写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

錦川大洪水

2012年07月15日 | 季節・自然・植物

 3年先輩で東京在住の静間勇夫さんが、「武奇陽集」という上下2冊の本を持ってきてくれた。旧岩国藩士の子息であった静間密(安政2年(1855)年生まれ)が、明治32(1899)年と大正2(1913)年に刊行した狂歌集である。密は勇夫さんの祖父で、同じく岩国出身で日本のエジソンといわれる藤岡市助とも親しかったという。

 書かれている狂歌は漢詩の作法で書かれている。勇夫さんは10年かけて漢詩を読み解き、現代文に訳して2冊の本にした。なかなかの力作で、とっても真似が出来るものではない。早速その本を読んでみた。当時の岩国の世情が生き生きと面白くも滑稽に描写されていて、読んで楽しい。今でいえばブログに書いたエッセイのようなものである。

 今はまさに梅雨の末期。九州阿蘇市地方は、豪雨による川の氾濫や土砂崩れにより、甚大な被害を受けている。錦帯橋がかかる錦川も大変な増水であったが、「武奇陽集」の下巻に「錦川大洪水」と題して長い狂歌が謳われている。要約すると次のようなことである。

 「警鐘が連打される音が眠りを破った。大水で堤が決壊しそうだという。下女と妻と老母と4人は箪笥の上に衣類や本を載せたりの水避けをした。庭には水が噴水のように噴き出す。8月11日午前4時30分の出来事であった。町内の酒家は6尺樽を出し、水を満たして錦帯橋上に並べて置いた。川原に仮設されていた芝居の仮小屋は全て壊され下流の臥龍橋に引っ掛かり、臥龍橋は流失した。

 堤防は決壊し、堤の上の民家13軒を流し去った。砂原・散畠・新小路は深いところは1メートル20センチ浸水した。岩国町内の死者は老女1人。大水は、ことごとく田畑を流し、泥砂と石ころだらけ。水は一旦猛威を振るえば、生命財産は消えて煙のようになる。ああ、あまりの驚きに私の精神は死に、ここにようやく1詩をつづった」と。

 勇夫さんの解説によると、この「錦川大洪水」とは、明治35年8月10日と11日、山口県東部錦川、島田川を中心に未曾有の風水害をもたらした洪水のこと。山口県内の死者は89人、行方不明11人であったと書いている。100年前に出版された先人の狂歌集から、安全だと思っている岩国・錦川の大洪水のことを知った。温故知新、この季節、自然を前に、ゆめ油断はならぬ。