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今朝(24日)の毎日新聞のコラムに、東京都の民間校長として中学校長を務めたことのある藤原和博さんが 「日本も英語を公用語にすべきか?」と題して、面白いいことを書いていた。
話の要旨はこうだ。「英語が小学校で必須になってから、先生が戸惑うことが多くなっている。グローバルなビジネスでは英語が公用語となっており、社会の英語に対する要請は日増しに拡大している。ユニクロや楽天などでは、すでに英語を社内での公用語にしている。日本でもインドのように英語を社会全体として公用語化すべきだという議論もある。しかし大切なことは、『キミが話す英語は、キミが話す日本語を超えない』ということ。意見を聞かれた時、日本語で言えないことは英語でも言えない」と言っている。
学生時代から英語が苦手だった私は、これを読んで思わず「そうだ!」といって膝を叩いた。中学・高校と大学受験のための英語の勉強は随分時間をかけてやってはきた。しかし、読むことはまあまあとしても、突然出会った外国人を目の前にしたとき、簡単な日常会話さえままならないのが現状である。
いわんや会社勤めの時に、もし社内公用語が英語になっていたら、私はどんな会社員生活を過ごしていただろうかと思うと背筋が寒くなる。昼休み以外は極端に無口でおとなしく、いいところなしの社員であったことは間違いない。
このコラムを読んで救われたのは最後の1行にある「キミが話す英語は、キミが話す日本語を超えない」というところ。いかに英語が堪能であっても、話していることに内容が伴っていないと、単なる饒舌でしかない。英語を上達させる以前に、日本語できちんと自分の意見が言えなければいけない。そのためには、日本語の多くの言葉を知っているとか、難しい熟語を知っているというだけでなく、しっかりとしたものの考え方が出来る教養を身につけていることが必須であろう。
先生方は、学校で英語教育をしていくとき、限られた時間の配分に、こんなところで悩んでいるのかもしれない。それにしても、「英語を身につけるのは難しい」という印象のまま、私はずっと劣等感を抱いて生きてきた。最近は、母国語である日本語でさえ、言いたいことが的確に言えなくなってきている。あぶない危ない。