温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

盆栽教室NO4

2006-07-04 21:02:55 | 盆栽教室

会員の皆さんは、経験を重ねてくると、次第に盆栽の点数も買い揃え増えていくようだ。

私などの初心者は、今後講師の斡旋により、「松」系統、「落葉」系統、「果樹」系統、「花」系統の4種類ほどを持つようである。つまり、ある程度成長した教材を購入し、そこから育て、手を入れていくようだ。

考えてみれば同然のことである。種から、あるいは挿し木から育てると、実際に剪定など手を入れるためには、数年、場合によっては10年以上待たなければということになり、実技の教室にならない。

どんな教材を紹介してくれるか今から楽しみである。

教室の会員の皆さんは、やはりご高齢。教室では、外見上は私一人浮いている感じであるが、教室の雰囲気は実に自然に溶け込んでいるって感じである。

趣味を通して、あるいは草木の教材を仲介に共通の目的、作業を行っていくのに世代間の隔たりは関係ない。

講師は、地元の方で、こんなまったくの素人にも、懇切丁寧に基本から教えてくれる。

でもよくも教室に飛び込んだものだと自分でも感心する。

自分で盆栽とは、第一線から退いた方の余生を充実したものにするための趣味と考えていた。

盆栽は、その内容が、特に労力を求めるものではなく、その作業が柔らかく緩やかで高齢者向けである。

また、その作品作りが、過去の様々な経験を元に人生観、世界観、ひいては宇宙観にまでその思考を高め盆栽に注ぎ込むところから、と自分勝手に解釈し、やはり若者というよりは、人生の到達者向けと受け止めていた。

しかし、考えてみれば、盆栽の素材は、一朝一夕では出来上がらない。どんな草木も当然種、幼木から大きくなる。

本来であれば、盆栽を育て上げるということは、一から手をかけていくということであり、したがって、盆栽として一つの作品になるまでは、数十年の年月が本来必要だ。(名木になると、数百年という樹齢もある。)

従来からある、人の手を経て育て上げられてきた盆栽を受け継ぎ手がけ、また次の人に受け渡すことも草木の長い寿命から言えば、盆栽の真髄ともいえるかもしれない。

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しかし、一方、自分が将来手をかけるものを幼木から育てることも、また趣味として楽しみの一つになるものと考える。

したがって、考えようによっては、私のような50歳前のものが盆栽に興味を持ち、老後の楽しみの一つとして今から備えて(?)行く考えもあっていいものではないかと思う。

盆栽教室で成木に手を入れる一方、自宅では種、苗を育てる。数年後の手入れをするようになるのを楽しみに、気長に待つ。

忙しない日常とは別の気長に悠々とした生活感を感じる。

コメント
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