Wind Socks

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千葉の浜辺から(No1)

2006-05-30 14:09:26 | 見て歩き
 そろそろ天気予報で「夏日」の言葉が聞かれるようになった。そうなると海が恋しくなる人も多いだろう。

 海好きの娘が一宮にマンションを借りたこともあって、空き室のままでは勿体ないと、雨の日が続く合間を縫って私の一宮通いが始まった。私は、もともと山が好きで、海は俗化の象徴と捉えていた。北アルプスの穂高岳や槍ガ岳という3千メートル級にさして魅力を感じなくなったせいもあって、海に目が向きだしたというわけ。この夏は海を満喫しようと、今は思っている。
                
                一宮の海岸から太東崎を見る。
 
 千葉の海岸線は、外房の銚子市からぐるっと回り込み東京湾沿いの内房をディズニーランドあたりまで528キロほどだという。東京湾沿いに木更津までは京葉コンビナートで埋め尽くされ海浜を楽しむこともままならない。

 それに引き換え銚子から九十九里浜を南下白浜までの外房海岸は、奇岩奇勝に恵まれているわけではないが、穏やかな太平洋のうねりがゆったりとした気分にさせてくれる。
                
                太東崎漁港の突堤に釣り人
                
                太東崎岬付近

                
                太東崎岬付近にうちつける波
 釣り人はもちろんのこと、どうやらサーファーにも好かれているようだ。私は釣りもサーフィンもしない。するのはウォーキング、軽いジョギング、サイクリング程度。
 ものは考えようで、早朝の晴れた海を眺めながらのサイクリングもリラックスして楽しいものだ。観光情報誌などにないものがあれば、ご紹介していきたいと思っています。
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映画 「ミッシング(‘03)」荒野に生きる女の強さ

2006-05-29 14:06:19 | 映画
 ニューメキシコ州1885年、牧場を営み治療師でもあるマギー・ギルクソン(ケイト・ブランシェット)の所へ、家族を捨ててインディアンの部族に入った父サミュエル・ジョーンズ(トミー・リー・ジョーンズ)が治療を受けにと称して帰ってくる。
 しかし家族を捨てた父を素直に受け入れられるはずもない。マギーの心の中では、父はすでに死んでいた。冷淡に扱い追い出してしまう。
               
 ところが、町へ祭り見物に出た牧童のブレイク、娘のリリーとトッド達は一晩中待っても帰ってこなかったが、早朝無人の馬が一頭帰ってきた。
 それは末娘トッドの愛馬だった。娘たちを探しに出て目にしたものは、トッドの無事は確認されたものの、ブレイクの死とリリーが誘拐されたことだった。
 マギーは父が誘拐したと思い町の保安官事務所を訪れるが、そこには泥酔して留置された父がいた。
               
 翌朝単身捜索を覚悟しているとき、父があらわれ捜索に加わることになる。父とマギー、娘のトッドの三人が、ニューメキシコの荒涼とした原野に馬を駆る。
 娘を誘拐したのは、アパッチ族の呪術師が首領の人身盗賊団だった。マギーたちは待ち伏せに失敗したり、鉄砲水に襲われたりし、それに呪術師との格闘で父を失うが娘を救出する。

 マギーが父に戻ってきた理由を問いただす場面
父“ガラガラ蛇に咬まれた”
マギー“何ですって?”
父“祈とう師は守り札をくれて、1年うさぎの肉を断ち毎朝祈りをあげて家族によくしろと”
マギー“そのために戻ってきたの?それで毒が消えると祈とう師が言ったから?”
父“そうだよ。ガラガラ蛇に咬まれると魂も毒される。はっきり言えばそういうことなんだな”父は単純で素朴な男だった。

 家族を捨てた理由もマギーは問いただす。
マギー“なぜ家族を捨てインディアンのところへ、なぜなの?”
父“あるアパッチの男は、木にとまっている鷹を見て家を出てそれっきり。あの世でかみさんにわけを聞かれ「鷹が飛び続けたから」と。次から次に何かが起こり家に戻れなくなる。俺なんかいない方が家族のためだ。いても周囲に迷惑をかけるだけ。俺はそういう厄介な男だと自分で気づいたのさ。やることなすことが周囲を傷つける。特に愛するものたちをね”
マギー“許せないわ”
父“許しは乞わぬ”

 マギーはおそらく父が家に戻ってきたわけを考えたのだろう。父には理屈っぽいところは一切なく、ただ単純で素朴で直情的なだけ。父の行為は家族を思う一つの選択だった。家族に対する愛を失ってはいない。マギーは父を許すことにした。荒涼としたニューメキシコ州の原野を見ていると、西部劇の醍醐味を感じる。
 
 早撃ちガンマンやタフなカウ・ボーイが出てくるわけでもない。厳しい自然を相手にまた偏見に満ちた男どもとも対等に渡り合わなければならない。当時の強い女をケイト・ブランシェットは存在感あるものにした。
 末娘トッドを演じた子役のジェナ・ボイドも意志のしっかりした娘を完璧にこなした。特に泣く場面がうまかった。

 オープニングが一風変わっていて、屋外便所の場面から入っていく。あまりお目にかからない場面だろう。しかもケイト・ブランシェットを座らせているとは。意図を測りかねるが、ケイト・ブランシェットもよくOKしたものだ。

 監督はロン・ハワード1954年3月オクラホマ州ダンカン生れ。「バックドラフト」「アポロ13」などの作品があり‘01年「ビューティフル・マインド」でアカデミー監督賞を受賞。
 キャスト トミー・リー・ジョーンズ1946年9月テキサス州生れ。‘93年「逃亡者」でアカデミー助演男優賞を受賞。ケイト・ブランシェット1969年5月オーストラリア メルボルン生まれ。’04年「エビエイター」でアカデミー助演女優賞を受賞。エヴァン・レイチェル・ウッド1987年9月ノースカロライナ州生れ。この映画では、誘拐されるリリーを演じる。ニコール・キッドマンのように端正な顔立ちが印象的。期待される女優の一人。

ジョナ・ボイド1993年3月テキサス州ベッドフォード生れ。今後に期待がかかる。
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映画 「ワンス・アンド・フォーエバー(‘02)」リアルな戦闘場面で描く。

2006-05-25 14:14:09 | 映画
 1960年から1975年にかけて戦闘を繰り広げたベトナム戦争の初期、1965年11月14日朝鮮戦争で武勲のあったハル・ムーア中佐(メル・ギブソン)が率いる第7航空騎兵連隊第一大隊は、南ベトナム中央高地イア・ドランの渓谷に降り立った。
               
 この大隊に二つの問題点があった。一つは現代の馬ともいうべきHU-1Dヘリコプターは実戦で初めて使用されること。もう一つは、大統領は派兵を決めたものの非常事態宣言はまだ出していなかった。そのため兵役の延長が必要な熟練兵は残され、訓練経験の浅い兵士ばかり戦場へ送り込まれた。

 そしてもっと問題なのが中央高地を北ベトナム正規軍の精鋭が包囲していたことだった。餌に喰らいつく魚のようにやすやすと目の前に米軍が現れる。これの勝敗は明らかだった。
 しかし、指揮官次第ではそうとは言えない。ハル・ムーア中佐は、ベトナム軍の動きを読んで先手を打っていく。戦いは米軍の勝利で終わる。

 この映画の売り物の戦闘場面は、リアルで凄惨そのもの、銃弾が飛び交う音や肉に食い込む弾丸の音、ナパーム弾の炸裂、爆風で飛び散る兵士など間断なく繰り広げられる戦闘に観るほうもかなり疲れる。実際にあった戦闘で、ハル・ムーアとUPI戦地特派員のジョー・ギャロウェイ共著が原作。
                
 それにしてもベトナム戦争ほど帰還兵が見向きもされなかったのも例を見ないのではないだろうか。この映画のナレーションは語る。“家族が待つ者、戦友が唯一の家族である者。いずれも帰還を祝う旗も歓迎式もなかった。国の命令でみな戦場へ、戦ったのは国のためでなく戦友のためだ”

 この映画を監督したランドール・ウォレスは“この映画で表現したのは、ベトナム戦争を直接体験し、そして乗り越えた多くの人の気持ちだ。国の政策など兵士たちには関係ない。頭にあるのは自らの命と国に残す家族のことだった”という。それはナレーションに現れている。

 敵対する北ベトナム軍や国に残る妻たちも描いていて、従来からよくある一方的な米軍オンリーの描写に終わっていないところは好感が持てる。が、唯一つ納得できない点がある。それは死体の処理の仕方だ。戦闘のあと戦死者を集める作業があるが、米軍側の死体は地面に並べられ死体袋で覆われているが、北ベトナム軍の死者はまるでごみのように積み上げられている。米軍側から見れば敵兵の死体まで集めてやったと言いたいのだろうが、せめて死体を並べるという配慮があってもよかったのでは?と思うのは私だけだろうか。たかが映画であっても。

 うがった見方をすれば、アメリカ人の根底には友好の仮面の裏に潜む独善が覗いているということか。アメリカ大好き人間でもそんなことを思ったりする。細かいことを気にしなければ、男の子としてエンターテイメントを楽しめばいい。監督はランドール・ウォレス、テネシー州生れ。もともと脚本家で、‘95年「ブレーブハート」でアカデミー脚本賞にノミネートされた。’01年の「パールハーバー」も脚本を担当している。キャストメル・ギブソン1956年1月ニューヨーク州生れ。’95年「ブレーブハート」でアカデミー監督賞受賞があるが俳優としての受賞がない。マデリーン・ストー(メル・ギブソンの妻役)1958年8月ロスアンジェルス生れ。サム・エリオット(ムーア中佐の副官)1944年8月カリフォルニア州サクラメント生れ。鬼副官として存在感を示していた。バリー・ペッパー1970年4月カナダ ブリティッシュコロンビア生れ。UPI戦地特派員ジョー・ギャロウェイを演じて好演。
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読書 ミステリ短編集「ベスト・アメリカン・ミステリ ハーレム・ノクターン」

2006-05-21 14:15:42 | 読書
 新旧の作家20人のミステリが収められていて、どれも余韻がほのかに香る気持ちのよさを味わえる。いずれの作家も書き出しの文章に神経を使っている様子が面白い。

 少し例を見てみると、マイクル・コナリーの「二塁打」では、“バスは四十分遅れていた”、ジョイス・キャロル・オーツ「ハイスクール・スィートハート」“まるで目立たぬ男だった”等々。
 それにいくら考えても思いつかない表現にもめぐり合える。マイクル・ダウンズの「男は妻と二匹の犬を殺した」では、“女の声は、バニラアイスクリームにかけた熱く柔らかいチョコレートを思わせた”
 これなんか読み手がどんな声音を想像するのだろうか?バニラアイスクリームは甘くて冷たい、その上に熱いチョコレートをかける。難問を突きつけられた気分になる。セクシーな声と言ってしまえばなんてこともない表現だし、他との違いを強調するための苦心の作なのだろう。

 ジェイムズ・グレイディ「幻のチャンピオン」では、“車は大草原を蛇行するハイウェイを走っていた。地平線にすっぽりと青いボウルを伏せたような空の下、メキシコまで続く油染みたハイウェイを彼女は左に曲がった”青空を「青いボウルを伏せたような」なんて考え付かない。

 もう一つ、ジョイス・キャロル・オーツ「ハイスクール・スィートハート」から“晩冬と早春とのあいだに訪れるあいまいな季節である三月の、荒涼としていて青みがかった暗い灰色の午後のこと”これは、この季節の陰鬱な気分を的確に表現しているけれど、自分に書けるかと自問すると心もとなく歯がゆくなる。
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映画 結婚前お互いの両親が対面するドタバタコメディ「ミート・ザ・ペアレンツ2‘04」

2006-05-17 12:56:43 | 映画
 ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、バーブラ・ストライサンドのベテランにベン・スティラー、ブライス・ドナー、テリー・ボロが加わり、それに赤ちゃん子役や猫と犬の名演技?も楽しめるコメディ。
               
 グレッグ・フォッカー(ベン・スティラー)とパム・バーンズ(テリー・ポロ)のカップルは、結婚式の段取りを兼ねてそれぞれの両親を引き合わせることになり、パムの実家に立ち寄りグレッグの両親の住むフロリダに向かう。
               
 パムの父ジャック・バーンズ(ロバート・デ・ニーロ)は、CIAを退官したばかりの堅物で、グレッグには園芸家として紹介するように手回しよく言い含めてある。そのグレッグの両親というのは、全く変人と言ってもいいくらいの人たちである。父バーニー・フォッカー(ダスティン・ホフマン)は、弁護士であるがはやばやと主夫業に専念している。母ロズ・フォッカー(バーブラ・ストライサンド)は、高齢者のセックス・カウンセラーでかなりの収入を得ている。この二人はとにかく開けっぴろげで下半身の話題には事欠かない。公然ときわどい言葉を口にする。このように硬軟対極の家族の対面は、行き詰ってしまうか融和するのかのどちらかで、映画は開けっぴろげなグレッグの家族に好意的な結論を出す。
               
 監督の音声解説で、コメディであってもある種のメッセージは存在する。この映画の場合は、開けっぴろげで下品ではあるが既成の概念からの開放がそのメッセージだという。何もメッセージにこだわることもない。ただ大笑いするだけでもいいとも言う。ごもっともではあるが、私はそれほど笑わなかった。

 この映画もアメリカでの興収がよかったという。映画データベースAllcinemaへの書き込みを見る限り日本での評判はいいとは言えない。文化の違いがよく分かる現象ではある。日本人はちょっと理屈っぽいのかも知れない。

 ロバート・デ・ニーロの表情を見ていると、随所にマフィアのギャング・スターの面影が現れて払拭しきれていないという感じが強い。ダスティン・ホフマン67歳とは思えない若さ、バーブラ・ストライザンド62歳の妖艶さ?も驚きだった。 バーブラ・ストライザンドに迫られたら受けて起てるか!とくだらないことを考えながら観ていた。生れも育ちも違う婚約者の両親は、日米とも驚きと違和感を伴った出会いが吉とでるか凶になるのか、それは誰にも分からない。肩の凝らない作品ではあった。

 この映画の監督は、ジェイ・ローチ、50回目にファースト・キスを総指揮している。キャスト ロバート・デ・ニーロ1943年8月ニューヨーク生れ。ベン・スティラー1965年11月ニューヨーク生れ。ダスティン・ホフマン1937年8月ロスアンジェルス生れ。バーブラ・ストライザンド1942年4月ブルックリン生れ。ブライス・ドナー、ロバート・デ・ニーロの妻役。どこかスーザン・サランドンを思わせる表情がある。1943年2月フィラデルフィア生れ。テリー・ポロ、ロバート・デ・ニーロの娘役でベン・スティラーの婚約者。1969年6月デラウェア州ドーバー生れ。テレビの仕事が多い。
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読書 巨大製薬会社と戦う投資銀行家と美貌の科学者「VS Sweet Talking Money」

2006-05-13 14:19:32 | 読書
 大金持ちになりたいという野心に燃える投資銀行家ブライン・ヒューズと将来ノーベル賞は確実といわれている弱冠29歳の科学者キャメロン・ワイルドが顔を合わせたのはキャメロンの研究室で、ブラインはインフルエンザの処方を依頼することだった。

 ブラインにとってハンガーに白衣をぶら下げたような印象しかないキャメロンだし、キャメロンから見たブラインは、単に大男というだけならいいが何の印象もない。それが会社やクリニックを立ち上げ、巨大製薬会社と特許を巡る争いに血眼になる。そして二人は愛し合うというハッピーエンドの物語。

 適度のユーモアで飽きさせず、エンターテイメント性も加味されていて楽しませてもらった。ただ、製薬会社側の描写が殆どなくやや迫力に欠ける。
 著者は日本の住友にも勤務の経験があるそうで、この本にも日本の代表的な食べ物「すし」の描写がある。皮肉ととりかねないユーモアで次のようなくだりがある。
 “米と死んだ魚を頬張りながら”“黒い皿のすしに目をやった。まるで漆黒のパレットに絵の具がのせられているようだ”死んだ魚というなら、ステーキは死んだ牛になるなーと思いながら読んでいた。

 私のもう一つの読書の楽しみ方は、例えばこの本で、“「来てくれて本当にうれしいわ」とケイティが言った。「僕もだ」ブラインはうなずいた。そして両手で彼女の頬を包み、おそるおそる唇を重ねた。彼女が受け入れてくれるかどうか、自信がなかった。彼女は受け入れた。彼女もまた寂しい日々を過ごしており、初めて会ったときからブラインに惹かれていた。彼女はキスを返した。最初は優しく、それから情熱的に。”
 さて、このキスの場面を自分なりの文体で品性を落とさず刺激的に書くことなのです。何十通りの文体を編み出せるのでしょうが「ケイティの舌先が歯の間に遠慮がちに侵入してきた。ブレインは舌先で彼女のふっくらとして滑らかな上唇をなぞった。熱い吐息を伴ってケイティの舌が猛然と突進してきた。受け止めたブレインの舌と絡み合い、もう世界は光も音も全くないかのようだ」というのはいかがでしょうか?

 いろいろと考えるのは楽しいものですね。さて、この本を書いた人はハリー・ビンガムで、二冊目になる。1967年イングランドに生れ、オックスフォード大学を卒業後、十年にわたりロンドンとアメリカの投資銀行に勤務。そして日本の住友に転職、妻の難病のため職を離れる。現在はオックスフォードで妻とたくさんの犬とともに生活、執筆活動に専念している。
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映画 命を救うために命を奪えるか「英雄の条件(‘00)Rules Of Engagement」

2006-05-09 14:20:37 | 映画
 テリー・チルダース大佐(サミュエル・L・ジャクソン)は、イエメンのアメリカ大使館を群集デモから警護中、群集からの発砲で部下に死傷者がでる。部隊を救うため応戦を命令して暴徒83人を殺してしまう。この中には子供や老人も含まれる。
                サミュエル・L・ジャクソン
 無抵抗の群集を虐殺したと非難されかねない状況になり、政府は軍事裁判でチルダース大佐の暴走として片付けようと目論む。軍事裁判に掛けられることを告げられたチルダースは、1968年ベトナムでともに戦った友人のヘイズ・ホッジス元大佐(トミー・リー・ジョーンズ)に弁護を依頼する。ホッジスは弁護士としての実績はなくワシントンで有能な弁護士を探せとチルダースに言うが、チルダースは実戦経験があるのはお前だけだといって譲らず結局ホッジスは受諾する。
                トミー・リー・ジョーンズ
 見所の一つに、軍事法廷でのやり取りで、検察側はマーク・ビック大佐(ガイ・ピアース)。弁護側はホッジス。被告チルダース大佐三人の緊張感が伝わってくる。解説でフリードキン監督は、“命を救うために命を奪えるか”そのジレンマがテーマだという。この映画も評価が分かれているが、単純に楽しめる映画だったかと問われれば、楽しめる部類に入るだろうと思う。
                ガイ・ピアース
 監督ウィリアム・フリードキン1935年8月イリノイ州シカゴ生れ。‘71年「フレンチ・コネクション」でアカデミー監督賞と作品賞を受賞。’03年の「ハンテッド」以降作品がない。

 キャスト
 トミー・リー・ジョーンズ1946年9月テキサス州生れ。‘93年「逃亡者」でアカデミー助演男優賞受賞。
 サミュエル・L・ジャクソン1948年12月ワシントンD.C生まれ。’03年「S.W.A.T」‘04年「キル・ビル」’05年「スター・ウォーズエピソード3/シスの復讐」ほか。
 ガイ・ピアース1967年10月イギリス生れ。‘97年「LAコンフィデンシャル」でハリウッドデビュー。発症以前の記憶はあるものの、それ以降は数分前の出来事さえ忘れてしまうという前向性健忘に見舞われた男が、妻のレイプ犯を追うというサスペンス’00年「メメント」で好演しているそうだ。ほかにブルース・グリーンネッド、ベン・キングズレー、アン・アーチャーが出演している。
   
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読書 詩情漂う文体で女性警官を描く「あなたに不利な証拠として」

2006-05-05 12:58:23 | 読書
 パトロール警官は、本部の通信係からの要請で出動し、しばしば目にする無残な死体。

 “目の前の女性の髪は乾いた血がこびりついてもつれ、顔のほとんどを覆っている―その下にちらりと見える黒い膨れた肉塊を顔と呼ぶならば。防御のために上げた両腕は、くたびれたと言いたげに額に置かれている。最後の拷問のときには彼女はとっくに気絶していただろうと思った。だが本当のところは分からない。多量の出血から、彼女がかなりのあいだ生きていたことは明らかだ。膨れ上がった死体は血まみれで、周囲に血だまりができ、その縁はすでに凝固して黒ずんで革のようになっている。死んでいたらこんなには出血しない”

 こんな状況を目にしたサラは、「彼女は生きていた」というぬぐえない哀しみを心に抱え込み、スープを作ったり洗濯をしたり報告書を書いたりしなければならない。しかも大勢の男性警官に交じって生理痛に悩まされながら顔色一つ変えず仕事をやり通さなくてはならない。その合間に恋もしなくてはならない忙しさ。そんな日常を詩情とユーモアを交えた文体で語ってくれる。

 他の作家があまり触れていない「死臭」を詳しく記述したのは珍しいかもしれない。ハンカチを鼻にあてるとかミントガムを噛むとか鼻でなく口を開けて息をするなどとよく書かれているが、とてもじゃないがその程度でおさまる匂いではないそうだ。
 着ている服にもしみ込みうまく処理しないといつまでも死臭にまとわりつかれる。一番困るのは、鼻につくことだそうだ。そうなると始終死臭に悩まされる。

 警官の仕事も楽ではない。市民からは常に全力投球を求められ、交通違反者からは手加減を求められる。そんな警官を女性警官の透明な目を通した実像は興味深い。これからのミステリーを読む手助けになるだろう。

 2005年アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短編賞に輝いた本書の著者の略歴を翻訳者のあとがきから引用すると、テキサス州ブライアンで生れ、ヴァージニア州北部で育ち、フィールドホッケーやテニスやチアリーダーに励む活発な青春時代をすごしてからニューヨーク州イサカ・カレッジで演劇を専攻する。
 やがて家族とともに南部へ引っ越すと、ルイジアナ州立大学警察の私服警官を経て、1979年に同州バトンルージュ市警に入り、制服警官として五年間勤務したあと交通事故に遭い三十歳で辞職。一時は人生の目標を失うが、ここで十一歳のときに「風とともに去りぬ」の続編を書こうとした文学少女が再び目覚めた。
 ルイジアナ州立大学で英語の学士号とクリエイティヴ・ライティングの修士号を取得し、書くことを新たな使命と決意する。現在はテキサス州オースティンに居を構え、大学で教鞭をとるかたわら執筆に勤しんでいる。
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読書 マーク・チャイルドレス「クレイジー・イン・アラバマ」

2006-05-01 13:42:45 | 読書
 四十年前の1965年の夏を回想するピーター・ジョセフ。両親を交通事故で亡くした12歳のピーターは、二つ年上の兄ウイリーともども祖母のミーモーのもとで暮らしている。

 そこへミーモーの娘ルシールが子供6人を引き連れハリウッドへオーディションを受けに行くから預かってくれといってやってくる。昔から女優になる夢を持ち続けていたルシールは、スイミングプールの水面のようにきらきら輝く青い瞳、色っぽい大きな口、ヴェロニカ・ドレイクのように顔の片側に垂れるブロンドの髪。目元のしわは、すぐ近くに寄って見なければ分からないほどきれいな人。

 その彼女が、レタスを丸ごと保存するタッパーウェアから夫の生首を引っ張り出したのには、みんな驚き子供たちは逃げまどう。ピーターに語ったところによると、ハリウッド行きを否定されたからという。そして、積年の恨みもあったと。彼女は夫の生首を入れたタッパーウェアを白いギャラクシーセダンに積み込み、排気ガスと土煙を残して走り去った。
 
 ハリウッドに向かう道すがら、数々のアバンチュールやスリルを味わう。高級ホテルのベル・ボーイと今までにないセックスを体験したり、ラスベガスのカジノのルーレットで、巨額の現金を手にしたり、そして気のいいリムジンの運転手に言い寄られながらビバリーヒルズに到着。
 テレビの「じゃじゃ馬億万長者」のオーディションにも無事合格、番組に出演する。ここまではよかったが、テレビ放送は全国に指名手配書をばら撒いたのと同じことで、もはや捕獲されるのは時間の問題となった。

 一方、ピーターと兄のウイリーは、ルシールの6人の子供たちにところてん式に押し出され、ルシールの兄で葬儀社を営むダヴおじさんに身を寄せるが、ここ深南部のアラバマは人種差別の激しいところだった。スイミングプールを巡って人種対立が激化、その渦中に放り込まれ、白人至上主義の保安官やその手下から嫌がらせをうけ、使用人が殺され葬儀場も焼かれるという悲劇までを自然なユーモアと巧みな表現で、ハードカバー546ページという長編を飽きさせずに読ませる。

 人物描写が卓越していて、夫殺しのルシールでさえ裁判で無罪になって欲しいと応援したくなる。著者は、アラバマ州モンローヴィル生れ。本書以外に四冊の著書がある。現在はコスタ・リカのジャングルに家を構え、自然に囲まれながらコンピューターを駆使しつつ執筆活動を行っているとのこと。
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