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まだ生き残っている投資詐欺男ジョーダン・ベルフォートのお話「ウルフ・オブ・ウォールストリート’13」

2014-05-29 21:56:44 | 映画

             
 年収49億円といわれたジョーダン・ベルフォート。映画はオープニングからジョーダン・ベルフォート役のレオナルド・ディカプリオのナレーションで余すことなく紹介される。

 「クイーンズの小さなアパートで会計士夫婦の中流家庭に育った。26歳のとき自分の証券会社で4900万ドル(約49億円)稼いだが、週100万ドルの目標に3週分欠けてた。
 <ベッドに裸の女>俺の妻ナオミ。“ブルックリンの公爵夫人”。元モデルでキャンペーン・ガール。妻とかわいい子供が2人。豪邸、ジェット機、車6台、馬3頭、別荘2軒、170フィートのクルーザー。ギャンブルはやるし大酒喰らい。商売女と週5~6回はファック。3っの連邦政府から目をつけられている。そしてドラッグを愛している」

 週100万ドルといえば、円にすると1億円だ。まともな仕事や商売で1億円は土台無理な話。勿論、トヨタ自動車となれば週126億円の純利益ではあるが。まあ、従業員1000人未満では不可能だろう。

 結局、詐欺的な株の売買で売り抜けていた。要するに顧客に損をさせていた。カリスマ性のある株式ブローカーのハチャメチャ・ビジネスを3時間の長い映画に収めてある。過激なセリフが横溢しているが、なかなか楽しめた。

 このセールトークの真髄ともいえる「私にペンを売れ」と言って差し出す。セールス教室では、「これは素晴らしいペンでプロ用です」「いいペンです。このペンで人生の思い出を書き留めれば……」「このペンは書きやすく私は大好きです」しかし、どれも正解ではない。

 ジョーダンがドニー(ジョナ・ヒル)とガレージでビジネスをはじめたとき従業員をピックアップ。どうしても欲しい男だが街のドラッグの元締めブラッド(ジョン・バーンサル)の返事が正鵠を得ていた。
ブラッド「このナプキンに名前を書け」
ジョーダン「それはどうしてだ?」
ブラッド「需要と供給だ」
ジョーダン「見ろ必要性を作った。買わねばと相手に思わせる」

 抜群のセールス技術を持っていたジョーダンでもFBIとは司法取引で仲間を売り自身刑務所に入った。おかげでドラッグが体から抜けいまや酒もノンアルコールのビールしか飲まない。

 有罪判決とともに賠償金が1億1千万ドル(約百十一億円)で年49億円稼いでいたころなら問題ないだろうが、もうその手は使えない。従って、支払いも遅れがちとのこと。

 この映画の完成プレミアショーに夫婦で出席したときの写真があるが、普通の男で奥さんも美人ではない。

 マシュー・マコノヒーも初めの頃ちょっと出るが、かなり痩せた感じがある。多分、同時期に「ダラス・バイヤーズ・クラブ」を撮っていて役柄上体重を落としたらしいから、その影響だろう。

観て飽きる映画ではないが、印象に残る映画でもない。一時の気分転換用。劇場公開2014年1月
          
          
          
          
            
監督
マーティン・スコセッシ1942年11月ニューヨーク市クイーンズ生まれ。

キャスト
レオナルド・デカプリオ1974年11月カリフォルニア州ハリウッド生まれ。
ジョナ・ヒル1983年12月カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ。
マーゴット・ロビー1990年7月オーストラリア、ゴールドコースト生まれ。
マシュー・マコノヒー1969年11月テキサス州ウバルデ生まれ。
ロブ・ライナー1947年3月ニューヨーク市ブロンクス生まれ。
ジョン・バーンサル1977年9月ワシントンDC生まれ。
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とにかく摩訶不思議な映画で、好悪が相半ばする「オンリー・ゴッド’13」劇場公開2014年1月

2014-05-27 21:34:52 | 映画

              
 「第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門でパルム・ドールを競ったクライム・スリラー。第66回カンヌ国際映画祭のプレス上映において、スタンディング・オベーションを受ける一方、ブーイングも飛び交うなど、激しく賛否が分かれた」とウィキペディアにあるが、確かに好き嫌いのはっきりする映画ではある。

 タイでボクシングクラブを経営しながら麻薬ビジネスに手を染めていたビリー(トム・バーク)とジュリアン(ライアン・ゴズリング)の兄弟。
 ある日、兄ビリーが何者かに惨殺され、知らせを受けた母でありギャングの女ボス、クリスタル(クリスティ・スコット・トーマス)はジュリアンに復讐を命じる。

 やがてそんなジュリアンの前に、神に代わって裁きを下す謎の男チャン(ヴィタヤ・パンスリンガム)が現われる。この警察官のチャンが凄惨な皆殺しの斬殺を実行する。スローな動きから素早い斬殺。日本刀のような震えるほどの美とは程遠い。マグロを解体するような包丁のような刀だった。
 会話もほとんどない怪しげな雰囲気が最後まで続く。チャンのカラオケの歌唱は何なのだ。歌詞の意味も分からないからさっぱりだ。殺人の美学? そうは思えない。
          
          
          
監督
ニコラス・ウィンディング・レフン1970年9月デンマーク、コペンハーゲン生まれ。

キャスト
ライアン・ゴズリング1980年11月カナダ、オンタリオ州ロンドン生まれ。
クリスティン・スコット・トーマス1960年5月イギリス生まれ。
ヴィタヤ・パンスリンガムタイ人であるが出自不明。
トム・バーク1981年6月イギリス生まれ。
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ちょっと古いけど拾い物じゃないかな……映画「バンテージポイント’08」

2014-05-25 16:01:24 | 映画

             
 スペイン、サラマンカのマイヨール広場。世界150カ国の首脳が集まり、アシュトン・アメリカ大統領の提案する“対テロ戦略”に、西欧とアラブ諸国による歴史的合意の署名がなされようとしていた。

 サラマンカ市長の演説が終わりアシュトン大統領が演壇で両手を上げて群集に挨拶を送った。その瞬間、銃弾が大統領の肉をえぐった。

 この大統領狙撃事件をテレビ局チーフディレクター・レックス(シガニー・ウィーヴァー)の視点、シークレット・サービス・トーマス・バーンズ(デニス・クエイド)の視点、サラマンカ市警刑事エンリケの視点、旅行者ハワード・ルイス(フォレスト・ウィテカー)の視点、アシュトン大統領の視点、テロリストの視点の六つの視点で構成されている。

 これを必ず重要な場面で終わり徐々に真相に迫るというクリフハンガー形式で描く。「元々、1910年代・20年代の連続活劇はほとんどが二巻ごとに、主人公が崖からぶら下がった絶体絶命のシーンで終わっていた。崖=クリフ、ぶら下がる=ハンガーより、これをクリフハンガーと呼んだ」とウィキペディアにある。

 ドラマで大ヒットした「24 -TWENTY FOUR-」なども消息不明のまま終わるなど、次を観たくなる手法をとった。

 この映画では、狙撃と爆発の23分前の午後12時までそれぞれの視点に戻る。効果的かといえば、巻き戻しのシーンがうるさく感じちょっと疑問に思う。オーソドックスな緊張感を高めていくほうが好きだ。それでもうまく纏めて最後に六つの視点に登場する人物が一点に集まる。娯楽作品としては成功しているのではないだろうか。

 トーマスが犯人を追ってカーチェイスを繰り返すが、狭い道路であり得ない走行ではあるが目が話せないことは確かだ。

 テロリストの一員のベロニカ(アイエレット・ゾラー)が、理知的で美人、印象に残った。女優としては成功しているとはいえないようだ。この程度の顔はいくらでもいるのだろう。

 旅行者を演じたフォレスト・ウィテカーの最後のシーンは、見事だった。アナというあどけない少女を危機一髪で助けた後の自宅に電話するシーン。
 アドレナリンが興奮状態をもたらし、息すら思い通りに出来ない状況。喘ぎ、目をうつろに見回し、言葉もたどたどしくやがて落ち着いていく様子がよかった。

 それを観ながらオーディションのときこれをやったのかな。 と思うと気恥ずかしさを感じた。私にはとても出来ない。彼の専門職は、俳優だから当たり前か。
           
           
           
           
監督
ピート・トラヴィス

キャスト
デニス・クエイド1954年4月テキサス州ヒューストン生まれ。
マシュー・フォックス1966年7月ペンシルベニア州生まれ。’12「終戦のエンペラー」で親日のフェラーズ准将。
フォレスト・ウィテカー1961年7月テキサス州ロングビュー生まれ。
アイエレット・ゾラー1969年6月イスラエル、テルアビブ生まれ。
シガニー・ウィーヴァー1949年10月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。
ウィリアム・ハート1950年3月ワシントンD.C生まれ。
エドゥアルド・ノリエガ1973年8月スペイン生まれ。
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弁護士が依頼人にだまされていたとは、笑い話にもならない。

2014-05-20 21:13:56 | 社会

 顔つきからして気持ちの悪い片山被告に、いいように使われていた佐藤主任弁護士。「捜査当局は、片山被告が15日夕に東京都江戸川区内の河川敷で不審な行動をしているのを確認。土の中にスマートフォン(高機能携帯電話)が埋められており、メールを送信した痕跡が残されていた」と5月19日産経新聞の記事がある。

 そして20日の午後、東京霞ヶ関の司法記者クラブに片山被告が姿を現さないまま佐藤弁護士は「片山さんが無実だという考えは全く揺るがない」と言い切った。

 法律に素人の私でもこの言い切ったことに不思議だと思った。捜査当局のこの情報はかなり確度が高いとみていいだろう。にもかかわらず上記の言葉。佐藤弁護士は真面目すぎるんじゃないのだろうか。記者会見に義理を立てる必要もない。状況が落ち着くまで待ってもいいはず。結局、片山の自作自演だった。

 この片山という男。あの顔相には、不吉な印象がある。顔相は生まれ持つ特徴に加えて、日々の心の状態や生活によって変化していく。心と体は表裏一体。心が不安定だと、そういう不平不満が日々の生活の記録となって、次第に顔に表れてしまう。顔の各パーツの形は、こういった日々の積み重ねと密接につながっていて本質があらわれるという。

 私には、犯罪関係で弁護士を頼むということはないだろうが、仮に頼むことになれば選ぶのが大変だなあ。 と思う。腕利きは高額だろうし普通の弁護士ではあまり役に立ちそうもない。

 私たちが弁護士を介してなにかを解決するというのは交通事故関係がある。私も一度経験したが、何の役にも立たなかった。保険会社は、弁護士がお役に立ちますというが信用しないほうがいい。
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NHKラジオのアナウンサー、ニュース原稿をよく読み違える。

2014-05-16 16:37:08 | 雑記

 わたしはテレビをほとんど観ない。NHKのお昼の天気予報とニュース、それに大リーグをちょこっと観るくらいだ。

 ラジオは朝、NHKを7時半ごろまでで、あとはTBSの森本毅郎スタンバイを聴く。夕食時には、NHKのラジオ。これが私のパターン。

 もずいぶん前からだがNHKのアナウンサーのニュース原稿を頻繁に読み違えることに気づいていた。以前はなかったように思う。どうしてなんだろう。

 アナウンサーは、テレビからラジオに異動するパターンが多いようで中年以降が多いせいかもしれない。テレビではカメラの前だからいい意味の緊張感があって集中しているから読み違えがない。ラジオは顔が見えない分、緊張感が欠如するのかもしれない。

 本当のところはプロ意識の欠如だと見ている。そんなラジオを聴いていると、受信料を払うのが馬鹿らしくなる。NHKのプライドも何もないとは情けない。我が家では夕食時、「また間違えたよ」と何度言ったことか。
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今の理研に求められても就職はしたくない。欠けているものが気になる。

2014-05-14 21:26:11 | 社会

 京都にある金閣寺が放火炎上したのは、昭和25年(1950年)7月2日午前3時だった。犯人は金閣寺徒弟の林養賢(はやし ようけん)だった。

 この事件を題材に二人の作家が作品を書いていて、それを比較検討し楽しんでエッセイにまとめた本、酒井順子著「金閣寺の燃やし方」を今読んでいる。
 ちなみに二人の作家とは、三島由紀夫と水上勉のこと。今はこの二人の作家は重要ではない。

 林養賢が逮捕された後の世間の反応、知事や市長、警察関係や文化関係。文化財として惜しいとか、観光資源が喪失してその影響が心配とか、早く再建しろとか、犯人は精神異常とか要するに目先のことに集中している。

 ところがこれも京都で有名な清水寺の住職は、「まず第一に同じ寺を預かるものとして、また犯人が仏徒であることに共同責任を感じ、ただただ恐縮している次第だが放火の原因が何であるかは知らぬが国の宝を焼いたことは全く非常識極まるものでおそらく常人ではないだろう。

 戦後社会の乱れから人心も退廃し、これを救済する責任を持つ宗教家、一般仏徒が社会を覚醒させずかえって気の抜けた状態にあることが、こういう事件を生む一つの原因でもあると思う。

 これは単に一犯人の罪を追及してすむものではなくわれわれ仏徒が真に自覚してまず自らを清めなければならない。余りにも大きな事件であり、宗教家として反省するだけで今は批判する資格を持たない」

 この言葉から著者は言う。「仏教および仏教が導くべき社会を事件の背景に見ているのです。コメントを述べた人々の中で、事件を最も自分に近いものとして感じていたのは清水寺住職でしょう。
 しかし全体で見れば清水寺住職のような意見は少数派でした。自分たち正常な人間にとって非常に不運なことに異常な人が金閣に火をつけてしまった。というとらえ方で事件は理解されようとしていたのです」

 このくだりを読んでいるとき、ふと小保方さんに対する理研の態度を思い浮かべた。この清水寺住職のように心の広い情のある対応ではなかったと記憶する。

 そこで3月15日読売新聞の理研の謝罪記者会見をあらためて読んでみた。 『「科学社会の信頼を揺るがしかねない事態。多くの皆さんにご心配やご迷惑をおかけし、おわびします」会見の冒頭、ノーベル化学賞の受賞者でもある理研の野依良治理事長は深々と頭を下げた。
 小保方リーダーは研究を続ける資格があるのかと問われると、「未熟な研究者が膨大なデータを集積し、取り扱いが極めてずさんだった。大変ゆゆしき問題で、あってはならないことだ」と厳しい表情で語った。
 14日の会見でも、300人の報道陣から不正の有無や理研の責任を問う声が相次いだが、調査委員会の石井俊輔委員長らは「最終報告で判断する」と繰り返すばかり。「データ解析に時間がかかる」と語り、最終判断の時期を示さなかった』

 共同責任には触れないし仲間だった研究者を未熟者と突き放すし、やっぱり上から目線で「あんな小娘に理研の信用を落とさせられるか!」と息巻いているようだ。知能指数の高い人たちにしては、情のないなさけない会見だったとあらためて思う。

 こういう組織の中で、果たしてのびのびと研究を続け、世界的な結果が得られるかはなはだ疑問。情とは、思いやりだから、情のない理研にわたしは就職したくない(笑) 
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原題「バター」が邦題「カワイイ私のつくり方」になり未公開を納得する映画

2014-05-12 16:21:44 | 映画

              
 副題に全米バター細工選手権とあってオープニングは、「これは強欲、脅迫、セックスそしてバターの物語である」とナレーションが流れる。どこが強欲で脅迫でセックスなのか分からないまま終わってしまった。

 唯一バターでバター像を作るのはよく分かった。実際にバター細工の競技があるのかよく分からないが、アイオワ州の予備選の話。

 ジェニファー・ガーナーが主役の映画でさして印象に残らない。ただ、ストリッパーになったオリヴィア・ワイルドが気に入った。黒髪に青い目は,妖艶という印象。
          
   
          
監督のジム・フィールド・スミスは、まだ若いからもう少し修行する必要がある。

キャスト
ジェニファー・ガーナー1972年4月テキサス州ヒューストン生まれ。夫は、ベン・アフレック。
タイ・バーレル1967年8月オレゴン州生まれ。
オリヴィア・ワイルド1984年3月ニューヨーク生まれ。
アシュリー・グリーン1987年2月フロリダ州ジャクソンヴィル生まれ。
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本当は世界を動かすのは女、男は添え物と思わせる映画「女はみんな生きている ’01」

2014-05-10 22:08:13 | 映画

              
 気がつけば女にいいようにあしらわれていた。こういう局面を何度も経験している男も多いだろう。亭主関白で妻をこき使っていい気になっていると定年退職のときにしっぺ返しをされる。全財産の半分を要求され離婚届に捺印を強要される。

 女は一人で楽しく生きていけるが、男は女がいないと5歳児のように途方にくれる。情けない男を際立たせるこの映画、ちょっと古いが内容はなかなかのもので観て損はない。

 エレーヌ(カトリーヌ・フロ)と夫ポール(ヴァンサン・ランドン)は、ともに仕事を持ち高校生の息子がいる。朝の出勤時間は慌しい。パーティへ行くときも慌しい。この夫婦の習性なのかもしれない。

 そのパーティへ車で行く途中、前方から女が血相を変えて走って生きて「ドアを開けて!」と助けを求めた。しがみつく女を数人の男が引き剥がし殴る蹴るの暴行を加え走り去った。

 夫ポールはドアを開けず救急車も呼ばないで、フロントガラスの血痕を気にして洗車機の水が降り注ぐ車の中で座っている。翌朝出勤時、実母の訪問も居留守を使うと言う男だ。高校生の息子も親と別居していてエレーヌが尋ねていっても居留守を使う。ポールの息子だから、悪い血を引いている。高校生で別居、しかも女性と同棲。フランスではこんなのが普通なんだろうか。信じられない思いで映画を観続けた。

 エレーヌ夫婦も熱情はとっくに冷めてなんとなく一緒に住んでいるという具合。どこにでもある風景。

 ポールのような冷たさがないエレーヌは、気になるのは助けを求めながら血みどろになったいたあの女性だった。緊急治療室にいる彼女を訪ね、危篤状態から脱したが言葉は喋れないし歩くこともできない彼女を手助けする。勿論、夫ポールなんて放ったらかし。

 この女性は、ノエミ(ラシダ・ブラクニ)と言ってアルジェで生まれた。娼婦に落ちた悲しい身の上話が語られるが、ノエミは芯の強い女性だった。したたかで男を虜にするすべも心得ていた。知略縦横なノエミによって売春組織の摘発、ポールに母への情を取り戻させ、ノエミの妹の強制結婚からも助け出し女四人は最後に笑う。巨万の金を手にするノエミの手管が見もの。
          
          
          
          
監督
コリーヌ・セロー1947年10月パリ生まれ。

キャスト
カトリーヌ・フロ1957年5月パリ生まれ。’12年の「大統領の料理人」でも好演。
ヴァンサン・ランドン1959年7月フランス生まれ。
ラシダ・ブラクニ1977年2月パリ生まれ。本作で2001年のフランスで最も権威のあるセザール賞の有望若手女優賞を受賞している。
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性同一性障害の男がたどる愛の軌跡「私はロランス’12」劇場公開2013年9月

2014-05-06 18:03:05 | 映画

           
 厚生労働省のホームページにはこう記されている。『女性なのに、自分は「本当は男なんだ、男として生きるのがふさわしい」と考えたり、男性なのに「本当は女として生きるべきだ」と確信する現象を「性同一性障害(gender identity disorder, GID)」と呼びます。

 性別といえば、男性か女性の2種類に分かれると多くの人たちは単純に考えます。しかし、性別には生物学的な性別(sex)と、自分の性別をどのように意識するのかという2つの側面があります。性別の自己意識あるいは自己認知をジェンダー・アイデンティティ(gender identity)といいます。

 多くの場合は生物学的性別と自らの性別に対する認知であるジェンダー・アイデンティティは一致しているため、性別にこのような2つの側面があることには気づきません。しかし、一部の人ではこの両者が一致しない場合があるのです。そのような場合を「性同一性障害」といいます。

 つまり、性同一性障害とは、「生物学的性別(sex)と性別に対する自己意識あるいは自己認知(gender identity)が一致しない状態である」と、定義することができます』

 このように具体的に言われても実感としてよく分からないというのが正直な気持ちだ。映画が始まると制作会社や協力会社のタイトルにかぶせてボイス・レコーダーを操作する音と音声だけのセリフが流れる。
「ロランス・アリア 何を求めているの?」
「私が発する言葉を理解し同じ言葉を話す人を探すこと。自分自身を最下層に置かず、マイノリティーの権利や価値だけでなく、“普通”を自認する人々の権利や価値を問う人を」

 訳が分からずに観ているとロランス・アリア(メルヴィル・プボー)とフレッド(スザンヌ・クレマン)は同棲していて、朝からやたらにいちゃいちゃしていて見たところ男と女に間違いない。ロランスは国語の教師で何かの文学賞を受賞したらしい。フレッドも仕事を持っている。

 そしてある日、ロランスが性同一性障害者であることを告白する。ここからの展開は、普通の男女の恋愛とは違ったもにになる。

 ロランス・アリアを演じたメスヴィル・プボーは勿論男であるが徐々に女性へと変身していく。化粧や衣装が女性で声が男。とはいっても違和感がなくなってくる。むしろ魅力的にも思える。

 映画は168分という長さで退屈するかと思いきやそうでもないから不思議なものだ。音楽や画面構成に斬新さも伺えるが、やたら男も女もタバコを吸うのには違和感を感じる。料理をしながらタバコをすうとはねえ。それに「それを言わないで!」とか「やめて!」という否定的なセリフのフランス語がやたらにきつい発音に聞こえた。ただ、この映画から性同一性障害について、少しは理解が進んだのかもしれないとは思う。
           
           
           
監督
グザヴィエ・ドラン1989年3月カナダ、ケベック生まれ。

キャスト
メルヴィル・プボー1973年1月パリ生まれ。
スザンヌ・クレマン1968年生まれ。
ナタリー・バイ1948年7月フランス、マネヴィル生まれ。
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元彼女を取り戻すために赤ん坊でも道具にという「恋のベビーカー大作戦」’12年作 未公開フランス映画

2014-05-06 17:58:00 | 映画

               
 招待もされていない誕生パーティに潜り込んだトマ(ラファエル・ペルソナーズ)は、その本人マリー(シャルロット・ル・ボン)と見つめあい電流が流れたようにお互い一目惚れとなった。

 どんなに心ときめく出会いであっても、親密な二人の時間が流れていくにしたがって不平不満の小さな萌芽を見ることになる。マリーの子供が欲しいという言葉にイラストの仕事の邪魔になるとトマ。アパートを移りたいというマリーに積極的でないトマ。やがて誕生パーティも開いてくれないと言って別れていくマリー。

 そんな時、同じアパートの住人メラニー(カメリア・ジョルダナ)の急病でその子供を預かることになる。これをダシにマリーとよりを戻そうと奮闘するトマのお話。

 フランスではかなりヒットしたらしい。トマ役のラファエル・ペルソナーズは、「黒いスーツを着た男」を観てから二度目だが、かなり雰囲気が違う。日本の配給会社はアラン・ドロンの再来と喧伝に忙しいが、確かにほんの少し似ているかなという感じではある。

 マリー役のシャルロット・ル・ボンは、目の大きなちょっと冷たさを秘めたきれいな顔立ち。二人ともまだまだ未経験者で、これからの成長が注目される。
           
監督
クレモン・ミシェル 

キャスト
ラファエル・ペルソナーズ 
シャルロット・ル・ボン 
カメリア・ジョルダナ
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