「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
言わずと知れた三大随筆のひとつ、吉田兼好の徒然草の序段である。兼好は1283年に生まれ、鎌倉時代末期に徒然草全234段を完成させ、68歳で亡くなっている。鎌倉が崩壊するまさに世が無常の時代に書きつづったものだ。ある人の分析によると、徒然草は大まかに見て4つの視点から書かれているという。
(1) 兼好自身の考え方
(2) 風俗・習慣、地方のものについての知識
(3) 聞き知った出来事を書き連ねた一種の説話
(4) ものの一般的な見方と、それについて著者自身のものの考え方
さて、私が書いているこのブログ。つれづれなるままにパソコンにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを書いているところは兼好とほぼ同じ位置。
書いている中身はというと、はなはだ狭い身の回りの出来事や、たまたま発掘したスポットやお店の紹介どまり。あることに関して、自分自身の考え方や、ものの見方を書いていない点は今後の反省点かもしれない。
しかし、大抵の物事には2面性があるため、生まれつき争いごとを避けて生きてきた身としては、はっきりと白黒つけるような意見を主張することは、これからもやっぱりしないでいくことにしよう。
4月の初め、例年より少し開花の遅れた桜を訪ね歩いたあと、連休に戻ってきた息子や孫と連日遊び呆けたと思ったら、いつの間にやら周りの山々は新緑へと早くも初夏の様相。
季節は巡るとはいうものの、この速さはなんだろう。久しぶりに我がブログを開けば、もう11日間も空白になっている。これではいけない。そう思って、こころにうつりゆくよしなしごとを書きつくったものが、このブログ。
兼好の爪の垢でも煎じて飲みたいところであるが、こちとら兼好ならぬ健康の維持だけで精いっぱいの、ものぐるほしくなりそうな身。今まで通り書いていくしかないというのが連休明けの結論である。
(写真は、連休に訪ねた備北の「比婆高原」)