まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ十字軍運動NEWSLETTER-第167(新年)号-

2007年01月08日 |  マツタケの林地栽培 
今の里山の姿





明けましておめでとうございます!
旧年中のご協力を心から感謝申し上げます.
思いも新たに里山という生態系を本来の姿にもどす運動を展開します.里山は人と係わりを持ちながら生きてきた半自然です.ボランティア活動だけでは本来の姿を維持し続けることは容易ではない.新しい『業』が必要である.その一つに、小さなものであるが、マツタケの林地栽培を位置づけている.素人集団である私達でも、林づくりが出来ることを伝えていきたい.

            里山は重要な生態系である
日本の緑は豊かであるのか?
「緑が豊かねぇー」とか「自然が豊富なところである」と“田舎”を訪れた人たちは、その自然に素晴らしいと驚嘆する.そこに住む人も、森林の今の姿をよしとする傾きがあるようだ.日本全体の緑は、かつてないほどの豊かさである.しかし、そこに棲む生物の数や種類はかつてなく激変している.私達の周りにありふれた生き物であったフクジュソウやヒメシャガなど、メダカやホタルの仲間やチョウ類など、また、オオタカやイヌワシなど猛禽類の生息地もしくは生息数が増えたという報道など一度も無い.緑が豊かになって、生物が消え続けていることは明らかである.
国際環境NGOコンサベーション インターナショナル(CI)が「地球規模での生物多様性が高いにもかかわらず、破壊の危機に瀕している地域(ホットスポット;世界で34ヶ所)」に日本列島を指定している.多くのホットスポットでは、生態系の破壊、外来種(移入種)、食料や薬、ペット取引などへの利用や気候変動などの直接あるいは間接的な人間活動により、破壊や断片化の危機に直面している(CIから引用).環境省によれば、669種の動物が絶滅危惧種とされ、およそ7000種の維管束植物の23.8%(4種に1種)が絶滅危惧種に挙げられている(2000年).絶滅の恐れのある動物や植物の種数は、残念ながら着実に増えている.
これらの絶滅危惧種の50%強に当たる生物の生息域は、里地里山である.最近、植物に依存している訪花性昆虫にも絶滅危惧種に指定されるものが現れている.このことは、次に、虫媒花植物が絶えることを意味し、また、これらを餌とする鳥類に影響が出てくるはずだ.それを捕食する動物も絶滅の恐れをまぬかれない.マツタケも、人による森林破壊によって生まれ,最近の森林放置による「里山の破壊」によって,その生を終わろうとしているのかもしれない.

里山(アカマツ林)の登場はいつ頃?
昔、人は生活するために柴や薪や炭の材料などエネルギー源を集落近辺の原生林で調達した.住居や神社仏閣を造るために膨大な材木を伐採している(禿山化).食糧生産には農地に肥料を施すが、肥料用の落葉や刈敷(緑肥)の採取も原生林であった.このような原生林の活用が人口増とともに激しさを増し、終には原生林という生態系から新しい里山という生態系を創出するのである.
いつ頃から、今は全国的にはマツノザイセンチュウの害で減少しているが、アカマツ林が、これほどの密度(230万haある)で日本列島に見られるようになったのであろうか.花粉分析によると、6500年前頃(縄文時代)には、アカマツ林は瀬戸内沿岸にのみ存在していた(安田喜憲、環境考古学事始、NHKブックス 1980).本州、四国、九州で、アカマツ花粉が優占する時期は西暦500年頃からであるが(塚田松雄、花粉は語る、岩波新書 1974)、その急増期は鎌倉時代以降で、東北地域へのアカマツ林の拡大は江戸時代後半から明治の初め頃である(安田喜憲、森と文明の物語、ちくま書房 1995).しかし、明治の初めまでは、日本の里山は草山や禿山が多かったが、明治以降の砂防工事によって、禿山からアカマツ林が再生したという(吉良竜夫、森林の環境・森林と環境、新思索社 2001).

マツタケもアカマツ林に合わせて登場
マツタケが出てくる最初の文献は、万葉集(8世紀後半)である(高松のこの峰も背に笠立ててみち盛りたる秋の香のよさ、巻第十 秋雑歌 2233).奈良時代にもなると、内陸の山の尾根筋に侵入してきたアカマツ林でまつたけ狩りをしている.平安時代では、京周辺の原生林が、あちこちで常緑広葉樹林からアカマツ林に代わっているようだ.素性法師が北山にキノコ狩りに出かけて「もみぢ葉は袖にこきいれても出でなむ 秋は限りと見む人のため」と詠んでいる(古今和歌集、905).鎌倉時代から室町時代にかけて、京の三方の山はアカマツ林化し、天皇や公家が盛んにマツタケ狩を楽しみ、贈答しあっている様子が彼らの日記に見られる.応仁の乱(1467~1477)の最中にも、公家衆はマツタケ狩りに興じている.
しかし、江戸時代でも、林の激しい活用で禿山が多く、マツタケの生産量は少ない. “下臈のロにはかなわない(人見必大、本朝食鑑 1697)”代物であったと思われる.時代が下って、マツタケが「蹴飛ばすほど生えた」と言われた1930年代では年平均7582t、2000年代になると97tと80分の1に激減している.

マツタケとアカマツは共生する
マツタケはカビの仲間であるが、独特の香りを呈する大型の子実体(キノコ)をつくる.おがくず栽培が出来るキノコと異なり、生物遺体を分解する能力を欠いた菌根菌である.マツタケは生きた植物(宿主)の細根に感染し、光合成産物である糖類を宿主から摂取する.逆に、宿主は土壌中に伸びた菌糸が集めたミネラル類(燐や窒素)を受け取ったり、マツタケの菌根が作る微生物排除物質で土壌微生物の攻撃から根を守られている.また、菌根はホルモンを分泌し、ホストの根をサンゴやフォーク状に分岐させ、根の吸収面積を増やしている.アカマツとマツタケは共生関係にあるといわれる所以である.

里山の放棄が進む
私達の生活や農業は、1960年頃から始まる高度経済成長により近代化し、林業は衰退した.里地里山は開発され、その面積が激減し、残った林もいわゆる『燃料革命』によってその価値を失い放置された.放置林内は広葉樹の立木密度が増加し薄暗く湿潤となる.すると、陽樹であるアカマツは育たないため、その地域の極相林に遷移する.例えば、京都の東山は、ちょっと前にはアカマツで覆われていたが、今はスダジイなどが目立つようになり、京都三山の紅葉も危機にある.
放置アカマツ林の林床には、落葉や腐植が堆積し、糸状菌,細菌,放線菌やそれらをエサとするセンチュウなどの生息数が、非常に多くなる.マツタケは微生物との競争に弱く、致命的なことに富栄養土壌では、アカマツはマツタケの感染を拒否する.アカマツ林土壌の富栄養化は、樹木の生活を助ける菌根性キノコの生活を許さなくなるため、病気(マツノザイセンチュウ病)にも弱く、不健全となり、人が期待する森林機能も低下する.
マツノザイセンチュウの被害激甚地であっても、マツタケを採るために、昭和30年代のアカマツ林のように手を入れて、枯損をまぬがれている林が少なからずある.この事実は、大きな教訓にすべきと思うが、あまり生かされてないように思える.
マツタケが生活することは、アカマツ林が健全である指標であり、マツタケを増産することは、アカマツ林を保全することと表裏一体である.

里地里山の復活は、生物多様性の保全上、焦眉の課題である
絶滅の恐れのある生物が、深山幽谷の森に多いわけでなく、利用されなくなり変貌の激しい里地里山に多いことは先述した.多様な生物の生活する地球が望ましいとするなら、里地里山という生態系はきわめて重要である.
生物の多様性を否定する人はいないが、「アカマツ林が極相林に変わってもいいじゃないか!」と考える人は多い.それは、「絶滅に瀕する里地里山の生物を切り捨てよ!」と言っているに等しい.
「原生林の人為的な撹乱で登場し、長期に渡って維持され続けた里地里山という生態系にさまざまな生物が適応し生活していた.これらの生物達を、当時の人はたった45年間で葬り去ったのだ.」と、我々は後世において批判されることになるだろう.

京まつたけ復活・里山再生まつたけ十字軍運動
現在のマツタケ主産地は、西日本にあるが,マツノザイセンチュウによるアカマツの枯損は想像以上に激しく、林家はアカマツ林再生の意欲を失っている.また、中京圏では、伊勢湾台風による大規模なアカマツ枯損も重なってその面積が激減したが、林の再生意欲は同様に乏しい.これでは、まつたけ産業は衰退に一直線で、鎌倉時代以来の食文化の断絶でもある.
林業のプロが里山再生に取組まないのなら、市民に委ねるのも面白いだろう.これ以上、里山の崩壊を見過ごしてはならないと里山保全に市民が立ち上がった.“マツタケ復活は里山(アカマツ林)の保全である”をモットーに、京都市の岩倉で里山の再生活動を楽しんでいる.日本で、初めてのことである.本年には、岩手県にもまつたけ十字軍運動岩手が登場する.

マツタケを探して見よう!
全国に、二次林を中心とする里山は770万haもある.その内、アカマツ林は230万haである.秋、アカマツ林の中でマツタケを探してみる.マツタケが1本でも出ていれば、それは宝の山である.
昭和30年代のアカマツ林に戻そう、さぁー、手入れ開始だ!高等植物の密度調整と森林土壌に堆積した腐植層を取り除けばよい.その効果は100%である.アカマツ林土壌の微生物には,マツタケの生活に有利なグループと有害なグループと無関係なグループとがあり、アカマツ林に手を入れると、それらの関係がうまくコントロールされ,マツタケがアカマツ林(天然あるいは人工林)で栽培できるのである.
「昔は、マツタケの産地だったけどなぁー、今は松がない.」こんな話をよく耳にするが、こんな地域は、アカマツ林の再生あるいは若返りにチャレンジしてみよう!少しでもアカマツがあれば樹勢のよいものを残し、他を皆伐あるいは択伐後、地掻きして天然下種更新でアカマツ林を再生する.この場合,マツタケの菌根を保有していたアカマツが残されると、若齢アカマツ林でマツタケの発生が始まることがある.群馬県太田市の金山御用林もこのようにして400年の間、まつたけを持続的に発生させていた.マツタケの発生が近辺にない地域では、マツタケ感染アカマツ実生苗の活用など新しい技術も生まれている.

寄付等の振込先: 氏名: まつたけ十字軍 代表 吉村文彦
                銀行名: 京都銀行 山科中央支店
               口座No.: 普通預金 3698173 
主 催 団 体
吉村 文彦(マツタケ生態学者)
まつたけ十字軍運動 本部(http://blog.goo.ne.jp/npoiroem/)    
〒607-8421 京都市山科区御陵岡ノ西町38-27、 075-581-8932, 090-6227-4305
大月 健(代表)
京都大学マツタケ研究会(京都大学農学部図書室気付、大月 健 090-4280-3334)
共 催 団 体
NPO国際環境微生物応用研究機構、香川理化学研究所、NPO市民環境研究所
コメント
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