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花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

根津・谷中下町巡りと、孫の学校の臨時休校

2020年02月29日 | 東京の街
色々あった2月も今日で終わりです。今年はうるう年だったのですね。
我が家の地味な地味な「マンサク」が咲き出しました。



広がりを見せる新型コロナウィルス問題で、安倍総理から全国の小・中・高校の一斉休校要請が出て
この問題の危機感がいっそう感じられて恐ろしくなります

先週横浜市のお達しによりコーラスも「新年会」も中止になり・・・
その上私は2月の第3週目は何回か「混雑した電車」に乗ったので、2月23日からは静かに家に居ました。

「庭と畑作業をする」と友人達に宣言しましたが、花粉が酷くて目が痒くなり無理と悟りましたよ



我が家の孫たちは中学校3年と小学校6年生なので、2人共この3月で卒業ですが
でも、この臨時休校騒ぎで可哀想に卒業式は中止だそうです。

取りあえずお兄ちゃん孫の高校受験が無事に終わり、希望校に入れたのでホッとしていますが・・・

孫達はインフルエンザの予防接種は必ずしていますが、毎年インフルエンザに罹りました(軽く済んだけど)
それほど学校という集団の中のウィルス感染力は強烈です。

まして新型コロナウィルスは特効薬無しですから、そこがインフルエンザと違う所。

安倍さんの学校閉鎖の判断は評価しますが、あまりにも突然で働くママさんたちはさぞかし大変かと思います。
預け先が見つからないから老親に頼むとなるとリスクは子供よりも大で、本末転倒のような気がしますがね。

根津・千駄木巡り(2月7日)
以前も載せましたが、この胡蝶蘭は4年半前の夫の一周忌の時にOL時代の同期のT子さんが送ってくれたものです。
2年後から再び花を咲かせるようになり、今年は6輪咲きました

ランの種類は強くて、すでに一か月以上も咲き続け私の心を癒してくれています
(管理は5月に半日陰の外に出し、11月に家の中の日当たりの良い窓辺に置くだけ)



T子さんは12月の銀座の「梅の花」で行われたOL時代の仲間との忘年会に、用事があって参加できなかったので
同期の一期生だけで改めて「新年会」をやろうという事になりました。

釜揚げうどん専門店「根津・釜竹」でランチ
T子さんは東京の下町、文京区の千駄木に住んでいます。



「我が家近くに美味しいおうどん屋さんがあるの、谷中や根津神社も案内したい」と言ってくれて
この冬一番の寒さになった2月7日に行ってきましたよ。



どっしりとした蔵の中の、重々しいながらも洒落た感じのうどん屋さんでした。
後ろの建物は彼女のお父様が入っていたケァーマンションだそうで、古い街並みに調和した
落ち着いた施設でしたね。

そのお父様が大好きだったというメニューを頂きました。



暖かいお湯の中に入ったシコシコのおうどんを、薬味を入れたツユに入れ付け麺方式で頂きます。
天婦羅の盛り合わせもパリパリで美味しくて、ボリュームたっぷりのおうどん完食は無理でした



すぐ近くに見覚えのある木造三階建の串焼き屋さんを目にしました。
私は20年近く前にご近所仲間3人で、「谷中巡り」に来たことがあります。

上の地図の⑳の「朝倉彫塑館」を見学してから、お寿司屋さんで谷中名物の「アナゴ寿司」を食べ
親切な自転車に乗ったおじさんに案内され、谷中霊園の中の⑱「徳川慶喜の墓」をお参りし

古い風情の街並みの中の和紙屋さんやおせんべい屋さんに寄り、④の根津神社に詣でて
最後はこの串焼き屋さんで夕食をして、上野まで歩いて帰りました(若かったわ~)

今回はT子さんの案内で古いお店が並ぶ路地を行きます元お豆腐屋さんが人気のパン屋さんになったとか

以前来た時の雰囲気より、お洒落な街に様変わりしていました。

「根津神社」(根津権現)へ
マンプクリンのお腹を抱え、路地裏のお店を覗きながら歩いて20分
3000株のツツジで有名な「根津神社」の鳥居が現れました。



1900年前、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社です。



「楼門」をくぐると右手に舞殿があります。



「唐門」の奥が社殿です。



五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座しました。

1706年に完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し
国の重要文化財に指定されています。



私たちは楼門に戻り、社殿に向かって左手の「乙女稲荷」に続く赤い千本鳥居に向かいました。
一昨年の秋に訪ねた京都の伏見稲荷神社の千本鳥居を思い出します。

京都と違って人が少ないのが良いですね~10分程度で通り抜けられますが満足しました

T子さんの案内で根津神社の西口門から出て、ユニークな指人形のお店に行きました。

指人形「笑吉」工房
我々世代が良く知っている昭和時代に活躍した有名人の顔の人形が並んでいました。



在京のテレビ6局全部の街歩き番組で紹介されているようです。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にも出たけど、あれは本当に何の打診もなく「突然やって来た」とか・・・



1人500円で指人形の実演をしてくれます(撮影禁止)
典型的な昭和の熟年夫婦の面白おかしい家庭内の風景や、演歌が流れる中
男女の切ない思いが喜劇的に表現されて、笑いの20分間が味わえます



次に行ったのはすぐ近くにある和紙屋の「いせ辰」さん

20年近く前にご近所仲間のプリンさんとノンちゃんと谷中歩きをした時も寄りましたが
店構えがすっかり変わり、モダンになっていてビックリしました



このお店での写真を撮り忘れました

T子さんが「遠くから我が街に来てくれてありがとう」とここの和紙をお土産に下さいました。
高価なA3の和紙です。さてさてどのように利用しようかしら?と思案中です。



最後にT子さんがいつも利用する千駄木商店街のお肉屋さんで「コンビーフ」を買ったり
昭和の香りのするレトロな喫茶店でお茶して
4時半過ぎに「夕焼けだんだん」を上りJR日暮里駅に向かいました。

この2月上旬はダイヤモンドプリンス号が横浜の大黒ふ頭に停泊し
日ごとにウィルス陽性者の数が増えていた頃で、私たちも電車の中ではマスクを着用しましたが
まだまだ着装率は50%以下だったような気がします。

               

この一週間は政府のお達しを忠実に守り、近くのスーパーに買い物に行くだけの生活を過ごしていました。
自分が感染するのも恐ろしいけど、人様に移すのも怖い・・・

流石にストレスマックスで、思い切り動き回りたい心境です。

2月最後の土曜日は朝からたくさん電話がかかってきました。
どれもが「コミニティーハウスが3月3日から休館で、サークルもお休みです」という内容ばかり
これで趣味の会は全部お休みです。

安倍さんが言う”ここ1~2週間が新型ウィルス感染がパンデミックに移行するかどうかの瀬戸際’
というお話で予測できましたが、正直独り者は「孤独」です。

電話やメールはウィルス感染もしませんから、毎日のように友人たちと連絡は取り合っていましたが
この土曜日の午後からは、ご近所仲間やブログ仲間のLINEがどっと押し寄せてきました。

曰く「スーパーからトイレットペーパーとティッシュ、お米が姿を消したよ」
「冷凍食品や保存食品のコーナーも空っぽ」「一億総ヒステリー状態だわ」
「偽情報も多いし、少なくても我々は踊らされないようにしましょう」と・・・

50年前の「石油危機」でのトイレットペーパーや洗剤騒ぎを思い出しました。
後から考えれば喜劇のようなお話ですが、いまだに人間は同じことを繰り返すのですね。




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バレンタインデーは幼馴染と丸の内でデート

2019年02月15日 | 東京の街
毎朝起きて7時半頃に雨戸を開ける。
我が家の庭は梅が八分咲きで春めいてきているが、今朝は寒い寒い朝だった。



東南のコーナー出窓の下に「クリスマスローズ」の花がたくさん咲いていることに気が付いた
このお花はお辞儀をしたように下を向いて咲くから分かりづらい・・・

案の定10時過ぎから雪がちらつき始めました。
TVでも、横浜&羽田の雪景色が中継されていましたが
多摩地区に住むLINE仲間の所は青空との事で、ビックリしました。

幼馴染のtomoちゃんと「丸ビル」でランチ(2月14日)
私は父の転勤で中学時代を新潟市で過ごしています。
3年間、同じクラスで親しくなった仲間4人とは、その後も2~3年に一回位旅行していますが
去年の暮れにLINEが繋がりました。

グループ化したので、連日のように私のスマホには新潟弁が飛び交っています。



その中で、tomoちゃんだけが首都圏の八王子に住んでいるので、久しぶりに都心で会いました。

新装なった東京駅が良く見える丸ビル5Fのイタリアン「イゾド・スメラルダ」
見晴らしの良い窓辺の席をtomoちゃんが見つけてゲット(グッドジョブ!)



ワインで乾杯しました

ワンゲルの相模川歩きの時に泊めてもらって以来?
それとも4人で集合の「当間高原旅行」の2年ぶりかしら
しょっちゅう電話やLINEをしているから、久しぶりとも思えない・・・

会えばあっという間にお互い12歳で出会った時の少女に戻る



この日はバレンタインデー
私が孫たち用にたくさん買ったチョコをtomoちゃんにおすそ分けしたら
隣のkitteビル地下の「資生堂パーラー」で、イチゴパフェをご馳走してくれた

「日本のバレンタインデーは女性からチョコを贈って、好意を示す日のようだけど」
「オーストラリアでの体験では”愛の日”なのよ」と言うとこちらで紹介しています。

「私からの愛の気持ちよ」と言ってくれて
今朝のLINEでは「困ったことがあったら、何かあったらすぐに伝えてね」と書かれていた

ブログと違ってLINEは本音が出る・・・
私は「孤独」という文字が多かった気がする(反省)

現実は優しい友に恵まれて、幸せ者ですよ~

「出光美術館」で染付展鑑賞
この日はAM10時に有楽町駅で待ち合わせて、午前中は私のOL時代に勤めていた会社が
かかわっている美術館に行った。



私は焼き物なら「古唐津」や「染付」が大好きです。
今回懐かしい作品の数々に再会しました。

この作品展の詳しい情報はこちらをご覧ください。



染付は、14世紀元時代の中国で完成した「青花(せいか)」
すなわち白磁にコバルト絵具で絵付をする装飾技術が、17世紀初頭の日本に伝わり浸透していったものです。
伊万里焼などへの影響がたくさん見られますね。



思い出の「釉裏紅」(ゆうりこう)の水差しにも出会えました

(釉裏紅とは染め付けと同様の技法で、下絵付けに呉須(ごす)のかわりに銅系統の彩料を用いて
紅色に発色させるもの。中国、元代に景徳鎮窯で始まった)

私が22~23歳の頃、主婦の友社が取材にきて、私がサクラになってこの水差しを見ている写真が
雑誌「主婦の友」の見開き1ページに載った

我が家の押し入れの奥を探したら、あの「主婦の友」が見つかるかしら



右の水差しは中国明時代の「青花アラベスク双耳篇壺」(景徳鎮窯)
左はフランス18世紀の「黄地藍彩吉祥文篇壺」(セーブル窯)

景徳鎮窯の染付は日本のみならず、ヨーロッパにも影響を及ぼし
館内には中国製の染付とそっくりのマイセンや、オランダデルフト焼きの作品が並べられていました。

10年前にその特別展「陶磁の東西交流展」
tomoちゃんと一緒に見に来た覚えがあります。

あの時は東京都美術館で「フェルメール展」を見た後だったね。
tomoちゃんは覚えているかしら?、興味があったら上の交流展をクリックしてみてね。

昨日のバレンタインデーの日は、2人で染付の焼き物を鑑賞し、ランチを堪能し
スイーツを楽しみ、PM4時半までたくさんたくさんお喋りをして東京駅で別れました。

昨日はビル風?が強くて冷たくて、丸の内中通りを歩いていて震えあがりましたが、
お互い元気な内に、是非又会おうね~


            

前日の13日は「コーラス」の日でした
発声練習と今期の課題曲・中島みゆきの「糸」を1時間練習し
あとの30分は「早春賦」と「千の風になって」を歌った。

歌いながらふとこの日が夫の誕生日であることを思い出しました。

4年前の2月にこのサークルに入って、すぐに歌ったのが「涙そうそう♪」
あの時は涙がポロポロと頬を伝いました

でも今回は大丈夫でしたわ



この日、コーラスに一緒に参加したご近所仲間から、庭の「フキノトウ」をもらいました。
春の香りを天ぷらにあげていたら、「今日は親父の誕生日だね」と息子から電話・・・

「76歳よ、コーラスで千の風になってを歌いながら思い出していたわ」と返事をすると
「もうそんな歳になるのか~」とビックリしていました。

彼の頭の中では71歳の父親の姿でストップしているのでしょう。
私も夫の歳を超えました。

一昨日の夜は鮭を焼いて、キューリともやしと錦糸玉子の酢の物とフキノトウの天ぷらを
夫の遺影に添えて、ビールで乾杯しました

この時はやはりちょっと涙が出ましたね。
そんなこんなを前日LINEで呟いたから、心優しいtomoちゃんは気遣ってくれたんだね。
ありがとう

私は連日趣味の会や食事会やワンゲルで(先週金時山に登りました)、元気に楽しく暮らしているから
夫も安心していると思う・・・

今日久しぶりにブログの更新をしようと編集画面を開いたら、
訳の分からない質問事項があって、その先に進めない

gooブログがリニューアルされたようですね。
LINEで繋がっているブログ仲間さん達には色々助言を頂きありがとうございました

尚、前回記した「鎌倉から横浜市民の森へ」の②は次回UPの予定ですので宜しくお願い致します。

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浅草でオフ会・新年会

2019年01月22日 | 東京の街
今年も恒例のブログ仲間との新年会の集まりがありました。
毎年、銀河さんが日程合わせから場所の設定&企画まですべてやってくれています。

「浅草寺」雷門前に集合(1月18日)
当日は北風が冷たいものの、抜けるような青空が広がりました。



午前11時に集合です。今年も大阪からlilyさん・沼津からビオラさん、そして首都圏組の花水木さん
ラッシーママさん・だんだんさん・銀河さんと私の7人が集まりました。

雷門前は観光客でごった返していました。
7日に行った鎌倉では中々見られなかった着物姿があちこちに・・・
でも異国の言葉の方々ばかりでしたわ。



門の両脇には「風神雷神」の像があるから「雷門」なのですよ。
この日は銀河さんがボランティアガイドさんを頼んでいたので、大いに勉強になりました。

浅草寺の雷門の再建には「松下幸之助」さんの存在が大きいのですね。



提灯の裏の竜の彫り物も必見です。



龍は仏教においては仏の教えを守る神様なのです。

雷門からまっすぐ本堂に続く仲見世通りは観光客で溢れていたので、ガイドさんは左手に曲がり
有名人の手形が並ぶ公会堂から伝法院通りに我々を案内しました。

お店の屋根に居る鼠小僧のモデルは「勘三郎さん」です



浅草にはカメラ教室やワンゲル、バス旅行等で何度も来ていて、このブログでも紹介していますが
古いお店や珍しい品々に出会えるこの界隈はとても面白いです



伝法院通りから仲見世通りに入ります。
この左手に「浅草寺」の歴史が紙芝居のような絵で紹介されていました。



「今からおよそ1400年前の628年(飛鳥時代)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)という兄弟が
隅田川で漁をしていて、投網にかかった一体の観音像を見つけます」
これが後に浅草寺の本尊となる、聖観音菩薩像です。

その後源頼朝や徳川家の庇護のもと浅草寺は栄えました。



門の左右に金剛力士(仁王)像を安置する宝蔵門が見えてきます。
「小舟町」と書かれた大提灯の底裏にも竜の彫り物がありました。

この宝蔵門をくぐると左手に五重塔が目の前に建ち、右手にスカイツリーが見えます。



現在の五重塔は昭和の時代に再建されたものですが、本来は平安時代に建てられたものだと言われています。
この五重塔は大震災や東京大空襲などで4回以上は倒壊していて、その原因はいずれも「火災」との事



その奥が観音様が祀られていて観音堂とも呼ばれている本堂です。

浅草寺は東京都で一番古いお寺です。
観音堂の設立は飛鳥時代の大化元年(645年)

本堂は何度も焼失と再建とを繰り返しましたが
徳川家光によって再建されたものが近世まで残り、明治期に「国宝」に指定されました。

しかし、残念ながらこの本堂も昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で焼失。
現在の建物は昭和33年(1958年)に再建されたそうです。

皆でお清めをしてからお詣りしましたが、大阪から来たlilyさんの姿が見えない
すぐに見つかってホッとしましたが、松の内も過ぎたというのに凄い混雑でビックリです。

「浅草神社」
お詣り後、ガイドさんはすぐ右手にある神社に案内してくれました。
何度も来ている浅草寺ですが、この神社は知らなかったわ



浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に、五月の中旬に開催される三社祭は江戸風情を残しつつ
勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。

私たちも、三社祭で有名なこの神社にお詣りしました。
ここで全員が正面を向いて並んだ記念写真をだんだんさんのカメラで撮ってもらいましたので
お仲間のブログでご覧ください。

ガイドさんがこの様な写真を見せてくれました。
焼け野原の中に立つイチョウの木、樹齢800年と言われる浅草寺のご神木です。



昭和20年3月10日の東京大空襲で上半分が吹き飛び、今でも焼け焦げた跡が無残に残っていますが
春には芽吹き初夏には緑の葉が茂るご神木だそうです。

以前はこのすぐ横に五重塔が建っていたのですが、今ではあちらに移りました。

この秋私は奈良や京都で世界遺産のお寺や神社をたくさん見てきましたが・・・
震災や戦争で何度も建て替えられた浅草寺は<旧国宝>という文字が付けられてちょっと切なくなりました。

新年会のお食事は「ゲートホテル」13階のレストランで


銀河さんが予約してくれた新年会の会場は、浅草寺の雷門から歩いて5分の
目の前にスカイツリーが見渡せる、眺めの良いレストラン


(画像はラッシーママさんからお借りしました)

これにコーヒーが付いていて、案外リーズナブルなお値段でした。
参加者7人でスパークリングワインやビールで乾杯です

この会も10年になるらしい・・・
私の参加は5年前の「日比谷公園の松本楼」からかしら?

2年前から大阪のlilyさんが参加して、最近は観光的な催しも加わりとても楽しい会となりました。

隅田川を船に乗ってお台場へ
3時過ぎまで食べてお喋りしましたが、その後は仲見世でお買い物を済ませて
スカイツリーのすぐそばの吾妻橋横から出る水上バスに乗ることになりました。

花水木さんだけが都合が悪くて、ここでサヨナラです。



銀河さんが「16時20分発のお台場行きは新しい船のエメラルダスよ」と・・・
水上バス(エメラルダス号)の画像と時刻表&値段はこちらでご覧ください。



都心を流れる隅田川は橋が美しい・・・
去年の秋はワンゲルで隅田川河畔を3回に分けてひたすら歩き、橋も船も堪能しましたよ

船の中から「レンボウブリッジ」が見えてきました。
船に乗って1時間弱、そろそろお台場に到着です。



午後5時過ぎの夕暮れ時のお台場は灯がともりだして美しい
バックに輝くレインボウブリッジと、乗ってきたエメラルダス号をカメラに収めます。
(皆ブログ仲間ですから、カメラタイムは遠慮することなく取れるのが嬉しいですね)



ベイサイドから見る都会の中の夕暮れが素敵です。


(ラッシーママさんの画像をお借りました)

6人が並んで写真を撮っていると若い男性が「皆さんを撮ってあげますよ」と言ってくれたので
ラッシーママさんがデジカメを差し出しました。

誰が誰だか分かりますか~???

この後駅に向かって歩き出し「お茶していこう」となりました。
風が冷たい・・・

ファミレスを見つけて入り、皆ピザやグラタンなどにドリンクバーを付けた
昼間のレストランはテーブルが広くて立派で、お話が遠かったけど・・・
ここでは顔を寄せ合ってお喋りが楽しめたわ

午後7時前に店を後にし、全員が「りんかい線」で帰路に着きました。
「来年も元気で会いましょうね~」



コメント (22)
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2018年の春!(1)「小石川後楽園」

2018年04月15日 | 東京の街
ご無沙汰していました。半月ぶりの更新です。

PCの調子が悪く、PC相談室をやっている写真仲間に見てもらったり・・・
先週初めから我が家の浴室のリニューアル工事が始まり、日々バタバタしていました。



お風呂が壊れたわけではありません。
ヒートショックが怖くて、寒さ対策のため「タイルの浴室からユニットバスへの変更」です。

急遽、浴室とキッチンの間にある食品庫を半分にする工事が必要となり、中の保存食品を出したり
「排水管の様子を確認したいので、床下収納庫を取り外して縁の下に潜りたい」と言われ、
中に収めていた品々を出したりで腰が痛い

月の第二週目は趣味の会が連日続くのですが、着付け教室&ストレッチ体操&コーラスと休み
カメラ教室だけ参加しました。



日中は物の移動と職人さん達へのお茶出しで大忙し、夜はカメラ教室に提出する作品作りで頭を悩ませ
結局4月3日(火)にワンゲルの街歩きで行った「小石川後楽園」の春の風景をセレクト



「小石川後楽園」は中央線「水道橋駅」から歩いて7~8分
ドーム球場や遊園地でお馴染みの後楽園と隣接しています。



カメラ教室には上の画像4枚を印刷して持っていきました。
そしてこの中から選ばれた「今月の1枚」はトップに貼った写真です



ただし高層ビルの上部を切り取って「想像で高さが感じられるようトリミングする事」
との講師からの指示でした。
(実際の高さは池に映り込んでいるからだそうです)

浴室工事の職人さん達がお休みの騒音のない静かな今日の日曜日
ご覧のように切り取り作業をして再度印刷していますが、如何でしょうか~

う~~ん、私としては1枚目の元の画像の方が好みです~



この公園は枝垂れ桜が有名ですが、今年の桜はすべて早く咲いてしまっていて
代わりにモミジ等の新緑の美しさに目を奪われ、写真の表題も「萌黄色に輝いて・・・」としました。



”「小石川後楽園」は江戸時代初期、徳川御三家のひとつ水戸家の上屋敷の庭として造られた庭園で、二代藩主徳川光圀(水戸黄門)の代に完成。
シダレザクラから開花がはじまり、ソメイヨシノや、都内では珍しい黄色の花を咲かせるウコンザクラまで、様々な桜を楽しむことができる”

東京都立の庭園としては「浜離宮恩賜庭園」とこの「小石川後楽園」が国指定特別史跡となっているそうです。



今回一番目を惹いた桜は入り口近く咲いていた満開のこの枝垂れ桜でした



この日は4月3日でしたが・・・
園内には例年ならGW頃に咲くツツジやシャクナゲも咲き出していました。



この風情ある建物の横で「カイドウ」の花を見つけました
以前飼っていた愛犬ジュンの最後の姿を思い出すお花です。

ジュンが虹の橋を渡った4月17日の18回目の命日が明後日(ジュンの思い出は前々回の記事の後半に記しています)
そしてこのブログを立ち上げて13年が過ぎ、4月13日で14年目を迎えました。

気が付けばこの13年間で302万回を超える閲覧と、延べ90万人を超える訪問者がありました。
最近は特に更新の遅いマイペースなブログで恐縮ですが、引き続き宜しくお願いいたします



小石川後楽園には日本庭園に合うヤマブキやボケなどの、春のお花がたくさん咲いていました



アクセスや園内マップなどはこちらをご覧ください。



リーダーに導かれワンゲル仲間と一緒に、都会の中の静寂を味わえる「小石川後楽園」を後にしました。



目の前には「後楽園遊園地」のジェットコースター・・・
私たちは次の目的地の「小石川植物園」に向かって歩いて行きました。

今日の日曜日は古い山仲間と3人で「景信山」に登って、桜吹雪の中を高尾山まで歩く予定でしたが
「春の嵐」の予報で諦めました。

この一週間、家の中でバタバタしていましたから、久しぶりに山を歩きたかったので残念でしたが・・・

お風呂工事の視察にやってきた息子と語り合いながら、私のこれからの老い支度を考えました。
今後このブログでのカテゴリーに加えて、少しづつ「私の老い支度」も語っていきたいと思います。





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東京「路地裏」ブラ歩き・夢の島から深川へ(3)と、ジャズライブ

2016年10月15日 | 東京の街
体育の日の三連休を境に急に秋も深まり、朝晩は暖房が恋しいくらいとなりました。
慌てて夏物衣類を片づけ、秋冬物の衣類と寝具を出しています。

第二週目の今週は趣味の会が重なり、コーラスも発表会に向けて最後の追い込み
そして爽やかな秋晴れとなった今日の土曜日は自治会の「防災訓練」が大々的に行われ、
班長として参加し、疲れ果てました

ブログの更新もままならず、コメントのお返事も遅くなり申し訳ございません

ワンゲルの会・街歩き「深川へ」(9月18日)
夢の島公園で「第五福竜丸展示館」と「熱帯植物館」見学後、私たちはバスで深川に移動しました。



江東区深川の羽崎地区から歩き出します。
ひっそりとした「羽崎神社」の前を通り・・・



平久川にかかる「平久橋」を渡りました。



この辺一帯は第二次大戦時の3月10日の東京大空襲で、大勢の人々が亡くなった所です。



橋のたもとにこのような案内板が・・・
”寛政3年9月、深川羽崎一帯に高波が押し寄せ、多数の家が流され死者行方不明者がでた”とのことでした。

江戸時代に建てられた「津波警告の碑」が三分の一ほど残っていて
これと同じ碑が、羽崎神社にもあるそうです。



並んで建っていた昭和20年3月10日の東京大空襲の被災者の供養塔

そういえば深川森下町で生まれ育ち、この街で結婚した短大時代の友人Mちゃんの同居しているお姑さんが
児童文学作家の早乙女勝元さんとともに「東京大空襲」を語り伝える活動をしていて

以前は毎年3月10日になるとTVのローカル番組に出たりしていましたが・・・
今年亡くなったと、Mちゃんから聞きました。


戦争の惨事を伝える人も、年々少なくなっていくのですね。

「富岡八幡宮」
平久橋から歩いて10分で、”深川の八幡様”と親しまれている「富岡八幡宮」に到着しました。



今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。



富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地としても有名です。詳しいことはこちらで紹介しています。



そして何と言っても目を見張ったのが二つの「黄金の神輿」
この大関の碑の向かい側の建物の中に納められていました。

鳳凰の目がダイヤ7カラット二個
他にもたくさんの宝石類で飾られていて、女性一同タメ息をつきました。

ガラス越しで写真は上手く撮れませんでしたのでこちらでご覧ください。

成田山・東京別院「深川不動」
富岡八幡宮を後にし、すぐそばの「深川不動」にやってきました。



この日は28日のお縁日で、平日でしたがとても賑やかでした。
3時から護摩焚きが始まり、太鼓やほら貝の音が混じるお経が聞こえてきて
本堂に多くの人々が詰めかけていました。

「のうまくさんまんだば~、さらだ~せんだ~まかろしゃだ~、そわたやうんたらた~かんまん~」
夫の母や札幌の伯母が熱心なお不動様信仰者で、毎月お不動様に通っていました。



この深川不動は若い頃、姑や義姉たちと来たことがあります。
10年前に江東区に住む友人に案内されて来たこともありました。

夫とは毎年元旦に野毛の成田山「横浜別院」に行きました。
夫が亡くなる2年前まで、お不動様で星まつりのお札を申し込んでいたのです。

善男善女の厄を落とし、願いをかなえてくれるお不動様・・・
もしかしたら、長患いをヨシとしない夫の願いもかなえてくれたのかもしれません。

でも・・・
私は去年からお不動様のお札を申し込むのをやめました

「親睦会」
小雨が降ってきたので次の予定地はカットし・・・
3時過ぎに深川不動のすぐそばの地下鉄「門前仲町駅」で解散でした。

有志10人が、お仲間のお嬢さんがやっているカフェで親睦会と言うことで
地下鉄で南千住に移動しました。



ワンゲルの会だけの貸し切りで、お嬢さん手作りのお料理をつまみに飲んだビールがとても美味しかった
この日は30度を越えた蒸し暑い日でしたから、皆びっしょりと汗をかきましたものね

「ジャズライブ」へ(9月25日)
ワンゲルの会で歩いた3日前の日曜日の夜、私はワンゲルの会で親しくなった同じ歳のNさんに声をかけていただき、
彼女のご主人の所属するバンドが演奏するジャズライブに行きました。



会場は藤沢駅から歩いて3分のライブハウス・・・
ワンドリンク付きで2000円です。

バンドの名前は「G Flats」(ジー フラッツ)
GはじぃーじのGですなどと笑わせていました。



Nさんのご主人はコルネット担当で、この日の主役♪
慶〇大学時代はデキシーランドジャズで活躍していたそうです。

曲はカーペンターズが歌って大ヒットした「仮面舞踏会」
ブラジルで生まれたボサノバの代表作「イパネマの娘」
ミュージカル三文オペラの主題歌「マック・ザ・ナイフ」
映画音楽の大御所ヘンリー・マンチーニ作「酒とバラの日々」など懐かしい曲ばかり



湘南を中心にデキシーランドジャズやスタンダードジャズのボーカリストとして活躍中の篠森富江さんも加わります。
ディズニー映画ピノキオの主題歌「星に願いを」やミュージカル映画「オズの魔法使い」
シャンソン「枯葉」などを歌ってくれました。



ピアノの演奏者は早大でタモリと一緒にジャズ研で活躍していたそうな・・・
初秋の宵のひととき、セミプロ級の方々の生の演奏15曲を、ビールを飲みながら楽しみました。

このジャズライブの話をブラ歩きの親睦会の時に、同じ会員でブログ仲間の山小屋さんに話したら
彼もワンゲルの歩きに時々参加するNさんのご主人を良く知っていて・・・
「そうやってnaoさんが積極的に出かけるのは、とても良い事だと思うよ」と、喜んでくれましたわ


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サガリバナと東京「路地裏」ブラ歩き・新木場から深川へ(2)

2016年10月09日 | 東京の街
沖縄の「サガリバナ」
たった一夜だけ咲き、夜明けとともに散ってしまう幻の花「サガリバナ」をご存じですか?

サガリバナはアフリカ東部から東南アジア、そして太平洋の南の諸島に広く分布する常緑樹に咲く花。
日本だと沖縄や奄美諸島に多く生育しています。

10m程度の小高木で、その枝から長さ60cmから1mほどの花序が垂れ下がり、
1つの花序には20以上ものつぼみを付け、夏の夜に一夜だけ花を咲かせて・・・
翌朝には散ってしまいます。

サガリバナは夕方から夜に咲くお花ですが、見頃は散り際の明け方・・・
「花開けばたちまち墜落」と表現されるくらい短時間で落花する儚いお花ですが、
明け方が特に多いそうですお花の画像はこちらでご覧ください

散った後も幻想的なサガリバナ、特に水面に落下し浮かんだ姿の美しさは素晴らしいらしい

私は今、そんな幻のお花をモチーフとした大人の恋物語のドラマに熱中していますこちらです。
(ドラマの中での「サガリバナ」を観ながら、いつか本物を見たいと思いました)

「ラブストーリーの神様」と呼ばれる脚本家・北川悦吏子さんのNHK初執筆作品
ドラマ10「運命に似た恋」

高級クリーニング店で働く45歳のバツイチの母親と、超一流デザイナーが恋に落ちるという
ちょっとベターな大人の純愛物語です。

ワンゲルの会で行った夢の島「熱帯植物館」をブログUPするために画像を整理した時、
私はその「サガリバナ」を写真に撮っていたことに気付きました



「サガリバナ」は6月から真夏に咲くお花ですから、もう実になっていましたが・・・
沖縄まで行かなくても、この「夢の島熱帯植物館」に来れば見られることを知ったのが収穫でした

さて・・・
毎週金曜日の夜10時のNHK金曜ドラマ10「運命に似た恋」は8話中3話が終りましたが
毎回、原田知世演じる中年のヒロインカスミの健気さに心打たれ・・・

年下の幼馴染?役の斉藤工の若い男の色気にノックアウトされ、私は胸キュンで見ておりますわ
(このドラマ10でのドキドキ感は、4年前の中園ミホ執筆、木村佳乃主演の「初恋」以来です)

風邪気味で心身ともに落ち込みがちなこの時期、心ときめくドラマに出会えて少し元気になりました


「夢の島・熱帯植物館」((9月28日)
前置きが長くなりましたが、ワンゲルの会の夢の島散策の続きです。



私たちは「第五福竜丸展示館」を観賞してから、「熱帯植物館」に行きました。
シニア料金120円を払って中に入ります。

予約していたボランティアさんに案内してもらいました。

入ってすぐの所にハイビスカスによく似たお花が・・・
このフウリンブッソウゲは、ハイビスカスの一種で風鈴に似た姿をしたアオイ科フヨウ属の低木です



右側の画像は「インドボダイジュ」
(お花は上の名前をクリックしてみてください)

その横には「ムユウジュ」「サラソウジュ」と並んで植えてありました。
ガイドさんのお話では、これらの三つが仏教三大聖樹なのだそうです。

「仏教三大聖樹」は以下の三つ。

無憂樹   お釈迦様がその木の下で「誕生」されたといわれる
菩提樹   お釈迦様がその木の下で「悟り」を開いたといわれる
沙羅双樹 お釈迦様がその木の下で「入滅」されたといわれる

尚、日本のお寺でよく見る沙羅双樹(夏椿)は別物とか・・・



温室内には池あり滝ありの熱帯の森が再現されています。

温室の暖房や館内の冷暖房、給湯などに必要な莫大なエネルギーを、
すべて新江東清掃工場から送られてくる高温水でまかなっているとか。エコですね。



高さ30mにもなる「ダイオウヤシ」が、ガラスの天井に向かって伸びています。
輪のような切込みの環状紋が目立ちますね。



ボランティアさんが触ってくださいと・・・
水の流れる音がしたような気がしました。

上の画像の右はしに見えているひも状のお花は「紅ひもの木」、手前の赤いお花は「レッドジンジャー」?

鮮やかなお花もいっぱい!料理バナナは硬いのでお料理に・・・
タコノ木は足がいっぱい!カカオの実

他に世界最大の竹「ゾウダケ」などもありました。
今の時期、派手な南国のお花よりも、珍しい熱帯の木々とその実がたくさん見られます。



「この長い長いひも状の根は凄いね」「マングローブの一種かしら?」



こちらは「オオギヤシ」、名前の通り扇の形に葉が茂ります。
高い天井が生かされていますね。

最後に食虫植物温室で、今年の夏に箱根の湿生花園で見た「ウツボカズラ」や「ムシトリスミレ」を観賞

広い温室内や施設のご紹介はとてもこのブログで全部は無理、興味のある方はこちらをご覧ください。



時節柄庭には巨大カボチャが転がり、室内は「ハロウィン」の飾り付けがなされていました。
受け付けロビーやお土産コーナーの奥にはカフェがあり、私たちはここでランチタイムです



私はドライカレーとマンゴージュース(合わせて1150円)、
他にトロピカルカレーや沖縄のスパム(ポークの缶詰)ランチなどがありました。



お腹もマンプクリンになり、トイレも済ませて午後1時に深川に向けて出発します。



ワンゲルの会ですから、すぐに交通機関は使いません。
蒸し暑い中、「夢の島公園」を後にし、運河沿いを歩きます。

「スカイツリー」が見えていました。



この辺一帯はすべて埋立地、今問題の豊洲市場も近いはずです。
2020年に開催される東京オリンピックまでには、築地周辺の臨海地区も大きく様変わりすることでしょう・・・

来る時に乗ってきた「りんかい線」?、それとも「京葉線」?
30~40分歩いてから、ようやく深川方面行のバスに乗りました。

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東京「路地裏」ブラ歩き・新木場から深川へ(1)

2016年10月03日 | 東京の街
秋冷の10月に入りました。土日はまぁ~まぁ~のお天気でしたが・・・
秋雨前線は相変わらず居座って、台風18号の影響を受け今日も雨となりました

9月のワンゲルの会の路地裏歩きは、東京下町の木場から深川

まだちょっとノドがイガイガしていましたが、当日のお天気は幸いうす曇り・・・
歩きたい気持ちが勝り思い切って参加してきました。

今年の夏から秋にかけては雨が多いせいか?、とにかく蒸し暑い
この日も30度を越えたようで、汗まみれになりました

江東区「夢の島公園」散策(9月28日)
昭和20年代から都民のゴミ捨て場として有名になった「夢の島」も、
60年の流れで緑が茂る市街地として発展しています。

集合はJR京葉線&りんかい線「新木場駅」に10時、お馴染みの顔が集まりました。
この日の参加者は男性9名、女性5名の合計14名。



「新木場駅」から首都高速「湾岸線」をくぐり、およそ7分で緑豊かな「夢の島公園」に入ります。
深紅の「アメリカディゴ」が迎えてくれました。

ゴミの埋立て処分地に整備された巨大な公園「夢の島公園」では、最後の「フヨウ」が咲いていて



公園中央に位置する広大な芝生には、小学生が集まっていました

熱帯植物館や五福竜丸展示館、ヨットハーバーなどなど、見所もいっぱいの公園です。

第五福竜丸展示館
最初に案内されたのが、ヨットハーバーの手前に建つ船の形に似た展示館です。
中はクーラーが効いていてホッとしました



ここには、木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品や関係資料が展示されています。

「第五福竜丸」は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で
アメリカが行った水爆実験によって被害を受け、無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。

当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのですね。  



船尾の底部分には小さなスクリューと、木製の舵・・・
これで太平洋の赤道直下のマーシャル諸島まで航海したとは驚きです



「第五福竜丸」は、昭和22年(1947年)に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、
後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。

水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、
昭和42年(1967年)に廃船になったものです。  

東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知ってもらうとともに、
原水爆による惨事がふたたび起こらないようにという願いをこめて、この展示館を建設したそうです。
<昭和51年(1976)6月10日開館>



第五福竜丸だけでなく、被災した日本漁船の総数は856隻、廃棄された魚は約486トン
ビキニ水爆被災は人々の日常生活を直撃しました。



放射能に汚染されたマグロは「原爆マグロ」と呼ばれ、その騒動は日本全国に波及
街の魚はほとんど売れなくなり、廃業する魚小売業者も出たそうです。

その年の4月以降には「日本全国で放射能雨が降った」との報道により、農産物に対する恐怖も広がりました。

私がまだ小学校の低学年の頃に聞いたこのニュース・・・
「雨に濡れると頭がはげる」と、子供同士で騒いだ事を覚えています。



日本は広島&長崎と人類で初めて被爆を経験した国です。
そしてこのビキニ環礁での漁船の被爆・・・

その上、2011年3月11日の「東日本大震災」によって引き起こされた東電福島第一原発の事故での放射能汚染・・・
放射能の恐怖は遠い昔の話しではなく、今でも続いているのです



アメリカの水爆実験の被災者は日本の漁船だけでなく、ビキニ環礁の実験場近くのマーシャル諸島の人々も・・・
その実態が知られるようになったのは、1990年代に入ってからでした。

オバマ大統領の核兵器の先制不使用宣言を支持することは被爆国としては当然ですが、
お隣の北の国が盛んに行っている原爆実験も怖いものがあります

そして「日本も核を持て」というアメリカの大統領候補のトランプ氏が選ばれたらどうなることでしょう



厳粛な気持ちになって外に出ると、第五福竜丸のエンジンが展示されていました
このリーダーの街歩きは、必ずこうした施設見学がありお勉強になりますわ。



私が10代の頃に「夢の島」の臭いと大発生したハエの被害が東京を襲いました。
TVのニュースで見た事があります。

そんな大東京のゴミ捨て場が、今では緑豊かな公園になりました

「夢の島熱帯植物館」へ
ここには焼却場で発生した熱を利用した熱帯植物館があります。
歩いて向かう途中、「パパイヤ」の花と実が生っていました。



そして大きなカボチャがたくさん転がっているのが見えてくると



夢の島「熱帯食物館」でした。こちらのご紹介は次回に続きます。



            

「カマキリと同居」
9月中旬から畑作業や庭仕事で忙しくしていましたので、その時私の衣服に付いてきたのか?
それとも洗濯物にくっついていたのか?



二週間ほど、このカマキリと同居していました。
蜘蛛やゴキブリは怖いけど、このまん丸目玉が何となく愛嬌がある・・・

リビングの天井近くにいたかと思うと、ダイニングテーブル横の出窓にいたり・・・
その内だんだん茶色くなってきたので、外に出してあげました。

洗面所にはおんぶバッタの姿もあって、田舎の風情の我が家です。



そんな折、taeさんのご主人からブドウと一緒に送られてきた「イナゴの佃煮」
今では高級品で「桐箱入り」で売られたりしていますが、こちらは知り合いの方の手作りとか。

美味しい味付けでしたが、イナゴの手足が同居した仲間たちを思い出して喉を通らない
結局お行儀が悪いけど、手足を取り除いて少々頂きました。

殻付き小エビの佃煮のような食感でしたわ。




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突然に「皇居見学ツァー」参加

2016年07月16日 | 東京の街
あまりピンと来ないでしょうが、東京や横浜のお盆は7月です。
15日は両親&夫のお墓参りに行ってきました。

我が家から北に車で12~13分で実家の両親が眠っているお寺の墓地
南の鎌倉方面に車で16~17分程度で我が家のお墓です。

お参りの時は曇っていたのですが、大船で所用をこなして午後2時頃帰路につくと
もう凄まじい豪雨で、車のフロントガラスのワイパーを最強にしても前が良く見えず
緊張しながらの運転で帰宅

晴れれば猛暑で、雨が降れば豪雨
何故、日本の気候はこうも荒々しいものになってしまったのでしょうか

「皇居内見学」
さて・・・
六本木の国立新美術館での「ルノワール展」を鑑賞した後は、地下鉄東京メトロ千代田線の
「二重橋前」で降りました。何となくお堀端を歩いてみたくなったのです。


近代的なビルが立ち並ぶ東京の丸の内と、江戸城の風情を残す時空を超えた新旧の美が並びます。

二重橋方面に向かうと大勢の人が列をなしていました。
「何の行列」と、守衛さんのような方に聞きました。

「皇居見学ツァーの当日受付の整理券を配っています」
「受け付けは1時からで身分証明書があればまだ大丈夫です」

「是非見学しましょう」、地方から上京してきた同行者が言いました。
東京近辺に長く住んでいても、中々こんな機会はありません。

今までは事前の申し込みで平日限定でやっていた皇居ツァー
6月下旬から当日受け付けOKで、土日もやっているらしい・・・


300~400人くらいが桔梗門から入り、窓明館に集合
荷物検査と身分証明書提示の後に説明を受け、お買い物タイム
ここには売店があり、菊の御紋のお土産が買えるのです。

そしていよいよ1時間半のツァーのスタート、この地図の順序に説明を聞きながら廻ります。
半分以上が外人観光客のようでした。


こちらは桔梗門の石垣。薩摩の島津家家紋の十の字が見えています。

富士見櫓(やぐら)

かつて江戸城にあった19の櫓のうち、現在残っている3つの櫓の1つがこの富士見櫓。
日本で唯一の三重櫓でもあるそうです。


将軍さまはこの櫓から富士山や品川の海を見ていたのでしょうね。
天守閣が焼失した後に再建されなかった為、この富士見櫓が天守閣として代用されたとの事。

どの角度から見ても同じ形に見える為、八方正面の櫓とも呼ばれているそうです。

宮内庁庁舎

昭和10年(1935年)に建てられた建物。
昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていた。

おりしも天皇陛下が「生前退位」の意向を示されたとのニュース
こちらの建物の中で働く方々も大忙しの日々の始まりかと思います。

「長和殿」と宮廷東庭

長さが160m、宮殿で一番長い建物で廊下の長さは100m。
一般参賀で天皇陛下や皇族方がお出ましなるのが、ここの中央バルコニーです。

長和殿前の広場が、宮殿東庭で広さは約4500坪
新年(1月2日)と12月23日の天皇誕生日に一般参賀が行われる場所。
石の下は駐車場になっていて、約120台収容できるそうです。


長和殿の左横には、庭があり、木で作られた築山があります。

正門鉄橋

一般的な皇居の観光写真でよく紹介されているのが、皇居正門付近から見た二重橋と
その奥に見える伏見櫓の絵になる写真です。

もちろん通常の観光では、皇居敷地内にある二重橋(正式名称:正門鉄橋)を渡ることはできませんが、
見学コースではこの橋も見学スポットになっています。

橋そのものもステキですが、その上から見る皇居前広場とその向こうにそびえるビル群も素晴らしい・・・
私が20代の頃に勤めていた会社のビルも見えました。

二重橋の内側から丸の内の近代的なビル群を写真に収めたかったのですが、
欄干の手前1mの所でストップでそばには寄れません
お堀に落ちたら大変だから

警備上の問題もあるのでしょうが、日本は「足元に注意!」などのおせっかいがやたら多い

「伏見櫓」

橋の反対側に目を向けると、三代将軍家光の頃、京都の伏見城の櫓を解体して移築されたと伝えられている
江戸城の遺構の一つ伏見櫓を眺めることができます。


皇居で最も美しい櫓で、皇居正門の二重橋の写真で必ず登場する背景ですね。

北車寄(きたくるまよせ)

宮廷東庭を戻り長和殿の北側に回ります。
北車寄は,国内の賓客が宮殿に参入される際の玄関です。

TV中継などで見る、晩さん会などが行われる時に海外のお客様などが使われる車寄せはどこかしら?

新宮殿は昭和43年10月に完成し,大屋根と柱・梁で構成される日本古来の建築美を生かして造られ,
その建築資材のほとんどが国産のものです。

宮殿は,深い軒の出を持つ勾配屋根をかけた鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上2階
地下1階,延べ面積24,175平方メートル(7,326坪)の建物で、正殿(せいでん),豊明殿(ほうめいでん)
長和殿(ちょうわでん)など7つの棟から構成されています。

私は新宮殿の完成時、OL仲間と見に来たことを思い出しました。
勤め先の意向で「できるだけ見るように」と、仕事中に来た覚えがあります。


長和殿玄関前の車よせから新宮殿の横を通り蓮池から桔梗門に戻りました。

カンカン照りではなかったけど、蒸し暑い梅雨空の中で汗だくになりましたが・・・
有意義なひと時を過ごしましたわ。


私たちはお堀沿いを竹橋方面に向かいます。大手門が見えてきました。

東御苑

大手門の中は皇居東御苑です。
旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので,
昭和43年(1968)から公開されています。

次回は是非ここに来たいと思いました。
兎に角喉が渇いていた私たち、皇居の緑が良く見えるレストランで飲んだビールとワインが美味しかったです。

       

壊れたテレビのその後ですが・・・
夫の寝室の38インチの液晶テレビがまだ充分に使える事を思いだし
日曜日、息子に一階のリビングに降ろしてつなげてもらいました。

翌日BSが点かないことに気付き、ご近所ののんちゃんに連絡したらすぐに飛んできて
ものの10分で繋いでくれました。あとはお茶してお喋りね

頼もしい頼もしい友人です。助かりました



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ブログ仲間と、両国で新年会

2016年01月18日 | 東京の街
今日18日は夫の月命日です。
同じ墓地を購入し、墓友となった写真仲間のSさんと、お墓参りの方々
近くの北鎌倉を軽くハイキングしようと計画していましたが・・・

天気予報にマークが付いた時点で延期
お墓参りは昨日の日曜日に、息子と孫と一緒に行ってきました。


昨夜半からうっすらと白くなっていましたが、朝起きたら思っていた以上に積もっていました。
午前10時の我が家近辺はシャーベット状の雪で、如何にも滑りそう・・・

新潟市や札幌市で生活経験がある私にしてみれば、これくらいの雪は春の淡雪
夫が居る時は「もっと降れ!」とさえ思ったものですが
今では家に閉じ込められてしまいそうな積雪が恐ろしい・・・

デッキには屋根から落ちた雪も加わり・・・右手に階段が通じている玄関前は如何にも滑りそう


昨夜から用心して、長靴と雪かきシャベルを玄関に置いて買い物も出ないで済むように待機・・・
年末に夫の後輩に門から玄関までの手すりの工事を頼んだけど、間に合わなかったわ


            

ブログ仲間と「両国」で新年会(1月16日)
毎年行われているブログ仲間との新年会、私は4回目の出席です。

今回は「両国でちゃんこ鍋を食べましょう」でしたが、
お料理も美味しかったけど思いがけない体験ができて、とても楽しい一日となりました。


待ち合わせはJR「両国駅」で11時、流石に国技館がある街・・・
駅構内にはお相撲さんの姿や、名力士たちの手形などが並び、独特の雰囲気でした。

ラッシーママさんの伊東の別荘の夏合宿で、何度かお会いしているビオラさんが、
今回初めて沼津から新幹線に乗って参加です。

待ち合わせ場所で会ったビオラさんと「子供のころは栃・若時代の思い出があり」
「青春時代は大鵬と柏戸戦に熱中したわよね」
「今は強い日本人のお相撲さんが居なくて淋しい限り」と話しました。


今回の新年会の参加者はラッシーママさん、花水木さん、bonjiさん、銀河さん、そしてビオラさんと私
だんだんさんと菊日和さんが、都合でキャンセルでした。

両国駅のすぐ前が、両国国技館です。
今丁度初場所中で鮮やかなノボリがはためいていました。

幹事さんの銀河さんは「相撲博物館」見学を考えていたようです。
普段は無料ですが、本場所中だけは入場券が必要らしい・・・

この日は満員御礼で中には入れませんでした。
横綱が3人ともモンゴル出身なのに、相撲は大人気なのですね。

「旧安田庭園」

相撲博物館見学は諦めて、すぐ近くの「旧安田庭園」に行きました。


純和風の庭園の向こうにスカイツリーが見えています。都会の中の静寂、オアシスですね。


池にスカイツリーが写り込んでいて、大きなカメラを持ってこなかったことを少し後悔しましたが
撮影よりはお喋りが忙しい・・・


浜離宮と同じような潮入り回遊式庭園として整備された大名庭園です。
詳しくはこちらをご覧ください。

隅田川

旧安田庭園をひと回りしてから、隅田川を見に行きました。綺麗な橋が見えています。

海外の「ライン川」や「「ナイルクルーズ」などの経験がありますが
東京の隅田川下りの街や橋の美しさは負けていないと思います。

ちゃんこのお店で「新年会」
両国はお相撲さんの街こちらのお店で新年会です




税込み2300円の「満腹コース」をいただきました。
3人前づづに分けられた2個のお鍋は、味噌とお醤油味にしてもらいました。

ちゃんこ鍋以外にもたくさん運ばれますビールを飲んだのはbonjiさんと私だけ・・・


飲めるだんだんさんが居なかったのが残念だったわ
でも、大勢でいただく鍋は美味しいですね(一人鍋は淋しくて・・・

山盛りのサラダに天ぷらも付いてデザートは月見大福


最後は味噌の方をおじやに、そして醤油の方をうどんにしてもらいましたが
お腹がマンプクリンになりました。

でも・・・
味噌のおじやが美味しかったわ
これで税込み2300円はお安くて、大満足です

食後は「吉良邸跡」へ

両国には、忠臣蔵で有名な「吉良上野介」の住居跡があります。

吉良邸は、浅野匠頭守による殿中刃傷事件の後の元禄14年(1701)
吉良上野介義央が当地を拝領して建設された吉良家の上屋敷で、坪数2,550坪ありました、


赤穂浪士による討ち入りの後は江戸幕府に没収され、その後住宅などが立ち並び、
往時の吉良邸を偲ばせるものはなにもなかったが・・・

昭和9年(1934年)に地元の有志らが旧邸内の吉良の首洗い井戸を中心に土地を購入し
東京市に寄贈し、翌昭和10年(1935年)に公園として開かれたようです。

悪役に見られていますが、地元では名君だったそうなこちらが「吉良の首洗い井戸」


打ち入りの往時を偲ぶにはあまりにも狭い公園ですが、詳しいことはこちらでどうぞ

そろそろ両国国技館に「幕内の力士たちが入場の頃」と、行ってみましたが・・・

「もう力士の皆さんは入られた」とのことで、「入場の時は声かけしてはダメなの」
「でも帰りは触ろうがサインしてもらおうが自由よ」と母娘連れさんにお聞きし

私たちは1時間ほど「甘味処」でクリームあんみつなどを食べて、再び国技館前に行きました。

両国国技館前で出待ち

取り組みを終えた十両の方々が出てきたようです。
いやはやお相撲にも「出待ち」があるなんて知りませんでしたわ

わぉ~、サインをしてもらうフアンがいるわ!イケメンの力士に声かけする方も・・・


私たちおばさん軍団も6人いれば誰かが負けずに声かけして・・・
特にお相撲大好きなbonjiさんが熱心に仕切り

ご覧の通りとあいなりましたもっと若いイケメン力士が出てきたわ


(上下2枚の集合写真はラッシーママさんの画像を使わせていただきました)


彼の名前は岩崎君・・・
オバサマ方はこれから勝手に、孫のような彼を応援し見守っていくことにしました
相撲大好きな花水木さんが、彼のことを詳しく調べたようでご覧ください。

生まれて初めての体験に、忘れられない思い出ができた新年会でした。



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年末のご挨拶と、「東京イルミネーション巡り」(2)

2015年12月30日 | 東京の街
今年も残す所あと1日となり、年末らしい寒さがやって来ましたね。

この一年、無我夢中で過ごしてきた感じがします。
独りの淋しさに泣き、友人たちの優しい心遣いに涙し

無心で歩いた先でふれた自然の美しさに心打たれ・・・
カメラのファインダーから眺めた日本の四季に感動した1年でした。


一昨日の12月28日の朝6時50分
ベッドルームの西側のロールカーテンを開けると目に飛び込んできた富士山です。

昨年の年末は亡き夫の事業の税務申告を、夫の仕事仲間の方の協力で終えた途端、
私は発熱・・・

息子一家は3泊4日でスキーに行くというので不安になり、夫の義姉に来てもらいました。
1年前の健気に頑張っていた自分を思うと涙が出ます。

今年は「毎日人と会って話し、そして歩く」をモットーに実行したせいか?
寝込まずに元気に新しい年を迎えられそうです。

これはひとえに見守ってくれた周囲の皆様とブログ仲間の皆様
そして私のたくさんの友人たちのお蔭です。
本当にありがとうございました。

まだまだ感情が乱れることはありますが・・・
新しい年は楽しく元気に過ごせるようにと願っております。

こんな私ですが、引き続きお付き合いを宜しくお願いいたします


            

さて・・・
復活した東京イルミネーション巡りの仕上げを年内にUPせねばなりませんね。

六本木「ミッドタウン」のイルミネーション
私たちご近所仲間4人は東京駅から地下鉄で「六本木」に出ました。


地下鉄の駅からミッドタウンに入り、→マークに導かれて陸橋を渡ります。


今年で9回目を迎える東京ミッドタウンのイルミネショーン。
最大の見どころは青をベースにした約18万個のLED電球で輝くスターライトガーデン2015。


惑星を表現するヴィジョンド―ムと、初の導入となる新型イルミネーションシステム”MAKI”を
使用した星空イルミネーションは、芝生広場いっぱいに立体的な光を放ち、
華やかな宇宙空間を演出します(パンフレットより)


幽玄な音響の中で繰り広げられる、7~8分くらいの宇宙の光のショーを
カメラのフィンダー越しに眺め、手持ちでシャッターを切りましたが・・・

どうも目で見た通りの鮮やかなブルーが出ないわ


8年前に来た時はブルーの灯りの中に「流れ星☆」が現れて感激しましたこちらですが
カメラの腕はさっぱり進歩していないような・・・?


ミッドタウン内の吹き抜けのクリスマスツリーです。
私たちは喉が渇いたので、一階のフロアーで、コーヒーを飲み
地下鉄「大江戸線」で、汐留に向かいました。

「カレッタ汐留」のイルミネーション
大江戸線の駅からエスカレーターを上がっていくと、音楽が聞こえてきました。


目の前に青の世界が広がります。
私はオートにしていたデジイチカメラのホワイトバランスを太陽光に変えました。

約27万球のLEDで、幻想的な“アジュール(青)”の世界が広がる
カレッタ汐留のイルミネーション。


天高くそびえ立つタワーやカリヨンツリー、光のウォールが輝くイルミネーションの空間に
足を踏み入れれば、大海原を泳いでいる気分・・・


点灯期間中は、次々と色を変える光とオリジナル楽曲が織りなす約6分間のイルミネーションショーが
毎日点灯から22:00の間、20分ごとに開催されるそうです。


六本木のミッドタウンは12月25日で終わったようですが、こちらは2月の14日までやっています。
まだまだ楽しめますね。


ただ7年前に行った時は、日本TVに向かう通路も華やかなイルミネーションで飾られていたのに
今回はありませんでした。

そういえば「東京駅スペシャルライトアップ×光のプロムナード」(東京ミチテラス2015)も
照明演出であり、以前やったプロジェクションマッピングはなかったようですね。

やはり節電意識が高くなっているのでしょうか?


それでも私たちは都会の空気の中に輝く華やかなイルミネーションに満足し
「70近くなってもこれだけこなせたのだから、歩ける内は毎年行きましょう」となりました。

20日に納めのハイキングに参加し、その後年賀状を制作
投函してからは連日買い物と大掃除に追われていました。

去年は喪中で風邪を引き、一昨年は父が危篤状態と医者から言われ連日病院通い
その前の年は12月9日に母を亡くし、これ又喪中でお正月もなし・・・

今日は毎年暮れの30日に夫がやっていた、松飾りを門扉に取り付けていると、
ご近所の奥様から「お宅のご主人の造った門松は見事だったわね~」と声をかけられました。

そう・・・
古いブログのお仲間さんたちなら知っているこちらです。
彼女も我が家の夫よりも1ヶ月先にご主人を亡くされた未亡人さん、二人で涙ぐみました

午後からはお供え餅を組み立てお花を飾り、夕方にやって来た息子に手伝ってもらって、神棚の掃除・・・
毎朝かしわ手を打っていた夫に代わり、神棚は私が守っていかねばなりませんね。

明日の大晦日は息子に玄関周りと階段のタイルを高圧洗浄器で磨いてもらう予定です。
今年は息子一家のスキー行きが、別荘の持ち主の都合で中止となったそうで・・・

私は息子宅で年越しをする予定です。
皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。





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