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映画 マーティン・スコセッシ「ディパーテッド(‘06)」

2007-06-28 11:54:23 | 映画

              
 アイリッシュ・ギャングのフランク・コステロ(ジャック・ニコルソン)は言う“おれたちアイリッシュは違う。誰も与えない、自分で奪うんだ。ガキの頃言われた。アイリッシュは、警官か犯罪者になるとな。俺ならこう言う銃と向き合えば違いはねえ”
              
 コステロは、子供の頃から目をかけ育てたコリン・サリバン(マット・デイモン)をマサチューセッツ警察学校に入れ、組織の中枢へとねずみのように潜り込ませる。州警察の動きを事前に知り、自身の麻薬ビジネスを安泰なものにしようと企む。
 一方州警察おとり捜査部門も、一匹のねずみをコステロの組織に放った。それはビリー・コスティガン(レオナルド・ディカプリオ)で、コリンと同期生それにおとり捜査担当上級巡査部長ディグナム(マーク・ウォールバーグ)に言わせれば“大した血筋だ。トミー・コスティガンまで伯父とはな。捜査官に銃を売り逮捕、世間からはみ出した連中ばかりだ”という適材。
              
 この二匹のねずみが対峙するまで緊張感あふれる展開を見せる。そしてみんな故人(The Departed)になる。生き残るのは、上級巡査部長ディグナムで、コリンの頭に銃弾を浴びせて歩き去る。

 私がこの映画で一番印象に残ったのは、上級巡査部長ディグナム役を演じたマーク・ウォールバーグだった。その理由は存在感を感じたせいだった。ウォールバーグはこの映画でアカデミー助演男優賞にノミネート、全米批評家協会賞では、助演男優賞を受賞している。
 観る者に全身全霊を打ち込んでいる様がよく分かり、それが存在感につながっているようだ。演技とはそういうものということを改めて教えてくれた気がする。
 ジャック・ニコルソンをはじめディカプリオ、デイモンも実績があるが、ウォールバーグに食われているところがある。
               
              左マーク・ウォールバーグ 右マット・デイモン
 映画芸術において、暴力の美学というものがあるとすれば、この映画もその一つといえるだろう。無残な死体や血みどろの顔、殴り合い、拳銃を撃つ場面は、顔を背けたくなるかもしれないが、これらの場面を除いては語れないだろう。
 気がついたのは、拳銃の音と撃つ人体の場所だ。たいていの映画では拳銃の音を、音響効果を狙ってかなり大きくするが、この映画ではパンという小さな音になっている。おそらく実際の音に近いのではないだろうか。
 そして撃つのは頭部だった。撃った瞬間血しぶきが噴出する。かなり衝撃的だが、腹を撃つよりも武士の情けの範疇に入る。頭は即死だが、腹は苦しみながら時間をかけて死んでいく。
 決して後味のいい映画とはいえない。暴力シーンが多いのとセリフが下品なことから映倫R-15の指定になっている。いずれにしてもマーティン・スコセッシにお情けでアカデミー賞をあげた気がしないでもない。

 スコセッシは1942年11月ニューヨーク市クイーンズ、フラッシング生れ。過去何度もアカデミー監督賞にノミネートされるが、ついに本作で‘06年の作品賞、監督賞、脚色賞、編集賞の受賞を果たす。
 キャスト レオナルド・ディカプリオ1974年11月カリフォルニア州ハリウッド生れ。「タイタニック」で大ブレイクする。
 マット・デイモン1970年10月マサチューセッツ州ケンブリッジ生れ。’02「ボーン・アンデンティティー」が大ヒット。
 ジャック・ニコルソン1937年4月ニュージャージー州ネプチューン生れ。
 マーク・ウォールバーグ1971年6月マサチューセッツ州ドーチェスター生れ。ほかにヴェラ・ファーミガ、マーティン・シーン、アレック・ボールドウィンなど。

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読書 ボブ・グリーン「ABCDJ」

2007-06-23 13:33:59 | 読書

              
 今は亡き友が死に至るまでの間、故郷オハイオ州ベクスレイで濃密な時間をともに過ごし、過去に共有した時間を回想しつつ友に鎮魂の詩(うた)を贈っている。 邦題のAはアレン、Bはボブ・グリーン、Cはチャック、Dはダン、Jは、ボブの最初の、そして一番古い友人ジャックのことを表わしている。この本はジャックとの五歳から五十七歳までのともに生きた時間が大部分を占めている。

 書き出しはこうだ。“私たちは、「オーディー・マーフィーの丘」に向かって、ゆっくりと歩いていた。ジャックは以前ここに住んでいた。初めて親友になったとき、私たちは五歳だった。そして五十七歳になったいま、オーディー・マーフィーの丘と呼んだ芝生を前に、私たちはしばし立ち止まっていた。
「あの頃は、もっと傾斜がきつかったように思うけれど」と、私は言った。
「そうだな……まだ小さかったから」と、彼は答えた。
こんな風に二人で歩くことも、あと何回もないはずだった。今日までに至る数ヶ月間で、彼はすっかり体力を失っていた。それでも私は故郷に戻ってくるときはいつでも、彼と一緒に町を歩いた。彼がそう望んだからだ”

 この友人のジャックは、金持ちにはならなかったが、人に尽くす献身的な人物でさりげなく語られている。サポート・グループの様子を伝えるジャックの心情に感動を受ける。
 サポート・グループというのは、映画でよく見るアル中患者同士が語り合う場面と同じで、ぐるりと円にしたパイプ椅子に坐って発言するというあれである。
 ジャックは夜遅くボブに電話をする。本からの抜粋は、“カウンセラーはいるものの、何を話すかは患者や配偶者や家族など、それぞれの自発性に任されていた。その進行を担うのがカウンセラーの役目で、予定表や議題といったものは一切なかった。ただ心に浮かんだことを口に出すのが、この集会の目的だった。
 治療のこと、抱えている不安、施術のことから試薬による療法まで、何をテーマにしてもよかった。患者とその伴侶が外ではあまり口に出して言えないようなことを、同じ悩みを抱えたもの同士で語り合った。ここでは誰もがよき理解者だった。なぜ夜の遅い時間を選んで電話をしてきたのか、私は分からなかった。
「グリーン、彼らが気の毒でならないんだ」何か聞き間違えたのかと私は思った。「誰が気の毒だって?」と、私は訊いた。
「集会に来ていた人たちだよ」と、彼は言った。
「君だって同じ立場じゃないか」
「僕よりも辛い人ばかりなんだ。まずガンになってからの時間が長い。中には深刻な手術を経験した人もいて、付き添いなしでは何もできない人もいる。本当に辛い目に遭ってきているんだよ。彼らの話を聞いていたら、胸が張り裂けそうだった」だから電話をせずにいられなかった、と彼は言った。自分のことが辛くて電話をしてきたのではなかったのだ。同じ境遇の人を見て将来の自分を案じたのではなかったのだ。ジャックが冒されているガンは特に悪性で、その先には死が待っているとわかっているのに、彼はその夜をともにして初対面人たちを案じていた。
「あの様子を見たら君だって、自分に何か出来ることはないだろうかと考えると思うよ」と、彼は言った。そしてそのことを考えていたら、眠れなくなってしまったというのだ。
「ベッドで横になっていても、そのことが頭から離れないんだ」と、彼は言った。「どうしてあの人たちがこんな目に、と思ってしまう。彼らにどんな言葉をかけてあげたらいいのか、どうしたら楽にして上げられるのか、そんなことさえ上手く思いつけないんだよ」

 これに続く文章を読んだとき、活字がにじんできて鼻がぐずぐずいった。少し長いけれど引用すると
“翌日私はシカゴのレストランにいた。席に一人で坐りながら、もちろんジャックのことを考えていた。彼に会いに行く次回の予定を考えているところだった。そこへある家族が、大きな息子を連れて入ってきた。見たところ彼は障害を負っている様子で、そのために体がときおり意思と関係なく動いてしまうようだった。おそらく神経障害の類だと思うのだが、体の動きといい、そのときに立てる音といい、彼にはまったく制御が不可能だった。
 そして白いテーブルクロスがかけられた高級なレストランにいる客たちは、そのことをどこか不快に感じているようだった。一人のウェイトレスと二人のウェイター、そしてマネージャーの計四人が、家族のすわる席へ近づいていくのが見えた。他の客たちの拒絶するような態度を見て取り、その対応に向かったのだと私は思った。テーブルを遠くへ移すとか、あるいは他の店へ行くように促すのではないかと私は案じた。だとしたら法律に違反するような態度だが、それはそれでよくあることだった。
 しかし、ウェイトレスは満面に笑みをひろげ、励ますような明るい声で「ハイ!」と、彼に話しかけた。そして彼の席に近寄り、そこにひざまずいた。
「元気にしていた?」と彼女は尋ねた。ニコニコと笑いながら、彼の目をしっかりと見ていた。
「会えなくて寂しかったよ」と、ウィエイターの一人が言った。
「いったいどこへ行っていたんだい?」マネージャーも声をかけた。
「レイ、お帰り! 調子はどうだい」その若い彼は微笑んでいた。前にもここに来たことがあり、スタッフは彼のことを知っているのだった。店は彼を心から歓迎し、楽な気持ちで過ごせるように即座に対応していた。それを見る家族も嬉しそうな様子だった。
 彼らがこの店に何度も足を運ぶのも道理だ、と私は感じた。おそらく他の場所で、家族はこれほどの対応を受けてはいないだろう。生まれ持った障害のせいでどこへ行っても音を立ててしまい、先々で冷たい視線にさらされてきたはずだ。スタッフの対応を見て、レストランの客たちにも和やかな空気が広がった。ただそれだけで絶大な効果があった。その家族がやさしさと理解を持って迎えられたのを目にして、彼がここにいることは少しもおかしなことではないのだということに誰もが気づかされたのだ。むしろ彼が店にやって来たことで、そこにいる人たちは人間の持つ慈しみのようなものを感じていた。
 そしてそんな体験を味わったからだろうか、あるいは前日の晩にジャックが電話で言っていた内容にいまだに驚いているからだろうか。私はこう思った。……ジャック、ここにもまた一つ、君の財産が受け継がれている。実にシンプルなことなのだ。困っている人には親切にすること、自分では何も出来ない人に対しては手を貸してあげること。自分を護るすべのない人を温かく迎えること”
こんなレストランなら贔屓にしたいものだ。ちなみに、オーディー・マーフィーの丘のオーディー・マーフィーは、第二次世界大戦のイタリア、南フランス戦線などで戦功をあげ、米陸軍の最高栄誉賞など24個を受章して英雄となる。帰国後映画出演などがあるが、1971年5月飛行機事故で死去。47歳だった。ボブ・グリーンたちは芝生の庭に、その英雄にちなんで名づけたのだろう。

 著者は、1947年オハイオ州ベクスレイ生れ。アメリカの名コラムニストとして、30年以上にわたってサン・タイムズ紙、シカゴ・トリビューン紙などでコラムを執筆するほか、ライフ誌、エスクワイア誌でリード・コラムニストとして活躍。ABCのニュース番組「ナイトライン」の解説者を務め、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーの『十七歳春/秋』『チーズバーガーズ』『マイケル・ジョーダン物語』『DUTY-わが父、そして原爆を落とした男の物語』など著書多数。
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読書 トマス・H・クック「緋色の迷宮」

2007-06-19 11:40:22 | 読書

              
〈家族写真はいつでも嘘をつく〉
 導入部でこの文字が目に飛び込んでくる。海辺や高原の避暑地。紺碧の空に浮かぶ白い雲や陽に輝く木々の向こうに見える山並みを背景に、若くて精悍な父、美しい母、十歳に満たない子供たち。
 子供たちを護るかのように両親が両脇に立っている。この幸せな瞬間が永遠に続くかのように、みんな穏やかな笑顔を浮かべて。しかし、家族は壊れやすいガラスのようなもの。

 父は息子を本当に理解しているのか。そして夫は妻を……。小さな町で写真店を営むエリック・ムーアの人生に突然難題を突きつける。エリックの十五歳の息子キースが、ベビーシッターを頼まれた家の8歳の娘が行方不明になった事から始まる。
 当然警察も周囲も最後に見た人間に関心が集まる。キースも例外ではない。親はうちの息子に限ってそんなことはしないと思い込もうとするが、でも、まさか……。息子の行為がすべて疑問に思えてくる。おまけにエリックの実兄の破廉恥な行為や妻に対する不信も生まれるようになる。

 やがてエリックが悟るときが来る。“わたしがキースのことで間違っていたのは、ティーンエイジャーのよそよそしさや、怒ったような薄笑いを浮かべた不機嫌そうな行動にもかかわらず、内側では大人になりつつある部分があることを認めようとしなかったという点だと気づいた。
 思春期というもろいサナギの内側で成長しつつある大人の部分を認めて、それを注意深く引き出してやることが必要であり、キースの未熟さにではなく、まもなく大人になろうとしているという事実にこそ向き合う必要があるのだろう”

 理解しあえた父と子だったが、事態は悲劇的な方へ流れてしまう。文体は少し暗いが、浮き上がる心のひだが印象的で琴線に触れる。もし、こんな事態に直面すれば、どうすればいいのか自信はない。一途に息子や娘を信じることなのだろうけど。

 著者は、「緋色の記憶」で1997年度エドガー賞受賞の実力派。アラバマ生まれ、ニューヨーク在住。
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小説 人生の最終章(最終回)

2007-06-16 12:45:59 | 小説

23

 めぐみは考えていた。あの香田という人は、ほんとに優しい人なんだと。けいが言ったというめぐみの話を、香田に抱かれたいために、でっち上げた嘘なのではと考えても不思議ではない。にも拘らず、あえて、受け入れてくれた香田には包容力を感じていた。
翌日パソコンを起動した香田に、めぐみからメールが届いていた。
「香田さん。きのうはわざわざお越しいただいて、ありがとうございました。
私もやっと心の重荷が下りたように思います。それに、素敵な愛の贈り物をいただいて、嬉しさで涙をとめることが出来ないくらいです。
 本当に心のお優しい方ですね。奥様がうらやましい。でも、私は二度とメールは差し上げないでしょう。それで、こちらへのメールもお止(よ)しになってください。お願いします。
素敵な時間をありがとうございました。
それでは、奥様ともども睦まじくお過ごしくださいませ。     村上めぐみ」
 香田はふーっと息を吐き出した。めぐみは一度きりのセックスを覚悟していたのだろう。彼女も優しい女性だった。

 日増しに陽射しが強くなり六月になっていた。久しぶりに妻と一宮のマンションに来ていた。昨夜、香田はけいとのことを告白した。ただ、めぐみとのことは省いて。
 妻の丸子に怒りはなかった。むしろ穏やかだった。「分かっていた。女の勘ね」と言った。それに「そりゃ分かるわよ。口紅のついたハンカチがポケットから出てきたりやキャンプに一人で行ったり、今までキャンプは家族でしか行かなかったでしょう。それが何度もとなると。
 あなたは今まで、こんなことはなかったでしょう。深入りが心配だったけど。聞いていて、そのけいという人素敵な人なのね。私より美人なんでしょう?」
「うん、まあね」
「何よ、その言い方。私より不美人だったら許せないわ」
「心配しなくていい、少しだけ美人だよ」丸子はぷーっと吹き出した。
「無理しなくていいのよ。まあ、一番気になっていたのは、あなたがずーっと秘密にすることだった。でも、今告白してくれてよかったわ。秘密というのは、私が知らないからでしょう。知っていれば秘密でもなんでもないわ」
「危ないところだったというわけだ」
 長年連れ添った夫婦のいいところは、沈黙の時間が苦にならないことだ。相手を気遣って何か言わなければなどということがない。西に日が沈みはじめ海鳴りの音も耳に心地よく感じられビールの味も格別な気がする。ほろ酔いになっていきなり妻を押し倒した。
「なにするの?」と口では言うが香田の舌が首筋を這い出すと、しっかりとしがみついてきた。
 翌朝、妻は上機嫌で香田にべたべたして来た。幾つになっても女ってやつは、好色なんだからと香田は呟く。それを言うなら男だって同じだろうと陰の声が聞こえた気がした。

 そしてドライブに出てきて、太東崎漁港の駐車場で海を眺めていた。サーファーが波間から顔をだして好みの波を待っていた。遠くに大型の船が停まっているように見えた。
 ぶらぶらと歩いていると、関東ふれあい道の看板があった。丸子が見つけて登ろうという。階段状になっていて、登りつめたところは眺めのいい丘になっている。 ここはけいときて、初めてのキスを交わしたところだ。生々しい記憶が甦る。ビールケースに支えられたベンチが無人の丘で待っていた。丸子があとから、はあはあといいながら登ってきて隣に座った。手を握ったり、キスをしたりしなかった。
 前方に広がる太平洋は、今日も変わらない姿で、陽光に輝いている。つくづく香田は思う。妻を含めて三人の女性は、なんと素晴らしいのだろう。思慮深くて聡明で包容力に富み動じない精神力にも。
 ある人は、人生は幻想だという。過去は記憶であり未来は想像で、現実だと言い切れるのは、今この瞬間だけ。その瞬間は想像から記憶へ刻一刻と変化している。 香田は素敵な女性たちともども、その瞬間を過ごしたことに、満足感で胸が一杯になった。
 人々の人生が大きなキャンバスに描かれた絵画とすれば、香田の人生はほんの端っこにある小さな部分のようなもの。あるいは、煮炊きする鍋から立ち昇る湯気が、一瞬表れるようなものなのかもしれないと思う。それでも、女性たちが歓喜に震えるのなら、充分だと思った。                  了
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読書 ジョージ・P・ペレケーノス「ドラマ・シティ」

2007-06-14 12:31:34 | 読書

              
 “ロレンゾ・ブラウンは目を開けた。ひびが入ったしっくいの天井を見つめ、意識をはっきりさせた”このあと愛犬のジャスミンと散歩するわけだが、オープニングとエンディングの冒頭に同じ文章をもってきて、中味のバイオレンス味(あじ)を薄めむしろ余情を漂わせている。

 ロレンゾ・ブラウンは、ギャングの一味として麻薬の売買を生業としていたが、八年の刑を終え更生のため動物虐待監視官の職についている。
 そのロレンゾと定期的に面接する仮釈放監察官レイチェル・ロペス。ロレンゾのギャング時代の友人ナイジェル。対立するギャング、ディーコン・テイラーやそれぞれの部下たちが、ワシントンDCで繰り広げる小競り合いを点景に、ロレンゾの凄みを一瞬見せたり、レイチェルの昼はまじめな監察官が、夜はアル中で男を漁る女という落差のある人物造形で読者に驚きを与えたり車や拳銃の細部の描写を添えて、ワシントンDCの低所得階層の鬱屈した生活が活写されている。

 ロレンゾの凄みのあるところは、“スキルズ(動物虐待者の男)の首に左の前腕をくさびのように食い込ませた。ロレンゾは鍵(車の鍵)の尖端をスキルズの右目に近づけた。陽光を受けて金属が光った。
「刑務所でお前みたいないけ好かねえやつが俺に突っかかってきたとき」ロレンゾは低い声で言った。「やすりでそいつの目を突き刺してやった。ちょうどこの鍵くらいの小さなやすりでな」”
 読み手としてはこれで溜飲が下がるというわけだ。ジョージ・P・ペレケーノスの作品は、いつ読んでも裏切られることはない。
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読書 ジョン・D・マクドナルド「コンドミニアム」

2007-06-10 09:04:17 | 読書

              
 1977年の作品ではあるが、コンドミニアムあるいはマンションといってもいいが、その建築にまつわるいい加減さはわが国でも耐震強度不足で大騒ぎになった。まさにフロリダで起こる手抜き工事の顛末が強大なハリケーンの襲来で如実に示される。

 ゴールデンサンズ・コンドミニアムは、八階建てで47戸の住居がある。その建物はわずか四エーカー(4,897坪)の狭い土地に建ち、真ん中でブーメラン型に折れ曲がっている。入居者はフロリダの温暖な気候を求めてリタイア組の夫婦が殆どだった。
 入居者の中に元技師のガスリー・ガーバーがいた。ガーバーは建物を細かく検分するという習性のようなものを持っていて、このコンドミニアムの点検も怠らなかった。たった47戸といっても人数にすると百人近くの人間が住んでいることになる。人間が百人集まるといろんな性格の人間の集団になる。

 頑固者、自分勝手な者、規則を守らない者、大金持ちもいれば共益費の値上がりに文句を言う者、夫婦喧嘩の絶えない者、飲んだくれや暇があれば女の尻を追い掛け回す男、男を欲しがる女などなどだ。
 そんなちまちました欲望や妬み、憎悪、後悔、虚言などの醜い人間の性を無視するように、フロリダの空は青く陽光に輝いて吹く風は穏やかで心地よい。
 しかし、自然はいつまでも穏やかな顔を見せてはくれない。赤道付近でハリケーンの卵がかえりつつあった。ピヨピヨと囀るひよこのままか、あるいは眼光鋭い猛禽に成長するのか今のところ分からない。

 建物を分析していたガーバーは問題点を見つけかつての優秀な部下サム・ハリソンに応援を求めた。ハリケーンは徐々に勢力を拡大していて、超大型になる予兆を見せ始めた。ガーバーとハリソンは、建物の危険度とハリケーンへの対応について書いた印刷物を住民に配布した。その結果、避難組と居座り組に分かれた。

 ハリケーンはカリブ海からメキシコ湾に突入して来た。地形を変えるくらいの風と高波に加え巨大な高潮に襲われてコンドミニアムは倒壊し、多くの人命が失われた。コンドミニアムでの人間模様と巨大ハリケーンの接近を、緊迫感を持って描写して読む者を飽きさせない。
 それにお金について“持っている額がある限度を超えると何の意味も持たなくなる。人は一度に一台の車にしか乗れず、一度に一回の食事しか出来ず、一度に一つのベッドでしか眠れない”そう、わたしのような持たざる者にはなんとも嬉しいお言葉だ。いくらお金があっても寿命を倍には出来ない。

 面白いことに災害の後、地方都市の復旧費の予算獲得を皮肉ってある。初め死者を少なめに発表していたが、費用獲得のためがらりと態度を変えるというものだ。 最近の日本での地震災害や台風災害の地方自治体の対応にもよく似たものがありそうだ。30年前と何にも変わっていない。読んでいてこの題材なら映画化もおかしくないと思っていると、1980年にTV映画化してあった。
              
              ジョン・D・マクドナルド
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小説 人生の最終章(18)

2007-06-06 13:55:11 | 小説

22

 一ヵ月後、香田の小説は出来上がった。けいにメールを送った。
「けい、元気にしているかい。小説が出来上がったので、メールに添付して送るよ。けい、会いたくて仕方がないよ。だめだろうか?         順一」
けいからの返信
「順一、受け取りました。ゆっくり読ませていただきます。
順一、あなたと過ごした時間は、私にとって、再び青春を取り戻し心から一人の男を愛し、そして愛された女として生涯忘れません。幸せだった日々をありがとう。
では、お元気で                         けい」
 マウスを握る香田の手は震えていて息苦しかった。涙が止まらなかった。いつまでも。香田はメールを再返信しようとしたが、すでにアドレスはなくなっていた。

 それから時間は駆け足で過ぎていって、けいと別れてから五年が経っていた。けいを完全に忘れることは出来ないが、時間はそれを薄めてくれるようだ。香田のいつもの日課、午前中のウォーキングを終え昼食のあと、パソコンを起動した。
いくつかのメールの中に、村上めぐみから来たのを見つめた。メールには
「香田順一様 突然のメールでさぞ驚かれたでしょう。実はお伝えしたいことがありますので、ご迷惑でなければ、私の家にお越しいただけないでしょうか。
 ああ、気を回さないでくださいね。お友達としてお伝えしますので。自宅は京葉線の検見川浜駅の近くのマンションです。駅にお着きになったらお電話ください。お迎えに参ります。電話○四三―二七○―六二××
ご返事お待ちしています。              村上めぐみ」
 香田は苦笑した。キャンプを一緒に楽しんだころは、確か歳が五十四と言っていたように思うが、だとすると六十に近いことになる。それなのに気を回さないでなんて、まだお色気が一杯なんだろうか。

 もともと京葉線は、貨物専用線だったのを、京葉地帯の開発が進み、幕張副都心が出来て、通勤の列車を走らせるようになった。検見川浜駅周辺も団地やマンションの建設が今でも続いている。その中の一角にあるマンションに村上めぐみは住んでいる。
 晴れて気持ちのいい陽春の午前十時、香田は駅に着いた。教えられた電話番号を押して待った。数回のベルでめぐみが出た。
「はい、村上です」
「香田です。今着きました」
「じゃあ、十分ほど待ってください。自転車で参りますから」
その辺をぶらぶらと見ながら時間をつぶしていると、後から「香田さん」と声がした。振り返ってみると、なんとTシャツにブルージーンズ姿のめぐみが、自転車を押しながらこちらに歩いて来るところだった。
 あのキャンプに行った頃とまったく変わっていない。上げ底かもしれないが、胸は豊かでかなり飛び出しているように見える。ウエストもくびれてジーンズのヒップもまるで若い女性のようだ。
「わざわざすみません。わたしのところは歩いて五・六分です」と言って先に歩き出した。香田はめぐみのヒップが左右に揺れるのを眺めながらついて行った。
 エレベーターを十階で降りて、一○○五号室の海の見える3LDKに招き入れられた。マンションの間取りと言うのは、どこもよく似たもので、危うくけいのマンションと錯覚しそうになった。香田をリビングに案内して、キッチンに消えた。そしてキッチンから声がした。
「香田さん。お茶とかコーヒーを差し上げてもいいけど、今日は少し暑いようなので、ビールはいかが?」
「いいですね。丁度喉か乾いていたところですよ。ありがたく頂戴します」
香田は窓によってきらきらと輝く海を見ていた。いやでも、けいが思い出される。物思いにふけっていると、めぐみが
「お待たせしました」と言って瓶ビールとグラス二個、それにチーズを添えてテーブルに置いた。ビール瓶を持って香田に「どうぞ」と勧める。香田が受けて、今度は香田がめぐみのコップに注ぐ。
「それじゃ、いただきます」よく冷えたビールが喉を流れ落ち泡が上唇についた。
「チョット失礼して、着替えてきます。自転車で走ったものですから、汗がべたついて」
香田はビールを継ぎ足してゆっくりと飲んでいた。浴室の方でシャワーの音がしていた。昼間に飲むビールの酔いは早い。ほろ酔い気分になって、ビールが殆ど空になりかけた頃、めぐみが現れた。
 香田は目をぱちくりとしていた。白のTシャツでノーブラの乳首やふくらみがいやでも目に入る。それに短パンで筋肉質の太ももがあらわになっている。参ったなあ。これじゃあ落ち着けない。めぐみはそんな人の思いも知らん振りで
「あら、ビールがないですね。取ってきます」といってキッチンから持ってきた。
「どうぞ。ご遠慮なく」といって勧めてくる。香田もさあどうぞといって、差しつ差されつで、冗談も飛び出すようになった。頃合を見計らって
「で、村上さん。お伝えしたいとおっしゃっていましたが?」と水を向けた。
めぐみは大きく息を吸って
「あのう、落ち着いて聞いてくださいね。ハッキリ言います。けいは亡くなりました」
香田は自分の耳を疑った。聞き間違いであって欲しい。
「亡くなった? 死んだと言うことですか?」当然の事を聞いていた。
「ええ、その通りです」
香田は呆然として前方を凝視していた。めぐみが香田の隣に腰を下ろして肩を抱いた。
香田にはめぐみに抱かれているのも感じていなかった。みるみる涙が頬を伝わり、香田のズボンを濡らしていった。めぐみは香田の肩を抱いてじっとしていた。
しばらくして、落ち着きを取り戻した香田が「すみません。取り乱しちゃって」といってめぐみを見つめる。
「いいんです。私もけいとお友達だったので、辛くてしばらく落ち込んでいました。それで香田さんに連絡が遅れて申し訳ありません」
「いえいえ、そんなこと気にしません」
「どうでしょう、詳しくお話してもいいですか。大丈夫?」
「大丈夫だと思います。どうぞ話してください」めぐみが話し出した。
「亡くなったのは、一ヶ月ほど前です。肺がんでした。分かったのは二年ほど前になります。いろんな治療をしたようですがだめだったのです。
彼女は香田さんから貰った小説をいつも読んでいました。亡くなる前はもうぼろぼろになっていました。それでも彼女は捨てませんでした」
 ここで香田は感極まって泣き出した。大きな声で肩を震わせていた。めぐみはそっと席を立った。キッチンでめぐみも声を押し殺して泣いていた。ようやく治まった香田は、周囲を見回した。めぐみはいなかった。喉が乾いていて水が飲みたくて、キッチンに行った。そこにめぐみが肩で泣いていた。
香田はめぐみを振り向かせて抱き、背中をさすった。めぐみは顔を香田の胸に押し付けた。ふくよかな胸が感じられた。
香田はめぐみをリビングのソファに誘導して座らせた。並んで座り「まだ、何かお話しがありますか?」と訊ねた。ええ、と言って話し出した。
「けいが身を引いたことは彼女から聞きました。彼女が決めたことだし意見を求められることもなかった。私たちは仲のいい友達で居ようねと約束しました。
時折、心ここにあらずと言う風情で、ぼんやりと遠くを見ることもありました。おそらく香田さんのことを思い出していたんだと思います。そして、咳がよく出るといっていました。
 息子さんに強くすすめられて病院に行ったのです。闘病生活の始まりでした」めぐみは言葉を切った。
「あら、飲み物がないわ。取ってきます」ビールを持って戻ってきた。香田の横に座った。まるで指定席だというように。そしてビールを注いだ。香田も大声で泣いたせいか、喉が渇いていて美味しかった。
 再びめぐみが話し始めた。「これからのお話しは、チョット話し辛(づら)いのです。けいとの秘密の話ですから」と言い淀む。
「いや、どうしても聞きたいとは言いません。しかし、けいと言う人をもっと知りたいのです。恐らくけいのことだから、話したからといって〝めぐみとは絶交よ〟とは言わないでしょうね」と冗談っぽく言うと、めぐみは頷いてにっこりと笑みを見せた。めぐみも歯並びがきれいだった。
「けいの話でもあり、私の話でもあるんです。病状が進行していたある日お見舞いに行きました。その時けいが唐突に言うのです。〝めぐみ、わたしね。香田さんから頂いた小説、小説と思ってないの。私にとって、長い長い恋文だと思って、毎日読んでるの。素敵な恋文だわ。
夫は女の悦びを教えてくれた。香田さんはそれを一段と高め、気が狂うほどの
悦びをくれた。私は二人の男性から心から愛された。幸せだわ。
で、あなた香田さんに強い関心があったんでしょう? キャンプやサイクリングのときの仕草で分かるわ。女の直感なのね。
 ここに香田さんの名刺があるわ。ブログも書いてらっしゃるから見てみれば? だからこれあなたにあげる。秘密にしてね〟だったんです。
私なりに解釈しました。自分が生涯を閉じたら、めぐみが香田さんに知らせてくれるだろう。それにめぐみが個人的に接触するのもかまわないと」あらためて香田は、けいの人間性に感動を覚えずにいられなかった。香田の目が潤んで涙が一筋流れた。めぐみが親指で、香田の両目の涙を拭いた。二人は見つめあった。香田がそっと唇を重ねた。

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映画 「007カジノ・ロワイヤル(‘06)」

2007-06-05 11:51:09 | 映画

 私にとって印象に残る映画ではない。痛切に感じたのは、ジェームズ・ボンド役はショーン・コネリーほどの適役は未だにいない。そして近づき超える俳優が出ていない。いまの若い人には異論があるだろうが。映画の世界だけでなく、ポピュラー音楽の世界にもいえると思う。フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー・ビートルズを超える人は出てきていない。

 6代目ジェームズ・ボンドは、ダニエル・クレイグが演じるが、ある人はクライブ・オーエンのほうが適役という。わたしも賛成するが、ダニエル・クレイグの肉体美は素晴らしい。
 適度なアクションとカジノ・ロワイヤルでのポーカー・ゲーム、財務省のヴェスバー・リンド(エヴァ・グリーン)との恋が色を添える。
              
ポーカー・ゲームの場面は、今ひとつ緊迫感が欠ける。
              
 それにしてもアクション場面の追跡シーンは、一見の価値がある。逃げる男(セバスチャン・フォーカン)の身のこなしの柔らかさに驚く。それもその筈、マドンナのロンドン・ツアーでは、ダンスのジャンプ・ナンバーを演じているようだ。
              
 ボンドの上役Mになるジュディ・デンチは、少しお年を召していて‘05年の「プライドと偏見」のキャサリン夫人のような迫力と存在感に乏しい。ボンドの恋人エヴァ・グリーンも美人だけれど強い印象を残していない。
 しかし、この映画は、英国アカデミー賞では主演男優賞、脚色賞、作曲賞、撮影賞、編集賞にノミネートされ、音響賞を受賞している。

 監督 マーティン・キャンベル1940年10月ニュージランド生れ。
 キャスト ダニエル・クレイグ1968年3月イギリスチェスター生れ。’05「ミュンヘン」ほか出演。
              
      エヴァ・グリーン1980年7月パリ生れ。
      マッツ・ミチルセン1965年11月デンマーク生れ。
      ジュディ・デンチ1934年12月イギリスヨーク生れ。
              
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読書 ロビン・バーセル「霧に濡れた死者たち」

2007-06-01 13:09:40 | 読書

              
 サンフランシスコ市警殺人課女性刑事ケイト・ギレスビー36歳、離婚歴があり愛車はホンダのセダン。容姿や肉体的特徴は不明だが、周囲の視線から窺えるのはかなり魅力的な女性のようだ。
 主体性も判断力もあって簡単に手なずけることは困難。アメリカでも男社会といわれる警察では、まだまだ女性の地位が確立していない。そんな中で実力を示すには並大抵の努力では難しい。
 それを体現するケイト・ギレスビーは、ある倉庫で冷凍庫に詰め込まれた死体の捜査を進めるうち、一緒に組んでいるサム・スコラーリの妻で検死官のパトリシアがレンジローバーの中で喉を切られて殺されているのが発見される。直後からスコラーリが姿をくらましたため、容疑者として追われる。

 一方、表向きは実業家を装う麻薬組織のボス、パオリーニの裁判で証言することに脅迫を受けるギレスビー。そんな不安な状況の中、スコラーリの無実を信じ真相に迫る。検事局の元夫ライドの執拗なデートの誘いを振り払いながら、捜査も一緒にしなければならないというのでストレスがたまる一方だ。
 それでも健康な女として、内務監査課の警部補、長身で黒い髪危険なほどハンサムな男にキスをされて下腹部にぽっと欲情の火がともったりもする。警察の捜査なんて誰が書いてもほとんど同じで目新しいものはない。プロットと人物造形の勝負だろう。
 多くの登場人物と多くのシチュエーションをうまくまとめてはあるが、この手の話しに食傷気味なのは確かで私にとっては印象に残るほどでもない。
 しかし、評価は高く本書がバリー賞を受賞したほかアンソニー賞にもノミネートされたという。

 著者はパトロール警官から人質交渉チーム、似顔絵作成までカリフォルニアの法執行機関で20年以上のキャリアを積んでいる。現在は執筆活動に専念している。

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