温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

阿久 悠と私の卒論の因果関係

2006-12-05 21:08:54 | 日記・エッセイ・コラム

今日のBSで阿久 悠を久しぶりに見た。

彼は作詞家で、一時期、そう、私が大学の時期、歌謡界を席巻していた。

彼の詞は、出す曲すべてヒット作となる、作詞のヒットメーカーであった。

しかも、演歌から最先端ポップスまで、幅広く作詞活動をしていた。

今日のコメントの、「一つの枠にはまらない、次の新たなものを常に求めていった。」ということでも、その当時の精力的な活動がうかがえるものであった。

そしてちょうどその時のヒットチャートをピックアップし、その歌詞を分析してわたしの卒論ができたのである。

とにかく今日は懐かしかった。

沢田研二やピンクレディー、そして都はるみや桜田淳子、また宇宙戦艦ヤマトなどありとあらゆるジャンルにまた歌手に詞を提供し、かつその一つ一つがだれもが記憶にとどめるものばかりである。

ただ、彼はある時期から作家として瀬戸内少年野球団などの作品を書くなど、追求するジャンルを変えていった。

それ以上の彼のことは、彼のHP

http://www.aqqq.co.jp/

で見ていただくこととして、とにかく30数年前の歌謡曲といったら、彼を抜きでは語れないほどの存在感であり、懐かしく思う次第であった。

そして、先のブログにも書き込んだが、今整理している卒論の根幹を成すヒット曲の大半は、彼の詞で埋め尽くされているということで、強いて言えば、私の卒論は彼なくしてはなかったといえるかもしてない。

特別彼に陶酔するものではないが、彼を、また彼のコメントを聞き、あらためて、卒論を懐かしく思うとともに、早く皆さんにお披露目したいと意気込む次第である。

P1010034_6

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巡る繁忙期

2006-12-05 07:21:57 | 日記・エッセイ・コラム

ここにきて、少し仕事が忙しい。ただし、私はなるべく定時には仕事を終了し、帰宅の途に着こうと心がけている。

また、このブログに示すように、土日もしっかり休み、趣味に興じている。

よく昔は、残業は当たり前、目の前に仕事があれば、昼夜、平日休日の区別なく働いたように記憶する。

おそらく、一時期は、年間を通し、出勤時間が多い職員の部類の1、2位を占めていたかもしれない。

今は、よくも働いたと感心するぐらいである。

しかし考えてみれば、あの頃の仕事は、単に処理しなければならない量が多く、事務を機械的にこなせば何とかこなすことができ、あまり神経をすり減らさなくても体力があれば仕上げられた仕事であった。

したがって、若い時期だからこそ耐えられたものである。

一晩眠れば回復する体力は、今歯持ち合わせていない。

しかし、不思議と、加齢とともにその仕事の内容も変わり、今は、量より質となっている。

そう、今の仕事は量はないが、神経をすり減らす、気配り、経験を生かす厚みのある(?)質の仕事となっている。

したがって、勤務時間は、集中力を欠かすことなく、頭だけが働いている感じである。

しかし、その集中力も、また、頭の使用時間も、ほぼ、8時間が限度である。

時には、よる9時、10時までの仕事もあるが、そんな時はきまって、次の日に影響があり、かえって翌日は半分の集中力で仕事をすることとなり、能率が上がらない。

したがって、平日勤務時間終了とともに、仕事を終え、帰宅後は十分休養し、再度明日、また仕事に精励するよう、心がけている。

P1010042_1

なんだかんだといってみたが、要は、年とともに、体力に限界を感じ、何とか頭だけは、フル回転しようと心がけている、ということである。

ただし、体力の続く限り働いていた若い時期も、思考力がなくなるほど頭を働かせ仕事をしている今も、共通するのは、仕事に生きがいを持って、あるいは単純に仕事が楽しい、という気持ちである。

やはり、この気持ちがなければ、どんなに体力があっても、あるいは、精神力が強靭でも、仕事への情熱は失せ、与えられた仕事ははかどらないものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする