花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

馬堀海岸から「観音崎公園」までハイキング(その1)

2021年11月07日 | ハイキング・散策
今年の10月は前半が夏の暑さが続いて冷房を入れ、後半は初冬の寒さで暖房を入れたりして
「秋をジックリ味わう」気持ちになかなかなれませんでしたが・・・

11月に入って小春日和の気持ちの良いお天気が続き、漸く本格的な秋到来を感じます。


(11月3日・文化の日撮影)

我が家の庭の「小菊」が満開になりました。目下我が家の花壇の小菊はこの色だけですが、
朝一緒に散歩をしているご近所仲間のFさんと小菊をトレードし合って、来年は黄色も楽しめそうです



今回ご紹介の富士山はいつもの我が家近くの撮影ポイントから撮った富士山ではありません。
三浦半島の東京湾岸から眺めた富士山です

我が住宅地から見る富士山より、左手の雪のない宝永火口が目立ちますね。

馬堀海岸からハイキングスタート(10月29日・金曜日)
コロナ感染者が劇的に減って、10月から趣味の会が始まりまり少し忙しくなりましたが
ワンゲルの再開は11月からなので、足慣らしにFさんが入っている会のハイキングに参加させてもらいました。



京急「上大岡駅」に10時に集合し「馬堀海岸駅」で下車、閑静な住宅地の中を歩いて15分で海が見えてきます。
東京湾に面した馬堀海岸防波堤遊歩道から富士山が見えました。



この日は風が強くてヤシの木の葉が大きく揺れていて、東京湾には珍しく「白波」が立っていました。
目の前に「猿島」が見えています(この島には3~4年前にワンゲルで行きましたね)



時々波しぶきが遊歩道に押し寄せてきてたので、一本中の道を歩きます。
すっかり綺麗になって整備された遊歩道に驚きました。

この遊歩道横の道路を車で何度も通りましたが、以前の馬堀海岸は普通の防波堤があるだけで
釣り人がたくさんいた思い出しかありません。



花壇には「イソギク」が咲き出していました。ここは横須賀市、温暖な地を感じますね。



目指す先はあの丘の上の「観音崎公園」です。
ここで問題発覚、男性5人が見当たらないらしい・・・

リーダーの女性が携帯電話して、駅前の「スーパー西友」でトイレに入った5人が
海に突き当たる自動車道路でなく、住宅地の中の1本中の道を右折したらしい



遊歩道の終了地点で漸く合流できて、14人揃ってバス道路の丘を登って行きました。
大きなカメラを抱えた殿方が「後ろの海岸線と富士山が絵になる」と教えてくれて撮った写真です

「走水(はしりみず)水源地」
坂の途中で「足が痛い」と言い出した殿方がいたので、リーダーさんがバス乗車を勧めました。

「観音崎行きのバスが来ましたから横須賀美術館停留所で降りて美術館入り口で待ってて下さい」と、、、
半分の7名が乗り、残りの7名で坂道を更に歩いて行きました。



明治9年にフランス人技師ヴェルニーが築造した水源地です。
レンガ造り貯水池と、コンクリート浄水池は「国登録有形文化財」「日本遺産」に指定されていて
現役施設として活躍中です。



坂を下ると「走水漁港」に出ました。港内は波が静かでしたね。



やがて「観音崎京急ホテル」に到着です。



ここのロビーはコーヒーを飲みながら、大型船が行きかう海が眺められる私の大好きな場所
東京湾が一番狭まっている「浦賀水道」で、大きなタンカーが目の前に見えるのです。



「海側にある木道の遊歩道にはベンチがしつらえてあるので、そこで昼食にしたいから様子を見てくる」と
リーダーさんが見に行きましたが・・・
「波が打ち寄せてくるので無理」と戻ってきました。



結局斜め前の「横須賀美術館」で待っていた仲間と合流し、裏の芝生の上で🍙を食べました。

「トンビに狙われるから、できるだけ木の下に居て下さい」と整備員のおじさんに言われたとおり
上空に4~5羽のトンビがやってきて、気が抜けませんでしたが・・・

風が強かったにもかかわらず太陽光線が暖かくて、横須賀美術館の綺麗なトイレも利用できて良かったです。


食後は美術館横の森の中の階段を登って「観音崎公園」へ黄色いツワブキの花が沢山咲いていました

ただ缶ビール持参の殿方が「酔ってもう歩けない」という事で、マタマタバス組が数人出ました
長い長い「緊急事態宣言」で皆さん我慢我慢の生活が続き、「仲間と楽しく飲む時間」に飢えていたのですね。
その気持ち分かりますが、我慢して最後に飲めばもっと楽しめたと思いました

横須賀美術館は2008年の5月に夫と車で訪ねた思い出が蘇りましたこちら(その1)こちら(その2)
紹介しています。ご興味のある方はご覧ください。

特に(その2)では今回波が高くて利用できなかった「木道風景」が沢山UPしてあります。

好奇心旺盛でフットワークの良い夫とはしょっちゅう色々な所に出かけていました。
私は山に熱中していましたから、日常「ちょっと出かけよう!」と言い出すのはいつも彼でしたよ。

横須賀美術館に行った2008年は家を借りていたオーストラリアのパース行きを3月で最後とし
「ロンドンでの日本庭園造りを頼まれているから、今度はロンドンで家を借りよう」と壮大な希望が
彼の中で果てしなく広がっていた年でした。

それも果たすことなく夫は逝ってしまい残念です
夫が居たならコロナ禍での私の生活もまた違っていただろうと思いますが、嘆いても仕方ありません。
私は私なりに少しづつ少しづつ行動半径を広げて行きたいと考えています。

長くなりましたので「観音崎公園」の紹介は次回とさせていただきました。


コメント (18)
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