温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2015Rick死ぬ

2015-07-18 22:11:18 | ペット
今日の話題は、3つ。
しかも、3つとも、私の今後の思い出として残る楽しい、一方逆の悲しい出来事が1日のうちに一気に訪れる、2年前から悩むパターン(!?)
そのパターンの最初は、2013年4月6日、くしくもオヤジ①静之助の3回忌の法事と②孫の出産と③前代未聞の集中豪雨で床下浸水を一日のうちに矢継ぎ早に体験した日。

その時の記憶で、もう一生4月6日は忘れられない、もうそんな一度に大事な事象が一日のうちに集中することはないと思っていた。

ところが、今日、またうれしさと悲しさの出来事が集中。
おめでたい市の津波避難タワー2か所の完工式と、これは娘夫婦の代役で、一番うれしい孫のお守りの細江保育園夕涼み会にいく。
ここまではよかったのだが、3つ目があった。

Rickが今日午後2時半死んだ。

今年に入って、後ろの足と腰が自由にならず、いわゆる要介護の状態となっていた。
しかし、食欲は旺盛なので半年を過ぎた今後でも、まだまだ生きながらえると思っていたが、このところ2日間ほど食事や飲み物などを受付けなくなっていた。

それでも、昨日は水分と栄養の補給をと獣医に見せ点滴を打ったが、その甲斐なく死んでいった。

そんな楽しさと悲しさが一日に集中する悪いパターンの2回目。

Rickは、審判の先輩のところで12匹の兄弟とともに生まれた。
12匹のうちの1匹を選ぶ時に、その当時中学生であった娘が、ゲージの中に固まっていた子犬の中から、瞬間目があったということで即Rickを選ぶ。

そんなRickとの縁の発端ではあるが、最後の別れの時も娘が絡む。
私たちが今日の2時過ぎまで弱くなっていたRickを看てはいたが、特に変化がなかった。
ただ娘が中学時代の友人の結婚式で,子ども(私にとっては孫)を私の家に預けに来たときRickの様子を見て、安心して結婚式に向かった。

その時、普段は開かない右目をも見開き、娘を見ていた。

ところが、娘がいなくなった時から急転直下(!?)
Rickは、最後に会わなけれなならない娘(最初にRickを選んでくれた恩人!?)にあうまで頑張りとおしその願いがかない、安心して逝ったようだ。

とにかく、午前中の仕事の上でのタワー完工式は無事に済んだが、その後の孫の夕涼み会とRickの死亡は同時。
汗をかきながら、孫をあやしながらRickの火葬の予約をするなど、一気にめまぐるしくなり、女房は保冷の用意。そして、最初じいばあで行こうとしていた夕涼み会を私だけで。

園庭の状態が悪かったのでホールで行われた夕涼み会は、その時は冷房が効いて快適であったが、たったかき氷1個を買うために荷物とぐずり始めた孫を両手に抱きかかえ、暑い園庭に汗だくだくで1時間待ち並び、挙句の果てに、園の行事なのでかき氷はただか、せいぜい100円ぐらいだと思ったら、なんと、普通の商売、いや、普通の祭の板店と同じぼったくり。

今は娘と孫も帰り、Rickを囲み女房と落ち着く。

今は悲しみがないが、きっとこの後ふっと淋しくなる時があるだろう。

その時は、このブログで、吐露させていただくことに。

取り急ぎ、ご報告を。


コメント (1)
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