんとか故郷の甘酸っぱいエッセンスでも、都会から来た同窓生の連中の心にしみこませればと、ひそかに秘策を練るのであるが・・・。
おそらく地元に残る私たちは、WELL COMEのご招待役。
だから、せっかくの楽しい同窓会の席で、その一人ひとりに、故郷の良さと老後の身の置き方を考えることをウダウダ言うことは慎むべきであることは重々承知。
しかし、私自身の今の状況を考えれば、今の地元にいろんなご縁があることをありがたく思いながらこの地にいることの幸福感と今後のなんとなく想定できる人生設計を語りたい。
たとえば、数百年と続く先祖代々の位牌の集団に、私の親父の位牌が寄り添うように置かれている菩提寺や、今でも県内有数の伝統校として毎日勤務先の窓から見る母校榛原高校の校庭など、かつての生活や青春の原点に、ここにいればいつでも戻ることができる。
おそらく定年までもうわずかな都会の連中には、望郷の想いを今少なからず感じているのではないだろうか・・・。
そんな連中に、今すぐに田舎に戻ってこいとは決して言えない。
おそらく、東南海地震の震源域である牧之原市の事情を報道などで伝えられている同窓生には、そんな危険な故郷だったとはと、驚いているかもしれない。
だから、地元への望郷はあっても、帰郷への考えはないかもしれない。
今の牧之原市は、東南海地震を想定した地震や津波からの防災対策を進めているところで、これがあと数年かかる。
しかし、その整備が終了すれば、数百年に一度の地震と津波からは対応できる。
これからの防災対策整備や、人が移り住む定住・移住促進の都市建設計画を打ち出し、牧之原市が今後いかに安全安心かつ、市民と市が一体になった街づくりを進めていくかを伝えれば、もしかしたら、おそらく百人以上集まるこの同窓生は、日ごろ故郷の仲間や、いやむしろ残した両親などを再考し、古巣への帰巣本能(⁉)を刺激するかもしれない。
もしかして、今私たちが60才を迎える節目の同窓会で、都会の連中は故郷を思う気持ちをわずかながらも持ち寄るのかもしれない。
しかしあえて言えば、行動はまだまだ先のことと考えるかもしれないが、ご両親が、そして本人が足腰立たなくなってからふるさとを思い始めるのはいささか遅すぎ。
今や、定年退職後早々に、今まで都会で培っていたそのノウハウを、自分が動ける時に地元に帰り、その技術をかつての生まれ育った地域に伝播する、いわゆる日本版CCRCを実戦するときである。
そして、その地域のレベルを高めるとともに、ご本人は、自然の中で、自分を取り戻し、なおかつ地域とともに豊かに老後を送る。
これをやれば、人生は生きがいを持ち、健康に、最後はぴんぴんころりの理想的な死に方ができる。
しかも自分が生まれ育った故郷で。
おそらく今人生バリバリの60歳を前にした都会の連中にこんな話をしても、横にいるかつてのあこがれのマドンナとの会話のほうがそりゃあよっぽど楽しい。
しゃしゃり出ることはできないが、なんとか故郷の甘酸っぱいエッセンスでも、都会から来た同窓生の連中の心にしみこませればと、ひそかに秘策を練るのであるが・・・。