明日は、静岡県立吉田高校の入学式。
そして、来年廃校となる吉田高校の最後の入学式である。
学校というものは、永遠にあり続けるものと思っていた。
そして、50周年、100周年、200周年と、その時の生徒や関係者が、創立以来の歴史を振り返り、過去の卒業生の功績をたたえながら、この後も母校は永遠なれと、校歌を高らかに謳いあげる。
それが小学校であろうとも、中学高校であろうとも・・・。
ところが、少子化のために、今の数の高校はいらないと高校を統廃合し合理化(!?)。
こんな時代が来るとは・・・。
数と合理化の論理で2校を1校にすることは、経費削減、効率性からは、いたしかたないと納得するかもしれない。
しかし、私は、数と合理性だけでは結論付けられない、大事なものを見落としているように思ってならない。
今の少子化がさらに進み、また都市と地方の格差が歴然と隔たる状況において、若者の地元離れは深刻。
地元で生まれ育った若者は、地元に残る、あるいは一旦は都会に出て行けども、いつかは帰ってこなければ、地元は高齢化が進む一方。
地元の活性は、若者なしでは成し遂げられない。
しかし、現状都会の空気がおいしいのか、若者の地元離れは深刻。
この現象を食い止めるためには、小さい時からの生まれ育った地元への愛着心の醸成が必要。
高校というものは、高校野球で地元が盛り上がることから分かるように、高校と地元は一体である。
しかし、そんな地元の高校が廃校となり仕方なく他の市町の高校に通うこととなれば、少なくとも高校3年間で本来なら養われる地元を思う心の醸成が鈍り、さらに、大学進学で東京など各地へ分散すれば、さらに地元を思う気持ちは遠ざかる。
このことを言いかえると、高校から既に地元を離れ、大学もさらに遠くの都市へ行けば、地元を想う心は育たないばかりか、子どもの時に醸成した心も、次第に薄れていくこととなるのである。
これが意味することは、例えば、年に1度の祭で神輿を担ぐのは、年々一つずつ歳を取っていく、地元に残っている壮年層。
また、子ども屋台を曳くのも、数少ない子ども達では力不足なので、大人の力を借りる。
地元の高校というものは、単に通学が楽とか、地元を活性するとかというばかりでなく、地元に対する愛着心を育て、将来地元を支える若者を育成するという重要な使命を担っているのである。
明日の入学式では、新入生の全てに、心から言いたい。
絶対に、将来地元に帰ってきて、地元を盛り上げるんだぞ!と。
N藤氏からコメント。
「今週の土曜日、焼津のお店(M野さんのお姉さんが経営?)で、打ち上げ懇親会開催!
数ヶ月ぶりの帰省となるが、今後の選曲というかレパートリーを広げて参りますから。
でも、酔っ払って曲を覚えてないかも(///∇///)
当日、都合のつく方、奮って参加を!」
残念ですが、親父の3回忌で欠席。
でも、他のみなさん集まって、日ごろのストレスを発散してください。
そういえば、昨日アルデンテS山氏が、氏の上司と一緒に私の職場に新年度のあいさつにきた折、私のところにも寄ってくれた。
どうやら課長さんに昇格したようだ。
おめでとうございます。
彼の仕事は、地域の農業基盤のハード面での事業団体。
だから、扱う予算は億単位で、今年もいくつかの大きな仕事を抱えているようだ。
仕事も一生懸命、その傍らおやじバンドも一生懸命で、がんばりましょう。
毎日何とかギターを弾いているようだ。
また、弾き語りのスナックに時々行っては、語っているようだ。
茶レンジの次の目標が早く決まれば、また練習再開。
それまでは、皆さん自主錬で腕を鈍らせないように。