温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2013バンド活動危うし(!?)No5

2013-04-10 20:53:04 | おやじバンド

それにしても、2013年4月6日という日は、私にとっておそらく忘れられない日の一つになるだろう。
実はこの日、親父の3回忌であった。
親父が逝ってからもう2年経つ。早いものである。
この3回忌を過ぎれば、しばらくは親戚が集まることもなくなるだろうと、少し早めに日程を決め準備していた。
ところが、前日5日になり、本来は18日が出産予定日であった娘が、2週間も早く破水。
連絡を受けたときは驚くとともに、初産と言うことで心配であった。
娘はそのまま入院。
陣痛の間隔はまだ長いようなので、すぐの出産とはならないようだが、場合によっては、もしかして、3回忌と同日に出産と言うことも考えられてきた。
そして、折から風が次第に強くなり、予報では、台風並みの低気圧が吹き荒れるとのこと。
おいおい、出産、3回忌、荒天が一度に来るのかよぉ・・・!?
そうは言っても、この中で一番気になるのは出産、しかも吉事。
もう心は浮ついて後のことはそぞろに、のんきに構えていた。(この辺りが危機意識が薄れた原因か・・・!?)
できれば、5日に生んでほしかったが兆候が見られず、6日の朝になって促進剤を投入。
こうなると、6日中には出産となる。
本来であれば、3回忌には、娘と娘婿も出る予定であったがそれどころではない。
できれば、午後3時からの3回忌前に生まれ、吉報とともに娘婿が親族の前に来れば最高だが・・・。
ところが、世の中そう思うようにはなかなかいかない。
しかし、どうも後々考えれば、この日は、物事が重ならずにしっかりと一つの時系列(!?)で事が進んでいったような気がする。
午前10時頃、陣痛の間隔が短くなってきたので授産室に入ると娘婿からの連絡。
出産が早まったので、借りることとなっていたベビーベッドを急きょ朝一番でいとこの娘夫婦のアパートに取りに行く。
そのベッドを積んだまま病院へ。
しばらく病院にいたが、まだ生まれそうもなく家に戻る。
3回忌は、お寺でやるが、後座は自宅なので、その準備をしていたらぼちぼち親族が集まりだす。
親父の3回忌の午後3時近くになっても連絡はない。
これは、長期戦か、と思いお寺へ。
ちょうど30分ほどの3回忌のお経が終わったお堂に、分娩室に入ったとの連絡。
自宅に戻り、4時から仕出し料理と飲み物を前に、親族と話し始める。
ただし、雨が強くなり、また出産も控えているのでアルコールは入れずにただお茶ばかり。
親族それぞれも、帰りの足は車なので、お茶を飲みながら出産の報を待っていた。
しかし、待っているとなかなかこない吉報。
そのうち川根本町からの叔父が雨と帰りの時間を考えちょうど5時、帰ると腰を上げる。
これにつられたように、他の親族も腰を上げる。
とその時、生まれたと娘婿から携帯が入る。
ちょうど、玄関を出ようとする親族に向かって、思わず生まれたと大きな声。
みんなも安堵の顔で、それぞれに帰っていった。
それからは、さっそく病院へ。
しかし、病院に着いて分かったが、分娩後2時間は分娩室から出られない。
外を見れば、この時期としては異常なくらい強い雨。
これは、職場から非常招集がかかるなと思いながら、その前には娘と子どもの顔を見たいと思っていた。
そして非常招集のメール。
ちょうどその時娘が病室に車椅子で戻ってきた。
だいぶ難産であった娘の顔を見て、ただただ良く頑張ったと声を掛けるしかない。
子どもは、少し弱っていて、保育器に入れられることとなり子どもの顔は見ることができなかった。(2日後には出て今は元気でいるが。)
でも、まずは一安心して、そのまま病院から職場へ。
その後は、職場であわただしい災害対策をしている一方、自宅がその渦中に・・・。
とにかくこの日は、親父の3回忌が終わって娘の出産の連絡が入り、そのうち大雨の被害と、終日分単位の行動であったが、それが流れるように(!?)順調に進んでいったのは不思議である。
これは考えすぎかもしれないが、一度に訪れようとした事象を、親父がうまく振り分けてくれたのかもしれない。

コメント (2)
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