温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2014悲しい出来事、鮮魚「魚浅」閉店

2014-07-22 22:55:42 | 日記・エッセイ・コラム

今日、いつもながらの帰り道、いつもの晩酌のつまみの刺し身を買いに、いつもの魚浅へ。
と、いつものガラスだがいつもとはは違うオヤジ直筆のチラシが貼ってあった。
なにか特売セールでもやるのかと思ってのぞいたら、書き出しが、「お引き立て及びご愛顧頂きまことにありがとうございました」の口上。
もしやと思い、その後を続けて読むと、8月末日の朱文字。
いよいよかと思い、店に入るなり、オヤジの顔。
いよいよ決断したねというと、これを書いていて、涙が出てきたよと漏らす。

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学校卒業後、ひたすら60年。前代からというと70数年になるという。
そんな鮮魚店が、また一つ消える。
先ごろ別棟の倉庫にある大型冷凍庫が壊れ、古いものなので補修の部品もないとのことで、冷蔵庫を大きく投資して新たに買い替え店を続けるか、それともちょうど引き際とするかと考えていると言っていた。
そこで、閉店と決断したのだろう。
魚浅のオヤジさんはもう70歳の後半。
この頃オヤジさんは、ひざの痛みから人工関節を入れ、そんな痛い思いをしてまでも膝を治したので、まだ当分店は続けるのだろうと思った。
いつも新鮮でおいしい素材を提供するので、店の顧客は結構ある。
もちろん、店の裏では、私も若いころ毎日のように職場の帰りには立ち寄っていた近所の常連客でにぎわう一杯飲み屋が続く。
いわば、この地区の一番のコミュニケーションの場が魚浅である。
聞けば、今回たたむのは鮮魚部分。
飲み屋と酒販売部分は継続するという。
でも、そんな魚浅の刺し身が毎日食えなくなれば、だいぶ影響が出る。
そしてその一番の影響は、私ではないのか・・・!!??
私は平日毎日職場の帰りに魚浅による。
どんなに残業で遅くなっても、もちろんシャッターが閉まっているが、裏から入り、いつもの刺し身を買う。
店の冷蔵ケースはとっくに鮮魚が片付けられ空になっているが、奥の冷蔵庫からしっかりと袋に入れてくれた刺し身を用意してくれている。
でも、時には、出張や深夜の残業もあり、そんなときは魚浅に寄れない。
でも、きっと私のいつもの刺し身を冷蔵庫にしまってくれているのだろう。
こちらもいちいち、今日は出張とか、残業とかで寄れないとは連絡しない。
とにかく、魚浅はもう終了する。
困ったのは私なのだ。
だだっ広い荒野に突然置いてきぼりになった気分。
魚浅終了後私の晩酌のつまみはどう調達すればいいの?
相良の勤務なら、もちろんカツオの刺し身がおいしい相良の魚仙金原さんに立ち寄るが、今は榛原勤務。
魚浅のマグロに勝る近隣の鮮魚屋さんを知らない。
今から開拓といっても、もうすべて調査済み。
もちろん、スーパーの刺し身を買う気は毛頭ない。
これは自己中かもしれないが、今の職場の隣にあり、暑気払い、忘年会新年会、歓送迎会、あるいは駅伝大会の慰労会などありとあらゆる機会に利用した魚浅の宴会場の思い出とともに、私の定年までのあと2年は何とか継続してもらいたかった。
そうすれば、定年の満了とともに、魚浅の歴史もちょうど終わり、毎日の帰りの晩酌のつまみを買い求めることも必要なくなってちょうどいいのだが・・・。
夏は暑く、冬は暖房を入れられない冷たい店の奥で、60数年間お疲れ様でした。
でも、わずかな救いは、裏の一杯処を続けるということ。
仕事の帰り立ち寄ればいい。
魚浅が全くなくなるわけではないことが、せめてもの慰め。
オヤジさん、お袋さんお疲れ様でした。

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コメント
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