1952年から1969年を洋画と洋楽が大好きで過ごした人たちにとって、深夜に放送される新譜紹介番組「S盤アワー」を懐かしく思い起こすのではないでしょうか。ペレス・プラード楽団の「エル・マンボ」のBGMに重ねて、当時の日本ビクターの社員だった帆足まり子のぬくもりのある声にほっとしたものだ。
そのS盤アワーCD10枚組160曲の新聞広告。DISC 1の16曲にはエルビス・プレスリーの6曲で最多、アラン・ラッドとジャック・パランスの決闘をクライマックスに正義が勝ちを収める映画「シェーン」の主題曲「遥かなる山の呼び声」をヴィクター・ヤング・オーケストラで、グレン・ミラーは「真珠の首飾り」、そして多くの家庭に受け入れられたエディ・フィッシャーが歌う「オー・マイ・パパ」などが並ぶ。
ところでS盤とは何か。今では全く見ることが出来ないシロモノ。78回転のレコードで、とにかくもろい。落としたり踏んだりすれば粉々になる。細かい溝が刻まれているその破片で、鉛筆の芯を尖らせた記憶がある。それをSPレコード(Standard Playing)と言い、1950年後半まで生産された。今のLPレコードぐらいの大きさで片面1曲しか入らない。再生するには蓄音機という機械が必要。レコードの溝に落とす針は、竹製を使っていたが金属製もあった。なんともカビの生えたお話。
ウィキペディアにはこんな記述がある。「日本武道館の近くに昭和館があるが、日本で発売されたSPレコードを体系的に蒐集・整理・保管し、いつでも検索・視聴可能にしようとするプロジェクトが政府主導で進められつつある」という。
映画「シェーン」の悪役ジャック・パランスが印象的だった。アルコールを飲まないでブリキのコップに入れたコーヒーをチビリチビリと飲む。
映画「グレン・ミラー物語」に劇的に登場する「真珠の首飾り」。グレン・ミラー独特のスタイル、「キラー・ディラー・スタイル」を生み出した。ビッグ・バンドの編成で通常のサックス・セクションの5人(アルト2本、テナー2本、バリトン1本)のうちリード(一番高音のパート)もしくはセカンド(2番目のパート)もアルト・サックスの代わりにクラリネットで1オクターブ高い音で演奏すると甘美な独特のサウンドが醸し出される。(ネットから引用)
このスタイルは偶然の産物で、映画でも触れられるがトランペット奏者が唇を切ったために、代わりにクラリネットを使ったところ出来たのがこのキラー・ディラー・スタイルなのだ。このグレン・ミラー・オーケストラは現在でも存在し、去年も日本ツアーで来日している。
次にエディ・フィッシャー。1950年代を代表する歌手で、数百万枚の売り上げを記録する。女性関係が派手でデビー・レイノルズ、エリザベス・テイラー、コニー・スティーヴンスらと結婚・離婚を繰り返し4人の子供に恵まれた。その中のデビー・レイノルズとの間に生まれたキャリー・フィッシャーは、女優で脚本家。しかし、ドラッグに手を出していてそのせいで60歳のとき心臓発作で亡くなっている。その一家の運命を見ていると、残る人の人生も分からないとつくづく思う。父親エディ・フィッシャーの温かい歌声の「オー・マイ・パパ」が寂しく感じる。
それでは、「S盤アワー」の出だしを聴いてください。
グレン・ミラーの「真珠の首飾り」
エディ・フィッシャーの「オー・マイ・パパ」をどうぞ!
姓をシスターズと名乗る兄弟、イーライ(ジョン・C・ライリー)とチャーリー(ホアキン・フェニックス)は、オレゴン州の提督(ルトガー・ハウアー)の命を受けて邪魔者を殺す殺し屋なのだ。
夜間、原野に建つ一軒の家を皆殺しにして家屋を焼き払う。チャーリーが提督に報告して新たな命令は、山師のウォーム(リズ・アーメッド)を探し出して殺すことだった。
ときは1851年、カリフォルニアでゴールドラッシュの真っ最中。鉱脈を見つけたりする山師なら当然砂金を求めてサンフランシスコに行くだろうと、提督の部下ジョン・モリス(ジェイク・ギレンホール)は考える。
その目論見は当たり身分を隠してウォームと知り合う。やがてシスターズ兄弟とも合流するが、ウォームが砂金を掘る化学式を持っているという。いつの時代も人間は金(カネ)に弱い。ウォーム殺しを急ぐことはない。砂金がザクザクと溜まってからでも遅くない。
腐食性の強い薬品を、まるで使い古しのエンジンオイルのような油でコーティングしたものを川に流すと川底からピカピカと輝く砂金が現れた。油でコーティングしてあるとは言いながら、長く体に付着していると毒性が体に回って命を落とす。しょっちゅう水で洗い流さなければならない。
しかし、追加の原液を運ぶ途中、つまずいてモリス、ウォーム、チャーリーが浴びる。なれの果ては、ジョン・モリスが自殺。ウォームも死ぬ。シスターズ兄弟のチャーリーは、片腕を失う。
イーライとチャーリーは、散々な砂金堀で得たわずかな砂金を手に提督の元へ。着いてみると、なんと提督は死んでいた。棺桶に横たわる提督。じっと眺めていたイーライは、やにわに提督の顔をぶん殴る。二人は長年寄り付かなかった母を訪ねる。
この映画を監督したのは、2015年「ディーペンの闘い」でカンヌ国際映画祭でパルムドール賞受賞のフランス人、ジャック・オーディアール。西部劇でスランス人というのも珍しいかな。しかも、ホアキン・フェニックスやジェイク・ギレンホールを脇役に使い、ジョン・C・ライリーを主役に据えている。
テーマは、一人の人間がもつ醜い側面の権力におもねる、強欲、自分勝手というようなものが凝縮されている。西部劇だからガンファイトもあるが、それはお遊びの域を出ない。
監督
ジャック・オーディアール1952年4月フランス、パリ生まれ。本作でヴェネチア国際映画祭で監督賞受賞。
キャスト
ジョン・C・ライリー1965年5月イリノイ州シカゴ生まれ。
ホアキン・フェニックス1974年10月プエルトリコ生まれ。
ジェイク・ギレンホール1980年12月カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
リズ・アーメッド1982年12月イギリス、ロンドン生まれ。
ルトガー・ハウアー1944年1月オランダ、ユトレヒト生まれ。
1994年の長編アニメ「ライオン・キング」のフルCG(ディズニー公式は、超実写版)でのリメイク。アニメもよかったが、この実写、本物のライオンらしいものをコンピューター・グラフィックスで描いた本作も悪くない。
シェイクスピアの叔父に対する復讐の「ハムレット」と敵対する家同士の息子と娘の「ロミオとジュリエット」のお話を、まるで生きたライオンが喋り歌い踊るという実写版なのだ。喜びや悲しみ、憎しみというライオンの表情に注目していたが、それなりに受けとめられた。物語の流れやBGMに没入しているせいもあるかもしれないが。ただ、キングとしての咆哮に迫力がなかった。
コミカルなイボイノシシとミーアキャットといろんな動物たちの豊かな表情とワルのハイエナの獰猛な面構えも面白かった。エルトン・ジョンの聴きなれた音楽「ハクナ・マタタ(Hakuna Matata)」や「Can you feel the love tonight」など耳にも心地よい。
それでは、スワヒリ語で「くよくよするな!」の意がある「HAKUNA MATATA」をどうぞ!
監督
ジョン・ファヴロー1966年10月ニューヨーク市クイーンズ生まれ。
視覚効果監修
ロバート・レガト1956年5月ニュージャージー州うまれ。アダム・ヴァルデス出自未詳
父と娘の心温まる物語。フランク(ニック・オファーマン)は、CD全盛時代にアナログのSPやドーナツ盤といわれるEPそれにLPレコードを売る「レッドフック」という店をニューヨーク・ブルックリンの海浜近くで開いていた。
一部のマニア以外は興味を示さず続けるのが難しいと思い始めていた矢先に、大家のレスリー(トニ・コレット)から賃料値上げを告げられる。もはやこれまでとフランクは閉店を決意する。
そして長年の夢、娘のサム(カーシー・クレモンズ)の音楽的センスを生かすためにバンドを組むことだった。というのも亡くなった妻と売れないバンドで四苦八苦した経験があるからだ。
ところが娘にはその気がなく、西海岸のUCLAの医学部を目指していた。それでも時々、思いついたメロディーをシンセサイザーで鳴らしていた。一つの形になったのが「ハーツ・ビート・ラウド」という曲だった。
その曲をフランクは、スウェーデンのスポティファイ・テクノロジーが運営する「Spotify」にアップした。かなりいい反響が来た。それでもサムは、医学部進学をあきらめようとしない。
閉店セールの最終日、感謝を込めて父娘のセッションを披露した。来店客の盛大な拍手と歓声が店内を満たした。サムはちょっと考えた、「医学部は延ばしてもいいよ」フランクは、娘の進路を阻んではいけないと否定する。
サムが旅立った後、友人のバーを手伝いながらレスリーと特別なお酒で乾杯する。ひょっとして同年代のレスリーと新しい絆が芽生えるかもしれない。
「実に素晴らしい作品で、心地よい親しみやすさがある。『ハーツ・ビート・ラウド ~たびだちのうた』はニック・オファーマンとカーシー・クレモンズのより良い相乗効果によって質を高められ、感じよい父娘ドラマを観客に提供している。」と批評家は高評価を与えている。
それでは「Hearts Beat Loud」をどうぞ!
監督
ブレット・ヘイリー出自未詳
音楽
キーガン・デウィット1982年4月オレゴン州生まれ。
キャスト
ニック・オファーマン1970年6月イリノイ州生まれ。
カーシー・クレモンズ1993年12月フロリダ生まれ。
トニ・コレット1972年11月オーストラリア、シドニー生まれ。
テキサス州ダラス市警には身長180センチ、赤い髪をなびかせる美人の麻薬捜査課刑事がいる。部下四人を持つレズビアンのベティ・リジックだ。
原題が「The Dime」、つまり10セント硬貨のことで、これがベティの窮地を救うことになる。ミステリー物って書くのが難しい気がする。刑事が主人公なら、犯罪を追うのは当たり前で、専門知識を必要とし悪いことにほかの人が散々書いている。余程の力量でない限り、勝利の旗は揚げられない。
本作は、2018年度アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞にノミネートされているから成功したと言える。
読了の結果は、理解しづらい比喩もああるが、観光ガイドブックにはないテキサスやテキサス男(テキサス女も)が描かれ興味が尽きなかった。
本物のダラスは、リヴァーフロント・ストリートと聞いたベティは「上昇した気温が、鏡のように輝く鋭いうろこに覆われた怪物みたいに頭にまとわりつき、汗が耳や首を舌で舐めるように流れ込んでくる」というあまりピンとこない比喩に戸惑いながら、「監視対象の家は、北ダラスのこのあたりに建っている、チューダー様式を模したほかの家々と全く同じ大邸宅だ。どれもゼロ・ロット・ライン方式の狭い空間に建ち並んでいる」
ちなみにこのゼロ・ロット・ライン方式とは「行政の策定したルールに基づき、所有権とは別に敷地内への立ち入り権を設定し、隣住戸に敷地の一部利用を認める手法。狭い敷地を合理的に活用する仕組みとして、米国の分譲戸建てで活用されている。隣戸の外壁まで敷地が利用でき、境界がゼロになることから「ゼロ境界線」=ゼロロットラインと名付けらた」とネットで解説されている。(建ぺい率を計算するとき、隣家の外壁からできるということかな。もしそうならより大きな家を建てることができる)
今、監視の車に中にいるのはベティと相棒のセス・ダットン刑事。このセス・ダットン「よく日焼けした健康な体形にスカンジナビア系か中西部人にありがちなタイプの、とてもハンサムな男だ。身長は183センチ、ベティとほぼ同じぐらいだ.課で言われているジョークに「セスが部屋にに入ってくるたびに気絶したりしない女は、北テキサスではベティ一人だけだと言われている」
ベティが言う「セスは顔を上げ、にんまりと笑う。私が男に欲情する女なら、すぐさまトイレの個室に連れ込んでむしゃぶりつきたくなる笑顔だ」
ベティにはジャッキーという医師のパートナーがいる。「法廷で証言するときのジャッキーはこの上なく美しく、法医学の知識を短剣のように駆使する彼女は、まるで証人席の復讐の女神のようだ」
日ごろは男勝りの女丈夫ベティもジャッキーの誕生祝いとなれば「リュニオン・タワーの最上階のレストランには、十年ぐらい履いているドクターマーチンのワインカラーのブーツ、カスタムメイドの黒のレザーパンツ、タイトなカットで裾が腿の中ほどまである新しいベルベットのブレザーといった大枚をはたいたファッションで行く。
ジャッキーは、シーグリーンのシルクのブラウスとぴったりした黒のスカート、それに高いヒールの靴を履いていて、その靴で歩くとふくらはぎがピンと伸び、まるでバレリーナのようだ」(こんな二人からは、目をそらすことはできない)
それにハイウェイ事情もある。テキサスの大半は何キロ行けども何もない場所がひたすら続くだけの土地だ。そんなところにスピード制限の標識があるわけがない。セスがハンドルを握ると時速145キロが当たり前なのだ。
インターステート75号線では、ラッシュアワーが始まりダラスっ子(ダラサイト)たちのうんざりするような自動車大移動突撃作戦が始まり、まっとうな車線変更テクニックは役立たなくなる。「たまにはウィンカーを出しなさいよ」とベティが叫ぶ。
著者のキャスリーン・ケントは、テキサス州で育ち現在ダラス在住。20年程ニューヨークに住んだ事がある。これまでに三作の長編小説を発表し、優れた歴史小説に与えられる文学賞を受賞。
ミシガン州デトロイト近郊の州内で規模が四番目の町、「フリント市」の暴力犯罪率が2011年のFBIの統計によれば、人口1000人当たり23.4%という全米で危険な都市の一つに数えられる。
デトロイトは自動車産業で発展してきた都市で、フリント市もゼネラルモーターズの城下町だった。ゼネラルモーターズはキャデラックという有名ブランドを持っていたが、時代の流れと輸入車攻勢で2009年に倒産した。
フリント市の当時の人口が約13万人、そのうちゼネラルモータズの従業員が3万人といわれ、家族も含めると殆どがゼネラルモーターズに頼っていたことになる。
倒産はすべてを変えた。市の財政破綻、治安悪化、人口減少、社会基盤の崩壊に見舞われた。社会基盤崩壊の最たるもには、水道水汚染問題だ。古い水道管から鉛が溶け出して飲料には出来ず、市は水のペットボトルを無料配布でしのいでいる。
失業率(18.9%)の増加は、白人約42%、黒人約53%という人口割合を反映してより多くの影響を黒人層に与えた。治安の悪化にもかかわらず、パトロール警察官の人員削減を余儀なくされた。約500人から約100人に減少した。
このドキュメンタリー映画は、そのパトロール警官たちの実態を追っている。人々、特に黒人層からは問題が発生しても警察は2時間経っても来てくれないと不満を言う。かつては裕福な町であったクリント市も廃屋が目立ち、ハローウィンの前にはこれらの廃屋の火事が頻発する。
就職難は、人々の心がすさむことになり、麻薬や犯罪に手を染める。そんな環境は、いたずら心も放火という犯罪を犯すことになる。それを取り締まる警官が少ない。
人口構成を反映して黒人警察官が多が、その黒人警察官の悩みは、警察官になったとたん友人や親せきが離れて行くことだ。口もきいてくれないというではないか。
それでも街を良くしようと日夜戦場のような地域をパトロールする。車の中で、のんびりとサンドイッチも食べられない。背後にも注意しないと撃ち殺されることもある。
そんな中で特殊部隊の成果もあって、全米のワーストタウン・ベスト10からなんとか抜け出した。警察官の充実やパトカーの更新、機材の充実など予算がいくらあっても足りない。そこで「公共安全税」の導入を市民に提示した。
2016年の大統領選投票日に、この税の賛否を問うた。この税を否決されたら、現役警察官の人員整理は必定といわれる。固唾をのんでテレビ画面を凝視する警察官。ヒラリー優勢を覆しトランプ政権の誕生、「公共安全税」の成立という結果になった。それにしても警察官が解雇されることもあるのがアメリカという国なのだ。
トランプ誕生は分断を助長したといわれる。確かにこの時点では、白人警察官が共和党を支持し、黒人警察官は民主党を支持したのは確かのようだ。それは警察官のインタビューで明らか。
常在戦場を呈している街区に乗り出す警察官。日本と比べものにならない環境で職務を遂行する警察官にエールを送りたくなる。