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読書「斬(ざん)」綱淵謙錠

2012-02-29 09:53:43 | 読書

               
 ざん、斬ると言うことである。ここで言う斬るというのは、罪人の首を切るということである。先祖代々斬首家の山田家没落の記録とも言うべき運命の皮肉もこめて人間の業を描いてある。
 江戸時代の元禄(1688年~1703年)ごろから明治14年(1881年)7月24日の廃刑にかけて死罪における斬首の刑を執行した山田家を、日本の歴史とともに最後まで家業を全うした吉亮(よしふさ)の目を通して語ったものだ。

 世に知られるようになったのは、安政5年(1858年)から安政6年(1859年)にかけて、江戸幕府の大老井伊直弼らが行った弾圧の安政の大獄以後の二十年で、七世吉利の時代と言われる。安政の大獄では、吉田松陰が斬首され執行したのは吉利だった。

 吉利には四人の息子がいた。うえ三人は家業を継いでいて本業の首切り業のほかに試し切りの余禄や死体から取り出した肝を乾燥させて丸薬として売る製薬業の収入で大きな家屋敷を何軒か持ち裕福だった。

 さて、斬首の刑はどんな風だったのだろうか。吉亮の最初の斬首の場面で見てみよう。“半紙を二つに折った面紙(つらがみ)を下におろして目隠しされた罪人が、三人の男に引き立てられて近づいてくるのが見えた。足の力が抜けているらしく両腕を抱えられ「それそれ」「しっかりしろ」などと絶えず男どもに叱られながらようやく土壇場の前にしかれた空き俵にがっくりと膝をおろした。
 男の一人が約30センチの小脇差を抜いて罪人の首にかけてある喉輪(のどわ)の縄を切った。別の二人が罪人の着物をぐっと脱ぎおろして両手を押さえた。喉輪を切った男が後ろに回って、罪人の足の親指を引っぱった。罪人の首が鵜のように前に突き出した。

 片膝立ちから立ち上がった吉亮は死罪場の隅に植えられた五、六本の柳の枝のゆれを眺めながら大きく深呼吸をした。それから検視役として立ち会っている牢屋奉行の石田帯刀(いしで たてわき)、牢屋見廻、検使与力に一礼し、土壇場に近づいて刀を抜いた。
 刀身は陽の光を撥ねかえして 冷たくきらめいた。吉亮は傍の手桶からひしゃくで水を汲んで刀の柄(つか)から切っ先までスーッとかけ一度その刀を振って水を切ると、ふたたび鞘におさめて罪人の左に静かに立った。

 吉亮がそこに見た罪人は、色白のどことなく体つきの華奢なまだ十七、八としか思われない若者であった。それが全身を震わせ着物を脱がされた上半身全体に鳥肌を立てて、どうしても歯のしまらない下顎をガクガクさせながら、血の気の失せた唇で何かを必死につぶやいている。念仏を唱えているつもりなのかもしれない。
 自分とそれほど年の違わないこの少年が一体どんな罪を働いたと言うのであろうか。だが、今はそれを考えている余裕はない。吉亮は足を開きぐっと腰を割ると、左手の親指で刀の鯉口を切って右手を柄にかけた。罪人の足の親指を引っぱっていた男がもう一度あらためてぐっと引いた。同時に押さえ役の男が罪人の首をのばしていた手をさっと引いた。
 声には出さずに四句偈(しくげ)をとなえた吉亮は周囲におしよせた暗闇をひとおもいに切り裂くように腰をひねって刀を振りおろした。ゴツンと重い音を立てて首が血溜まりのむしろの上に落ちた。血が一本の赤い管のように勢いよく噴出して血溜まりを越えて飛んでいくのを押さえ役の男が残された胴体をあわてて前に傾けて血溜まりの中にほとばしらせた。
 頚動脈が心臓の鼓動にあわせてピュッピュッと数回血をはじき出しだんだん勢いを弱めた。血の匂いが立ち昇ってきた」

 このとき、吉亮数えで12歳、奉行所へは15歳と偽ったあった。勿論、奉行所の重立った人物には付け届けをして挨拶は抜かりない。
 しかし、斬首の技術が未熟ではそうもいかないが、吉亮の腕は見事な切り口を示していた。まるで牛や豚をするように人間も扱ったような気がしないでもない。
 しかも首のない胴体は、試し切りに使われた。この試し切り、無料ではない。現在の価値で30万円ぐらいしたらしい。

 吉亮12歳頃の山田家は、今年慶応元年、父吉利53歳、後妻の素伝(そで)24歳、先妻の子長男吉豊27歳、二男在吉(ありよし)25歳、三男吉亮12歳、四男真吉(まさよし)9歳である。吉利に素伝を紹介したのが勝海舟だという。素伝は大奥に勤めていたからなのか挙措に品があり女の魅力を存分に発散させていたのだろう。

 この本では素伝については詳しくないが、長男吉豊と三男吉亮とも肉体関係を持ったことがある。極めつけは、嫁に来てから八年後に懐妊したことである。これが 山田家崩壊への端緒となった。吉亮は、兄吉豊の子ではないか? と疑っていたし、後年それが事実であることを知る。

 後妻の産んだ子が父吉利の死後、財産を受け継ぐのではないかと言う危惧が兄弟たちに生まれた。いつの世も肉親の骨肉の争いは、財産をめぐる問題に変わりがない。吉利は生前贈与を実行した。兄弟たちは納得した。
 ただ、時代の流れが首切り業の将来にかげりを見せ始めていた。処刑方法の変更である。長男吉豊と二男在吉は、早々と見切りとつけ家業から足を洗った。ところがする仕事がない。家庭を持ちながら一日中遊里でほうけて、家に寄り付かない。これではいくら財産があっても続くはずがない。
 真っ当に家業を維持しているのは吉亮だけだった。四男真吉も早々とこの家業に気持ちが離れていた。そして家出をした。

 吉亮が最後に斬首したのが、毒婦と言われた高橋お伝である。と思っていたのが明治14年(1881年)7月24日に斬首の命があった。
 本郷の駅逓局員殺しで巌尾竹次郎と川口国蔵という14箇所の強盗も働いている二人だった。この二人は先祖はれっきとした武士であるから、死罪は切腹か斬罪だ。絞首刑のようなめめしい死にざまは見せたくない。というわけで吉亮に斬首の仕事が回ってきた。

“よく晴れた日だった。処刑場の風景は今までと同じであった。吉亮は浜田の差し出す柄杓の水を刀身にかけさせると、ふたたび鞘におさめて静かに国蔵の左脇に立った。
 誰かが呼んでいた。誰かが小声で吉亮の名を呼んでいるのに気づいた。「兄さん、亮兄さんですね」空耳かと思った。しかし幻聴ではなかった。
 吉亮は声の出場所がどこか分からずあたりを見廻した。「ぼくです。真吉です」吉亮はそのかすかなつぶやきが足元の血溜まりに首を差し伸べている国蔵の面紙の下から漏れてくるのを発見し、同時にその声の意味を理解して踵から背中全体に氷をあてられたような驚きによろめいた。
「定吉、面紙だ。面紙をはずしてやりな」吉亮の声は狼狽を隠せなかった。

 定吉がはずした面紙の下から現れたのは、まぎれもなく弟の真吉の顔であった。蒼白いがかすかに笑いを浮かべているようでもあった。吉亮は口がどもって真吉の名を呼べなかった。するとそれに気づいた真吉が吉亮をふり仰いで「兄さん、静かに。ぼくは川口国蔵です」と言った。かすかに目がくらむのを覚えた。「どうしてこんなことに……」吉亮がつぶやくと「馬鹿な真似をして申し訳ありません。お許しください。どうせ死ぬなら、亮兄さんの手にかかって死にたかったのです」と真吉が詫びた。
「どうしてこんなことに……」もう何を聞くにも時間はなさすぎるのであった。
「あ、兄さん、時が移ってはなりません。なにも言わずに斬ってください。ぼくはそれがかえって嬉しいのです。それでは兄さん、さようなら」

 吉亮はくるりとうしろを振り向いて、手桶のところへ戻った。抜いた刀にもう一度柄杓で水をかけた。水が刀身を伝って清冽に走り流れた。吉亮は丹念に三度水をかけた。
 土壇場にもどった吉亮は、心を落ち着け心の中で涅槃経の四句偈(しくげ)を唱えた。今日は手が動かなかった。吉亮は生まれて初めて四句偈を大きな声に出して唱えた。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」右手の人差し指が刀の柄にかかった。
「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」中指がかかった。
「生滅滅己(しょうめつめつい)」薬指がかかった。
「寂滅為楽(じゃくめついらく)」絶叫であった。刃(やいば)が走って真吉の首を切り落としていた。

 斬った残心もバランスがとれ、傍目にも見事な斬首の冴えであった。「お見事でした」と近寄ってきた浜田に向かって「呪いだ。山田家は呪われている」首を指差しながら吉亮は言った”

 たしかに呪われているのだろう。弟を斬らなければならない運命とは……。それにしても山田家の男たちの運命は、長兄は日陰者として病床に伏し、次兄は死を求めたとはいいながら実父に斬殺され、末弟は家出の挙句罪人として処刑された。なんという運命の皮肉だろうか。幸せとはなんだろう。地位とかお金でもなさそうだし、それらが無くてもひっそりと家族が仲良く暮らすのが幸せなのかもしれない。

 この本の余録として知ったことに、現在東京国立博物館に収蔵されている太刀がある。これは「小龍景光」という国宝の刀である。備前長船の刀工・景光の作で鰐元に小さな竜の彫刻が施されている。
 これは明治6年(1873年)4月、山田家から当時の東京府知事大久保一翁の手を経て宮内省に献上されたものだという。明治天皇の軍刀とされたという話もあるらしい。それに楠正成の佩刀だったという伝説もある。それをいつの日か東京国立博物館で見てみたいと思っている。ちなみに本書は直木賞受賞作品である。
                
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映画「アンブレイカブルUnbreakable ’00」劇場公開2001年2月

2012-02-25 10:00:03 | 映画

               
 フィラデルフィア行き177号列車が脱線転覆。その事故でたった一人生き残った男デイヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)が遭遇する世にも奇怪な事の顛末。

 うつ病で子供の頃から一歩も外へ出ようとしなかったイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)は、母から与えられたコミック本に夢中になり成人してコミック本の収集家となっていた。
 ある日、車のワイパーに挟まれていた招待状からイライジャを訪ねたデイヴィッドが受けた質問は、「最後に受けた傷は?」「最後の病気はいつした?」デイヴィッドは、考えてみれば風邪一つ引いた記憶がない。列車事故でもかすり傷一つなかった。

 一方、イライジャは生まれ落ちるときにすでに両足両腕に骨折を抱えて出た。それほど脆弱な体質だった。さて、一体この出会いは何を意味するのか? 先が見えてこない苛立ちから、驚くべき結末へといざなわれる。

 イライジャが言う。「最大の恐怖は、自分の居場所や存在理由が分からないこと。それは耐え難く恐ろしい。希望を捨てかけていた。生きる目的を何度も自問した」
 そこで、自分とは対極にある人物を捜し求めた。そのためには航空機の爆発、ホテル火災、列車の転覆を実行した。そこで唯一生き残ったのがデイヴィッドと言うわけだった。

 なんとも私のような凡人には理解しがたことではある。イライジャは、現在重度精神障害者施設に収容されている。
           
           
           
監督
M・ナイト・シャラマン1970年8月インド、ボンディチェリー生まれ。’99「シックス・センス」でアカデミー監督賞・脚本賞にダブルノミネートされた。

キャスト
ブルース・ウィルス1955年3月西ドイツ生まれ。
サミュエル・L・ジャクソン1948年12月ワシントンDC生まれ。
ロビン・ライト・ペン1966年4月テキサス州ダラス生まれ。
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映画「5デイズ 5Days of War ’11」劇場公開2011年10月

2012-02-21 12:33:04 | 映画

               
 2008年8月8日から24日にかけて北京オリンピックが開かれて、世界の衆目を集めていた。その影で黒海に面したグルジアでは、ロシアとの戦争が行われていた。
 もともと1991年から1992年にかけて、グルジア人とオセット人の間に起こったもので2008年夏にはかなり緊張が高まっていた。

 ジャーナリストのトマス・アンダース(ルパート・フレンド)は、その戦争の取材に訪れていた。カメラマンのセバスチャン(リチャード・コイル)とともに戦場を駆け回る。この映画は、
どうも公平さに欠ける気がする。グルジア側からの視点だけでロシア軍は残酷な殺戮者として描かれている。

 映画サイトallcinemaのレビューにグルジアの大統領サアカシュヴィリがわざわざ作らせたという。2000万ドル(約15億円)も出して。そう言われてみるとこの描き方は納得できる。
           
           
           
           
           

監督
レニー・ハーリン1959年3月フィンランド生まれ。’90「ダイハード2」’07「ザ・クリーナ」

キャスト
ルパート・フレンド1981年10月イギリス、イングランド オックスフォードシャー生まれ。
エマニュエル・シュリーキー1977年12月カナダ、モントリオール生まれ。
リチャード・コイル1972年2月イギリス、ヨークシャー州シェフィールド生まれ。
アンディ・ガルシア1956年4月キューバ、ハバナ生まれ。
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映画「グッドナイト・ムーンStepmom '98」劇場公開1998年4月

2012-02-17 12:38:50 | 映画

               
 まだ若いジュリア・ロバーツとスーザン・サランドンの女のせめぎ合い。イザベル(ジュリア・ロバーツ)がハッとして目を覚まし、アンナ(ジェナ・マローン)とベン(リーアム・エイケン)を起こしに家中を駆け回る。
 言うことを聞かない子供たちに悪戦苦闘しているとき、母親のジャッキー(スーザン・サランドン)が現れる。子供たちはジャッキーにママと言う。

 観ているほうは、てっきりイザベルの子供と思い込んでいる。実は違う。ジャッキーとルーク(エド・ハリス)の子供で二人は別居状態にある。ルークの恋人がイザベルでベビーシッターの役柄をこなしている最中。ではあるが夫の恋人がベビーシッターにやってくること自体が不思議な気がする。状況には少し無理があるように思えてならない。

 そうこうするうちにジャッキーがガンに侵されているのが分かる。ほんの少しずつイザベルを受け入れ始めた一家に、クリスマスの夜ジャッキーは、「家族全員が揃った写真を撮ろう」と言いイザベルにも入るように言葉をかける。イザベルは、その言葉に感動したのか無表情で喜びを噛みしめているようだ。ジャッキーの横に座ったイザベルの肩にジャッキーの左手が置かれた。イザベルはその手を握り締めた。
 ジャッキーがガンに侵されるというちょっとウエットな状況に置かなくても家族を語ることも出来た筈。

 いつも思うのは、こういう家族の物語に登場する住宅が大きくて広いのには羨ましくなる。そもそも住宅の概念が違うのだろう。日本人の住宅に対する考えは、震災後の仮設住宅を見ればハッキリする。工事現場に使われる一時的な建物で夏の暑さや冬の寒さに対応していない。それを被災者に与えて行政は十分だと考えている。迷惑な話ではある。

 さて、この映画に二人の子役が登場する。ジェナ・マローンとリーアム・エイケンである。出演当時は、ジェナが14歳、リーアム8歳。勿論今は成人していて、このときの可愛さはない。
            
            
            
            
            
            
            
            

監督
クリス・コロンバス1958年9月ペンシルベニア州スパングラー生まれ。’90「ホーム・アローン」がヒット。’01「ハリー・ポッターと賢者の石」も大ヒット。

キャスト
ジュリア・ロバーツ1967年10月ジョージア州生まれ。’00「エリン・ブロコビッチ」でアカデミー主演女優賞を受賞。
スーザン・サランドン1946年10月ニューヨーク市生まれ。’95「デッドマン・ウォーキング」でアカデミー主演女優賞を受賞。
エド・ハリス1950年11月生まれ。
ジェナ・マローン1984年11月ネヴァダ州スパークス生まれ。
リーアム・エイケン1990年1月ニューヨーク市生まれ。
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映画「マージン・コールMargin Call ’11」劇場未公開

2012-02-13 12:41:57 | 映画

               
 2008年9月15日、悪夢が株価の暴落をはじめあらゆる市場を覆った。アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻である。それを内側から冷徹に眺めたのがこの映画。

 映画の導入部からして暗い雰囲気で、退職勧告のチームがディーリング・ルームにやってくる。アジア系の男が呼ばれる。ピーター(ザカリー・クイント)、セス(ペン・バッジリー)の二人は、浮き足立っている。ウィル(ポール・ベタニー)がなだめるように言う「無視すればいい」。

 悪魔の手が上司のエリック(スタンリー・ドゥイッチ)をつまみあげた。身辺整理の段ボール箱を抱えたエリックをエレベーターまで送って行ったピーターは、「気を付けて!」という言葉とともにUSBメモリーを受け取った。
 一人残業していたピーターは、エリックの言葉が気になりUSBメモリーを開いた。内容はこの会社を木っ端微塵に吹っ飛ばすほどの時限爆弾だった。損失が総資産を上回ることが確実だと告げていた。

 緊急に事務所に戻ってきたサム(ケヴィン・スペイシー)は、ジャレッド(サイモン・ベイカー)とも相談。ジャレッドは、会社整理を示唆する。創業者のジョン(ジェレミー・アイアンズ)を含めた深夜の会議が持たれ会社整理の方向へと流れていく。

 リストラの冷ややかな残酷さもスリルがあるが、会社をどうするかというサスペンスも、もう現役でない私にも背筋が寒くなる。今の円高で海外へ主力を移す日本企業にも同じような寒々とした空気も漂っているのだろう。ただ、ケヴィン・スペイシーやデミー・ムーア、スタンリー・トゥイッチなどの名の売れた俳優が出ている割には総花的な役割でいま一つ個性が感じられない。いずれも年を感じさせるようになった。
           
           
           
           
           
           

監督
J・C・チャンダー この映画が初監督らしい。

キャスト
ケヴィン・スペイシー1959年7月ニュージャージー州サウス・オレンジ生まれ。’95「ユージュアル・サスペクツ」でアカデミー助演男優賞を受賞。’99「アメリカン・ビューティー」でアカデミー主演男優賞を受賞。
ポール・ベタニー1971年5月ロンドン生まれ。
ジェレミー・アイアンズ1948年9月イギリス、ワイト島生まれ。’90「運命の逆転」でアカデミー主演男優賞を受賞。
ザッカリー・クイント1977年6月ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。
ペン・バッジリー1986年11月メリーランド州ボルチモア生まれ。
サイモン・ベイカー1969年7月オーストラリア生まれ。
デミー・ムーア1962年11月ニューメキシコ州ロズウェル生まれ。
スタンリー・ドゥイッチ1960年11月ニューヨーク州生まれ。
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映画「インフォーマントThe Informant’09」劇場公開2009年12月

2012-02-09 11:03:47 | 映画

                

 人間一つ嘘をつくと無限に嘘をつき続ける羽目になる。嘘の上塗りで問題を糊塗していくのも並の努力では出来ない。要するに天才的頭脳が求められる。

 フォーチュン誌優良企業500社のうち44位に位置するADM社に勤めるマーク・ウィテカー(マット・デイモン)は、その天才的素質で所属する会社の経営者やFBIまでも翻弄する。

 FBIは、マークを内部告発者、つまりインフォーマントとして扱うが、やがてその発言に疑問を持ち始める。とにかく生い立ちからして全くのでたらめで、両親を交通事故でなくし金持ちの養子になって一流の大学へも行けた。
 全てがきっちりとした筋書きがあるが、どういうわけかマネーロンダリングについては金額が二転三転する。口を開けるたびに金額が大きくなって行く。

 が、観ている方も一体何がどうなっているのか分からなくなってしまう。それは、映画を作る側の意図したものなのかも知れない。それにしても日本の味の素が実名でセリフに出てくるというのも面白いが、味の素は了解しているのだろうか。
          
          
          
          
監督
スティーヴン・ソダーバーグ1963年1月ジョージア州アトランタ生まれ。’00「エリン・ブロコビッチ」と「トラフィック」でアカデミー監督賞にダブルノミネートされ、「トラフィック」で受賞。

キャスト
マット・デイモン1970年10月マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。
メラニー・リンスキー1977年5月ニュージランド生まれ。最近では、’06「父親たちの星条旗」や「マイレージ、マイライフ」に出演。
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映画「トゥー・ラバーズTwo Lovers ’08」劇場未公開

2012-02-05 06:48:10 | 映画

              
 地味なラブ・ストーリーである。それに人間誰でも冷徹な打算に救いを求めることもあるだろう。この映画がそれを示してくれる。

 レナード(ホアキン・フェニックス)は、失恋して入水しようとしたが、死の恐怖が彼を水面に浮上させた。ずぶ濡れのまま自宅に帰って知らされたのが、父のクリーニング店を買いたいという家族の来訪だった。
 レナードの両親は、躁うつ病の息子の行く末を案じていた。何かと気持を切り替えさそうと苦心している。親たちは、娘や息子のパートナー探しに頭を痛める。この来訪もその一環だった。

 その家族の中にサンドラ(ヴィネッサ・ショウ)もいてレナードの部屋での四方山話からお互いに意識し始める。そしてある日、同じアパートに住むミッシェル(グウィネス・バルトロー)とも知り合う。

 ミッシェルは、法律事務所の事務職員で共同経営者の男の愛人だった。ミッシェルにアパートの屋上へ呼び出され、相手の男が離婚に踏み切れず自分は中途半端だと悩みを打ち明けられる。その時、レナードは愛を告白する。

 サンドラとも肉体関係に発展しているが、ミッシェルがサンフランシスコに友人がいるからそちらへ行くという。レナードは一緒に行くと言って航空券の手配も済ませ、アパートの中庭でミッシェルを待つ。
 遅れてやってきたミッシェルは、恋人が家庭を捨て結婚を申し込んできたという。サンフランシスコへはいけない。この言葉にショックを受けるレナード。
 夜のコニーアイランドのボードウォークで用意していたダイアモンドの指輪のケースを砂浜に放り投げた。波打ち際まで行ってまたもや入水を考えたのか暗い海を眺めていると、いつ落ちたのかサンドラからプレゼントされた手袋に気づいた。それを拾い上げ一度は捨てたダイヤモンドの指輪のケースもポケットにしまった。
 家に帰るとパーティが行われていて、サンドラもいた。彼は無言でそのケースを渡した。ミッシェルもレナードも言ってみれば自分勝手な見本みたいなもの。しかし、彼らを悪しざまに非難するのもおこがましい。人間の共通する欠点だし、その欠点があるからこそ生きていけるのかもしれない。
          
          
          
          
          
監督
ジェームズ・グレイ1969年生まれ。

キャスト
ホアキン・フェニックス1974年10月プエルトリコ生まれ。「スタンド・バイ・ミー」に出ていたリヴァー・フェニックスの弟。’05「ウォーク・ザ・ライン/君にづづく道」でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。
グウィネス・バルトロー1972年9月ロサンジェルス生まれ。’98「恋に落ちたシェイクスピア」でアカデミー主演女優賞を受賞。
ヴィネッサ・ショウ1976年7月ロサンジェルス生まれ。
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