今日のBSで阿久 悠を久しぶりに見た。
彼は作詞家で、一時期、そう、私が大学の時期、歌謡界を席巻していた。
彼の詞は、出す曲すべてヒット作となる、作詞のヒットメーカーであった。
しかも、演歌から最先端ポップスまで、幅広く作詞活動をしていた。
今日のコメントの、「一つの枠にはまらない、次の新たなものを常に求めていった。」ということでも、その当時の精力的な活動がうかがえるものであった。
そしてちょうどその時のヒットチャートをピックアップし、その歌詞を分析してわたしの卒論ができたのである。
とにかく今日は懐かしかった。
沢田研二やピンクレディー、そして都はるみや桜田淳子、また宇宙戦艦ヤマトなどありとあらゆるジャンルにまた歌手に詞を提供し、かつその一つ一つがだれもが記憶にとどめるものばかりである。
ただ、彼はある時期から作家として瀬戸内少年野球団などの作品を書くなど、追求するジャンルを変えていった。
それ以上の彼のことは、彼のHP
で見ていただくこととして、とにかく30数年前の歌謡曲といったら、彼を抜きでは語れないほどの存在感であり、懐かしく思う次第であった。
そして、先のブログにも書き込んだが、今整理している卒論の根幹を成すヒット曲の大半は、彼の詞で埋め尽くされているということで、強いて言えば、私の卒論は彼なくしてはなかったといえるかもしてない。
特別彼に陶酔するものではないが、彼を、また彼のコメントを聞き、あらためて、卒論を懐かしく思うとともに、早く皆さんにお披露目したいと意気込む次第である。