写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

明と暗の春

2013年03月28日 | 生活・ニュース

 桜が爛漫と咲き、心が浮き浮きとするこの季節。新しい一歩を踏み出すニュースの多い中、毎日新聞の4コマ漫画「アサッテ君」を読んだ。東海林さだおが描く「アサッテ君」は、私の書くブログの数倍以上、とかくダジャレが多い。それでも毎朝ニヤッと苦笑しながら読んでいる。

 今朝(28日)のものはいつものダジャレはなく、石川啄木の歌の一節をアサッテ君が口ずさみながら花束を抱えて会社から帰ってくるものであった。「友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ」と、歌集「一握の砂」の中の一首である。「きょう、人事の発表があったみたいね」と奥さんはアサッテ君に背を向けて、夕飯の支度をしながら大きな反応を示すことなく軽く聞き流している。

 この歌は、啄木がいろいろあった後上京し、満24歳の時に謳ったものである。このころの啄木は、東京の新聞社で校正係として働いていた。中学時代の友人たちは、上級学校を卒業し、目的に向かって輝かしいコースを歩んでいた。一方、啄木は志を得ない境遇であった。そんなとき花を買ってきて妻と親しみ、淋しさを紛らわしていたようだ。

 今まさに春爛漫、サラリーマンにとっての春は心騒ぐときでもある。大きな人事異動や、昇進昇格が決まるときだ。関心が強いのは先輩や上司の人事であるが、とりわけ興味があるのは同期の者の人事であろう。「あいつはここへ異動したんだな」「彼は同期のトップを切って課長に昇進したのか」など、人事を眺めて感じるところは多かった。

 人事異動を見ていれば、おのずと自分の将来が透けて見えることもあった。「順調にいけば、やがてあそこに行くのかな」などと、捕らぬ狸の皮算用は何度となくやってみたが、今思うにどれも空振り。思わぬ外れくじばかり引いて歩いたような気がしている。

 引いたくじが外れていた日にゃあ、確かに友がみな我よりえらく 見えたっけ。「おれって、だめな奴だよな。いやいや、上も人を見る目がない奴ばかりだ」などとぼやきながら家路に着いたものだ。帰り道、駅前の花屋で、哀しみをこらえたような花なんぞを買って帰るようなことはついぞ1度もなかったが、啄木と同じ思いをしたことは何度あったことだろう。

 あれもこれもみんな、今は昔の出来ごと。今となっては「小さい、小さい」出来ごとに思える。人生ってそんなもんかもしれない。相良直美の歌じゃあないが「いいじゃないの今が良けりゃ」ということだろう。このように3月4月は、受験生の合格不合格、サラリーマンの昇進左遷など、明と暗が交錯する心穏やかならぬ季節ではある。