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映画「ジョーカー」2019年 劇場公開2019年10月

2020-07-29 16:06:47 | 映画
 まさにジョーカーを演じるホアキン・フェニックスの独壇場と言える。コメディアン、マレー・フランクリンを演じる名優ロバート・デ・ニーロでさえ霞んでしまう。

 映画は観る人の主観によって解釈が幾様にもなる。ウィキペディアによるこの映画についての記述で「本作の主人公であるジョーカーは、DCコミックスのアメリカンコミック「バットマン」に登場するスーパーヴィランで、主人公のバットマン(ブルース・ウェイン)の対極に位置づけられる最悪の悪役として、ビル・フィンガー、ボブ・ケイン、ジェリー・ロビンソンによって創造された」とあるが、私にとってはどうでもいいこと。

 映像に集中できるかできないか。平たく言えば眠くなるかならないかが評価の基準なのだ。この映画は全くのところ冴えわたっていた。あとで調べてみると、作品はアカデミー賞監督賞と脚本賞にノミネートされ、ホアキン・フェニックスにはアカデミー賞主演男優賞受賞とある。私の評価基準は間違っていなかった。

 時は1981年、テレビのニュースは、財政難のゴッサムシティ(架空の町)でストライキによるごみ収集がなく、巷に黒いゴミ袋が散乱し、ひどい匂いと疫病が怖くて外にも出られないという住民の声が流れる。そんな状況の中、後にジョーカーと言われるアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、ピエロの格好をして店の看板を掲げて客寄せをする仕事で、認知症の母ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)と細々と暮らしている。
 築50年以上、ドアのペンキも剥げエレベーターは異音を発し恐ろしい気分になる。テレビで「マレー・フランクリン・ショウ」が始まる。目を皿のようにして口元に笑みを浮かべて観るアーサー。アーサーは、コメディアンになることが夢なのだ。

 ところが近所の黒人の悪ガキどもに看板をひったくられ、取り返すために追った挙句黒いゴミ袋が散乱する路地で蹴られ殴られとボコボコにされる。
 翌朝、大道芸人の所属する事務所のロッカーで、大男のピエロから紙袋を渡される。中には装填済みの拳銃が入っていた。「身を守るためだ」と大男。しかし、この拳銃は人間の心に微妙な変化をもたらす。身を守るためという名分が暴走することだ。

 その時が早くもやってきた。アーサーは、ピエロの衣装のまま落書きで汚れたニューヨークの地下鉄の車内に座っていた。乗客が少なくガランとした車内には、サラリーマンの三人の男がいる。どうやら酒を飲んでの帰路のようで、一人の男が前に座る女性にちょっかいを出し始めた。

 すると突然アーサーが笑い声をあげた。アーサーには何の理由もなく笑うという病気を持っているのだ。男たちが近づいてきてののしり始めた。男の一人は、ミュージカルの曲「Send in a clowns(邦題:悲しみのクラウン)」を歌い始めた。アーサーが、道化師ピエロの扮装だからだ。女性はその隙に別の車両へ移動した。
 ののしっても笑い続けるアーサーに男たちは殴り掛かった。揉み合っているとき、一発の銃声。一人の男が倒れる。別の男に狙いを定める。バン!倒れる。三人目のスーツ姿の男は、足に銃弾を受ける。電車は駅に停まった。スーツの男がよろよろと出てきて階段に向かう。アーサーは追う。後ろから一発、まだ死なない。階段の昇り口で息の根を止める一発。全ての死を確かめた後、狂気の階段を上る男アーサー。

 ウィキペディアによると、この映画を監督したトッド・フリップスの「本作がアメリカの社会格差を風刺する作品として話題を集めたのを認めつつ、映画の超目標はあくまでもアーサー・フレックという個人がいかにしてジョーカーという悪役へ変遷するかを描く人物研究めいた作品であるとコメントしている」とある。

 とは言っても多くの人は、社会格差を風刺する作品と思うだろう。私もそう思った。おりしも人種差別で沸くアメリカの暴動と重なって見える。それは今観るからで、この映画の撮影開始が2018年9月なので暴動を意識したとは思えない。

 しかし、黒人が警察に殺されると、必ず起きるのがデモ。そして中に紛れ込むコミュニスト。そして必ず起きるのが、商店の略奪や暴徒の群れ。それを映画に取り入れているのを見ると、日常茶飯事のデモの暴徒化を意識したのは確かだ。

 狂気に走るのは精神を病んでいるからだ。アーサーも地下鉄での殺人も「 Send in a clowns」を歌う男が音痴だからという。現実社会でも常人には理解できない動機を殺人者を述べる。この映画は、ホアキン・フェニックスの狂人ぶりを堪能すればいい。






 それでは、エンドロールに流れるフランク・シナトラの「Send in a clowns」を聴きましょう。
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Netflixドキュメンタリー「シナトラ:オール・オア・ナッシング・アット・オール」2015年

2020-07-23 10:46:57 | 映画


 アメリカの音楽史上特筆すべきシンガーの一人がフランク・シナトラだ。「ザ・ヴォイス」ともいわれるが、正式には、フランシス・アルバート・シナトラである。成功から挫折、再起の物語をドキュメンタリーにまとめたのが本作。

 タイトルのオール・オア・ナッシング・アット・オール(All or nothing at all)は、1939年のミリオン・セラー曲。

 シナトラは1935年、地元のイタリア人ボーカルトリオに参加、音楽人生を始めた。当時、甘い歌声のビング・クロスビーがラジオの普及やマイクロホンの増幅機能に支えられてトップシンガーの位置にいた。

 この増幅機能は、声を張り上げず滑らかに発声する歌唱法「クルーナー・スタイル」と言われ、クロスビーはそれを確立した歌手とも言われる。シナトラもクロスビーに憧れ目標とした。当然のことながら、クルーナー・スタイルの歌唱法を踏襲した。

 ドキュメンタリーは、1971年6月ロサンゼルスのミュージック・センターで行われた引退公演を中心に、人生の階段を駆け登った一人の男の実像が明示される。

  吟遊詩人とも言われるフランク・シナトラ。プレイボーイの側面もあるフランク・シナトラ。幼馴染のナンシーとの結婚生活に飽き足らず、名声とともに女性関係が派手さを増す。三度の離婚と四度の結婚、それに加えてハリウッド女優との火遊び。

 妖艶さを増したエヴァ・ガードナーとの結婚。エヴァ・ガードナー曰く「似たもの夫婦だからうまく行かないわ」

 シナトラ50歳のとき、30歳の年齢差のミア・ファーロと結婚。30歳の違いは、年代差を生みオールド・ファッションのスタンダード曲やジャズを好むシナトラに対して、ロックンロールやヒッピー文化に関心を寄せるミア・ファーロでは溝が深まるばかり。二年で離婚。

 火遊びの相手には、ボギーことハンフリー・ボガードの妻ローレン・バコールとボガードの死後親密になる。キム・ノヴァック、シャーリー・マクレーン、ナタリー・ウッドなどなど。

 シナトラには、苦境を跳ね返す気概もあったと見え、1953年の映画「地上より永遠に(ここより とわに)」で、ハワイ・オワフ島の米軍基地で起こる恋愛やいじめ・嫌がらせを描き、シナトラは一兵士の役でアカデミー賞助演男優賞を受賞するという快挙をなしとげる。

 シナトラの政治的立ち位置ははっきりしない。民主党のジョン・F・ケネディを応援してみたり、共和党のドナルド・レーガンを応援したりした。しかも、シナトラがマフィアと関係があるとFBIから告げられたケネディは、シナトラと距離を置くことになる。

 一つ囁かれているのは、シナトラが映画「地上より永遠に」に出演するためのオーディションを受けていて、この映画の監督フレッド・ジンネマンは不採用の意向だったが、シナトラのキャスト入りが決まる。 これに動いたのがマフィアという噂だ。と言ってもシナトラは、この映画で助演男優賞を受賞しているから、さして問題にはならなかったという逸話がある。

 シナトラの再起の場所になったのは、砂漠の街「ラスベガス」なのだ。くすんでいたラスベガスが大々的なショウを展開するフランク・シナトラによって全米の衆目を集めるようになる。

 稀代のエンターテイナー、フランク・シナトラは、 プレイボーイらしく「まだ、死にたくない(生きていれば、ハリウッド女優と浮名を流せると思っていたのかも)」と言いながら1998年5月14日心臓発作で82歳の生涯を閉じた。しかし、幸せだと思う。ヤンキースの試合が終われば、スタジアムはシナトラの「ニューヨーク ニューヨーク」で満たされるのだから。
それではタイトルの「All or nothing at all」を聴きましょう。
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読書「翻訳できない世界のことばLost in Translation」エラ・フランシス・サンダース

2020-07-17 12:56:54 | 読書
 ノルウェー語、イタリア語、アラビア語、ドイツ語、日本語などなど。翻訳できない単語108例を感性豊かに、独自の見解とともに琴線に触れる文章で描きだす著者は、20代のイギリス在住の女性なのだ。

 108例中日本語が4例、ドイツ語も5例を数える。翻訳できない日本語として「KOMOREBI木漏れ日」「BOKETTOボケーと」「WABI-SABI侘び-寂び」「TSUNDOKU積ん読」がある。一つひとつ著者の解説を見て行こう。
●「KOMOREBI木漏れ日」木々の葉のすきまから射す日の光
 まばゆくて目を閉じてしまうほど美しいもの。緑の葉のあいだをすり抜け た光は、魔法のように心をゆさぶるでしょう。
●「BOKETTOボケーと」なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち
 日本人が何も考えないでいることに名前をつけるほど、それを大切にしているのはすてきだと思います。いつもどたばた忙しい暮らしの中で、あてもなく心さまよわせるひとときは、最高の気分転換です。
●「WABI-SABI侘び-寂び」生と死の自然のサイクルを受け入れ、不完全さの中にある美を見出すこと
 仏教の教えがルーツにある日本のこの考え方は、不完全で未完成であるものに美を見出す感性です。
 うつろいと非対称性をくらしのなかに受け入れるとき、私たちはつつましく、満たされた存在になりえます。
●「TSUNDOKU積ん読」買ってきた本をほかのまだ読んでいない本と一緒に、読まずに積んでおくこと
 積読のスケールは、1冊だけのこともあれば、大量の読まない蔵書になっていることもあります。玄関を出るまでに、ページを開いたことのない「大いなる遺産」の本にいつもすまずいてしまう、知的に見えるあなた。その本、日の目を見る価値があると思いますよ。

 それにしても日本人にとっても難しい「WABI-SABI侘び-寂び」を理解しているように見えるのは、彼女の才能の底力なのだろうか。

 謝辞の冒頭を読んでみましょう。「たくさんの世界がぶつかり合って、この本が出来上がったことを、とてもうれしく感じています。心から、そして永遠の感謝の気持ちを、私を支えてくれた方々にお送りします。もし、エージェントのエリザベス、そして編集者のケイトリンと結婚できるなら、本当にしたいくらいです。……」こういう文章を書く人が好きなので、彼女がラブレターを書いたらどんな文章になるのか興味が尽きない。

 翻訳できない単語でノルウェー語で「FORELSKETFフォレルスケット 語れないほど幸福な恋に落ちている」ときブラジル・ポルトガル語で「KAFUNÉ カフネ愛する人の髪にそっと指をとおすしぐさ」で愛情を表し、二人の目には「TIÅMティヤムはじめてその人に出会ったときの、目の輝き」が浮かんだ。と綴れるだろう。それにしても「木漏れ日」、日本語の良さをかみしめる瞬間だ。

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映画「黒い司法0%からの奇跡Just Mercy(慈悲)」2019年 劇場公開2020年2月

2020-07-10 11:38:54 | 映画
 EJI(Equal Justice Initiative平等な正義イニシアティブ)は、広く知られている公益弁護士であり、「Just Mercy」のベストセラー作家であるブライアン・スティーブンソンによって1989年に設立された。
 EJIは、非合法の有罪判決、不当な判決、刑務所で虐待された人たちとか、死刑と過度の刑罰に異議を唱える仕事をしている組織。

 この映画は「Just Mercy」を原作としていて、無実の死刑囚通称ジョニーDと言われるW・マクミリアン(ジェイミー・フォックス)の解放に多大の尽力を惜しまなかったブライアン(マイケル・B・ジョーダン)の真実の物語である。

 1987年11月1日アラバマ州モンロー郡で、18歳のロンダが首を絞められた挙句、射殺された遺体がクリーニング店で発見される。警察は非常線を張る。森で木を伐採して帰路についたマクミリアンが逮捕される。

 1964年7月2日公民権法が制定されたとはいえ、法律上の人種差別がなくなっただけで20年後も人種差別は厳然と存在していた。ハーバードを出たばかりの若き黒人のブライアンにも重くのしかかる。白人女性のエバ(ブリー・ラーソン)の助力も得てようやくジョニーDを解放することができた。

 この映画には、微妙な感情の交錯をさらりと投げ込まれている。刑務所にマクミリアンを訪ねたブライアンを、検査と称して丸裸の侮辱的行為を行った看守。その看守が黒人の死刑囚の刑執行場面に立ち会ったのち、マクミリアンや家族に目立たないが温情をみせる。

 また、マクミリアンの無実が立証されていくにつれ、表向きは否定的な態度の検事もやがてブライアンの立証を認めることになる。

 さらに、マクミリアン解放を勝ち取ったブライアンに、祝福の笑顔と肩を叩く仕草でエバは伝える。

 これら一連の行為には、時代の微妙な空気が反映されている。ブライアンが最初にマクミリアンに会ったとき、マクミリアンはやや懐疑的だった。「黒人のくせにハーバード? しかも俺を助ける?」
 黒人にもいろいろあって金持ちの黒人もいる。ブライアンを金持ちの黒人に思ったのかもしれないが、貧しい生い立ちを語った時、初めて信頼の表情がマクミリアンに表れる。

 黒人のコミュニティも白人のコミュニティも、そこに生きる人たちは周囲の目を気にしているのは確かだ。ブライアンを裸にした看守も、控えめな親切心だし、ブライアンの勝利を祝うエバも、ハグで応えたいが微笑みだけで、当時としては白人と黒人のハグはあり得ない状況だったのかもしれない。

 「人種差別問題」は、アメリカにのしかかる巨大な岩のようなものなのだ。取り除くのは容易ではない。コロナ禍の中でも白人警官の黒人容疑者への死に至らしめる行為が、全米にデモの風を吹かせた。背後に左翼系の扇動分子がいると言われ、黒人の警察官や検事、弁護士もいるが、白人と黒人との間にはまだまだ高い壁がそびえているようだ。

 マクミリアンを演じたジェイミー・フォックス。彼の映画を一度も観たことがないので、ジェイミー・フォックスだと気づかなった。それでも彼の演技が画面からほとばしるのは、2004年「Ray/レイ」でアカデミー賞主演男優賞、同年「コラテラル」で助演男優賞受賞の実力派の面目なのだろう。

 さらにエバを演じたブリー・ラーソンも、2015年「ルーム」でアカデミー賞主演女優賞受賞者である。

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読書「飈風(ひょうふう)」谷崎潤一郎全集第1巻(短編集から)

2020-07-04 20:29:04 | 読書
 「飈風」は、明治44年(1911年)10月1日発行の「三田文学」秋季特別号の巻頭に掲載された。そのために同誌は、二度目の、谷崎は自らの作品ではじめて発売禁止処分を受けた。 と解題の中にある。

 日本画家の俊才として世間から注目されている24歳の直彦。これがかなりの美貌で水々しい色白の顔立ちは、男が見ても惚れぼれとするくらいだった。
 ところがこの男、まじめ一方で絵画にしか興味がなく集中していた。当然女性関係には縁遠い。どの時代にもいる悪ガキ連中が、酒の勢いにのせて直彦を吉原遊郭に登楼させた。

 うぶな男の怖いところは、女の味を知ったらのめり込むことだ。まさに直彦はそうなった。相手の女は21歳。こういう稼業の女は、年齢が21歳でも考え方や動作はもう年増の域に達している。その手練手管に乗せられた直彦は、毎日登楼してその女を愛し始める。セックス過剰なのか、次第に直彦の体が弱っていく。

 女は「ほんとにあなたは弱っているのね。田舎へ行って体が丈夫になったからって、帰ってくる迄は、きっとお慎みなさいよ。六月の間辛抱していたかいないか、嘘をついたってその時には私にちゃんと判りますから」と脅かすような口調で言う。

 このままではいけないと気付いた直彦は、試練の旅冬季の東北に出立する。福島、仙台、盛岡、青森、秋田。こんな感想もある。
 「東津軽の海で獲れる魚類はみなまづかった。アワビなどは口へ入れると、グニャグニャとこんにゃくのような歯ごたえがした」ホントかいなと思う。

 それでも女を知った男は、津軽の女の特徴ある美しさに気をひかれるが、ここは我慢と抑制に抑制を重ねて弘前、裏日本の鰺ヶ沢、深浦、大戸瀬と歩む。その折々に吉原の女に候文を送る。
 「もはや三月も半ばと相成り、東京はそろそろお花見の時候かと存じ候へども、当地は雪いまだ四・五尺の深さに……」

 春になって鳥海山、月山、羽黒山を眺め、安孫子から松戸、江戸川を渡り浅草本所が見え廓の光が見えた。六か月間の閑居は、直彦をたけり狂った生き物に変えていた。

 女の技巧は、直彦を翻弄した。こんこんと深い眠りに落ちたまま、直彦は目覚めることはなかった。医師は「恐ろしい興奮の結果、脳卒中を起こしたもの」と診断した。

 飈風には、吹き荒れる風、飛び去る人生の暗雲という意味がある。初期の短編作品で、谷崎自身25歳、実体験も含まれているような気がする。

 100数年前の明治44年(1911年)は、どんな年であったのか。内外取り混ぜると、日米通商航海条約調印、日本初の洋式劇場「帝国劇場」開場。第3次日英同盟協約締結、日本初のオリンピック代表選考会開催、ロアール・アムンセン南極点到達などがある。
 東京に絞ってみると、文人たちに愛されたフランス風カフェ・プランタン開業、日本橋が石造りに、車が走っていない丸の内、東京駅建築中など。


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