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映画 ミュージカル&ラヴ・ストーリー「五線譜のラヴレター(04)」

2005-08-29 12:55:02 | 映画
 生涯を共にするすばらしい女性とめぐり合うところから始まるコール・ポーターの半生を、おなじみの名曲に乗せて描くミュージカル。実在した人物を描く場合、時系列に描くオーソドックスな手法をとることが多いが、この映画はそんなありきたりな手法でなく、老境に入ったコール・ポーターが過去の自分を見るというユニークな作り方をしていて、音楽と恋物語を十分堪能することが出来た。

 監督   アーウィン・ウィンクラー
 キャスト ケヴィン・クライン(コール・ポーター)
      アシュレイ・ジャッド(リンダ・ポーター)

 コール・ポーターはもともと資産家の息子で、わびしいアパートの一室で作曲をするというイメージから程遠い。いわゆる育ちのよさが成人してからも当然付きまとい、気品や洗練が身について日常の態度にそれが現れてくる。大富豪のリンダも同様で、俳優の人選が難しいところだ。ケヴィン・クラインとアシュレイ・ジャッドは、そういう雰囲気を持っていて見事に演じた。

 リンダはコール・ポーターがゲイであることを知りながら、コールの作曲家として成功する夢を“二人で夢をかなえましょう。独立した二人として”結婚する。当然寝室は別個だ。リンダは鋭い洞察力の持ち主だった。コールがスランプのときには、アーヴィング・バーリンに会わせたりして裏から支えた。もっとすごいというか誰にも真似が出来ないと思われるのは、リンダが肺の病気で夫を後に残すことを悟ったとき、寂しくないように男の友人を紹介したりすることだ。リンダがコールを深く愛していたことが分かる。

 この映画にはトップ・ミュージシャンが歌を披露しているのも見ものだ。ロビー・ウィリアムス、エルヴィス・コステロ、シェリル・クロウ、ナタリー・コール、キャロライン・オコナー、アラニス・モリセット、ダイアナ・クラールである。特に画面と雰囲気がぴったりとあって、より強い印象を与えたのは、リンダが流産に涙を流す場面に重ねてシェリル・クロウが歌う短調の暗い“ビギン・ザ・ビギン”である。心にしみるシーンだ。

 リンダとの早めの別れの場面から、葬儀での墓標にバラが添えられカメラが上に移動してコールの部屋着姿まで、ナタリー・コールの“Every time we say goodbye”がぴたりとはまる。最後のgoodbyeが物悲しい。

 そして特筆すべきはメイキャップで、ケヴィン・クラインが老年まで演じるため目の下のたるみやしわ、手のしわや血管が浮き出た様子、それに髪の薄くなった状態のかつらをかぶるというもので、全く不自然さはなく、最初高齢の俳優を使っているのかなと思ったほどだ。こういう映画を観ると長く余韻が残る。
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アイラ・レヴィン「ステップフォードの妻たち」

2005-08-25 12:56:37 | 読書
 映画「ステップフォード・ワイフ」の原作で、映画を観たあと読んだのは失敗だった。映画が原作に忠実ではないが、ジョアンナを演じたニコール・キッドマンやボビイ役のベッド・ミドラーがちらついて集中できなかった。イメージが具体的に提示されていると勝手が違う。

 ステップフォードに引っ越してきたジョアンナが最初に見たのは家事に精を出す妻たち、そしてお茶の誘いにも断られる始末。そんな妻たちに批判的な二人の親友もやがて同じような妻に変貌していく。自分も変わるかもしれないと危機感を抱いたジョアンナはほかの町へ引越しを決意するが、夫のウォルターは納得しない。

 精神科医と相談したり、図書館で男性協会のメンバーがディズニーランドの「機械仕掛けの人形館」で働き動き、話す大統領の人形制作に協力した人や、コンピューター・システム開発の技師や、ビニール・ポリマーの研究者、マイクロ回路部門の社員、音響部門社員、自動安定装置の社員といった情報を集めたりして、ある確信にいたる。

 それは妻たちのロボットを作っているということ。美人で健康でよく働き従順、おまけにすばらしい肉体とそれに男たちの最大の関心事セックス・テクニックに優れているという夢のような女を作っている。本物の方はどうなる?焼却炉?それともステップフォード池の底?で、はなしの結論として、ネタバレになるが、結局女のロボットは、ジョアンナの勘違いでステップフォードの妻たちの仲間入りを果たすことになる。

 くどい表現もなく適度のユーモアでアメリカ郊外の生活を、サスペンスにくるみ描写している。ただこの作品が書かれた1972年頃は、ウーマンリブ運動が盛り上がっていて女性の地位向上や性の解放が叫ばれていた。ジョアンナも性革命の主唱者ケイト・ミレットや全米女性機構の設立者のベティ・フリーダンの名前を口にしている。当時の若い女性は少なからずウーマンリブ運動に影響されていたのかもしれない。

 この本の解説にも“保守的な考えの男たちにとって、ウーマンリブ運動を単なる頭痛の種とはいえないような巨大な邪魔者に成長してきたのである。「ステップフォードの妻たち」が、明確に女性解放を諷刺する作品だといえるかどうか、筆者には分からない”といっている。

 時代がやや古いので、こんな描写が分かる人は少ないと思う。
「ピーター・ローレ見たいな顔つきの子にとってはね」とボビイが言った。
このピーター・ローレというアメリカ映画の脇役のことを知っていればにやりとする箇所だ。独特の雰囲気を持っていて、私の好きな俳優の一人だった。ずいぶんと昔の時代設定になっているが、トヨタやソニー製品が出てくるのも、このころすでに日本は頑張っていたのだなーと感慨深い。

 ピーター・ローレを知らない人のために、映画「カサブランカ」からの写真をつけておきましょう。
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映画 ニコール・キッドマン「ステップフォード・ワイフ(04)」

2005-08-21 13:17:55 | 映画
 ニューヨークのテレビ局で成功を収めていたジョアンナ(ニコール・キッドマン)が番組の失敗からクビになり、落ち込んで入院。同じテレビ局に勤めていた夫ウォルター(マシュー・ブロデリック)も妻をクビにした職場に憤慨して退職。人生をやり直すため郊外のステップフォードという町に引っ越す。

 豪邸が並ぶ美しい町ではあるが何かおかしい。奥様方は若く美人だし笑みを絶やさないがしっくり来ない。ジョアンナは落ち着かない。ミステリアスな雰囲気を盛り上げながら、エンディングで真相が明らかになる。

 監督 フランク・オズ
 キャスト 
 ニコール・キッドマン(ジョアンナ)
 マシュー・ブロデリック(ウォルター)
 ベッド・ミドラー(ボビー)
 グレン・グローズ(クレア)
 クリストファー・ウォーケン(マイク)
 フェイス・ヒル(サラ)
 ロジャー・バート(ロジャー)

 出演者が口々に言うステップフォード・ワイフとは、
 「ステップフォード・ワイフたちはみんな同じだ」
 「従順でロボットのような女性」
 「夫のためだけに存在している」
 「何でも言いなり」
 「魂が抜けた人形だ」
 「お飾りみたいな妻」
 「体制に順応する人の典型」という。

 次のように、ある程度社会に定着している言葉であることも確かなようだ。ニコール・キッドマンは「ステップフォード・ワイフって日常でも使う表現よ。男女を問わず特殊なタイプの人を指すの。有名な言葉よ」

 マシュー・ブロデリックは「日常の会話に出てくるよ。“あの人はステップフォードだ”と」そうは言っても、日本人の私にはさっぱり分からない。原作本に何かヒントがあるかもしれないというわけで、図書館から借り出した。

 本が書かれたのが1972年、このころはウーマンリブ運動(Women’s Liberation Movement)が活発化し、女性の地位向上や性の解放が叫ばれた。そんな時代の中で、原作者も離婚に見舞われ三人の子供を抱え浮かぬ顔であったそうだ。何か女性に対するわだかまりなり鬱積が、ユーモアと揶揄のユニークな本を書かせたのかもしれないと訳者は言う。本の売れ行きがよくて、ステップフォード・ワイフが一般化したのかもしれない。

 さて映画はウーマンリブ運動のかけらもなく監督が言うテーマ「対立ある結婚生活。ステップフォードでの生活を通して変わっていく二人についての物語」だそうだ。夫たちの乗っている車は普通のセダン、スポーツカーやバイクで子供だまし、着ているものもさえない。

 反面妻たちの着飾った服装や乗っている車は全員SUV(多目的スポーツ車、俗に言う四駆車)で、集まりがあると豪邸のドライブウエイにずらりと並ぶ。そういう均一化され個性を奪われたステップフォード・ワイフたちを開放するのがジョアンナとウォルターだった。一言で言えば印象に残る映画とは思えない。ニコール・キッドマンを見るだけで満足する人にはいいかもしれない。

 ニコール・キッドマンの出演の弁は、“Birth”を撮り終えた直後だった。重い作品だったから、外に出て映画を撮るのもいいかなって、サマーキャンプみたいだと誘われたのという具合。コメディでチョット息抜きってな感じ。それにしてもキッドマンの身長が180センチもある。ステップフォード・ワイフになる女優さんたちもみんな長身でスタイル抜群、勿論ルックスも申し分ない。それにひきかえAOLやマイクロソフトの幹部といいながら、男どものなんとさえないことか。要するに男の本心は、ステップフォード・ワイフのような妻に憧れているのだろう。
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ミステリー パトリシア・コーンウェル「黒蠅」

2005-08-17 13:50:26 | 読書
 女流作家のタミ-・ホウグが、アメリカではこのコーンウェルに並ぶ人気という。タミー・ホウグの本は少し前に読んだけれど、コーンウェルには届かない。かといってこの「黒蠅」が上出来とも思えない。

 スカ-ペッタ、ルーシー、マリーノ、ウェズリーなど馴染みのキャストで展開される物語も余情も足りないし冗長な部分も気になる。またアメリカン・ミステリーに顕著な銃器についての詳細さは、例えば「くるぶしのホルスターをはずして、357マグナム弾を撃てるスミス&ウエッソン340PDをベッドの上においた。ダブルアクション・オンリーのリボルバーで、スピアー社製の重さ125グレインのゴールド・ドット弾が五発装填してある。ブリーフケースからもピストルを二挺とりだした。一挺はポケットにおさまる40口径のグロック27.薬室もふくめると十発装填可能だ。弾薬はハイドラショック弾。弾丸重量は135グレイン。弾頭を被甲して刻み目を入れ、中央にピンを立てたホローポイント弾。弾速は357メートル毎秒。高エネルギーだから、十分なストッピング・パワーがある。被弾すると体内で先端が鋭い花のように広がる」と言うようにまだまだ続いていく。ラストでこれらの銃を使う場面が出てくるが、ここまで詳しく書く必要があるのだろうか。

 アメリカの読者が要求しているか、あるいは名だたる銃社会だから裏があるのかもしれない。どの作家も詳しく書く傾向にあるようだ。いずれにしても、旅の暇つぶしなんかに適当な作品。
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「ヴァージニア・ウルフ短編集」

2005-08-13 13:16:28 | 読書
 なんと難解な!と思わずつぶやいてしまう。意識の流れ手法で書かれた「ダロウェイ夫人」の美しい文体に魅了されたが、そもそも意識の流れとは一体なんなのか。

 フリー百科事典「ウィキペディア」から引用すると「意識の流れは哲学、文学用語である。米国の心理学者のウィリアム・ジェイムズが、1890年代に最初に用いたものである。人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく思考や、感覚のこと。あるいはそういった主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法のこと」らしい。

 この短編集は、17編からなっていて散文詩風や意識の流れ手法、寓話風で繊細、緻密な作品と訳者は紹介する。私が気に入った点と言えば、この人の最初の出だしの一行か一行半ほどの文章だ。

いくつかを引用してみよう。
「青と緑」ガラスのとがった指先はみな下方を差している。
「堅固な対象」砂浜の広漠とした半円の中で動いている唯一のものはその小さな黒い点だった。
「外から見たある女子学寮」羽毛に白をたたえた月の光があるので空は決して暗くなることはない。
「ボンド通りのダロウェイ夫人」手袋を買いに行ってくるわ、とダロウェイ夫人は言った。
「憑かれた家」あなた方が起きたのが何時だったにせよ、その時、ドアが閉まる音が聞こえたはずだ。
「月曜日あるいは火曜日」物憂げに、無関心に、翼で軽々と大気を打ち震わせて、行くべき道を知る青サギは教会の上空を飛ぶ。
「キュー植物園」楕円の花壇からハートの形の、あるいは舌の形の葉を身の丈の半ばまでつけた茎が百本ほど群れて上方を指している。
「壁のしみ」はじめて壁のしみに気がついたのは今年の一月の半ば頃だったろうか。
「書かれなかった長編小説」そうした不幸の表出は視線を新聞の上まで引き上げさせ、憐れな女の顔を注視させるに充分値した。

 これらの書き出しは読者を一気に文の行間に取り込んでしまう力があるように思う。しかし、残念ながら読解力の不足もあって「難解」の大岩に阻まれてしまう。「ボンド通りのダロウェイ夫人」は、読み終えた「ダロウェイ夫人」に魅了されたこともあって親しみを覚え、「ダロウェイ夫人」の、ミセス・ダロウェイは、お花は私が買ってくるわ、と言ったという書き出しのトーンも似通っている。いずれにしても、私にとって何度も読み返すであろう本となった。
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ミステリー タミー・ホウグ「ふたりだけの岸辺」

2005-08-09 13:21:48 | 読書
 ミネソタ州ツイン・シティズの東スティル・ウオターズで、何十年に一度の殺人事件が発生する。発見者は、テキサス州から離婚して引っ越してきた、地元紙クラリオンの発行人エリザベス・スチュアート。捜査に当たるのは、郡保安官ディン・ジャンセン。この

 二人が反目しながらも惹かれあい、またエリザベスと息子の関係、ディンと娘の関係、町の人々との関係、特殊な生活態度を見せるアーミッシュの人たちとの関係やそれぞれの過去を含めて克明に描き出す。時にくどいと思わせるが、女性作家特有の繊細な観察眼から、まるで最高の演技を見るような描写もありユーモアも欠けていない。たとえばくどいと思われるのは“「あの、この近くに公衆電話はないかしら?息子に電話しなきゃならないの」通信係は、離婚した母親、あるいは死体を発見した女性、さもなくばその両方に対する自分の考えを伝えようとでもするように、しばらくじっとエリザベスを見つめてから、大きく髪を膨らませた頭を鋭く左に傾けた。”

 最高の演技を見るような描写はコーラを飲み干すと、テーブルの上についたグラスの跡を指先で拭き取った。とか便器のふたを使用後は降ろしておく方がいいいというような日常のさりげない表現が随所に見られる。

 暴力場面もあるが、いうなればロマンティック・ミステリーというところだろうか。好みの問題であろうが女性読者には支持されそうに思う。この作家は、大胆にもセックス・シーンもふんだんに提供していて、女性から見る男性のセックス・アピールもわかって面白い。アメリカでは検屍官シリーズのパトリシア・コーンウェルに並ぶ人気だとか。
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故村上信夫さんについて

2005-08-06 13:43:51 | 雑記
 元帝国ホテル料理長村上信夫さんが84歳で逝去されたことについて、各新聞社のコラムで取り上げられているのを見て、フランス料理の普及に多大の貢献をされた足跡が窺える。

 私は料理番組を見たわけでもなく、帝国ホテルに泊まったこともなく、また立ち寄ったこともない。日比谷公園を散策した折ホテルを見る程度だ。唯一つの接点は、村上信夫さんが書かれた昭和52年(1977年)の「村上信夫の西洋料理」という本があるのみ。

 内容は、肉料理、魚料理、野菜料理、卵料理、ご飯料理、スープ、ソース、サラダ、サンドイッチ、デザートの10章からなっていて、ローストチキン、ハンバーグ、あじのムニエル、コロッケなどなどがやさしく解説されている。料理作りの参考に重宝している。中でも肉料理のつけ合わせの「ポテトのア・ラ・クレーム」は簡単に作れるので頻繁に食卓を賑わす一品。肉料理のつけ合わせと限定せず、魚や卵料理に用いてもよい。

 ポテト500グラムは、皮をむいて二つに割り、5ミリくらいの厚さに切る。鍋に入れて塩小さじ一杯、コショウ少々、牛乳カップ一杯半、バター大さじ三杯を弱火で煮込む。牛乳が煮詰まってきたら火を止めて出来上がり。ポテトの澱粉分で、ホワイトソースで合わせたようになる。ぜいたくに作ろうと思えば、最後に生クリームを少量加える。これでおいしく出来ているはずだ。私はカロリーが気になるので生クリームは入れない。ご冥福を祈りながら、昨夜はハンバーグとこのつけ合わせの夕食になった。
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映画 ケヴィン・スペイシー アネット・ベニング「アメリカン・ビューティー」(99)

2005-08-04 14:03:23 | 映画
 雑誌社に勤めるレスター(ケヴィン・スペイシー)不動産セールスのキャロリン(アネット・ベニング)高校生のジェーン(ゾーラ・バーチ)の家族は、崩壊の危機を迎えている。

 いきなり驚くべき映像から始まる。レスターが起きてシャワーに向かう。レスターのナレーションが入る。「見てくれ、シャワーでシゴいている。これが一日で最高のとき、あとは地獄へ一直線」朝出かける車の中、レスターは目をつむっているしジェーンはそっぽを向いて外を見ている。キャロリンもひと言も発せず運転している。車の中は冷たい風が吹いているようだ。

 何のことはない、レスターの家庭ばかりでなくどこにでもある風景。と思うとぶるっと震えが走る。赤いバラがモチーフとなって、食卓に飾り前庭にも植え込んでありリビングのテーブルにも赤いバラという具合。赤いバラの花言葉は、「熱烈な恋」レスターとキャロリンはかつて花言葉のような時期があったのだろう。あらゆるところに赤いバラは、皮肉を表しているのだろうか。

 レスターは娘の友人アンジェラ(ミーナ・スヴァリー)に興味を示し、幻想に中で劣情を刺激する。そこには赤いバラの花びらに囲まれたアンジェラがいて、情熱は若いアンジェラに向かっている。そんな中キャロリンの不倫が発覚する。いよいよ危機が現実になってくる。が意外な結末が待っていた。

 この作品は、アカデミー賞監督賞と主演男優賞受賞、主演女優賞にノミネートされるという評価を得ている。DVDのサム・メンデス監督のコメンタリーを見ていると、「シャワー・ルーム、オフィスや車、窓ガラスなどすべて檻を象徴していてそして開放される」という。そういう意図で作られたとしても、多くの観客には受け止められていないのではないか。私自身、中年男が妻に興味をなくし、若くてぴちぴちした肉体に羨望と欲望を抱き、ひたすら求める悲しい獣にしか映らない。へエー、これがアカデミー賞?正直な気持ちだ。
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