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二本の映画 「プライド&グローリー」「ライフ・ドア 黄昏のウォール街」

2009-12-31 14:04:52 | 映画

「プライド&グローリー(‘08)」劇場未公開
 警察官一家の思わぬ破滅の危機。上級警官のジョン・ヴォイドの長男は、ニューヨーク市警の署長、次男のエドワード・ノートンも警官で、二年前の事件のトラウマを背負っている。長女は、警官のコリン・ファレルと結婚。ただ長男の妻が、がんによる放射線治療中で、丸坊主になっていて一家の心配事の一つだった。
 あるアパートで四人の警官が殺される事件が発生する。ニューヨーク市警にとっては、重大な局面に立たされ、特別捜査隊が編成された。父ジョン・ヴォイドの説得し応じた、エドワード・ノートンも参加する。
          
         エドワード・ノートン
 発砲事件に遭遇したエドワードが入手した情報は、警官四人の殺害に悪徳警官が絡んでいることだった。さらに糸を手繰っていくと、長女の夫コリン・ファレルに行き着く。
          
         コリン・ファレル
複雑な様相を見せるストーリー展開であるが、いまひとつインパクトに欠ける。総花的に描いてあって、題名の誇りと栄光があまり伝わってこない。
 コリン・ファレルの「フォーン・ブース」の演技に注目して借りたDVDであるが期待はずれだった。レイを演じたエドワード・ノートンもやや線が細い。タフな警官役は無理があるか。
 監督ギャヴィン・オコナー
           
 エドワード・ノートン1969年メリーランド州生まれ。‘96「真実の行方」のオーディションで採用され、しかもその役でアカデミー賞助演男優賞候補にノミネートされた。
          
 コリン・ファレル1976年アイルランド・ダブリン生まれ。’00「タイガーランド」でハリウッド・デビュー各方面で絶賛を浴びる。「フォーン・ブース」でトップ・スターの仲間入り。
ジョン・ヴォイド「真夜中のカウボーイ」で有名。

「ライフ・ドア 黄昏のウォール街(‘08)」劇場未公開
 兄弟でIT企業を立ち上げ三百五十六億円にまで資産が膨れた。しかし、株の暴落ですべてを失う。成り上がり者の特質、尊大で自分勝手で思いやりに欠ける兄ジョシュ・ハートネットは、恋人に去られ緩やかな提携話も断り最終的に何も残らなかった。過剰な自信がすべてを消し去った。
 そんな映画にも何か取り柄があるものだ。この映画のラスト・シーン、ヌードダンサーの踊る酒場でピンボールに打ち興じる兄弟。裸の女より、子供のころ遊んだピンボールがよほど楽しいのだろう。なりは大きいがまだ未成熟さが残る。
 カメラがゆっくりと引いていってエンディングになる。ピンボールに興じる兄弟と横で踊る裸の女の対比が、原因と結果を暗示しているようだった。
 監督オースティン・チック1974年生まれ。
           
         ジョシュ・ハートネット
 ジョシュ・ハートネット 1978年サンフランシスコ生まれ。‘98年「パラサイト」で注目を浴びる。若き日のトミー・リー・ジョーンズに似た風貌が、一部ファン間で話題になった。
 デヴィッド・ボウイが買収企業のオーナーのチョイ役で出ている。

 「プライド&グローリー」と「ライフ・ドア」にも元妻役や恋人役に黒人女優だった。しかも、「ライフ・ドア」では控えめながらセックス・シーンもあった。
 これは人種偏見の溶解を示唆しているのだろうか。あるいは、主張しているのか。まあ、チョット面白い偶然と言えなくもない。
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小川恭一翁柳営談「江戸城のトイレ、将軍のおまる」

2009-12-18 13:17:43 | 読書

         
 この本を100頁ほど読んだところだ。わたしがかねがね思っていたのは、お城見学で殿様や大名の接見の間などは仰々しく開放して紹介してあるが、台所やトイレの紹介はあまり見たことがない。特にトイレは皆無だ。(私の見た範囲で)
 先年京都の二条城見学の機会があったが、台所といってだだっ広い場所に木製の大きな流しが置いてあるだけだった。人間が生きていくうえで重要な食べ物の摂取と排泄は、基本に属するものだろう。そういう展示がないのが不満だった。それもいたし方ないかもしれない。トイレを後世の人間に残そうとする人はいないのだから。
 そんなことから、排泄についての記録が殆どなく、これらの研究者にとって悩ましいことらしい。少ない文献から浮き上がるトイレ事情は、殿様や大名は大変だなあという感想に尽きる。
        
        江戸期の縫腋の袍(阿部正弘)
 公家式最高礼服といわれる束帯衣冠(そくたいいかん=現在の神官の装束)などは年に一・二度。この束帯はどんなものか。ウィキペディアから引用すると、下から単(ひとえ)、袙(あこめ)、下襲(したがさね)、半臂(はんぴ)、袍(ほう)を重ね、袍の上から腰の部位に革製のベルトである石帯(せきたい)を当てる。それに大口袴を履きまたその上に表袴を履くという装束。これだけ重ねれば、トイレで脱着なんてとても出来ない。
 もっと頻繁にあるのは麻半上下という半袴で、月次御礼に用いる。あまり登城のない表大名でも五節句、月次のほか年に四十回くらいあり、そのうち三十回は半上下着用のため、少なくとも小用は股立(ももだち=袴の上部の、左右両側の開いているところを縫いとめた部分)が深くしてあれば心配も少なく、何とかなったのではないかと推測される。ただ、たとえ半袴であっても礼式に参加する以上、小用でも袴の脱着に時間的余裕はなかったと思うと著者は言う。 
 そういうときどうしたのか、書いていないので分からない。問題の束帯衣冠のときで、袴の脱着はできない。しかし、尿意は起こる。尿筒の出番となる。この尿筒係りは下々の者という訳にいかない。高位の人の役務だったそうだ。具体的にどういう風に行ったのか記録が残っていないので分からない。しかし、想像力で補うしかないだろう。
 それに大奥の御台様(みだいさま)のトイレは、一生使いきりの万年掘りだったらしい。そして、悲劇も起こる。江戸城のトイレには、下駄があり石敷きで滑りやすく照明の行燈(あんどん)もなかった。そんな時代、高九百石の松下伝七郎は、酒好きの公家たちと痛飲した挙句転落死という気の毒な笑えない話もある。
 現代に生きるわれわれも、トイレにはよく泣かされる。特に車での移動中、渋滞にはまったときの尿意には集中力を欠き不安定な精神状態に陥る。そこでどこにでも公衆トイレがあるわけがない。どこにでも目にするのは、コンビニだ。これが用足しに重宝する。勿論、何かを買うのがマナーだろう。ずいぶん助かる。
 ちなみに、江戸城のトイレの実物が、川越の喜多院にあるという。近々行って見たいと思っている。
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デジカメ持って小旅行「海原に昇る太陽」

2009-12-08 17:36:40 | 旅行

 いつ見てもわくわくするのが、すっきりと晴れた水平線あるいは地平線から昇る太陽だ。特にほんの少し頭をもたげる瞬間は、まるで豪華な舞台でスポットライトを浴びるような華やかな瞬間だ。無神論者の私が思わず「神様、ありがとう」という敬虔な気持ちになる。
 前夜の天気予報が、夜は冷えて明日は快晴だと言う。それではデジカメ撮影にうってつけと言うわけで、早起きをして出かけた。日中なら目的地の千葉県いすみ市岬町和泉まで二時間はみなくてはならない。
 しかし、この師走の時期(海水浴客やサーファーが少ない)や早朝ということもあって一時間足らずで着いてしまった。日の出までいま少し待つ必要がある。車が一台停まった。降りてきたのは釣り人だった。慣れた足取りで階段を下りて、海に突き出ているかなり大きな岩に上っていった。
 しばらくすると、一眼レフカメラを三脚に取り付けて担いだ人が通り過ぎた。午前六時四十分、水平線から太陽が昇ってきた。瞬く間にすべてをあらわにした。
 一眼レフの人が声をかけてきた。「水平線まですっきりと見えたのは初めてですよ。何回もきているんですが、いつも雲がかかっていましたから」嬉しそうに言う。地元の人で、私とあまり年は違わない感じだった。「家に帰ってパソコンで補正します」と言い残して去っていった。
 考えてみれば、空気中に湿気が多いと雲が出やすいので、すっきりとした水平線は期待できない。したがって、冬の時期が撮影には最適と言える。わたしはラッキーだった。
         
          海は穏やかといっても、打ちつける波は
          高くしぶきを上げる
         
          日の出前の静寂
         
         太陽が「お早う」と言っているよう
         
         瞬く間に水平線の上に
         
         そして、すべてをあらわにした
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デジカメ持って小旅行「千葉県清澄寺(せいちょうじ)」

2009-12-01 12:38:59 | 旅行

 今週の日曜日、一日中ほぼ好天に恵まれ、天気予報が見事に外れた。日曜日に出かけることは滅多にないが、最近娘が通勤に車を使っているせいで、私と妻はその合間に出かけることになる。
 この日も朝の天気を見て急遽のドライブとなった。選んだルートは、養老渓谷を経由して地方道81号を南下するというもの。
           
            渋滞の始まり
           
           
            渋滞を抜けて国道465号線
養老渓谷手前から渋滞が始まっていた。それもたいしたこともなく、81号線に入った。
           
           81号線、山の中の狭い道
 この81号線というのは、いわゆる舗装した林道でところどころ対向車との交差が難しいところだ。待避所が設けてあるが、運悪く鼻面を付き合わせると、どちらかの車が後退しなくてはならない。そこを何とか抜けだして、清澄寺手前の駐車場に着いた。駐車場には参拝者の車が、十台ほど停めてあった。このころ少し日が翳って風が冷たく感じられた。
          
          海がかすかに見える
 ここは小さな山の上にあって、海が見渡せる。この日は見通しがよくなかった。歩いていくと閉じてある商店もあって、少しさびしさを感じさせる。
           
            仁 王 門 
           
            本 堂
             
             装飾の少ない中門(ちゅうもん)
           
           梵 鐘
 仁王門から広々とした前庭に入っていくと、本堂、中門、梵鐘、仏教会館などが囲むように建っていた。大伽藍を髣髴とさせる。
 千葉県鴨川市にあるこのお寺、千光山清澄寺は、宝亀2年(771年)不思議法師が刻んだ虚空蔵菩薩(この虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持つ菩薩)の像を祀って開基し、その後、平安時代に慈覚大師によって、像坊・堂宇を建立して開創された。当時は天台宗の大寺だった。
 約800年後の江戸時代初期、徳川家康の帰依を得た仲恩坊頼勢法印が恩賞として賜った10万石の格式・500石の朱印・醍醐三宝院宮別院の称号及び本山格式等を背景に再興。それ以来真言宗智山派に属して約380年続いた。
 大正時代には明治の廃仏毀釈の余波と大型台風の被害で衰微し、再興のため紆余曲折を経て昭和24年(1949年)日蓮宗に転宗した。
                
                虚空蔵菩薩
帰路は渋滞を避けて国道410号線をのんびりと走った。
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