連休に入ってから、長男家族と未だ独身を謳歌している次男が、夕方一緒に帰省してきた。奥さんとハートリーの3人家族が、一挙に7人家族に膨れ上がる。
都会の狭いマンションに住んでいる孫が、我が家に喜んでやってくるのには大きな目的がある。自分の家では出来ない好物の焼肉を、サンデッキで存分に出来るからである。
あらかじめ用意しておいた炭で火を起こすのは次男の得意技。奥さんと2人の時に、屋外で焼肉をすることはまずない。やはり、大勢がそろって初めてバーベキューの意味がある。
辺りが暗くなり始めたころ、炭は真っ赤におこってきた。食材を網の上に乗せる。テーブルの上にガスランプを置き、そばの小枝にはキャンプ用のランプをぶら下げるが、この明かりだけでは肉の焼け具合が今一つ分かりづらい。窓のカーテンを開け、部屋の電気も点けてみるが明るさはまだ足りない。
以前から息子たちに、デッキの暗さは指摘されていた。この夜も相変わらずの乏しい明りではあるが、ワイワイと甲高い声を上げて楽しんだ。しかし、料理も焼肉も暗い中ではみんな黒く見えるばかり。まさに闇鍋である。
食べ物は味がよければそれでいい訳ではない。見て味わうことも大切なことだ。その肝心な視覚に訴えることが出来ないまま闇鍋を終えた。
翌日の昼過ぎ、「また焼肉がしたい」と孫が遠慮がちに言いに来た。ホームセンター に行き、150ワットのハロゲン球が付いたガーデン用の照明を買ってきて家の外壁に取り付けた。
そして再び、夕方からの焼肉パーティ。暗くなるのが待ち遠しい。薄暗くなりかけたときスイッチを入れた。テーブルの上はもちろん、それを囲んで座っているところまで、まるで舞台でスポットライトを浴びているかのように明るくなった。
「わー、焼け具合がよく見える」「早く付ければよかったのに……」「焼肉の味も良くなったみたい」など、ふだん家の中で食べているときには当たり前のことが、今更のように嬉しく楽しい。
視覚的にもおいしく感じる焼肉であったが、頭の片隅では、使いたい放題の電気に対して、ちょっぴり罪の意識を感じながら焼肉パーティを終えた。「この調子なら、また明日も焼肉か?」