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尻だしジャック・ニコルソン、一瞬のヌードダイアン・キートンの「恋愛適齢期(03年)」

2005-02-28 14:32:30 | 映画
 都会的な洒落たコメディに仕上がっている。マリン(アマンダ・ピート)は、ヒップホップ系のレコード会社を経営するプレイ・ボーイのハリー(ジャック・ニコルソン)とともに、ハンプトンにある母の別荘で大いにデートを楽しもうという魂胆だった。が、母エリカと母の妹ゾーイがひょっこり現れる。ハリーは帰ろうとするが引き止められ、夕食を共にする。食後ハリーが心臓発作を起こして入院、退院後エリカの別荘で療養することになり、ぎこちなかった関係が徐々にお互いを意識し始め、ついにハリーとエリカは恋をする。そしてハッピーエンド。

 舞台設定が、マンハッタンから東へ約160キロにある、美しい自然とビーチに囲まれたニューヨーカー憧れの高級リゾート地といわれるハンプトン。その地の住人にふさわしく劇作家のエリカ、娘マリンはクリスティーズの競売人というニューヨーカーにふさわしい職業が選択されている。別荘や衣装は、白を基調にしたすっきりとした高級感あふれる雰囲気に満たされている。また、黒が効果的に使われていて、エリカが医師のジュリアンとディナーに出かけるときの黒のワンピース、マリンが競売会場での黒のワンピースは引き締まってインパクトが強い。

 ハンプトンという高級リゾート地は、ハリーを含めお金持ちでないと維持できない家や車がさりげなく出てくる。特にこの家は、女性が見るとただ見とれて、ため息が出るだろうと思う。別に女性に限らない、私ですら見とれてしまったくらいだから。とにかくエリカの部屋は、日本の3LDKがすっぽり入るのではないかと思うほど広い。適当に片付けられ、適当に生活感も漂わせている。

 それに、セリフに魅了された。たくさんあるので一例として、エリカが葉巻の臭いに気づきハリーに禁煙を宣言、戻ろうとしたとき、ハリーが声をかける。
 ハリー「一つ聞いてもいいかな。なぜ、タートルネックを?真夏なのに」
 エリカ「気になる?私の着るものが」
 ハリー「不思議でね」
 エリカ「昔から好きなの、それに似合うし」
 ハリー「アツくならない?」
 エリカ「いいえ」
 ハリー「全然?」
 エリカ「最近はね」
 活字にすると雰囲気が出ないが、表情や身振り、声のイントネーションなどを加える画面では思わずにやりとしている。「アツくならない?」という性的な匂いを発散するハリーという人物の一端を表現している。

 ちなみにこのハンプトンでは、家の値段はいくらか。インターネットで調べると、中古物件 築後30~40年 敷地320坪 建坪88坪 ベッドルーム5、バス3キッチン、リビング、ガレージが含まれ日本円で約4千万円。分かりきったことだけど、如何に日本の土地が高いか、これもため息が出る。

 さて、ジャック・ニコルソン、ダイアン・キートン、キートンの妹役フランシス・マクドーマンド、娘マリンをアマンダ・ピート、医師キアヌ・リーヴスという配役。アカデミー賞受賞俳優3人に囲まれてアマンダ・ピートはかなり緊張したそうだが、のびのびと演じているように見えた。そして、こんなうるさ型を使った女性監督のナンシー・マイヤーズも気苦労が絶えなかっただろう。劇中のハリーは、63歳、2003年当時ジャック・ニコルソンの実年齢は66歳。エリカ54歳、ダイアン・キートンの実年齢は57歳。ダイアンのほうは時に年を思わせる皺が見えたが、ジャックはくたびれたところが無く若々しい。医師から階段を登って何でもなければセックスも出来るといわれ、海岸の階段を登ろうとする。鬼気迫るセックスへの執念はよくわかる。

 老年のセックス・シーンは頻繁に見られないが、ここではいやらしくなくややコミカルに表現していて、終わったあとダイアンがセックスできたことを大声で喜ぶ場面は同年代として分かりすぎるほど分かる。心から「よかったね」と言いたくなる。

 ジャック・ニコルソンのこだわりは、部屋に入るという単純な行為でも、何通りか考えるというから恐れ入る。この映画で無かったものといえば、卓上電話とテレビと高齢者の昔話。高齢者の昔話が無いということは、この二人がまだ現役で過去を振り返る必要が無く、将来を見つめているということなのだろう。年を忘れさせてくれる二人のやり取りと、バックの音楽が、心に残る映画として記憶のコレクションに加わった。

 未公開シーンで、ジャック・ニコルソンがダイアン・キートンを伴ってカラオケバーに出かけ「ばら色の人生」を歌う場面がある。本編にはカットされているが、あればよかったのにと思う。なかなか声もいいし歌いっぷりも味があっていい。ジャックの尻やダイアンの一瞬のヌードは、監督のサービス精神の表れなのだろう。
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映画 デンゼル・ワシントン「タイム・リミット」

2005-02-24 13:36:10 | 映画
  ハッキリ言ってしまえば、低予算B級映画だ。デンゼル・ワシントンのネーム・ヴァリューで持っているようなものだ。共演者は、エヴァ・メンデス、サナ・レイサン、ディーン・ケイン、ジョン・ビリングスリーで、すぐ名前とイメージがつかめる人は相当な映画通といえる。
  
  私にとって、デンゼル・ワシントン以外に特に印象に残った俳優はいない。そのデンゼルにしても、まあ お小遣い稼ぎといった感じである。マイアミの、4人しかいない警察署長が放火殺人犯にされかなない窮地に陥り、何とか脱出するというもの。

  マイアミでロケを行っているので、その風景映像は楽しめた。こういう風景を見ると、私はすぐ行ってみたくなるが、ほとんど実現しない。
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映画 ケヴィン・スペイシーの「ライフ・オブ・デヴィド・ゲイル(03年)」

2005-02-22 13:47:24 | 映画
 テレビ画面では、レポーターがハーバード卒哲学部の人気教授デヴィド・ゲイルの死刑延期申請が却下され、死刑が確定し執行は金曜日であると報じている。デヴィド・ゲイルは同僚教授のコンスタンスをレイプし殺したとして収監されていた。デヴィドとコンスタンスは死刑反対運動活動家で、二人で運動を支えてきた。あらゆる証拠がデヴィドを指していた。

  ニューヨークの雑誌社にビッツイを名指しで50万ドルの独占インタビューが持ち込まれる。ビッツイは見習い助手とテキサス州エリス刑務所に向かう。そこで火、水、木曜日各2時間のインタビューを行う。次第にビッツイはデヴィドの無実を確信していく。喜びの笑顔とともに釈放と行かないのが、この映画のクセのあるところ。最後のどんでん返しが待ち受けている。

  共演のビッツイに「タイタニック」のケイト・ウィンスレット、コンスタンスにローラ・リニー。ローラ・リニーは、「ミスティック・リバー」にも出ていたが、こちらのほうが断然気に入ってしまった。それにうれしいことに、今年のアカデミー賞は「キンゼイ」という作品で、助演女優賞にノミネートされている。

  この映画の脚本を発掘したのは、アラン・パーカー監督で、長い間見向きもされなかったそうだ。脚本を書いたのは、映画の主人公と同じ元哲学の教授でチャールズ・ランドルフ。今この人もハリウッドでは注目されているとか。

  フラッシュバックで出てくる印象的な場面。コンスタンスが白血病(血液のがん)と分かったあと、デヴィドと自然な流れでセックスを交わす。始まりは庭での会話。わずかな残り時間のコンスタンスに、デヴィド「悔いはない?」コンスタンス「ないわ」といったあと、「セックスが足りなかった」と述懐する。そして学生時代からこれまでボーイフレンドは四人だったという。デヴィッドは彼女の心情を察し、五人目のボーイフレンドになろうという。合意が成立する。セックスの時、コンスタンスは哀願する。「とても疲れたわ。怯えることに疲れたわ。お願い、助けて。私を助けて、お願い。恐れを追い払って、追い払って」デヴィド「分かった。僕がいる。君のそばにいる」この場面は重要で、ラストに向かって伏線になっているように思う。人間的な面がこういう形で出てきて、コンスタンスの心情を思うと可哀想になる。

  このようなサスペンス映画は、この俳優たちであれば、それぞれ持っている力量でカバーできる。と思うが、ケヴィン・スペイシーは次のように語っている。「ケイトの演技で特にすばらしいのは、フラッシュバックの部分は、彼女は体験していないわけだ。だから彼(デヴィド)の話を聞く際に想像力を総動員しないと感情移入できないはずだ。デヴィド・ゲイルが自らの過去を語るのに対し、想像力を頼りにあそこまで共感するのは大変なことだ。彼女とローラ・リニーとのシーンはないのに二人は会っているような気がしてくる。三人はある絆でつながれているのが観客に伝わる。ケイトはその機微を見事に表したと思う」演じる人の言葉は参考になる。
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再び映画遍歴

2005-02-19 10:01:15 | 映画
  映画館に行かなくなって何年、いや何十年経っただろうか。最後に映画館で観たのが確か「ET」だったように思う。遠く霧のかなたで、記憶も定かでない。映画館に行かない代わりにビデオという便利なものが出てきたので、もっぱらこちらの利用が多くなった。それも目が疲れやすくなり、ビデオもあまり見なくなった。

  世の中、なにかにつけ進歩が速くDVDの世界になった。このDVDは、本編以外に監督やその他のスタッフなどの解説もついていて、より興味や理解が深められる。俄然気に入り、映画の楽しさが倍加した。私が映画にのめり込んだのは、戦後まもなく1949年(昭和24年)頃、年齢が18か19歳で、主にアメリカ映画だったが(これはたぶんに駐留軍が米軍中心だったせいだろう)いつも長蛇の列が映画館を取り巻いていた。それまで映画といえば、国民の士気を高める戦争映画しかなかった。そこへエンタテイメント性豊かな映画を観て興奮した。特に西部劇には無条件で楽しんだ。ジョエル・マックリーやランドルフ・スコットなんていう西部劇俳優を覚えている。毎日映画を観て、土曜日や日曜日には観るものがなく退屈したものである。

  で今はどうかというと、映画はパソコンでイヤホーンをつけて観ている。一時停止や巻き戻しを使うので、これが私には気に入ったスタイルだ。テレビでは目の疲れが早く、画面がぼやけてつらくなる。

  最近、一つ教訓を得た。早々に俳優の演技に評価を出さないということ。「めぐりあう時間たち」で、ジュリアン・ムーア扮するローラ・ブラウンの息子になった目の大きな子役は、年齢的に演技は無理だろうと思っていた。画面では、母の心の苦悶を見透かしたような表情を浮かべ、一種緊迫感をかもしていた。他方、ローラが近所のおばさんに息子を預ける場面では、この子役は母と別れるのがイヤで泣くでもなく、いとも簡単におばさんの手にゆだねられる。この場面で、この子役の限界を感じる。監督の解説では、この子に演技は無理だから二人か三人で「ジャックと豆の木」の絵本を聞かせ、撮った表情を編集でカバーしたとのこと。

  この映画のレビューで、ある人が子役の演技に感動したと書いていた。が、この話を知ったらどんな思いをするだろうか。気の毒になると同時に編集技術の高さに感心する。さて、今年もアカデミー賞が話題に上る季節になり、現地時間27日に授賞式が行われる。どんな顔ぶれになるのか楽しみである。

  私は常々思っているのが、日本映画も時代劇でなく現代劇でアカデミー賞を狙ってほしいということだ。去年の外国語映画賞は、カナダの「みなさん、さようなら」という末期がんの患者の家族をコメディタッチで描いたものだった。日本だってこういう患者や家族がいるだろうに。これは、例えばの話で、つまり現代劇にする題材は、どこにでもあるということだ。日本の映画人にがんばってもらいたい。

  レンタルビデオ店では洋画が圧倒的に多いのも、日本映画に勢いがないことを示しているのではないか。そして、このレンタルビデオに奇異な現象がある。ビデオには、字幕版と吹き替え版がある。人気作品では、字幕版が先に借り出されてしまう。日本特有の現象なのだろうか。英会話力の劣る日本人がと思わざるをえない。

  そういう私もそのうちの一人なのである。私は、俳優の生の息遣いや声そのものを聞きたいとの思いが強い。吹き替えでは俳優本人ほどの演技を期待するのは無理だろう。DVDになったので自在に字幕、吹き替え、オリジナルを選べるので都合がいい。ということで、そろそろレンタル店へ出かけるとしよう。
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グラミー賞受賞でロッド・スチュワートは大喜びだろう

2005-02-15 21:25:58 | 雑記
  第47回グラミー賞授賞式が行われ、故人のレイ・チャールズとともに還暦のロッド・スチュワートが、トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバム部門で受賞した。過去に何度かノミネートされながら、賞を逸していたので喜びは最高のレベルだろう。

  受賞したアルバムは、「グレイト・アメリカン・ソング・ブックVol3」で「スター・ダスト」を始めアメリカン・スタンダード・ナンバーがカバーされていて、独特の歌声が歌い継がれた曲に、また新しい味付けがなされた。人々の耳になじんでいた曲だけに、へたをすると失敗の憂き目にあう危険もあったが、これでお墨付きをもらったようなものだ。エリック・クラプトン、スティヴィー・ワンダー、ベット・ミドラー、ドリー・パートンらとのデュエットも含まれている。

  レイ・チャールズは、遺作になった「ジーニス・ラヴ~永遠の愛」で受賞、なんだか暗示的なアルバム名に思える。このアルバムの中のノラ・ジョーンズとのデュエットで「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」が年間最優秀レコードを受賞し、映画のアカデミー賞にも「レイ」がノミネートされて、レイ・チャールズ・イヤーの趣だ。このアルバムにもノラ・ジョーンズを始めジェームス・テイラー、ダイアナ・クラール、エルトン・ジョン、ナタリー・コール、ボニー・レイット、ウィリー・ネルソン、B・B・キング、グラディス・ナイトなどとデュエットしていて、知っている名前がたくさん出てくる。

  アメリカの歌手は、楽しいアルバム作りをよくやっている。ファンにはありがたいことだ。年齢のことなんか超えて、ベテランとも若手とも組むといった按配だ。日本ではあまり見かけない。ロッド・スチュワートの受賞を見ていて、年なんて関係ない「やれば出来るさ」と元気を与えてくれる気がする。

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映画「ホワイト・オランダー(02年)」を観て

2005-02-14 20:57:47 | 映画
  実はアリソン・ローマンがお目当てでDVDを借りる。ニコラス・ケイジ、サム・ロックウエルと共演した「マッチスティック・メン」で十代の少女を好演していて、印象に残っていた。「マッチスティック・メン」より一年前のこの映画を観る。

  彼女の経歴を見るといきなり主役に抜擢された印象が強い。よくわからないが、テレビ界では頭角をあらわしていたのだろう。日本の宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」英語版でナウシカの声を担当しているとある。

  「ホワイト・オランダー」には、母親役にミシェル・ファイファー、里親クレアにレニー・ゼルウィガーといった実力派の女優とともに、主役を堂々と演じているように見える。見えると言ったのは、私は演技力を見抜くだけの力がないただの映画好きの一人に過ぎないから。演技の勉強をしたこともなければ演技論なるもの(あればだが)を読んだこともない。となると、独断と偏見に満ちている事は避けられない。

  アリソン・ローマンの役柄が、里親の元でいいも悪いも世の中を見ることによって、自我意識が確立していく過程を表現するというもので、並みの俳優では難しいのではないかと思える。母親は力のあるアーティストで、娘にはしっかりと物事を認識させようとしていることが見える。自分の作品を娘に見せて「どう?」と聞き「すてき」と娘。すかさず「ダメよ、しっかり見なきゃ、画家になれないわ」という。どうすてきなのかを認識することが重要だというわけだ。

  一方母親の男関係は順調とはいえない。理解しがたいのはこんな場面だ。文筆家のボーイ・フレンドが出張から帰っているにもかかわらず連絡がないので、娘と一緒に男の家を訪ねる。娘を車に置いたまま母親は家に入っていく。かなりの時間が経って車に戻ってくる。怒りに興奮しているようで、「デートだって、セックスしてから追い出されたの」つまり、母親はセックスだけの相手ということだ。それよりも母親のセリフが不可解。十代の娘に言う言葉だろうか。しかし、これは映画の世界と考えると、この母親の人物像を観客に明確に伝えなければならない。ある程度誇張や常識の逸脱もやむをえないのだろう。という好意的な見方も出来る。

  ところどころきわどいセリフもあるが、「どんな母親であっても、親子の関係は断ち切れないな」というのが感想である。アリソン・ローマンは「マッチスティック・メン」で、のびのびとかなり自然に演じて断然輝いている。この女優の将来は楽しみである。ちなみに、ホワイト・オランダーは白い夾竹桃で、強く美しく咲くために毒を放つ花だそうだ。また、日本語標記はオランダーとなっているが、発音はオリアンダーに聞こえる。

  アリソン・ローマンのこれからの作品は、「Where the truth lies」をケヴィン・ベーコンと「The Big White」をロビン・ウイリアムズと共演する。
  
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確定申告書を作ってみると…

2005-02-11 15:56:43 | 雑記
  今年も確定申告の季節になり、去年と同様国税庁のホームページにある「確定申告書等作成コーナー」で作業を終えた。結果は8.700円の納税である。所得税法の改正で、去年まで「配偶者控除」と「配偶者特別控除」が受けられたが、今年は「配偶者特別控除」が適用されないせいである。おまけに社会保険庁からの通知を見ると「老年者控除」が廃止になり所得税が差し引かれている。

  消費税の増税も時間の問題だろう。増税の強い風が吹きつつある。納税は国民の義務だということは重々承知している。今の政治家や諸官庁やその他の公的機関の体たらくを見ると積極的に収めたい気持ちが湧き出てこない。

  国会の施政方針演説に対する議員の必要でもないヤジの汚さやうるささには閉口する。ふた言目には民主主義をやたら口にする輩ほど、人の意見をまず聞くという根本を無視している。いわゆる税金ではないが、最近の話題ではNHKの経営陣のお粗末があった。一流の大学を出て社会経験も豊富な人たちですら一般常識が欠落している。実に不愉快である。私はまだ受信料を払っている。私もいつ爆発するか分からない。

  そして何の知恵も工夫もないのが、第3のビールに課税しようとしたことだ。チョット売れたからといって、すぐ課税という発想が悲しい。私は最近不信の固まりになっている。無条件に絶対人を信じない。信じるものか!!だまされないようにするためには、これしかない。不信感の中にも義務感は持ち合わせている。早く楽しい気分になりたいものだ。
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待ち遠しいさくらの季節

2005-02-06 15:18:01 | 雑記
  玄関から一歩外に踏み出すと、冷たい強い風に思わず首をすくめる。陽光は、冬のキンキンと音がするような鋭さから、包み込むような温もが感じられるようになった。遊歩道には、まだ野草のオオイヌノフグリやニホンタンポポは見られないが、さくらの木のつぼみはふくらんできている。

  私は毎年つぼみを見ながら、春のおとずれを心待ちにする。新潟中越地方の、2メートル以上にもなる大雪の映像を見ると、「春なんて気が早いよ!」と言われそうな気がする。それでも私はわくわくしながら春を待っている。

  春といえば、野球シーズンが始まる。私は大リーグファンのため、テレビ中継が楽しみである。今年はヤンキースに、40歳を過ぎても衰えないピッチャーのランディ・ジョンソンが加入しチャンピオンを狙う。イチローのいるマリナーズも補強がうまくいって、去年のような無様なことにはならないだろう。野茂もデビルレイズで再起を図る。例年にも増して目が離せないシーズンになりそうだ。
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大腰筋(だいようきん)トレーニングの効果か?

2005-02-05 11:42:24 | 健康
  寒気が流れ込んで、いつもウォーキングやジョギングを楽しんでいる遊歩道も、節くれだった指のような枝や竹ぼうきにも使えそうな細い枝が強い西風に揺れている。気温は7度くらいだが、風のある分体感温度はもっと低く感じられる。この風はまだ春の芳香を運んではくれない。そんな中をゆっくりと去年の秋以来のジョギングをする。

  去年の秋は、富士山の展望台として人気にある愛鷹(あしたか)連峰の越前岳に登り、下山時に腰を痛めたのがたたり、しばらくジョギングから遠ざかっていた。その頃「大腰筋トレーニング」について新聞で目にした。この大腰筋が弱ると、足が衰えて寝たきりになると言い、歩くスピードも落ち当然走るスピードも落ちるということになる。

  そんな大事なことかというわけで早速とりかかる。その一つにスクワットというのがある。これは下半身を強くし、大腰筋を刺激する運動で、足を肩幅くらいに開き、背筋を伸ばし後ろにある椅子に座るようなイメージで腰を落とし、そのまま立ち上がるというもの。最初は膝が少し痛く感じたが、回を重ねるに従いそれもなくなる。これで見る限り、ジョギングも大丈夫だろうと判断して走ってみた。翌日の様子は膝に痛みもなく、通常の筋肉痛を感じる程度であった。効果もあるようで、しばらく続けてみないと確かなことはいえない。せめて1キロ6分台の時間に迫りたい。あせらず気長に続けて今年の年末ごろにはどんな様子か楽しみである。
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