写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

狂い咲き

2007年10月16日 | 季節・自然・植物
 10月の3日だった。夕方ハートリーを連れて錦帯橋に散歩に出かけた。上河原の駐車場に車を停めて降りたところに、まだ幼い桜の木が並んで植えてある。

 そのうちの1本に、何か白いものが3個ついているのが目に入った。近づいてみると、桜の花が3輪咲いていることが分かった。10月というのに何を勘違いしたのか、ソメイヨシノの狂い咲きである。

 様々な現象から地球の温暖化が指摘され、最近になってやっと世界共通の問題だと認識され始めた。名だたる氷河は大きく後退し、例年この時期は北の遠洋を回遊している秋刀魚も、今年は三陸の沿岸にまで近づいてきたため大漁が続いているという。

 氷河や魚ばかりではない。今年は人間である私までもが、どうも少し狂ってしまっている。この日、狂い咲いた桜をデジカメに収めたあと、出会った知人と長話しをしたせいか、デジカメをどこかに置き忘れて家に帰ってしまっていた。

 幸い、良い人に拾ってもらったお陰で戻ってきたが、このデジカメに写していた最後の写真がこの狂い咲きのソメイヨシノであった。しかし、単に狂い咲きだといって笑って見過ごしていいものか。

 紅葉を眺めながらお花見をすることなどないよう、対策を真剣に考えないといけないが、どうしても「私一人が頑張ってみてもどうしようもない」との思いがして、個人での頑張りには限界を感じている。

 今の社会、あまりにも利便性を追及し過ぎてはいないだろうか。より早く・より綺麗に・より簡単にと、オリンピックの標語のように生活面では便利さばかりを追ってきた。

 電車の本数・速度・車の大きさ・過剰包装・使い捨ての品々・飽食等々、私自身がどっぷりとその中に浸って生きている。

 狂い咲いたソメイヨシノの写真を見ながら、これは狂って咲いたものじゃあない、人間が狂わせて咲かせた桜なのだと思ってみた。決して偶然ではなく、必然である。
(写真は、錦帯橋河畔のソメイヨシノの「狂い咲き」)